決断
野村の転機は、市場ではなく不祥事と他社の破綻がもたらしてきた。1991年に大口顧客への損失補填が表面化すると田淵義久社長が引責辞任し、"新生・野村"を掲げた機構改革が始まる。1997年には総会屋への利益供与が再発し、氏家純一氏のもとで二度目の統治改革に着手し、同年3月期には連結当期純損失2,427億円を計上した。2001年10月に持株会社へ移行して野村ホールディングスとなった7年後、リーマン・ブラザーズの欧州中東とアジア太平洋の部門を承継した。約8,000名の受け入れにあたって人材流出を防ぐ保証ボーナスを条件に含めたため、高い人件費が損益分岐点を恒常的に押し上げ、2009年3月期の当期純損失は7,082億円に達した。
2019年4月 国内店舗の2割削減
業績の推移2018 2019 2024 売上高(兆円) 2.0 1.8 4.2 純利益率(%) 16.6 -2.1 6.6 2008年10月 リーマン・ブラザーズ承継
のれんとのれん以外の無形資産2008 2009 2014 のれん(百万円) 62,990 70,459 77,737 のれん以外の無形資産(百万円) 40,032 60,513 37,406 1997年3月 総会屋事件で酒巻英雄辞任
業績の推移1996 1997 2002 売上高(億円) 8,160 9,191 7,053 経常利益率(%) 16.6 18.0 27.3