壱番屋 の歴史

創業

1974年

創業者

宗次徳二・宗次直美

創業地

愛知県名古屋市

直近売上高(2026/2)

655億円

長期業績と転換点(1997/5〜2026/2)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1981年発足のブルームシステムは、値下げをせずに世界1,000店超へ広げられたのか
A 加盟店が売上を伸ばすほど本部への支払いが増える仕組みでは加盟店の事業意欲が失われる、という宗次徳二氏の考えが設計の核にある。壱番屋は1981年発足の社員のれん分け制度「ブルームシステム」で、直営店やオーナー店で修業した正社員に夫婦での独立を認め、加盟店から売上高に連動するロイヤルティーは取らず本部はルウや食材の販売で利益を得る形にした。加盟店の採算が値引き競争に追われないため接客の質で客をつなぎ、店舗数は1988年12月に国内100店へ達した
Q なぜ2015年に創業家の宗次夫妻は保有株をハウス食品へ譲渡し、子会社化を受け入れたのか
A 家庭用ルウの需要が細るなかで、原材料から外食までの連なりを長く押さえ、日本式カレーの海外出店を外食のプロである壱番屋の主導で加速する狙いがハウス食品側にあった。創業者・宗次徳二氏は引退後も13年間、経営に関与しない立場を保ったまま大株主にとどまり、会社に執着しないという考えからTOBに迷いなく応じた。2015年12月、ハウス食品グループ本社が公開買い付けで壱番屋株式の51%を取得し、宗次夫妻は保有していた23.17%すべてを約200億円で譲渡して、壱番屋は上場を維持したままハウスの連結子会社になった
Q なぜ2020年代に、カレー単一業態からラーメン・パフェへのM&A多角化に広げたのか
A 客足の回復と値上げで売上高は過去最高を更新しても営業利益はコロナ前の52億円に届かず、国内既存店の客足も鈍り、カレー1業態を磨くだけでは利益の伸びしろが乏しかった。壱番屋は2030年2月期の連結営業利益100億円と北米事業への注力を掲げ、利益剰余金の投資先としてM&Aによる新規業態と海外事業を明示した。2023年以降、ラーメン「麺屋たけ井」の竹井や夜パフェ専門店「パフェテリア パル」のGAKUなどを相次いで連結子会社にし、外部の飲食ブランドを取り込む多角化は創業以来の大きな路線変更となった

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1974年〜 喫茶店のカレーから郊外チェーンへ──宗次夫妻の創業とブルームシステム

  1. 1978年 「カレーハウスCoCo壱番屋 西枇杷島店」を1号店としてオープン
  2. 1979年 チェーン本部が完成
  3. 1980年 フランチャイズ1号店「カレーハウスCoCo壱番屋 稲沢国府宮店」を開店
  4. 1981年 社員のれん分け制度「ブルームシステム(BS)」が発足
  5. 1982年 壱番屋を設立
  6. 1983年 新社屋・セントラルキッチンを竣工
  7. 1994年 ハワイ・オアフ島に「カレーハウスCoCo壱番屋」海外1号店をオープン

喫茶バッカスの家庭的カレーとCoCo壱番屋1号店

壱番屋の歴史は、宗次徳二氏・直美氏夫妻が1974年に名古屋で開いた喫茶店「バッカス」に始まる。1948年生まれの宗次徳二氏は児童養護施設で育ち、大和ハウス工業勤務や不動産業での独立を経て25歳で飲食業に転じた。直美氏はのちに、喫茶店の多い愛知ではコーヒーにパンやサラダを付ける「物のサービス」が盛んな一方で接客がおろそかになりがちであり、接客サービスへの徹底したこだわりを開業時からの差別化の軸に据えたと語っている。客からご飯ものを求める声が増えると、調理の手間が少ないカレーに目を付けたが、業者が持ち込む業務用の缶詰カレーは味に納得できず、自分たちで作った家庭的な味のカレーを出すことにした。この味がその後の壱番屋の味のベースになった。 [1][2][3]

  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [1]宗次徳二氏は1974年に妻の直美氏と名古屋市内に喫茶店バッカスを開店した
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [2]宗次徳二氏は1948年生まれで、大和ハウス工業などを経て1974年に喫茶バッカスを開業した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [3]愛知の喫茶文化への問題意識から接客サービスで差別化し、業務用缶詰カレーを退けて自家製の家庭的カレーを採用した

