野村ホールディングス 総会屋事件で酒巻英雄辞任 再発と、氏家純一社長による二度目の企業統治改革
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1991年の損失補塡を中心とする証券不祥事から6年後の1997年、野村證券が総会屋への利益供与を再び起こし、酒巻英雄社長が引責辞任、常務から昇格した氏家純一社長のもとで内部管理体制の立て直しに着手した経営判断。四大証券と第一勧業銀行を巻き込んだ総会屋事件の震源となり、業界最大手が二度目の刷新を迫られた。
- 背景
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1989年末の日経平均38,915円をピークに株安が続くなか、野村は1991年の損失補塡不祥事で首脳陣を入れ替え"新生・野村"を掲げていた。だが総会屋との取引一任勘定を清算しきれず、証券取引等監視委員会は1995年末から不自然な取引を把握していた。海外での攻勢と国内ガバナンスの不均衡が積み残されていた。
- 内容
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1997年3月25日に東京地検と監視委員会が合同で強制調査に入り、代表取締役社長を含む4名の役職員の関与による損失補塡と利益追加、現金3億2,000万円の供与が明らかになった。酒巻英雄社長が引責辞任し、氏家純一社長が 『不祥事がまた起きたら会社は潰れる』 との危機感のもとで機構改革に着手した。
- 含意
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同年8月に大蔵大臣が株式関連業務の停止や社長ら3名の外務員登録取消などの行政処分を科し、9月には野村がコンプライアンスホットラインの設置などを盛り込んだ改善報告書を提出した。1997年3月期の連結当期純損失は▲2,427億円に達した。二度目の再生は2001年の持株会社化とガバナンス先行導入へ連なった。
いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
二度の不祥事が問うたもの
この判断の重さは、同じ会社が6年のあいだに同じ種類の不祥事を繰り返した点にある。1991年に掲げた"新生・野村"は、標語としては原点回帰を語りながら、総会屋との一任勘定という現場の慣行までは断てなかった。二度目の刷新で氏家純一社長が危機感を前面に置いたのは、一度目が言葉の再生にとどまった反省の裏返しだったとみられる。理念の宣言と、受注や執行の仕組みを組み替える実務とのあいだには、埋めなければならない距離があった。
二度目の再生が持株会社化と指名委員会等設置会社への移行にまで及んだのは、統治の空洞を制度の設計で塞ごうとする選択であったと推察される。もっとも、制度を整えることと、現場の一人ひとりが法令を守り抜くこととは同じではない。野村はこの後、2008年のリーマン部門承継で外資型の投資銀行モデルを抱え、異なる企業文化を統括する統治の難題に改めて向き合う。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
同じ問いに直面した会社
参考文献
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- 日経ビジネス 1997年4月14日号
- 日経ビジネス 1997年5月5日号
- 日経ビジネス 1997年7月21日号
- 証券取引等監視委員会 年次報告(https://www.fsa.go.jp/sesc/reports/n_09/01.pdf)
- 野村ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- 野村證券 有価証券報告書(連結)