植田三男

日商岩井・元代表取締役社長

(敬称略)

Ueda Mitsuo

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生年月日
学歴 神戸商業大学
出自
出自
関西学院を経て神戸商業大学へ進み、1937年3月に卒業と同時に日商へ入社した。1962年11月に取締役、1967年11月に常務取締役。1968年10月の合併後は1970年5月に専務取締役、1972年6月に鉄鋼本部長、1974年11月に取締役副社長へ進んだ。鉄鋼と海外店を歩いた実務畑で、神戸市の生まれ、日商入社から社長就任まで40年を数える。
抜擢
1977年6月、辻良雄氏が会長へ退いた後を継いだ。就任前の2年は取締役副社長のまま社長補佐として海外店を管掌しており、鉄鋼本部長として国内の主力商品を、社長補佐として海外網をそれぞれ見たうえでの昇格である。合併から9年が過ぎても、社長は西川政一氏・辻良雄氏に続いて日商側の入社者が務めた。合併の存続会社である日商の人脈がそのまま続いたとみられる。
施策
就任の翌々年、ロッキード事件に続いて日商岩井のグラマン事件が起きた。日本産業史はこの時期の商社の不祥事について、業績への打撃は限定的だったと評している。航空機事業から撤退せず、ボーイングの日本総代理店の商権は維持した。六大商社の平均粗利益率は1971年度の2.32%から1983年度の1.38%へ12年で41%下がっており、取扱高を伸ばしながら利幅が細る時期の在任であった。
評価
執筆予定
就任前(FY76)45,271億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1979年版 経歴・学歴・出身地・生年
  • 日経ビジネス 1978年1月2日号「植田三男氏(日商岩井)登場」 生年・出身地・学歴

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