1978年1月、名古屋市郊外に「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店の西枇杷島店を開いた。屋号はカレーなら「ここが一番や」に由来する。ライスの量や辛さを客が選べる注文方式をこの頃に採り入れ、のちにご飯は300グラムを標準に100グラム刻み、辛さは10辛まで、トッピング約40種という独自のカスタマイズ方式に育った。ルウは開業前に近隣のスーパーマーケットで各社の固形ルウを買い集めて食べ比べ、ハウス食品製を選んだ。1980年4月にフランチャイズ1号店の稲沢国府宮店を開き、1982年7月に株式会社壱番屋を設立、1983年7月には愛知県一宮市に新社屋とセントラルキッチンを構えた。 [4][5][6]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1978年1月に名古屋市郊外の西枇杷島店を1号店として開店した
    • [6]1980年4月にFC1号店の稲沢国府宮店を開店、1982年7月に株式会社壱番屋を設立、1983年7月に一宮市へ新社屋とセントラルキッチンを竣工した
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [5]屋号はカレーなら「ここが一番や」に由来し、ルウは食べ比べのうえハウス食品製を選んだ

店舗網の拡大を支えたのは、1981年1月に発足した社員のれん分け制度「ブルームシステム」である。正社員として入社し直営店やオーナー店で修業を積んだ社員に、夫婦での開業を原則として独立を認める仕組みで、一般からのフランチャイズ加盟は1995年6月に打ち切り、店を任せる相手を社内で育てた人材に絞った。加盟店から売上高に連動するロイヤルティーは取らず、本部はルウや食材の販売で利益を得る設計にした。売り上げを伸ばすほど本部への支払いが増えるようでは加盟店が事業意欲をなくす、という宗次徳二氏の考えによる。店舗数は1988年12月に国内100店に達した。 [7][8][9][10]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1981年1月に社員のれん分け制度ブルームシステムが発足した
    • [10]1988年12月に国内100店舗を達成した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [8]CoCo壱番屋の一般FC加盟は1995年(平成7年)6月に打ち切った
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [9]加盟店から売上連動のロイヤルティーを取らず、本部はルウ・食材の販売で利益を得る方針を採った
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [1]宗次徳二氏は1974年に妻の直美氏と名古屋市内に喫茶店バッカスを開店した
    • [5]屋号はカレーなら「ここが一番や」に由来し、ルウは食べ比べのうえハウス食品製を選んだ
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [2]宗次徳二氏は1948年生まれで、大和ハウス工業などを経て1974年に喫茶バッカスを開業した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [3]愛知の喫茶文化への問題意識から接客サービスで差別化し、業務用缶詰カレーを退けて自家製の家庭的カレーを採用した
    • [8]CoCo壱番屋の一般FC加盟は1995年(平成7年)6月に打ち切った
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1978年1月に名古屋市郊外の西枇杷島店を1号店として開店した
    • [6]1980年4月にFC1号店の稲沢国府宮店を開店、1982年7月に株式会社壱番屋を設立、1983年7月に一宮市へ新社屋とセントラルキッチンを竣工した
    • [7]1981年1月に社員のれん分け制度ブルームシステムが発足した
    • [10]1988年12月に国内100店舗を達成した
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [9]加盟店から売上連動のロイヤルティーを取らず、本部はルウ・食材の販売で利益を得る方針を採った

「ニコ・キビ・ハキ」と超現場主義の店舗運営

社是は「ニコニコ、キビキビ、ハキハキ」。誰にでもできる接客の基本を徹底することが、値引きをしない経営の裏付けになった。宗次徳二氏は毎朝5時ごろに出社し、店頭に置いたアンケートはがき──多い時期で1日1,000通以上、月間3万通前後が社長室に届いた──へ2〜3時間かけて目を通し、苦情にはコメントを付けて加盟店オーナーへファクスで送った。1日5〜6店の店舗巡回も日課で、同業者との会食は最小限にとどめた。全国54名のスーパーバイザーによる月1回以上の店舗評価や、本部社員が客として店を点検する社員モニター制度など、フランチャイズでも質を保つ仕組みを幾重にも重ねた。バブル崩壊後に外食で価格破壊が広がっても値下げはせず、接客の質で客をつなぎとめる方針を貫いた。 [11][12][13]

