1996年3月期に684億円を処理して一区切りとしたはずの財テクの損失は、2年半後に1610億円となって戻ってきた。田村敏洋専務は本業の回復を一掃の理由に挙げたが、発表の2週間前にはムーディーズが格付けを投機的水準まで下げている。順序から見れば、この決断は回復の証明というより、市場に迫られた清算だったのだろう。しかも有価証券報告書に無かったデリバティブの損失が混じったことで、一掃は隠れた損失がまだあるという疑いに読み替えられた。財務を圧縮するための処理が、かえって信用を損ねたことになる。
もっとも、先送りの責任を草道昌武社長一人に帰すのは無理がある。上位5社を追う拡大路線は速水優社長の時代に敷かれ、西尾哲社長はそのツケを背負って就任した。格付けが調達条件を決める商社にとって、損失を小出しにする余地はもう残っていなかったとみられる。8行から6000億円の融資枠を得て資産の圧縮を約束したことで、日商岩井は自力の調達から銀行団の支えへと立ち位置を移した。処理の遅れの代償は、損失額そのものより、資金調達の主導権を失ったことにあったと思われる。