マネックスグループ の歴史

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創業 1999年
創業者 松本大
創業地 東京都千代田区
創業
1999年4月、松本大氏がソニーと資本金5,000万円を折半で出資し、東京都千代田区にマネックスを設立した。松本氏は1994年11月に30歳でゴールドマン・サックスのゼネラル・パートナーに就任していたが、1998年に個人向けネット証券取引の事業化を提案して却下され、上場を半年後に控えた同社を退いている。営業を始めたのは株式売買委託手数料が完全自由化された同年10月で、無店舗と広告費の抑制で費用を抑え、報道を通じて顧客が自ら集まる形をとった。2001年3月期上半期の1口座あたり獲得費用は約1,600円と、他社平均の10分の1にとどまる。2000年8月には東京証券取引所マザーズ市場へ上場した。
決断
足りない規模は、そのつど買って埋めてきた。2002年6月、合併交渉の頓挫で単独での黒字化が避けられなくなり、顧客保護を理由に見送ってきた信用取引へ参入した。2004年8月には日興ビーンズ証券と株式移転で共同持株会社マネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立し、翌2005年5月の合併で口座を一つにした。2010年1月に株式交換でオリックス証券を完全子会社化し、対価が株式だったためオリックスが大株主として入っている。同年12月に香港のBOOM証券、2011年6月に自動売買のプラットフォームを持つ米国のTradeStation Groupを取得して日本・米国・アジアの三極を揃え、2012年8月には創業時の出資者だったソニーの証券子会社を13年後に買い取った。
現況
日本の個人向け証券は、すでに連結の外にある。2024年1月、マネックス証券を中間持株会社ごとNTTドコモへ移して持分法適用会社へ移す資本業務提携を結び、182億円の売却益を計上した。2026年3月期の営業収益836億円のうち証券事業は544億円で、その中心である米国トレードステーションの営業収益は過去最高となった。クリプトアセット事業が176億円、資産運用を担うアセットマネジメント・ウェルスマネジメント事業が77億円で続く。税引前利益157億円は、暗号資産事業の不振で46億円の税引前損失を出した前期からの反転にあたる。対面の営業網を一度も持たなかったことが、従業員1,122人で営業収益836億円を計上する費用構造を残した。
競合
暗号資産では、登録を待たずに事故直後の最大手を取得して並んだ。2017年10月に松本大氏がマネックス証券の社長へ復帰した時点で、SBIホールディングスとGMOフィナンシャルホールディングスはすでに子会社が暗号資産交換業の登録を済ませていた。2018年4月、マネックスグループはNEM流出事件を起こしたコインチェックを36億円で完全子会社化した。クリプトアセット事業は2019年3月期に17億円の営業損失を出したが、相場が上がった2021年3月期には連結売上779億円・税引前利益213億円まで伸びた。国内株式では2023年8月にSBI証券が国内株式の売買手数料を恒久的に無料化したため価格で並ぶ余地が消え、マネックス証券はドコモへ渡している。2026年5月にKDDIと暗号資産事業で資本業務提携したことで、通信会社の会員基盤に集客を委ねる形は、証券から暗号資産へ移った。
マネックスグループ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2012年3月期2026年3月期

創業ストーリー 上場益を捨てた35歳が手数料自由化に賭けた創業(1999〜2003) (1999年〜)

上場益を捨ててソニーと組んだ35歳の決断

円のデリバティブ取引を一人で立ち上げ、1994年11月、30歳でゼネラル・パートナーに就いた[1]。創業者を除けば、英語圏外で教育を受けた最初のパートナー[2]だった。1998年、松本氏はインターネットに出合い、個人が自由に株を売買する時代が来ると考えて、ゴールドマン・サックス証券に個人向けネット証券取引の事業化を提案したが却下され[3]、同年11月に同社を退いた。

  • ドリームゲート起業家インタビュー 2005年11月26日
    • [1]1994年11月に30歳でゼネラル・パートナーに就任した
    • [2]松本大氏は創業者を除きゴールドマン・サックスで英語圏外の教育を受けた最初のパートナーだった
    • [3]松本氏はゴールドマン・サックス証券に個人向けネット証券取引の事業化を提案したが却下された

松本氏が退社を決めるまでには20日を要した[4]という。

  • ドリームゲート起業家インタビュー 2005年11月26日
    • [4]松本大氏はゴールドマン・サックス退社の決断に20日を要したと述べている

営業開始は1999年10月で、株式売買委託手数料が完全自由化された月[5]にあたる。同年11月には金融機関で最初となる広告取扱業の兼業認可を関東財務局から得て[6]、証券業のほかに広告取扱を事業に加えた。2001年10月時点の手元流動性は約92億円だった[7]

