山一證券の歴史

更新:

沿革

1897年に小池国三氏が東京・兜町で創業した株式仲買商の小池国三商店が起源。

1960年から1962年に東京市場へ新規上場した129社の幹事を務め、1965年には日銀特融を史上初めて受けた。大手証券の一角だったが、1997年に簿外債務を抱えて自主廃業した。

1897年1917年1943年1961年1966年1997年小池国三商店1897年兜町で創業山一1917年小池を解散し設立小池証券1943年合併で合流株式上場1961年上場新会社1966年新旧勘定分離
山一證券
歴代社長と長期業績(敬称略)
1984年9月期
単体
営業収益
2,139億円
売上高純利益率
13%
出所:会社年鑑(1986年版)
営業収益15億円営業収益2,139億円純利益率13%1950/31954/31959/31964/31969/31974/31979/31984/31989/31994/31999/32004/32009/32014/32019/32024/32029/3
  1. 小池国三が東京・兜町で小池国三商店を創業[1]創業
  2. 小池に改組[1]
  3. 公社債引受業務に参入[1]
  4. 小池国三氏が仲買業の廃業と小池の解散予告を新聞で発表[2]
  5. 小池を解散し山一を設立[1]
第1章小池国三商店の取次から小池銀行への引受移管へ
売上高
  • 売上高
山一證券売上高—
  1. 山一證券に改組[1]
  2. 杉野喜精が東京株式取引所理事長に転じ、太田収氏が社長に就任[1]社長交代
  3. 資本金1,000万円に増資[3]
  4. 太田収氏が鐘淵紡績株の投機失敗で社長を辞任[4]
  5. 太田収氏が同月自殺[4]
  6. 平岡伝章氏が社長に就任[3]社長交代
  7. 投資信託の募集を開始[5]
  8. 小池証券と合併し新・山一證券が発足[2]
  9. 小池厚之助氏が社長に就任[3]社長交代
  10. 資本金5,000万円に増資[6]
  11. 企業再建整備計画の認可を取得[6]
  12. 資本金1億5,000万円に増資[6]
  13. 投資信託業務に参入[1]
  14. 資本金80億円に増資[3]
  15. 東京証券取引所第二部に上場[7]上場
  16. 1964年9月期決算で約34億5000万円の赤字を計上[8]赤字転落
  17. 日高輝氏の下で店舗・人員の縮小に着手[9]
  18. 日高輝が日産化学工業から社長に就任[8]社長交代
第2章杉野喜精の株式会社化から1964年の赤字計上へ
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
山一證券1962年9月期売上高223.5億円売上高経常利益率8.0%
  1. 日銀特融の受け入れ[10]経営再建・ターンアラウンド
  2. 再建計画が確立[9]
  3. 新旧勘定分離により新会社を設立[11]
  4. 日本証券保有組合の解散で還付金67億3,000万円を受け入れ[8]
  5. 臨時株主総会で旧会社との合併を承認[8]
  6. 新旧両社を合併し日銀特融を完済[10]
  7. 1970年9月期に復配(3円、年6分)[12]
  8. 日高輝氏が会長に就任[13]
  9. 植谷久三氏が社長に就任[13]社長交代
  10. 東京証券取引所第二部に再上場[10]
  11. 東京証券取引所第一部に指定替え[8]
  12. 債券部門の建て直しで黒字基調を回復[14]
  13. 横田良男氏が社長に就任[15]社長交代
  14. 永田元雄氏が株式本部長に就任し営業特金1兆円構想を推進[16]
  15. タテホ・ショックで営業特金に多額の損失[15]
第3章282億円の日銀特融と新旧会社の分離から1973年の再上場を経て、損失の密室処理へ
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
山一證券1984年9月期売上高2,138.89億円売上高経常利益率31.1%
  1. 簿外損失処理の非公式な委員会(小松委員会)を設置[15]
  2. 法人営業本部の手数料収入目標を前期比3割強削減[17]
  3. 小松委員会を解散[18]
  4. 中間決算の経常利益が前年同期比74%減の304億円[16]
  5. 大手4社で唯一、中間決算で赤字[19]赤字転落
  6. 飛ばし損失のペーパーカンパニーへの簿外移転不祥事・信頼回復
  7. 行平次雄氏が会長、三木淳夫氏が社長に就任[20]社長交代
  8. 1995年3月期決算で506億円の経常赤字を計上[21]赤字転落
  9. ムーディーズが長期債格付けの見通しを「ネガティブ」に変更[22]
  10. 利益供与事件で行平会長・三木社長ら取締役11人が退任[22]
  11. 野澤正平社長が2000億円超の含み損の報告を受ける[23]
  12. 大手4社で唯一赤字の9月中間決算を発表[21]赤字転落
  13. 自主廃業による事業終了[18]経営破綻・法的整理
  14. 全社員を解雇して営業を停止[24]
第4章永田元雄の営業特金1兆円構想から2648億円の簿外債務による自主廃業へ
売上高
  • 売上高
山一證券売上高—
出典・参考24件
出典・参考
  • [1]日本大百科全書
  • [2]時代を先駆ける総合金融会社 山一証券(ポケット社史)(1991年)
  • [3]ダイヤモンド会社産業総覧版「山一證券」沿革(1964年)
  • [4]私の履歴書 北裏喜一郎
  • [5]企業の歴史 明治百年「山一証券」(1968年)
  • [6]株式会社年鑑版「山一証券」(1950年)
  • [7]ダイヤモンド会社産業総覧版「山一證券」(1964年)
  • [8]私の履歴書 経済人16(日本経済新聞社日高輝)(1981年)
  • [9]アナリスト「山一証券事件――その再建過程と問題」(吉田栄夫)(1966年)
  • [10]日本産業史 第3巻(日本経済新聞社「証券-証券恐慌乗り越え土台固め」)(1994年)
  • [11]私の履歴書 日高輝
  • [12]経営評論「驚異の再建実る山一証券グループ」(1971年)
  • [13]日経ビジネス「植谷久三(山一証券社長)“黒い株価”はレア中のレアですよ」(1973年6月11日)
  • [14]経済ライフ「山一証券の研究(下) 資本の国際化時代に新たな戦略練る山一証券」(1980年)
  • [15]日経ビジネス「実録 山一證券100年目の破綻3 受け継がれた密室経営」(1998年2月16日)
  • [16]日経ビジネス「ケーススタディ 山一証券 リスク管理に組織的弱さ」(1990年12月17日)
  • [17]日経公社債情報「山一証券研究――リテール強化で4位脱出狙う」(1990年2月12日)
  • [18]日経ビジネス「実録 山一証券100年目の破綻4 市場の歪み背負って狂奔」(1998年2月23日)
  • [19]日経ビジネス「大手4社、山一以外も赤字転落の恐れ」(1992年2月3日)
  • [20]日経ビジネス「実録 山一證券100年目の破綻1 信用崩壊、最期の迷走」(1998年2月2日)
  • [21]日経ビジネス「山一証券消滅の衝撃 巨額の簿外債務隠蔽で前経営陣と確執」(1997年12月1日)
  • [22]日経ビジネス「這い上がるか新生・山一 初の営業出身トップに重い足かせ」(1997年9月29日)
  • [23]日経ビジネス・28日号「敗軍の将、兵を語る 野澤正平氏[山一証券社長]富士銀の支援拒否が致命傷」(1998年12月21日)
  • [24]山一證券社内調査委員会 簿外債務の調査報告書公表)(1998年4月16日)

API for AI Agents— 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

免責事項およびポリシー