野村HDの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

野村の転機は、市場ではなく不祥事と他社の破綻がもたらしてきた。1991年に大口顧客への損失補填が表面化すると田淵義久社長が引責辞任し、"新生・野村"を掲げた機構改革が始まる。1997年には総会屋への利益供与が再発し、氏家純一氏のもとで二度目の統治改革に着手し、同年3月期には連結当期純損失2,427億円を計上した。2001年10月に持株会社へ移行して野村ホールディングスとなった7年後、リーマン・ブラザーズの欧州中東とアジア太平洋の部門を承継した。約8,000名の受け入れにあたって人材流出を防ぐ保証ボーナスを条件に含めたため、高い人件費が損益分岐点を恒常的に押し上げ、2009年3月期の当期純損失は7,082億円に達した。

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