決断
事業の輪郭を決めたのは、いつも社外からの要請だった。設立が在阪紡績四社の共同出資だったのに続き、1954年11月には繊維商社の丸永を吸収合併し、資本金を4億3000万円へ増強した。政府が1952年から商社強化策を重要施策に据え、業界では関西五綿を主軸とする集中が動き出した局面での合併である。1960年に田附を合併し、1968年には非繊維の取扱比率が65%に達した。1982年の売上構成は金属・燃料34%、機械・建設25.4%、食糧14.4%と続き、創業以来の繊維は11.6%まで下がっている。総合商社の体裁は整ったが、どの商品で他社に優位を得るのかは最後まで定まらなかった。
1999年6月 不正手形取引と社内カンパニー制の導入
1954年11月 丸永の吸収合併
丸永の吸収合併朝鮮動乱の反動と外貨割当制のもとで弱体化した専門商社が、同じ繊維業者を取り込んで資本と規模を先に確保し、総合商社化へ進むための集中同じ経営論点に直面した企業 | 経営統合・合併業績の推移1953 1954 1959 売上高(億円) 742 1,077 1,757 営業利益率(%) 0.5 0.9 − 1892年11月 日本綿花の設立