  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [11]アンケートはがきは1日1,000通以上・月間3万通前後が届き、宗次徳二氏が毎朝分類・確認していた
    • [12]スーパーバイザーは全国54名で月1回以上店舗を巡回評価し、社員モニター制度を併用していた
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [13]価格破壊が広がった時期にも値下げをしない方針を貫いた

1994年6月にはハワイ・オアフ島に海外1号店を開いた。1995年には、当時全国統轄本部長だった浜島俊哉氏が、CoCo壱番屋と同じ商材で単価を100〜150円下げたカレースタンド業態「FSココイチ」を立ち上げ、約50店まで増やしたものの新宿・渋谷のような繁華街以外では定着しなかった。ただ、この業態で開発した「とび辛スパイス」はCoCo壱番屋の店頭に残っている。供給面では1983年稼働の愛知に加えて、1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場を建て、工場で作って急速冷凍したカレーソースを全国の営業拠点から毎日配送する体制を整え、1,000店規模の出店に備えた。 [14][15][16]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1994年6月にハワイ・オアフ島へ海外1号店を開店した
    • [16]1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場を竣工した
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [15]浜島俊哉氏が1995年に低単価業態FSココイチを立ち上げ、約50店まで拡大後に撤退し、とび辛スパイスが残った
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [11]アンケートはがきは1日1,000通以上・月間3万通前後が届き、宗次徳二氏が毎朝分類・確認していた
    • [12]スーパーバイザーは全国54名で月1回以上店舗を巡回評価し、社員モニター制度を併用していた
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [13]価格破壊が広がった時期にも値下げをしない方針を貫いた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1994年6月にハワイ・オアフ島へ海外1号店を開店した
    • [16]1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場を竣工した
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [15]浜島俊哉氏が1995年に低単価業態FSココイチを立ち上げ、約50店まで拡大後に撤退し、とび辛スパイスが残った

1998年〜 2000年店頭公開と創業家からの承継──国内1000店とアジア進出

壱番屋の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1999年 栃木工場を竣工
  2. 2000年 株式の店頭公開と創業者夫妻の引退、生え抜き社長への経営承継 株主のほうを向く経営を拒んできた宗次徳二氏は、なぜ公開と同時に会社から降りたか
  3. 2003年 あんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」1号店をオープン
  4. 2004年 「カレーハウスCoCo壱番屋」中国1号店をオープン
  5. 2004年 国内・海外あわせ1,000店舗を達成
  6. 2009年 子会社「イチバンヤUSA INC.」を設立
  7. 2011年 「カレーハウスCoCo壱番屋」米国本土1号店をオープン

上場準備と宗次夫妻の引退、生え抜き浜島社長への承継

株式公開を勧める証券会社に対し、宗次徳二氏は株主のほうを向いた経営はしたくないと断り続けてきたが、喫茶店の開業から25年・500店という節目と健康上の理由から上場を決断する。上場準備に入った1998年に社長を直美氏へ交代し、自身は会長に就いた。2000年2月、日本証券業協会に株式を店頭登録する。公開直後の講演で宗次直美社長は、店舗数は北海道から沖縄まで621店、フランチャイズオーナーは173名で5割が複数店を運営していると説明し、直営・フランチャイズ・社員独立の出店を各3分の1ずつの構成にしたい、2004年中に1,000店舗へ到達したいと語った。 [17][18][19]

  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [17]1998年に宗次徳二氏が社長を直美氏に交代し会長へ就き、上場を決断した経緯
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2000年2月に日本証券業協会へ株式を店頭登録した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [19]2000年2月時点の店舗数は621店、FCオーナーは173名で5割が複数店運営だった

