エヌ・アイ・ファイナンス整理(1998年・日商岩井の決断)

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日商岩井:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
金融子会社の清算と、特別損失1610億円の計上日商岩井は1998年9月25日、特別損失1610億円を1999年3月期に計上すると公表した。金融子会社に対する貸付金の放棄と、本体で抱えていた金融商品の解約による損失が中身で、バブル期の財テクの後始末にあたる。単独の最終損益は400億円の赤字となり、設立以来初の無配へ転落する。

何をなぜ決めたか:金融子会社の清算と、特別損失1610億円の計上

概要

日商岩井は1998年9月25日、特別損失1610億円を1999年3月期に計上すると公表した。金融子会社に対する貸付金の放棄と、本体で抱えていた金融商品の解約による損失が中身で、バブル期の財テクの後始末にあたる。単独の最終損益は400億円の赤字となり、設立以来初の無配へ転落する。

9月の中間決算では、本体の財テク失敗の処理と金融子会社エヌ・アイ・ファイナンスの清算により連結で733億円の特別損失を計上し、下期にも930億円の計上を予定した。

背景

損失の根は速水優社長の時代にある。日商岩井は上位5社に追いつこうと拡大路線を取り続け、金利の急騰で体力を超えた。1990年春に倒産した米ドレクセルへの焦げ付き債権270億円も抱えていた。1991年6月末に就任した西尾哲社長は、そのツケを背負っての出発となった。

1996年3月期には特定金銭信託の整理損など合計684億円の特別損失を計上し、初めて200億円の当期赤字を計上した。会社はこのとき『不良金融資産の処分には一応のメドがついた』としていた。

内容

発表の2週間前の9月10日、ムーディーズは長期債の格付けをBaa2からBa1へ2段階引き下げ、投機的水準とした。翌日の株価は30円安の160円まで下げた。田村敏洋専務は『営業利益が過去最高水準に達するなど、本業での体力が損失を賄えるほど回復したので、『負の遺産』の一掃に踏み切った』と、一掃に踏み切った理由を語っている。

発表後も株価は急落した。特別損失には有価証券報告書に記載のなかった金融派生商品関連の損失も含まれ、アナリストの不信を招いた。10月16日にはムーディーズが9月に続く2度目の格下げで社債格付けをB1とし、日商岩井は1兆2000億円の連結総資産を削減する方針を打ち出した。

いつ何が起きたか9件
筆者考察
考察

考察:負担を軽くするはずの一掃が招いた不信

1996年3月期に684億円を処理して一区切りとしたはずの財テクの損失は、2年半後に1610億円となって戻ってきた。田村敏洋専務は本業の回復を一掃の理由に挙げたが、発表の2週間前にはムーディーズが格付けを投機的水準まで下げている。順序から見れば、この決断は回復の証明というより、市場に迫られた清算だったのだろう。しかも有価証券報告書に無かったデリバティブの損失が混じったことで、一掃は隠れた損失がまだあるという疑いに読み替えられた。財務を圧縮するための処理が、かえって信用を損ねたことになる。

もっとも、先送りの責任を草道昌武社長一人に帰すのは無理がある。上位5社を追う拡大路線は速水優社長の時代に敷かれ、西尾哲社長はそのツケを背負って就任した。格付けが調達条件を決める商社にとって、損失を小出しにする余地はもう残っていなかったとみられる。8行から6000億円の融資枠を得て資産の圧縮を約束したことで、日商岩井は自力の調達から銀行団の支えへと立ち位置を移した。処理の遅れの代償は、損失額そのものより、資金調達の主導権を失ったことにあったと思われる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月
参考文献

参考文献

参考

  • 日経ビジネス 1998年11月30日号
  • 日経ビジネス 1998年12月7日号
  • Decide 1991年 8巻10号
  • 日経ビジネス 1996年9月2日号
  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
  • 日経ビジネス 1998年11月2日号
  • 日経ビジネス 1999年1月11日号
  • 日経ビジネス 1999年4月12日号

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