さくら銀行の決断社史:経営の意思決定を振り返る

更新:

決断

三井銀行は、行名よりも店舗網と資本の規模を優先した。1948年の帝国銀行の分割で旧第一銀行系を切り離した結果、1968年に東都銀行を合併した後も国内店舗は143店と主要都市銀行で最も少なかった。そこで小山五郎社長は個人預金の積み上げによる単独の成長を選び、1980年のフェニックス計画と1986年のウィング型組織への改組では1店あたりの営業力を引き上げた。しかし末松謙一社長は1989年、中位行の規模では将来に不安が残ると判断し、太陽神戸銀行との対等合併を決めた。1990年4月に発足した太陽神戸三井銀行は、1992年4月に行名から三井の名を外してさくら銀行へ改称している。

免責事項およびポリシー