2002年6月、宗次夫妻は経営から退いた。徳二氏は53歳での引退で、以後は創業者特別顧問として経営に一切関与しない立場を貫き、重要なことは新聞で知ればいいと冗談めかすほどの距離を保った。経営を引き継いだ3代目社長の浜島俊哉氏は1959年生まれ。20歳のとき、まだ4店舗だったCoCo壱番屋でアルバイトとして働き始め、1982年に壱番屋へ入社、21歳で任された新店を潰して降格人事第1号になった経験を持つ生え抜きである。1992年に取締役、2000年に副社長へ昇格し、前年秋に自ら「来期から社長をやらせてほしい」と申し出て、代表権は自分一人とし創業者夫妻にはできれば役員からも退いてほしいという条件まで付けた。創業者夫妻は壱番屋の理念を最も理解している人物として全幅の信頼を寄せ、これを受け入れた。 [20][21][22]

  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [20]宗次徳二氏は2002年に53歳で経営から引退し創業者特別顧問となり、以後経営に関与しなかった
  • 週刊東洋経済 2005年1月8日号
    • [21]浜島俊哉氏は1959年生まれで1980年からCoCo壱番屋に勤務、1982年壱番屋入社、1992年取締役、2000年副社長、2002年社長就任
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [22]浜島氏は社長就任を自ら申し出て、代表権を自分一人とする条件を付けた
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [17]1998年に宗次徳二氏が社長を直美氏に交代し会長へ就き、上場を決断した経緯
    • [20]宗次徳二氏は2002年に53歳で経営から引退し創業者特別顧問となり、以後経営に関与しなかった
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2000年2月に日本証券業協会へ株式を店頭登録した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [19]2000年2月時点の店舗数は621店、FCオーナーは173名で5割が複数店運営だった
  • 週刊東洋経済 2005年1月8日号
    • [21]浜島俊哉氏は1959年生まれで1980年からCoCo壱番屋に勤務、1982年壱番屋入社、1992年取締役、2000年副社長、2002年社長就任
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [22]浜島氏は社長就任を自ら申し出て、代表権を自分一人とする条件を付けた

東証一部上場と1000店、ストアレベルマーケティング

浜島俊哉氏(社長)は就任にあたり、当時の牛丼チェーン店の店舗数の総和にあたる国内2,000店を目標に掲げ、1つのフランチャイズオーナーは複数県に出店できないという社内規制を取り払って意欲あるオーナーの出店を後押しした。2003年3月にはあんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」の1号店を開き、2004年3月に東京・名古屋両証券取引所の市場第二部へ上場、同年9月にはハウス食品と組んで上海に中国1号店を開いた。2004年12月に国内・海外あわせて1,000店舗に到達し、翌2005年5月には両取引所の市場第一部へ上場した。 [23][24][25]

  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [23]浜島社長は就任時に国内2,000店を目標に掲げ、FCの複数県出店規制を撤廃した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2003年3月にパスタ・デ・ココ1号店、2004年3月に東証・名証二部上場、2004年9月に上海の中国1号店、2004年12月に1,000店舗、2005年5月に東証・名証一部上場
  • 週刊東洋経済 2007年2月3日号
    • [25]中国出店はハウス食品との合弁により2004年9月から始まった

2005年からは10年をかけて既存店のほぼすべてにあたる1,200店超を改装し、客が漫画本やコンセントを使って思い思いに過ごせる店づくりへ改めた。健康増進法が施行された2003年には、施行の1カ月後に全店全時間帯禁煙へ切り替えている。2009年に導入したストアレベルマーケティング(SLM)は店舗ごとに独自の営業施策や限定メニューを企画する仕組みで、滋賀の加盟店が開発した「天然鹿カレー」のような店発の商品を生み、通常メニューへ昇格する例も出た。海外は2008年に韓国・タイ、2010年に香港、2011年に米国本土とシンガポールへ1号店を開き、2012年12月に海外100店舗へ到達、2013年1月には世界で最も大きいカレーレストランのチェーン店としてギネス世界記録に認定された。 [26][27][28]

  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [26]2005年から10年間で既存店1,200店超を改装し、2003年に全店全時間帯禁煙化、2009年にSLMを導入した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2008年韓国・タイ、2010年香港、2011年米国本土・シンガポールに1号店を開いた
    • [28]2012年12月に海外100店舗を達成し、2013年1月にギネス世界記録に認定された

