マネックスグループ顧客保護を理由に見送ってきた信用取引への参入と貸株サービスの開始

初心者の顧客を守るか、単独で黒字化を急ぐか——DLJディレクトとの合併交渉が途切れた後の方針転換

時期 2002年6月
意思決定者(推定) 松本大 社長
論点 収益構造と顧客保護
概要
2002年6月、マネックス証券が、個人投資家に不利な売買形態になりうるとして扱ってこなかった信用取引への参入を発表した経営判断。DLJディレクトSFG証券との合併交渉が事実上途切れ、単独での黒字化を迫られたなかでの方針転換であった。
背景
株式委託手数料に依存する低コストの設計で顧客数と預かり資産はオンライン証券首位に立っていたが、信用取引を持たないぶん約定件数で他社に劣り、2002年3月期に12億4,000万円の営業赤字を計上していた。
内容
2002年6月19日、株主総会の3日前に信用取引の開始を発表。同年10月に貸株サービスを始めて売り注文の株券調達に充て、年内に信用取引を開始した。初心者向けの勉強会と画面上のリスク表示を併せて用意した。
含意
顧客保護を理由に掲げた原則を、採算のために自ら降ろした判断であった。2003年3月末の信用口座は約4,000にとどまり、約定件数に占める比率も50〜60%に抑える方針で、規模の確保は翌年の日興ビーンズ証券との統合に持ち越された。
筆者の見解

原則を降ろし、歯止めを残した

信用取引を扱わないことは、マネックス証券にとって思想であると同時に採算の問題であった。個人投資家に不利な売買形態になりうるという理由で外してきた結果、顧客数と預かり資産では首位に立ちながら、約定件数では信用取引を持つ各社に届かず、2002年3月期に12億4,000万円の営業赤字が残った。DLJディレクトとの合併が消えたことで、原則と採算の両方を保つ道はなくなった。松本社長が降ろしたのは、扱わないという原則のほうであった。

ただ、参入は業績をすぐには変えなかった。2003年3月末の信用口座は約4,000で、掲げた1〜2万口座には届かず、顧客の7〜8割は信用取引の未経験者であった。松本社長は約定件数に占める信用取引の比率を50〜60%に抑えたいと述べており、他社のように信用で稼ぐ収益構造へ寄せる考えはなかったとみられる。信用取引を収益の中心に据えないと決めた以上、採算は規模でしか改善できない。翌年の日興ビーンズ証券との統合は、その規模を外から買う判断であった。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

株式委託に絞った低コストの設計

マネックス証券は1999年4月、松本大氏とソニーの共同出資で設立され、同年10月にインターネット取引を始めた。2000年8月には東京証券取引所マザーズ市場へ上場している。松本社長が講演で示した事業の前提は二つであった。個人金融資産に占める直接金融商品の比率が高まること、インターネットの利用者数が1999年の2,706万人から2005年に7,760万人へ増えることである。株式と投信の人口が急に増えれば、初心者も急増する。その層へ低コストで届く設計を選んだ[1]

収益のほとんどは株式委託手数料から出ていた。2001年3月期第1四半期の受入手数料は、株式委託が92.1%、投資信託が6.5%、株式引受とその他が1.4%を占めている。1約定当たりの売買代金は80万円前後で、200万円程度とみられる他社より小さい。低位株で試す初心者の顧客が多いためと松本社長は説明した。2001年3月期上期の広告宣伝費は6,500万円、1口座当たりの獲得費は約1,600円で、他社平均の1万5,000円から2万円の10分の1程度にとどまった[2][3]

信用取引を持たない会社の採算

2001年10月の中間決算説明会で、松本社長は新規口座の獲得が週700〜800口座へ落ちたことを認めながら、手元流動性は約92億円あり、中間期並みの赤字が続いても12年は持つと述べた。相場が底を打つまでマーケティングは待つという判断であった。ただし、待つあいだも固定費は減らない。同じ時期、オンライン証券の競争は信用取引の有無で分かれ始めていた[4]

個人の信用取引売買代金は6割超がオンライン経由となり、各社の約定件数を押し上げていた。松井証券は2002年3月期に前期比45%増の43.7億円の営業黒字を計上し、オンライン経由の個人信用取引の4割近くを握ったことが効いた。DLJディレクトSFG証券も2000年6月に始めた信用取引でオンライン2位のシェア2割を取り、同じ期に黒字へ転じている。マネックス証券は顧客数約20万件、預かり資産約5,000億円で首位にありながら約定件数で劣り、2002年3月期に12億4,000万円の営業赤字を計上した[5]

決断

合併交渉と、その破談

2002年3月29日、DLJディレクトSFG証券との合併交渉が報じられ、松本社長は即日「検討は行っている」(週刊東洋経済 2002/4/13)と交渉の事実を認めた。動きの発端は相手方の親会社にあった。DLJディレクトの筆頭株主CSFBは、2001年7月にジョン・マック氏を最高経営責任者に迎えて2,000人の人員削減を進め、2002年に入ると米国・英国・韓国のネット証券をカナダや中国の金融機関へ売却していた。傘下に残るネット証券は日本とアラブ首長国連邦だけであった[6]

