飛ばし損失のペーパーカンパニーへの簿外移転(1991年・山一證券の決断)

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論点飛ばしの損失を客へ戻すか自社で抱えるか
山一證券:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
取引先の含み損の自社への引き取りと、関係会社のペーパーカンパニーへの隠蔽

何をなぜ決めたか:取引先の含み損の自社への引き取りと、関係会社のペーパーカンパニーへの隠蔽

概要

1991年夏に損失補填問題が噴き出し、7月12日の時点で山一證券の補填先は65社、補填額は439億円と明らかになった。翌1992年1月から損失補填を禁じる改正証券取引法が施行されることになり、顧客の含み損を決算期をまたいで他社へ移す「飛ばし」を続けることはできなくなった。山一は同年11月の首脳会議で、争ったところで勝ち目がない取引先の損失は帳簿の外で処理するという大枠を定め、12月には関係会社の山一エンタープライズにペーパーカンパニーをつくって損失を付け替えた。全貌を知っていたのは行平次雄氏、三木淳夫氏、歴代の財務担当副社長と企画担当役員ほどに限られた。

背景

損失の出どころは営業特金である。証券会社が運用を指示する特定金銭信託で、売買を重ねるほど手数料が入り、企業は主幹事の変更をちらつかせて利回りの保証を求めた。山一は1986年9月に株式本部長となった永田元雄氏の旗振りで営業特金1兆円構想を打ち出していた。縮小を進言した幹部に、行平次雄社長は『営業特金の拡大が危険なのはわかっているが、野村が続けているうちは手を引けない。大手の座を守るためにもやめられないんだ』と答えている。

1989年12月、大蔵省は通達で営業特金の解消を命じ、翌年3月までに運用の指示者を投資顧問会社へ切り替えるよう求めた。補填の要る特金を3月末までに片づけた野村證券に対し、山一は運用規模の大きい企業を後回しにし、処理できたのは会社数で半分、金額で3割にとどまった。片づかなかった含み損は、決算期をまたいで他社へ移す飛ばしで持ち越された。

内容

1991年の夏の休日、行平次雄社長、三木淳夫副社長、延命隆副社長ら10人が都内のホテルに集まり、飛ばしの相手を、裁判になれば勝てる相手と、山一が損を引き受けざるを得ない相手とに仕分けた。結論は11月の2度目の首脳会議へ持ち越され、後者の損失を簿外へ沈める大枠が決まった。山一はそれまで、取引先の損失をすべて当該取引先の口座で処理していたが、このときは損失を自社で引き受けた。

国内の仕組みは、スイス系信託銀行に設定した特金で国債を買い、その国債を山一エンタープライズ傘下のペーパーカンパニー5社へ貸し、5社が国債を山一本体へ売り現先で売って資金を作り、顧客の含み損のある有価証券を買い取るというものだった。国内で実行した損失隠しは1583億円に上る。1990年8月の湾岸危機で出た外債取引の為替損は、オーストラリアの現地法人に沈められた。

含意

簿外化と並行して、三木淳夫副社長は1991年12月と1992年1月に大蔵省証券局長の松野允彦氏を訪ねている。飛ばし先の東急百貨店との損の押し付け合いがきっかけだった。松野允彦氏はのちに国会で『1991年末に山一から飛ばしに関する相談があった。『(飛ばしの)仲介先は国内企業に限られるということはない』と、相談の過程で言ったかもしれない』と認めた。1993年2月から8カ月に及んだ証券取引等監視委員会の検査は、山一が取引先に損を負わせた飛ばしの後処理を詳しく調べたが、山一が自ら引き取った飛ばし玉には届かなかった。

1993年秋には、飛ばしの延長線上にあった現先取引の含み損がほぼ解消し、飛ばし問題はようやく解決したと伝えられた。簿外に沈めた損失はその外に残り、1997年11月の自主廃業の決定で2648億円の簿外債務として顕在化した。法人との取引に由来するものが大半を占める。

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考察:客に戻せた損を、自社で抱えた
考察

考察:客に戻せた損を、自社で抱えた

改正証券取引法は、飛ばしの損を客へ押し戻す根拠になりえた。それまで山一は取引先の損失を相手の口座で処理しており、損を引き取る義務を負ってはいなかった。それでも勝ち目のない相手の分を自社で負ったのは、法人の主幹事の地位を守るほうを選んだからだろう。この簿外化は損失の隠蔽である前に、取引先との関係を自社の財務より上に置いた判断だったとみられる。国内だけで1583億円を引き取った時点で、会社の存続はその損失を利益で消せるかどうかに懸かった。

もっとも、隠し続けられたのは会社だけの力ではない。三木淳夫副社長は簿外化と同じ1991年12月に証券局長を訪ね、監督当局の検査は取引先に損を負わせた飛ばしを詳しく調べながら、山一が引き取った分には届かなかった。1993年に飛ばし問題は解決したと伝えられたことで、外からは片づいたように見えたと思われる。監督する側と会社の双方が時間による解消に賭け、その賭けが外れたことが、6年後の2648億円になって表れた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考
  • ドキュメント証券不祥事事件(証券調査グループ・K, 第一企画出版, 1991年)
  • 日経ビジネス 1998年2月23日号
  • 日経ビジネス 1997年12月1日号
  • 日経ビジネス 1990年12月17日号
  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
  • 日経ビジネス 1998年3月2日号
  • 日経公社債情報 1993年11月1日号「山一証券の研究――営業を制約し始めた自己資本の乏しさ」
  • 日経ビジネス 1998年2月16日号

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