  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
    • [5]1999年10月に営業を開始し、同月に株式売買委託手数料が完全自由化された
    • [6]1999年11月に関東財務局から広告取扱業の兼業認可を受け、金融機関では初だった
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2001年10月17日
    • [7]2001年10月時点の手元流動性は約92億円だった
  • ドリームゲート起業家インタビュー 2005年11月26日
    • [1]1994年11月に30歳でゼネラル・パートナーに就任した
    • [2]松本大氏は創業者を除きゴールドマン・サックスで英語圏外の教育を受けた最初のパートナーだった
    • [3]松本氏はゴールドマン・サックス証券に個人向けネット証券取引の事業化を提案したが却下された
    • [4]松本大氏はゴールドマン・サックス退社の決断に20日を要したと述べている
  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
    • [5]1999年10月に営業を開始し、同月に株式売買委託手数料が完全自由化された
    • [6]1999年11月に関東財務局から広告取扱業の兼業認可を受け、金融機関では初だった
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2001年10月17日
    • [7]2001年10月時点の手元流動性は約92億円だった

無店舗と低価格で初心者を集める設計

松本大社長は事業計画に2つの前提を置いた[8]。個人金融資産に占める直接金融商品の比率が米国並みに上がること、そしてインターネット利用者が1999年の2,706万人から2005年に7,760万人へ増える[9]ことである。両方が起きれば株式と投資信託の初心者が急増するため、無店舗と広告費の抑制で費用を抑え、広告ではなく報道を通じて顧客が自ら集まるようにし、口座の稼働率を保った[10]。2001年3月期上半期の広告宣伝費は6,500万円で、増えた口座は約4万件[11]だった。1口座あたりの獲得費用は約1,600円となり、他社平均の1万5,000円から2万円と比べて10分の1の水準[12]だった。

  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
    • [8]松本大社長は直接金融比率の上昇とインターネット人口の膨張を事業計画の2つの大前提として説明した
    • [9]日本のインターネット利用者は1999年の2,706万人から2005年に7,760万人へ増えると予測されていた
    • [10]低コスト(無店舗・広告宣伝費の抑制)とプル・マーケティングを基本戦略に据えた
  • 証券アナリストジャーナル 2000年12月号
    • [11]2001年3月期上半期の広告宣伝費は6,500万円で増加口座は約4万件、1口座あたり獲得費用は約1,600円だった
    • [12]他社平均の1口座あたり獲得費用は1万5,000円から2万円だった

株式委託手数料だけに頼らないために、投資信託と引受を差別化の柱に据えた[13]。2000年7月26日、オンライン専業では初の自社専用ファンド『ザ・ファンド@マネックス』を13億3,000万円で設定し、8月21日には20億円を超えた[14]。バンガード・グループのインデックスファンド[15]など、他社では買えない商品も並べた。引受業務は同年4月に立ち上げて5月から営業を始め、大和証券グループの引受部門から移籍した5名が上半期に8件を扱った[16]。2001年3月期上半期の受入手数料の内訳は株式委託81.1%、投信6.3%、引受11.8%[17]だった。

  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
    • [13]投資信託とネットIPOを差別化戦略として掲げた
    • [14]ザ・ファンド@マネックスは2000年7月26日に13億3,000万円で設定され8月21日には20億円を超えた
    • [15]バンガード・グループのスモールキャップ・インデックスファンドなど自社でしか買えない商品を提供した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年12月号
    • [16]引受業務は2000年4月に立ち上げ5月に営業を開始し、大和証券グループから5名が移籍した
    • [17]2001年3月期上半期の受入手数料の内訳は株式委託81.1%・投信6.3%・引受11.8%だった

2000年8月4日、マネックス証券は東京証券取引所マザーズ市場に上場した[18]。公募15万株のうち過半の8万株をオンライン証券で販売[19]し、その大半を自社で販売した。投資単位を1株に引き下げ、公募価格を45,000円として、完全な無差別抽選で割り当てた結果、この上場で個人株主が約18,000人増えた[20]松本大社長はこの方式を『資本主義の民主化』[21](証券アナリストジャーナル 2000年9月号)と呼び、新規公開株を広く配分した実績として、その後の引受業務の営業に用いた。