交渉は、マネックスの筆頭株主であるソニーがDLJディレクト株を買い取ることを前提としていた。旧住友銀行の常務時代にDLJディレクトの設立交渉を担った近藤章ソニー執行役員専務が買い取り交渉の前面に立ったが、価格の算定は容易ではなかった。DLJディレクトの純資産は2001年末で33億円にすぎず、一方でCSFBは2002年初めに米国現地法人をカナダのバンク・オブ・モントリオールへ5億2,000万ドル(約676億円)で売っている。未上場会社の将来価値をどこまで織り込むかで、算定額は何倍にも開きうる[7]

株主総会の3日前に出した発表

破談の理由は、双方の大株主の利害が食い違ったことにあった。マネックス株の48%を松本氏とソニーが持ち、DLJ株の21%強を三井住友銀行が持つ。松本社長は交渉の中断という言い方を続けたが、DLJ株の5割を握るCSFBは、ソニーに代わる売却先として日米の候補企業の選定に入っていた。合併が遠のけば、単独で生き残るほかない。松本社長は2002年6月19日、株主総会の3日前に信用取引の開始を発表した[8]

発表の理由として、松本社長は、単元株の導入と情報インフラの充実で個人投資家と機関投資家の情報格差が縮まったことを挙げ、初心者の多い顧客層にも信用取引を求める声が強いと説明した。加えて「競合他社に出遅れた黒字化の時期も早める必要性を感じた」(週刊東洋経済 2002/7/6)とも述べている。開始は4月19日の決算説明会で表明する予定だったが、その1か月前に合併交渉がNHKに報じられ、作業を中断したという。株主総会対策との見方は業界に残った[9]

結果

開始後の顧客層と残高

マネックス証券は2002年10月に貸株サービスを始め、顧客から借りた株券を、信用取引の売り注文の受け渡しと貸株市場での運用に充てる仕組みを組んだ。同月の説明会では、信用取引の初心者に向けてNPO法人証券学習協会の勉強会を毎回50〜100名の規模で開き、取引画面でリスクの状況がひと目で分かるようにし、経験者を採用して体制を整えると説明している。取引そのものより、初心者を抱えたまま扱うことへの備えに説明の多くが割かれた[10][11]

取引は年内に始まった。2003年1月の説明会で松本社長は、黒字化に要する水準に対する信用口座の到達度を20%と述べ、一か月間の出来としては良いとしながら、今後どこまで伸ばせるかは楽観していないと語った。当初の想定では信用取引の経験者と未経験者の比率が1対5であったのに対し、実際は2〜3割対7〜8割で、経験者がやや多かった。2003年3月末の買建残は約92億円、売建残は約18億円、信用口座は約4,000にとどまり、目標に掲げた1〜2万口座には遠かった[12][13]

出遅れの自認と、単独路線の限界

2003年4月の決算説明会で、松本社長は、信用取引で他社に比べて出遅れた事実を認めたうえで「顧客保護の観点から考えると信用取引は時期尚早という判断もあった」(決算説明会質疑応答 2003/4/21)と述べた。参入を遅らせた理由そのものを、後から取り下げてはいない。同じ席では、株式委託の約定件数に占める信用取引の割合を50〜60%程度に抑えたいとも語り、信用を収益の中心に据える意図がないことを示した[14]

単独での採算改善は、そこで頭打ちになった。2003年1月、松本社長はネット証券を装置産業と呼び、固定費が重く、口座の統合はシステム上で行えるため、株主から見れば統合は当然ありうると述べている。直接金融へのシフトが起きた場合の戦略をE1、起きなかった場合の戦略をE2と呼び分け、信用取引はE2の側に置かれていた。2004年3月、マネックス証券は日興ビーンズ証券との共同持株会社の設立で基本合意した[15][16]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2002年4月13日号「ネット専業証券 仕掛け人はマック・ザ・ナイフ マネックスとDLJディレクト『合併交渉』の前途多難」
  • 週刊東洋経済 2002年7月6日号「ネット証券 マネックスが信用取引開始 合併頓挫で独自路線へ本腰」
  • 証券アナリストジャーナル 2000年9月号 別冊付録「企業」マネックス証券・松本大社長講演(2000年8月22日)
  • 証券アナリストジャーナル 2000年12月号 別冊付録「企業」マネックス証券・松本大社長講演(2000年11月17日)
  • マネックス証券 2002年3月期 中間決算説明会 質疑応答(2001年10月17日)
  • マネックス証券 2003年3月期 中間決算説明会 質疑応答(2002年10月17日)
  • マネックス証券 2003年3月期 第3四半期決算説明会 質疑応答(2003年1月22日)
  • マネックス証券 2003年3月期 決算説明会 質疑応答(2003年4月21日)

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