りそなホールディングス大和銀行とあさひ銀行の経営統合とりそなホールディングスの誕生
- 概要
- 都市銀行再編から取り残された大和銀行とあさひ銀行が、近畿大阪銀行・奈良銀行とともに共同持株会社の傘下に集い、のちのりそなホールディングスを形づくった経営統合。
- 背景
- 1999年に始まった都銀の合従連衡で、不良債権を抱える大和とあさひは合併相手を得られず取り残され、メガバンクとは異なる『スーパーリージョナルバンク』への転換を迫られていた。
- 内容
- 2001年12月に大和・近畿大阪・奈良の3行が株式移転で大和銀ホールディングスを設立、2002年3月にあさひ銀行が株式交換で傘下入り。同年10月にりそなホールディングスへ改称し、2003年3月に大和とあさひが再編されりそな銀行・埼玉りそな銀行が発足した。
- 含意
- 統合は財務体質の改善には直結せず、2003年5月に繰延税金資産の縮小で自己資本比率が4%を割り込み、預金保険法に基づき約2兆円の公的資金が注入され実質国有化された。外部からの経営陣刷新を経て立て直され、公的資金は2015年に完済された。
筆者の見解
規模の論理と、財務の実態
この統合は、再編から取り残された銀行どうしが規模を補い合い、メガバンクとは異なる地域密着型の路線を選んだ事例とみることができる。だが統合そのものは、各行が抱えていた不良債権や資本の薄さという財務の実態を解消するものではなかった。組織を束ねることと、財務体質を立て直すことは別の課題であり、両者を取り違えれば統合の直後に危機が表面化しうる——りそなショックは、その境目を可視化した出来事だったとも読める。
一方で、実質国有化という強い外的介入が、外部人材の登用や統治構造の刷新という形で経営の不連続を生み、結果として立て直しの契機になった面も否めない。公的資金を約12年で完済し、当初計画より前倒しで国の関与に区切りをつけた経緯は、危機対応の枠組みと経営改革が噛み合えば再建が成し得ることを示している。統合の成否を、発足時点の規模やシナジーだけで測るのではなく、その後の財務再建と統治の刷新までを含めて評価すべきことを、この案件は示唆しているのだろう。
- 公正取引委員会(平成13年度:事例3)「(株)大和銀行,(株)近畿大阪銀行及び(株)奈良銀行並びに(株)あさひ銀行による経営統合」
- 財務省近畿財務局長談話「大和銀行グループの経営統合について」(平成13年8月1日)
- 「日経ビジネス」1999年2月1日号 No.976(日経BP)
- 「日経ビジネス」1999年11月15日号 No.1016(日経BP)