  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
    • [18]2000年8月4日に東京証券取引所マザーズ市場へ上場した
    • [19]2000年8月4日に東証マザーズへ上場し公募15万株のうち8万株をオンライン証券で販売、公募価格は45,000円だった
    • [20]上場によって約18,000人の個人株主が生まれた
    • [21]松本大社長はネットIPOを「資本主義の民主化」への挑戦と表現した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
    • [8]松本大社長は直接金融比率の上昇とインターネット人口の膨張を事業計画の2つの大前提として説明した
    • [9]日本のインターネット利用者は1999年の2,706万人から2005年に7,760万人へ増えると予測されていた
    • [10]低コスト(無店舗・広告宣伝費の抑制)とプル・マーケティングを基本戦略に据えた
    • [13]投資信託とネットIPOを差別化戦略として掲げた
    • [14]ザ・ファンド@マネックスは2000年7月26日に13億3,000万円で設定され8月21日には20億円を超えた
    • [15]バンガード・グループのスモールキャップ・インデックスファンドなど自社でしか買えない商品を提供した
    • [18]2000年8月4日に東京証券取引所マザーズ市場へ上場した
    • [19]2000年8月4日に東証マザーズへ上場し公募15万株のうち8万株をオンライン証券で販売、公募価格は45,000円だった
    • [20]上場によって約18,000人の個人株主が生まれた
    • [21]松本大社長はネットIPOを「資本主義の民主化」への挑戦と表現した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年12月号
    • [11]2001年3月期上半期の広告宣伝費は6,500万円で増加口座は約4万件、1口座あたり獲得費用は約1,600円だった
    • [12]他社平均の1口座あたり獲得費用は1万5,000円から2万円だった
    • [16]引受業務は2000年4月に立ち上げ5月に営業を開始し、大和証券グループから5名が移籍した
    • [17]2001年3月期上半期の受入手数料の内訳は株式委託81.1%・投信6.3%・引受11.8%だった

単独では生き残れないと知った2年間

営業権の償却は発生せず、資本組入額は17億6,400万円[22]だった。この合併でクレディセゾンとの関係ができ、後にATM網の整備や『マネックス《セゾン》カード』につながった[23]。ただし移ってきた顧客のうち、コールセンター経由で取引していた層の稼働率は低く[24]、インターネットへの移行を促す必要が残った。

  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2001年10月17日
    • [22]セゾン証券の子会社化・合併では営業権償却が発生せず資本組入額は17億6,400万円だった
    • [24]セゾン証券から移った顧客のうちコールセンター利用層の稼働率が低かった
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2003年1月22日
    • [23]セゾン証券の合併により、ATM網の整備とマネックス《セゾン》カードの提供につながった
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2001年10月17日
    • [22]セゾン証券の子会社化・合併では営業権償却が発生せず資本組入額は17億6,400万円だった
    • [24]セゾン証券から移った顧客のうちコールセンター利用層の稼働率が低かった
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2003年1月22日
    • [23]セゾン証券の合併により、ATM網の整備とマネックス《セゾン》カードの提供につながった

日興ビーンズ証券との共同持株会社という選択

2003年1月の時点で、松本大社長は業界再編を装置産業の必然として説明していた[25]。固定費が重く、口座の統合はシステム上で行える[26]ため、株主から見れば統合は必要になる。ただし各社の企業価値が下がっている時期には成立しにくいとも述べ、セゾン証券の合併で得た投資銀行業務とシステムの経験を挙げて、案件があれば検討したいと語った[27]。翌2004年3月、マネックス証券と日興ビーンズ証券は共同で持株会社を設立し、経営を統合することで基本合意した[28]。両社は同年4月に株式移転契約を結び、6月の定時株主総会で承認を得た[29]

  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2003年1月22日
    • [25]松本社長は2003年1月にネット証券業界を装置産業と述べ再編は当然ありうると説明した
    • [26]松本大社長はネット証券を装置産業と述べ、固定費の大きさとシステム上の口座統合の容易さから統合は必要と説明した
    • [27]松本大社長はセゾン証券合併で得た投資銀行業務・システム面のノウハウを挙げ、案件があれば積極的に検討したいと述べた
  • マネックスグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [28]2004年3月にマネックス証券と日興ビーンズ証券が共同持株会社の設立と経営統合で基本合意した
    • [29]2004年4月に株式移転契約を締結し6月の定時株主総会で承認された

