前身は大和銀行とあさひ銀行
りそなHDの主源流である大和銀行は、1918年5月に野村徳七[1]が大阪野村銀行として設立した[2]。日本の銀行業界は伝統的に商業銀行と信託銀行が法律と業態で分離されてきた業界で、戦後は4大メガバンクと信託銀行・地銀という3層構造で動く。大和はその枠の外側に位置した稀有な存在である。1925年7月から信託業務を兼営し[3]、戦前の都銀としては珍しい商業銀行と信託の一体運営を始めた。戦後の制度改革で他の銀行が信託を分離したなかでも、大和は兼営の枠組みを譲らなかった。戦前の大阪経済圏で野村財閥の金融拠点として出発した同行は、株式・投信・有価証券運用機能を内包する変則的な都銀として動き続ける。関西基盤と信託兼営は、のちにりそなが掲げる『バンキング+信託』モデルの出発点である。
1943年、戦時統制下で野村財閥色を薄めるため大和銀行へ改称し[4]、1949年5月に東京・大阪両証取へ上場した[5]。1950年から73年まで23年間頭取を務めた寺尾威夫は[6]、大蔵省が信託兼営の解消を求めた信託分離問題で1965年に大蔵省と正面対決し、最後まで譲らなかった。1966年4月の金融制度改正では他行の信託業務分離[7]が進むなか、大和だけは兼営体制を維持して特殊な位置に留まる。商業銀行と信託の一体運営は、後年のりそなHDが看板に据える『バンキング+信託』モデルの原型であり、投資信託・有価証券運用の機能を内部に置く4大財閥系都銀には見られない選択だった。
高度成長期、関西圏の個人預金と中小企業融資を主戦場としつつ、信託分野でも他の都銀と異なる存在感を維持した。海外展開も早く、1956年に石原産業とインドネシア資本との合弁でジャカルタにプルダニア銀行を設立し[8]、1964年のスカルノ大統領による全外国銀行閉鎖命令[9]を合弁ゆえに免れるなど混乱を乗り越え、1972年にはニューヨーク支店も開設した[10]。信託業務の手数料収入が経費の大半を賄う体質は業界内でも評価され、1989年には旧三井銀行の末松謙一頭取が大和銀行・安部川澄夫頭取へ合併を打診したが[11]、大和側はこれを断っている。この変則的なポジションは、関東で形成された協和・埼玉という別系列のリテール都銀と、将来1つの持株会社の下で結合する素地をつくる。
関東側の源流は協和銀行と埼玉銀行である。埼玉銀行は1969年4月に埼玉県のメインバンクとして発足し、首都圏ベッドタウンを地盤とする県行として歩み出す。両行とも都心部の大企業ではなく、首都圏の個人預金者と中小企業融資を主戦場とする『リテール型都銀』の典型である。財閥系都銀が大企業・国際業務で規模を競う時代にあって、両行は預金者数の厚さと中小融資の深さで別の市場を押さえていた。同じ都銀でも収益源と顧客層が異なり、4大グループとは別カテゴリを形成していた。
1985年、協和銀行と埼玉銀行は相互業務提携を結び[12]、1991年4月に合併して協和埼玉銀行が発足する[13]。1992年9月にあさひ銀行へ改称し[14]、平成金融再編の初期事例として関東リテール都銀の枠を固めた。大和(関西・信託兼営)とあさひ(関東・リテール)という、財閥系都銀より一段小さく地銀より大きい同じ階層の2行が、東西で並走する体制が成立する。両行とも顧客基盤の主軸は個人預金者と中小企業で、大企業向け融資と国際業務に依存する4大とは収益構造そのものが違っていた。並走の事実そのものが、のちに同じ持株会社の下へ集まる際の現実味を支える前提だった。
協和・埼玉という別個の個性を持つ銀行があさひに統合され、その先で大和と束ねられてりそなへ続く連鎖が、ここから動き出した。1990年代の都銀再編は4大メガ体制への集約として描かれがちだが、別軸の再編も輪郭を見せている。関東のリテール都銀同士の合併と、関西の信託兼営都銀との将来統合がそれに当たる。あさひ銀行の発足は、後年りそなHDが選ぶ『第5のメガ』路線の関東側の柱を準備する動きだった。リテール特化を地で運営した銀行同士が、将来1つの持株会社の下に集まる前提条件は、1992年のあさひ発足の時点でほぼ整っていた。残された課題は、関西の大和と関東のあさひをどのように1つの傘の下にまとめるか、その制度設計の詰めだけになっていた。
1995年9月、大和銀行ニューヨーク支店[15]で行員による無断債券取引と損失隠蔽が発覚した。井口俊英行員は1993年11月に売買・保管部門の未分離をニューヨーク連邦準備銀行に告白[16]していたが、1994年5月の大蔵省検査は『一札』を理由に不正の現場[17]を素通りし、11年間で8回に及んだ米国当局の検査も見抜けなかった[18]。米国司法省の刑事告発を受けFRBとニューヨーク州銀行局が業務停止命令を出し、大蔵省も11月3日に業務改善命令を出す。同行は1996年2月、米国市場から全面撤退した。[19]
この事件は大和銀行の経営方針を国内リテール中心に振り直す決定打となった。海外投資銀行業務から退き、関西を地盤とするリテール・中小企業融資・信託業務に資源を集める設計が、ここから動き始める。2000年代に4大メガバンクが海外拡大と投資銀行化を進めるなかで、りそなグループは国内リテール特化という独自路線を維持した。後年『ダントツのリテール銀行』と呼ばれる戦略の根は、1995年のニューヨーク事件にある。海外で戦う選択肢を物理的に持たないことが、結果として国内特化の徹底度を上げる効果を持った。海外を捨てた銀行が国内に集中するしかなくなる、その必然性が後年の独自ポジションを支える土台となる。
