松井証券デイトレード限定「一日信用取引」の導入と、委託手数料に依存しない収益構造への移行

同じ手数料無料化がなぜ2006年には撤回され2013年には効いたのか——デイトレーダーをめぐる争奪

時期 2013年1月
意思決定者(推定) 松井道夫 社長
論点 手数料競争下の収益源とデイトレーダーの獲得
概要
2013年1月、松井証券が信用取引の保証金に関する府令改正に合わせ、返済期限を当日限りとするデイトレード限定の「一日信用取引」を導入した経営判断。手数料と金利・貸株料を原則無料にした業界初のサービスで、松井道夫社長のもとで7期続いた減収を反転させた。
背景
2006年3月期をピークに営業収益は縮み、2007年3月期にはSBIイー・トレード証券に経常利益で抜かれた。2006年9月に無期限信用取引の手数料を完全無料化したものの、他社の手数料率がすでに0.01%台まで下がっていたため乗り換えは起きず、3か月で撤回して顧客の流出を招いた。
内容
返済期限を当日限りに区切り、1注文の約定金額300万円以上は手数料も金利・貸株料も無料、300万円未満は手数料無料で金利・貸株料2%とした。2014年3月には同じ仕組みを使う「プレミアム空売りサービス」を加え、他社では個人が売建できない銘柄に銘柄ごと10〜20bpの空売り料を課した。
含意
2014年3月期の営業収益は399億円(前期比1.9倍)へ伸びた一方、手数料を取らない商品に取引が集まったため、収益源は委託手数料から金融収支と品貸料へ移った。2017年3月期は一日信用取引の比率57%で営業収益が2割近く減り、相場の変動に振られる構造が残った。
筆者の見解

無料にする相手を選び直した判断

2006年9月に無料にしたのは、無期限信用取引の売買手数料だった。2013年1月に無料にしたのは、当日限りに区切った信用取引の手数料と金利・貸株料だった。3か月での撤回と7期ぶりの増収増益は、値引きの大きさではなく無料の宛先で分かれた。0.01%台の手数料は長く建玉を持つ顧客に乗り換えの理由を与えないが、1日に何度も回転させる顧客には回数分だけ積み上がる。松井証券が取りにいったのは価格ではなく、価格差が効く客層であった。

選び直した客層は、そのまま収益の弱さにもなった。手数料を取らない商品へ取引が移り、2016年3月期は売買代金が6%増えても株式等委託手数料はほとんど動かなかった。2017年3月期の営業収益は2割近く減った。代わりに立てた金融収支とプレミアム空売りの品貸料は、相場と貸株の需要に振られる。SBI証券が同種のサービスで追随してからは先行の差も薄れた。松井証券が無料化で得たのは、手数料ゼロが業界の当たり前になるまでの7年である。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

手数料引き下げ競争のなかで縮んだ7年

松井証券の営業収益は2006年3月期の571億円を頂点に縮んだ。2007年3月期は営業収益437億円(前期比23%減)、経常利益227億円(同39%減)で、株式委託手数料率も前期の11.4bpから8.5bpへ下がった。同じ期、SBIイー・トレード証券が経常利益245億円を稼いで初めて松井証券を上回った。その4年前、相手の利益は松井証券の8分の1にすぎなかった[1][2][3]

減収は7期にわたった。2012年3月期の営業収益は177億円(前期比20%減)、経常利益は74億円で、株式委託売買代金は8.0兆円まで縮んだ。松井証券は2011年10月に即時決済信用取引を始めて反転を試みた。しかし流動性が足りず、顧客同士が「お見合い」(決算説明会要旨 2012/4/26)する状態が続いた。価格の決定方式を緩め、取引開始を8時30分へ早める手直しを重ねた[4][5][6]

2006年の手数料無料化が効かなかった理由

手数料の無料化は、すでに一度試していた。2006年9月、松井証券は無期限信用取引の売買手数料をゼロにし、代わりに金利を引き上げた。無期限信用取引そのものは、2003年に業界へ先駆けて始めていた。しかし各社がすぐ追随し、手数料率は最安で0.01%台まで下がっていた。1000万円を売買しても手数料は100円あまりで、無料にしても「乗り換えるほどのインパクトはなかった」(週刊東洋経済 2007/7/21)。3か月後の12月、松井証券は無料化を撤回した[7][8]

撤回は顧客の流出を招いた。2007年3月期第4四半期の市場シェアは9%へ落ちた。松井証券自身、無期限信用取引の手数料無料化を撤廃した混乱で12月に顧客が流出したと説明した(決算説明会要旨 2007/5/7)。SBIホールディングスの北尾吉孝CEOは同じ年、「手数料競争が終わった段階で決着がついた」(週刊東洋経済 2007/7/21)と語った。無料にする対象を誤れば、収益だけが減って顧客は動かない[9][10]