業績も伸びた。2015年5月期の売上高は440億円と2000年の店頭公開時に比べ約1.7倍になり、純利益は27億円で過去最高を更新した。2014年9月には栃木工場でレトルト製造ラインを稼働させ、ハウス食品の子会社に発注していたレトルト商品を内製に切り替えた。2015年12月末時点の店舗数は国内1,228店(うちフランチャイズ1,048店)、海外152店の計1,380店。店舗数で次に多いといわれたチェーンが約70店だったのに対し、カレー専門店としては他社と桁の違う規模に達し、デフレ下の外食で値下げ競争と一線を画したまま最高益を続けた。 [29][30]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [29]2014年9月に栃木工場でレトルト製造ラインが本稼働した
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [30]2015年12月末の店舗数は国内1,228店(FC1,048店)・海外152店の計1,380店で、次点とされるチェーンは約70店だった
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [23]浜島社長は就任時に国内2,000店を目標に掲げ、FCの複数県出店規制を撤廃した
    • [26]2005年から10年間で既存店1,200店超を改装し、2003年に全店全時間帯禁煙化、2009年にSLMを導入した
    • [30]2015年12月末の店舗数は国内1,228店(FC1,048店)・海外152店の計1,380店で、次点とされるチェーンは約70店だった
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2003年3月にパスタ・デ・ココ1号店、2004年3月に東証・名証二部上場、2004年9月に上海の中国1号店、2004年12月に1,000店舗、2005年5月に東証・名証一部上場
    • [27]2008年韓国・タイ、2010年香港、2011年米国本土・シンガポールに1号店を開いた
    • [28]2012年12月に海外100店舗を達成し、2013年1月にギネス世界記録に認定された
    • [29]2014年9月に栃木工場でレトルト製造ラインが本稼働した
  • 週刊東洋経済 2007年2月3日号
    • [25]中国出店はハウス食品との合弁により2004年9月から始まった

2015年〜 ハウス食品グループ入り──創業家の株式譲渡と中国・台湾の直営化

壱番屋の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 創業家保有株23.17%のハウス食品グループ本社への譲渡と、同社の連結子会社化 単独で立ちゆかないわけではなかった壱番屋は、なぜ過半の株式を手放したか
  2. 2017年 ハウスレストラン管理(上海)と台湾カレーハウスレストランを子会社化

TOBによる子会社化と「日本一の事業承継」

ハウス食品との関係は創業前のルウ選定にさかのぼり、CoCo壱番屋のカレールウは全量をハウス食品から供給されてきた。資本面でも1998年にハウスが壱番屋株式を取得し、2002年には創業家から一部株式を譲り受けて第2位株主になっていた。2015年7月、浜島俊哉氏(社長)は創業者が株式を売却したい意向を持っているとハウス食品側へ自ら伝え、同年12月、ハウス食品グループ本社がTOB(株式公開買い付け)で壱番屋株式の51%を取得した。宗次夫妻は保有していた23.17%すべてを約200億円で譲渡し、壱番屋は上場を維持したままハウスの連結子会社になった。 [31][32][33]

  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [31]ルウは全量ハウス食品供給で、1998年に株式取得、2002年に創業家から譲受で第2位株主となり、2015年7月に浜島社長が売却意向を伝えた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2015年12月にハウス食品グループ本社の公開買付けにより子会社となった
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [33]宗次夫妻は保有株23.17%すべてを約200億円で譲渡した

宗次徳二氏は引退後も13年間、会社の方針に従って大株主にとどまっていたが、TOBには迷いなく応じ、売却で得た資金は自身が設立したNPO「イエロー・エンジェル」や名古屋のクラシック音楽ホール「宗次ホール」を通じた芸術・福祉支援に充てた。ハウス食品側には、家庭用ルウの需要が細るなかで、原材料から外食までの連なりを長く押さえ、2004年から中国で合弁により続けてきた日本式カレーの海外出店を外食のプロである壱番屋の主導で加速する狙いがあった。ハウス食品グループ本社の浦上博史社長は、ルウの製造販売はハウス、レストランの運営は壱番屋という役割分担で、中国だけでなく東南アジアにも日式カレー文化を広めると説明している。 [34][35][36]

