決断
預金の代わりに債券で資金を作り、金だけでなく人を送って産業の再編そのものを仲介する。この二つが98年間ぶれなかった。1950年3月に日本興業銀行法が廃止され、翌4月に普通銀行となったとき、行内には商業銀行へ移る案も日本勧業銀行との合併案も出たが、債券で調達して設備資金を貸すという中身を動かさなかった。1952年12月の長期信用銀行法は、2年8カ月続けた実務を後から追認したにすぎない。1965年の証券恐慌では山一証券へ日高輝氏を社長として送り込み、富士銀行・三菱銀行と主力3行を組んで再建を引き受け、日本銀行法25条の特別融資を引き出した。傘下に持つ系列がないからこそ、財閥をまたぐ再建の取りまとめ役が務まった。
1991年8月 東洋信金事件の焦げ付き
1965年5月 山一証券の再建引受
1952年12月 長期信用銀行へ移行