撤退の代償は大きい。同時に副産物もあった。海外エクスポージャーを切り捨てた結果、2008年のリーマン・ショックによる海外損失を相対的に低く抑える形となる。ニューヨーク事件はりそなのポジションに30年経っても影を落とし続けると同時に、4大メガと異質の立ち位置を物理的に固定する役割を果たした。後発のリテール銀行として勝負する以外に道がない、という設計の前提条件は、この事件で確定した。1995年の傷が、後年の独自競争力を支える地盤に変わるまでには、20年以上の年月が必要だった。撤退と特化のあいだで失われた時間と、それと引き換えに得られた集中度が、この30年の経営史を貫く軸となった。
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|---|---|---|---|---|
| 1918〜1992年大阪野村銀行から協和埼玉銀行まで ── 4系列が並行して走る75年 | 大阪野村銀行を設立 | ★ | ||
| 大阪野村銀行が信託業務を兼営 | ★ | |||
| 日本信託銀行(後の埼玉銀行源流)・協和銀行の前身が相次ぎ設立 | ★ | |||
| 大阪野村銀行が大和銀行に商号変更 | ★ | |||
| 大和銀行が東京・大阪両証取に上場 | ★ | |||
| 協和銀行が発足 | ★ | |||
| 大和銀行が信託業務を信託銀行に分離 | ★ | |||
| 埼玉銀行が埼玉県のメインバンクとして発足 | ★ | |||
| 大和銀行がニューヨーク支店を開設 | ★ | |||
| 協和銀行と埼玉銀行が相互業務提携 | ★ | |||
| 協和銀行と埼玉銀行が合併し協和埼玉銀行発足 | ★★ | |||
| 1993〜2013年りそなホールディングス発足と2003年の公的資金注入 | 大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失事件が発覚 | ★★ | ||
| あさひ銀行・東海銀行・三和銀行の3行統合構想とあさひの離脱(2000年破談) 2000年3月、三和・東海・あさひの3行が共同持株会社方式による経営統合で基本合意したが、統合方式をめぐる対立からあさひがわずか3カ月で離脱し、3行構想は破談した案件である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 勝田泰久 | 大和銀行とあさひ銀行の経営統合とりそなホールディングスの誕生(2002年成立) 都市銀行再編から取り残された大和銀行とあさひ銀行が、近畿大阪銀行・奈良銀行とともに共同持株会社の傘下に集い、のちのりそなホールディングスを形づくった経営統合。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 勝田泰久 | りそなHDに商号変更 | ★ | ||
| 勝田泰久 | 大和銀行・あさひ銀行を合併してりそな銀行発足、埼玉りそな銀行も発足 | ★★ | ||
| 川田憲治 | 預金保険法102条の初適用による公的資金約1兆9,600億円の受け入れと、外部招聘した細谷英二会長のもとでのリテール銀行再建 2003年5月、繰延税金資産の取り崩しで自己資本が国内基準を割ったりそなホールディングスが、預金保険法第102条第1号の措置に基づき約1兆9,600億円の公的資金を受け入れて実質国有化され、旧経営陣が退いてJR東日本副社長だった細谷英二会長を外部から迎え、『ダントツのリテール銀行』へ路線を定めた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 川田憲治 | 旧経営陣退任、細谷英二(JR東日本出身)が会長に就任 | ★★ | ||
| 東和浩 | 檜垣誠司が代表執行役社長から交代、東和浩が就任 | ★ | ||
| 2014〜2023年マイナス金利下での忍耐と金利正常化への準備 | 東和浩 | 預金保険機構向けの公的資金1兆9,600億円を完済 | ★★ | |
| 東和浩 | 近畿大阪銀行株式を関西みらいフィナンシャルグループに譲渡 | ★ | ||
| 東和浩 | 関西みらいフィナンシャルグループの創設と完全子会社化による関西リテール基盤の集約 公的資金を完済したりそなホールディングスが、傘下の近畿大阪銀行と三井住友フィナンシャルグループ傘下の関西アーバン銀行・みなと銀行を統合して2018年4月に関西みらいフィナンシャルグループを創設し東証一部に上場させたうえ、3年後に完全子会社化して関西リテール基盤を一体運営へ集約した組織再編。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 南昌宏 | 南昌宏が代表執行役社長兼グループCEOに就任 | ★ | ||
| 南昌宏 | 関西みらいFGを完全子会社化 | ★ | ||
| 南昌宏 | 関西みらいフィナンシャルグループを吸収合併 | ★ | ||
| 南昌宏 | FY2024に過去最高益を達成 | ★ | ||
| 南昌宏 | デジタルガレージへの約500億円の追加出資と持ち分法適用会社化、その半年後に生じた449億円の評価損 2025年7月、りそなホールディングス(HD)は、決済プラットフォームを手がけるデジタルガレージ(DG)の株式をアクティビストのオアシス・マネジメントから追加取得し、持ち分比率を12.42%から30.95%へ引き上げて持ち分法適用関連会社とした。約500億円を投じたこの戦略出資は、公的資金を完済した同社が掲げる『資本活用フェーズ』の柱をなす成長投資であったが、DG株はその後半年で半値近くまで下落し、2026年3月末には449億円の評価損計上に至った。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(りそなホールディングス)