  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [34]宗次徳二氏は売却資金をNPOイエロー・エンジェルと宗次ホールの活動に充てた
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号
    • [35]浦上博史社長はハウスがルウ製造販売・壱番屋がレストラン運営という役割分担で東南アジアに日式カレーを広めると説明した
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [36]宗次徳二氏は引退後13年間大株主にとどまり、TOBに抵抗なく応じた
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [31]ルウは全量ハウス食品供給で、1998年に株式取得、2002年に創業家から譲受で第2位株主となり、2015年7月に浜島社長が売却意向を伝えた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2015年12月にハウス食品グループ本社の公開買付けにより子会社となった
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
    • [33]宗次夫妻は保有株23.17%すべてを約200億円で譲渡した
    • [36]宗次徳二氏は引退後13年間大株主にとどまり、TOBに抵抗なく応じた
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [34]宗次徳二氏は売却資金をNPOイエロー・エンジェルと宗次ホールの活動に充てた
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号
    • [35]浦上博史社長はハウスがルウ製造販売・壱番屋がレストラン運営という役割分担で東南アジアに日式カレーを広めると説明した

廃棄カツ横流し事件と決算期変更、葛原社長への交代

子会社化の直後、2016年1月には廃棄処分を委託した冷凍ビーフカツが処理業者から横流しされ、スーパーの店頭などで売られていたことが発覚した。浜島俊哉氏(社長)は「甚だ遺憾だ」と述べる一方、「廃棄の量が多い」「廃棄の仕方に問題があったんじゃないか」という客の意見を真摯に受け止めるとして、転売されにくい廃棄方法への変更と廃棄量そのものの削減を掲げた。同じ2016年には決算期を毎年5月末から2月末へ変更した。親会社ハウス食品グループ本社との連結決算業務を円滑にするためで、2017年2月期は9カ月の経過決算となった。あわせて2016年5月末を基準日に1株を2株へ分割し、株主優待制度を実質的に拡充している。 [37][38]

  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [37]2016年1月に廃棄委託した冷凍ビーフカツの転売問題が発覚し、浜島社長が廃棄方法の変更と廃棄量削減を表明した
  • 壱番屋 平成28年5月期決算説明会資料
    • [38]2016年に決算期を5月末から2月末へ変更し、2017年2月期は9カ月の経過決算、2016年5月末基準で1株を2株に分割した

海外では運営体制を切り替えた。2017年3月、ハウス食品グループから上海を中心に33店を運営する現地法人(現・壱番屋レストラン管理〈中国〉)と25店の台湾カレーハウスレストラン(現・台湾壱番屋)を取得して連結子会社にし、合弁相手に委ねていた中国・台湾のおよそ60店を直営運営に改めた。2018年12月にはロンドンにイギリス1号店を開き、2019年6月にはカレー発祥の国インドへの出店に向けて三井物産と合弁会社を設立した。経営体制では2018年10月に社長交代を決定し、2019年3月1日付で副社長だった葛原守氏が社長に就任、浜島俊哉氏は代表権のない会長に退いた。社長在任16年を超え、60歳の節目を前にしたバトンタッチだった。 [39][40][41]

  • 壱番屋 2018年2月期決算説明会資料
    • [39]2017年3月に中国・台湾の運営会社2社を取得し連結子会社化した
  • 壱番屋 2020年2月期決算説明会資料
    • [40]2018年12月にイギリス1号店を開店し、2019年6月にインド出店に向け三井物産と合弁会社を設立した
    • [41]2018年10月22日の取締役会で社長交代を決定し、2019年3月1日付で葛原守氏が社長に就任、浜島俊哉氏は代表権のない会長に就いた
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
    • [37]2016年1月に廃棄委託した冷凍ビーフカツの転売問題が発覚し、浜島社長が廃棄方法の変更と廃棄量削減を表明した
  • 壱番屋 平成28年5月期決算説明会資料
    • [38]2016年に決算期を5月末から2月末へ変更し、2017年2月期は9カ月の経過決算、2016年5月末基準で1株を2株に分割した
  • 壱番屋 2018年2月期決算説明会資料
    • [39]2017年3月に中国・台湾の運営会社2社を取得し連結子会社化した
  • 壱番屋 2020年2月期決算説明会資料
    • [40]2018年12月にイギリス1号店を開店し、2019年6月にインド出店に向け三井物産と合弁会社を設立した
    • [41]2018年10月22日の取締役会で社長交代を決定し、2019年3月1日付で葛原守氏が社長に就任、浜島俊哉氏は代表権のない会長に就いた

