リーマン・ブラザーズのアジア太平洋・欧州中東部門の承継によるグローバル投資銀行への転身

世界金融危機のさなか、破綻した米名門の人材約8,000名を引き受けた賭けは何を残したか

更新:

時期 2008年9月
意思決定者 渡部賢一 野村ホールディングス グループCEO
論点 世界金融危機下でのグローバル投資銀行への転身と海外ホールセール基盤の獲得
概要
サブプライム危機で持株会社化後初の赤字を負った野村ホールディングスが、2008年9月に破綻した米リーマン・ブラザーズのアジア太平洋・欧州中東部門を承継し、約8,000名の人材を引き受けてグローバル投資銀行への転身に賭けた経営判断。北米事業はバークレイズが引き取り、野村は投資銀行最大の資産である人材に絞って手を挙げた。
背景
2006年3月期に持株会社化後の最高業績を記録した野村は、その好況がサブプライム前夜の市況に支えられた一時的なものだと2008年に思い知る。2008年3月期に純損失▲678億円を計上し、同年4月に渡部賢一が3代目グループCEOに就いた半年後、9月15日にリーマンが破綻した。
内容
2008年9月22日にアジア太平洋部門、翌23日に欧州・中東部門の取得を発表した。欧州・中東で約2,500人、アジア太平洋で3,000人超を雇い入れ、旧リーマン社員への高水準の報酬を保証して人材流出を防ぎ、破綻した名門の陣容を一気に取り込んだ。
含意
2009年3月期の親会社株主帰属当期純損失▲7,082億円は日本企業として史上最高水準となり、保証報酬を含む高い人件費が損益分岐点を押し上げて危機後も長く残った。2019年3月期にも純損失▲1,004億円を計上し、承継から10年で2度目の年度赤字となる。外資型投資銀行を日本企業が経営する難しさが、以後の野村に問われ続けた。
筆者の見解

日本企業が外資型投資銀行を経営するということ

この承継の面白さは、危機を好機へと読み替えた大胆さにある。世界の金融機関がこぞって縮むなか、野村は破綻した名門の人材網を一度に取り込み、邦証券が長く抱いた世界規模のホールセール事業への転身に賭けた。設備でも資本でもなく人材に絞って競り勝った判断は、投資銀行の価値は人に宿るという業の本質を突いていた。ゼロから築けば10年かかる陣容を数日の決断で手にした身のこなしには、危機のさなかに動ける者だけが得られる速さがあった。

だが引き受けたのは人材だけではなかった。旧リーマン出身者と日本本社の意思決定速度のギャップ、報酬体系をめぐる摩擦、金利低下下のフィクスト・インカム停滞という重しも、陣容とともに抱え込んだ。保証した高水準の報酬は損益分岐点を押し上げ、国内リテールで稼いでも海外の一時損失で相殺される収益体質が残った。10年で2度の年度赤字は、外資型の投資銀行を日本企業が経営するというモデルそのものの難しさを映している。それでも、承継で得たアジア太平洋の足場は野村の海外事業の骨格として残った。外資型の投資銀行を日本企業が営むという難題への答えは、承継から十数年を経たいまも定まっていない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

サブプライム前夜の好況と、最初の打撃

野村ホールディングスは2006年3月期に、収益合計1兆1,456億円・親会社株主帰属当期純利益3,043億円という持株会社化後の最高業績を記録した。だがこの好況は、サブプライム前夜の世界的な信用膨張に支えられた一時的なものであった。米国の住宅バブルが崩れて信用不安が広がると、野村もその波を免れず、2008年3月期には親会社株主帰属当期純損失▲678億円を計上した。持株会社化以降で初の年度赤字であり、好況が去った後の脆さを最初に示した数字であった[1][2]

2008年4月、渡部賢一が3代目グループCEOに就任し、野村は世界金融危機への全面対応を任される体制となった[3]。その半年後の2008年9月15日、米リーマン・ブラザーズが破綻し、世界の金融機関が資産圧縮と人員削減に追われた。多くの同業が守りに回るなか、野村は破綻した名門の陣容を海外展開の好機と読み替えた。邦証券が長く抱いてきたグローバル投資銀行への転身という悲願を、危機の混乱のただ中で実行に移す判断であった[4]

決断

破綻から数日、人材に絞った承継

野村が動いたのは破綻の直後であった。2008年9月22日にリーマンのアジア太平洋部門の取得を発表し、翌23日には欧州・中東の主要事業の取得も発表した。欧州・中東で約2,500人、アジア太平洋で3,000人超を雇い入れ、承継した人員は約8,000名に達した。リーマンの北米事業は英バークレイズが引き取り、野村はアジア・欧州の陣容を選んだ。設備や不良資産ではなく、投資銀行にとって最大の資産である人材に絞って手を挙げ、競合するバークレイズらに競り勝った承継であった[5][6]

破綻直後の混乱のなか、野村は旧リーマン社員への高水準の報酬を保証する条件を承継に含め、人材の流出防止を最優先した。投資銀行の価値は人に宿るという前提に立てば、破綻で動揺する社員をつなぎ留めることが承継の成否を分ける。ゼロから海外の投資銀行網を築くには10年単位の時間がかかるところを、破綻企業の完成された陣容とネットワークを一度に引き受けることで、その時間を買う判断であった。邦証券の悲願だった世界規模のホールセール事業を、危機が生んだ好機として一気に手にしようとした[7]

結果

巨額赤字と、海外ホールセールという重し

承継の代償は、その年の決算にまず現れた。2009年3月期の親会社株主帰属当期純損失は▲7,082億円に達し、日本企業として史上最高水準を更新した。世界金融危機による市況の悪化とリーマン統合費用の二重打撃に加え、保証した高水準の報酬を含む人件費が損益分岐点を恒常的に押し上げた。承継によって野村のグローバル人員は一時約26,000名規模まで膨らみ、株式・投資銀行ビジネスではアジアで首位、欧州でも上位に食い込む陣容を得た。だが規模の拡大は、そのまま採算の改善には結びつかなかった[8][9]

2010年代前半の世界的な金利低下とフィクスト・インカム市況の停滞で、海外ホールセールは慢性的な赤字を抱えたままとなった。2012年4月、リテール出身の永井浩二が4代目グループCEOに就任し、海外の拡大路線を見直して欧州・アジアの一部からの撤退とコスト削減へ方針を変えた。リスク資産の削減と本社費用の圧縮を進め、2013年3月期には連結税引前利益2,377億円、翌2014年3月期には3,616億円と黒字を回復した。だが海外発の収益変動は止まず、2018年に欧州・米州ホールセールの不振が再燃し、2019年3月期には親会社株主帰属当期純損失▲1,004億円を計上した。承継から10年で2度目の年度赤字であった[10][11][12]

出典・参考
  • 野村ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 野村ホールディングス 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
  • 東洋経済オンライン 2008年9月24日「野村がリーマンの欧州・中東部門も買収、『世界一流』への野望」(https://toyokeizai.net/articles/-/2041)
  • 東洋経済オンライン 2010年「リーマン買収から2年、野村の真の国際化阻むハードル」(https://toyokeizai.net/articles/-/4940)
  • 日本経済新聞「9月22日 リーマン・アジア部門、野村HDが買収発表」(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO35611800R20C18A9EAC000/)