決断

府令改正に合わせた業界初のデイトレード限定サービス

2013年1月、信用取引の保証金に関する府令が改正され、規制緩和が実現した。松井証券はその開始に合わせて「一日信用取引」を導入した。返済期限を当日限りに区切り、手数料と金利・貸株料を原則無料にした、業界初のデイトレード限定の信用取引である。1注文あたりの約定金額が300万円以上なら手数料も金利・貸株料も無料、300万円未満は手数料のみ無料で、金利・貸株料は2%を徴収した[11][12]

2006年と違ったのは、無料にする相手の絞り方にあった。デイトレーダーは同じ資金を1日に何度も回転させるため、1回あたりの差が回数分だけ積み上がる。0.01%台まで下がった手数料は長く建玉を持つ顧客に乗り換えの理由を与えないが、回転の速い層には無視できない差になる。松井証券は導入から3か月の時点で、手数料の安い競合他社からデイトレーダーを獲得できているとみていた(決算説明会要旨 2013/4/25)[13]

相場の反転と重なった導入

導入は2012年11月以降の株価上昇と重なった。2013年3月期の株式委託売買代金は12.6兆円(前期比57%増)へ伸びた。第4四半期の3か月だけで7.0兆円と、第3四半期までの累計5.6兆円を上回った。一日信用取引の月間売買代金も1月の4200億円から4月には7700億円を超えた。株式の売買シェアは前年の7%台から4月に10%へ、信用取引のシェアは8%台から12%へ上がった[14][15]

2013年3月期の業績は営業収益208億円(前期比17%増)、経常利益102億円(同38%増)、当期純利益64億円(同51%増)で、7期ぶりに増収増益へ転じた。営業収益経常利益率は49%、第4四半期の3か月だけでは65%に達した。ただし府令改正と相場の反転と新サービスが同じ四半期に重なったため、増益のどれだけが一日信用取引の寄与かを切り分けることはできない[16][17]

結果

シェアの奪取と、伸びなかった手数料

効果は翌期にはっきり出た。2014年3月期の株式委託売買代金は39.5兆円(前期比3.1倍)、営業収益399億円(同1.9倍)、経常利益272億円(同2.7倍)。個人株式委託売買代金に占めるシェアは8.4%から11.1%へ上がった。信用取引の6社シェアはサービス開始前の8%から16%へ伸び、2014年2月には楽天証券を上回った。営業収益経常利益率68%は8年ぶりの最高を更新した[18][19]

増えた売買は、手数料に結びつかなかった。無料の商品へ取引が集まったためである。2016年3月期は売買代金が38.9兆円(前期比6%増)へ伸びたのに、株式等委託手数料は189億円と前期並みにとどまった。2017年3月期は一日信用取引の比率が51%から57%へ上がり、手数料率は4.8bpから4.4bpへ下がって、営業収益は277億円(19%減)へ縮んだ。松井道夫社長は、松井証券でも取引の6割が手数料ゼロだと語った(週刊東洋経済 2020/6/13)[20][21][22]

金融収支と品貸料への置き換え

委託手数料の代わりには、金融収支と品貸料が立った。2014年3月、松井証券は「プレミアム空売りサービス」を始めた。返済期日が当日限りという一日信用取引の仕組みを使い、他社では個人が売建できない銘柄を選んで貸す。銘柄ごとの空売り料は10〜20bpで、その収益は2015年3月期に9億円、2017年3月期に8.4億円にのぼった。金融収支も2014年3月期に114億円(前期比2.0倍)へ伸びた[23][24][25]

この構造は相場に弱い。信用取引のシェアは2014年夏以降横ばいに転じ、2015年にはSBI証券が同種のサービスとHYPER空売りサービスを始めた。松井道夫社長は顧客がSBI証券に移ってはいないと説明した(決算説明会要旨 2015/4/28)。それでも2015年・2017年・2019年・2020年の各3月期は営業収益が減った。2020年、松井道夫社長はネット証券の収益モデルを「過当競争によって崩壊している」(週刊東洋経済 2020/6/13)と語った[26][27][28]

出典・参考
  • 松井証券 2007年3月期 決算説明会要旨(2007年5月7日・日本証券アナリスト協会作成)
  • 松井証券 2012年3月期 決算説明会要旨(2012年4月26日・日本証券アナリスト協会作成)
  • 松井証券 2013年3月期 決算説明会要旨(2013年4月25日・日本証券アナリスト協会作成)
  • 松井証券 2014年3月期 決算説明会要旨(2014年4月28日・日本証券アナリスト協会作成)
  • 松井証券 2015年3月期 決算説明会要旨(2015年4月28日・日本証券アナリスト協会作成)
  • 松井証券 2016年3月期 決算説明会要旨(2016年4月28日・日本証券アナリスト協会作成)
  • 松井証券 2017年3月期 決算説明会要旨(2017年4月28日)
  • 週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」
  • 週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫『社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ』」
  • 松井証券 有価証券報告書(2006年3月期〜2020年3月期・単体)
  • 松井証券「一日信用取引 概要・魅力」(https://www.matsui.co.jp/stock/margin/d-margin/about/)

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