2004年8月、株式移転により共同持株会社マネックス・ビーンズ・ホールディングスが発足し[30]、同月、東京証券取引所マザーズ市場に上場した。翌2005年5月にマネックス証券と日興ビーンズ証券が合併してマネックス・ビーンズ証券となり[31]、同年12月には商号をマネックス証券へ戻した。持株会社は2005年9月に東京証券取引所市場第一部へ上場した[32]。統合後は事業投資のマネックス・ビジネス・インキュベーションと投資教育のマネックス・ユニバーシティを相次いで設立し、2008年7月に持株会社の商号をマネックスグループへ改めた[33]

  • マネックスグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [30]2004年8月に共同持株会社マネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立し東証マザーズに上場した
    • [31]2005年5月に両社が合併しマネックス・ビーンズ証券となり同年12月にマネックス証券へ商号変更した
    • [32]2005年9月に持株会社が東京証券取引所市場第一部へ上場した
    • [33]2008年7月に持株会社の商号をマネックスグループへ変更した
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2003年1月22日
    • [25]松本社長は2003年1月にネット証券業界を装置産業と述べ再編は当然ありうると説明した
    • [26]松本大社長はネット証券を装置産業と述べ、固定費の大きさとシステム上の口座統合の容易さから統合は必要と説明した
    • [27]松本大社長はセゾン証券合併で得た投資銀行業務・システム面のノウハウを挙げ、案件があれば積極的に検討したいと述べた
  • マネックスグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [28]2004年3月にマネックス証券と日興ビーンズ証券が共同持株会社の設立と経営統合で基本合意した
    • [29]2004年4月に株式移転契約を締結し6月の定時株主総会で承認された
    • [30]2004年8月に共同持株会社マネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立し東証マザーズに上場した
    • [31]2005年5月に両社が合併しマネックス・ビーンズ証券となり同年12月にマネックス証券へ商号変更した
    • [32]2005年9月に持株会社が東京証券取引所市場第一部へ上場した
    • [33]2008年7月に持株会社の商号をマネックスグループへ変更した

オリックス証券の買収で得た業界3位の座

松本大社長はこの時期を振り返って『安さが革新的だったが、普通の存在になってしまった』[引用元](週刊東洋経済 2009/11/14)と述べている。

マネックスグループは2010年1月の株式交換でオリックス証券を完全子会社化し[34]、同年5月にマネックス証券を存続会社として合併した。対価が株式だったため、オリックスはこの取引を通じてマネックスグループの大株主となった[35]。同年12月には香港のBOOM証券グループを完全子会社化し[36]、アジアにも拠点を得た。

  • マネックスグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2010年1月に株式交換でオリックス証券を完全子会社化し同年5月に合併した
    • [35]オリックス証券の完全子会社化は株式交換で行われ、オリックスがマネックスグループ株を保有することになった
    • [36]2010年12月に香港のBOOM証券グループを完全子会社化した
  • マネックスグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2010年1月に株式交換でオリックス証券を完全子会社化し同年5月に合併した
    • [35]オリックス証券の完全子会社化は株式交換で行われ、オリックスがマネックスグループ株を保有することになった
    • [36]2010年12月に香港のBOOM証券グループを完全子会社化した

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マネックスグループの沿革1999〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1999〜2003年上場益を捨てた35歳が手数料自由化に賭けた創業(1999〜2003)松本大氏とソニーの共同出資によりマネックス証券を設立★★★
インターネット取引の営業を開始★★
関東財務局から広告取扱業の兼業認可を取得
東京証券取引所の会員権を取得
株式引受業務を開始
自社専用の投資信託「ザ・ファンド@マネックス」を設定
東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場
夜間取引「マネックスナイター」を開始★★
セゾン証券を合併★★
DLJディレクトSFG証券との合併交渉を公表★★
顧客保護を理由に見送ってきた信用取引への参入と貸株サービスの開始

2002年6月、マネックス証券が、個人投資家に不利な売買形態になりうるとして扱ってこなかった信用取引への参入を発表した経営判断。DLJディレクトSFG証券との合併交渉が事実上途切れ、単独での黒字化を迫られたなかでの方針転換であった。

詳細を読む
★★★
貸株サービスを開始
2004〜2010年日興ビーンズ証券との統合で規模を買い直す(2004〜2010)日興ビーンズ証券との経営統合に合意★★
松本大日興ビーンズ証券との共同持株会社マネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立★★★
松本大持株会社の株式を東京証券取引所マザーズ市場に上場
松本大マネックス・オルタナティブ・インベストメンツを設立
松本大マネックス証券と日興ビーンズ証券が合併しマネックス・ビーンズ証券が発足★★
松本大東京証券取引所市場第一部に上場
松本大WR Hambrecht & Co Japan を設立
松本大マネックス・ビジネス・インキュベーションを設立
松本大マネックス・ユニバーシティを設立
松本大マネックス・ビーンズ証券がマネックス証券へ商号を変更
松本大トレード・サイエンスを設立
松本大米国に子会社 MBH America を設立
松本大WR Hambrecht & Co Japan の株式を追加取得し子会社化
松本大WR Hambrecht & Co Japan がWRハンブレクトジャパンへ商号を変更
松本大トウキョウフォレックスの株式を取得し子会社化
松本大トウキョウフォレックスがマネックスFXへ商号を変更
松本大持株会社がマネックスグループへ商号を変更★★
松本大トレード・サイエンスを完全子会社化
松本大株式交換によりオリックス証券を完全子会社化★★
松本大WRハンブレクトジャパンがマネックス・ハンブレクトへ商号を変更
松本大マネックス証券がオリックス証券を吸収合併★★
松本大香港のBOOM証券グループを完全子会社化★★
2011〜2017年米国買収と筆頭株主の交代が重なった7年間(2011〜2017)松本大Boom Special Limited が Monex International へ商号を変更
松本大マネックス・オルタナティブがあすかコモディティを吸収合併
松本大米国のTradeStation Group の全株式を取得し完全子会社化★★★
松本大TradeStation Group が IBFX Holdings の持分を取得し子会社化
松本大TradeStation Group が MBH America を吸収合併
松本大ソニーバンク証券の全株式を取得し完全子会社化★★
松本大マネックス・オルタナティブ・インベストメンツの持分をアストマックスへ譲渡
松本大マネックス証券がソニーバンク証券を吸収合併
松本大マネックスFXの外国為替証拠金取引事業をマネックス証券へ承継
松本大委員会設置会社へ移行★★
松本大静岡銀行がオリックスから株式を取得し筆頭株主に★★
松本大マネックス・ビジネス・インキュベーションがマネックスベンチャーズへ商号を変更
松本大マネックス証券がマネックスFXを吸収合併
松本大日本投資顧問を設立
松本大日本投資顧問がマネックス・セゾン・バンガード投資顧問へ商号を変更
松本大マネックスファイナンスを設立
2018〜2026年暗号資産の急騰と急落を経て証券会社を手放す判断(2018〜2026)松本大コインチェックで暗号資産NEM約580億円分が不正流出★★
松本大NEM流出事件を起こしたコインチェックの36億円での完全子会社化

2018年4月、マネックスグループが、仮想通貨NEM約580億円分の不正流出を起こしたコインチェックの全株式を36億円で取得し、完全子会社化した経営判断。松本大社長が2017年10月に掲げた『第2の創業』の中核に、暗号資産交換業を据えた。

詳細を読む
★★★
松本大MV1号投資事業有限責任組合を設立
松本大MV2号投資事業有限責任組合を設立
松本大東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行
清明祐子中間持株会社マネックスホールディングスを株式移転により設立★★
清明祐子NTTドコモとの共同持株会社の設立と、マネックス証券の持分法適用会社化

2023年10月、マネックスグループがNTTドコモと資本業務提携を結び、中間持株会社を通じて中核子会社マネックス証券を持分法適用会社へ移した判断。1999年の創業から25年目に、独立系ネット証券としての立場を手放した。

詳細を読む
★★★
清明祐子カナダの3iQ Digital Holdings の株式を取得し子会社化★★
清明祐子香港のMonex Boom Securities など3社の株式を譲渡★★
清明祐子コインチェックの親会社が米ナスダック市場に上場★★
清明祐子米国のWestfield Capital Management の持分を取得し関連会社化
清明祐子暗号資産事業でKDDIと資本業務提携★★
出典・参考
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2001年10月17日
  • マネックス証券 決算説明会質疑応答 2003年1月22日
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2016年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2017年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2018年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2019年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2020年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2021年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2023年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2025年3月期
  • マネックスグループ 有価証券報告書 2026年3月期
  • マネックスグループ 決算説明会質疑応答 2026年5月12日
  • マネックスグループ 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号
  • 証券アナリストジャーナル 2000年12月号
  • ドリームゲート起業家インタビュー 2005年11月26日

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