2020年〜 コロナ禍からの回復とM&A多角化──カレー専業からの業容拡大

壱番屋の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2020年 エージーピーより植物工場を事業譲受
  2. 2020年 大黒商事を取得し子会社化
  3. 2022年 東京・京橋に「CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD」1号店を開店
  4. 2023年 ラーメン・もつ鍋店の連続買収とカレーパン専門店の開業による業容の拡大 カレー一本で1,400店を築いた壱番屋は、なぜ他社の看板を買い始めたか

コロナ禍の営業減益とテイクアウト・宅配への対応

2020年からの新型コロナウイルス禍は客数の落ち込みを通じて業績を直撃した。2021年2月期は売上高442億円、営業利益は前期の52億円から26億円へ半減し、テイクアウトや宅配代行、モバイルオーダーの整備、フランチャイズ加盟店への支援策で急場をしのいだ。一方でこの間も投資は止めていない。2020年8月には約10年来の構想だったインドで、三井物産との合弁によりハリヤナ州に1号店を開いた。同年10月には植物工場を事業譲受し、12月には大黒商事を連結子会社にした。2021年に公表した長期経営方針「壱番屋長期ビジョン2030」では、2024年2月期を最終年度とする中期経営計画とあわせて国内外の出店計画を示した。 [42][43][44]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [42]2020年8月にインド1号店、同年10月に植物工場の事業譲受、12月に大黒商事の子会社化を実施した
  • 週刊東洋経済 2020年1月25日号
    • [43]インド出店は浜島俊哉氏が10年ほど前から温めた構想で、三井物産との合弁で実現に動いた
  • 壱番屋 2021年2月期決算説明会資料
    • [44]2021年に長期経営方針「壱番屋長期ビジョン2030」と中期経営計画を公表した

客足の回復と値上げで売上高は2023年2月期に483億円へ戻り、2024年2月期551億円、2025年2月期610億円、2026年2月期655億円と3期連続で過去最高を更新した。ただし営業利益は2024年2月期47億円、2025年2月期49億円、2026年2月期47億円と、コロナ前の2020年2月期に記録した52億円へ届かない水準で推移した。原材料高を映した相次ぐ価格改定の影響もあり、2024年9月以降は国内既存店の客足が前年を下回って推移した。創業以来の「値下げをしない経営」は、インフレ下では値上げと客数維持の両立という別の課題に姿を変えている。 [45]

  • 週刊東洋経済 2025年3月15日号
    • [45]2024年9月から既存店の客足が前年比で落ち続けた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [42]2020年8月にインド1号店、同年10月に植物工場の事業譲受、12月に大黒商事の子会社化を実施した
  • 週刊東洋経済 2020年1月25日号
    • [43]インド出店は浜島俊哉氏が10年ほど前から温めた構想で、三井物産との合弁で実現に動いた
  • 壱番屋 2021年2月期決算説明会資料
    • [44]2021年に長期経営方針「壱番屋長期ビジョン2030」と中期経営計画を公表した
  • 週刊東洋経済 2025年3月15日号
    • [45]2024年9月から既存店の客足が前年比で落ち続けた

ラーメン・パフェへのM&Aと2030年営業利益100億円

業容の広げ方も変わった。2022年10月、海外店の店舗仕様を逆輸入した「CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD」を東京・京橋に開き、12月には名古屋駅地下街にカレーパン専門店「SPICE UP! COCOICHI BAKERY」を出した。M&Aでは2023年3月にラーメン「麺屋たけ井」の竹井、同年12月にもつ鍋「前田屋」を福岡で運営するLFD JAPAN、2025年1月にラーメン業態のKOZOU、同年12月に夜パフェ専門店「パフェテリア パル」のGAKUを相次いで連結子会社にし、2026年3月にはスパイスカレー「旧ヤム邸」のmeを加えた。カレーの単一業態を磨いて成長してきた壱番屋にとって、外部の飲食ブランドを取り込む多角化は創業以来の大きな路線変更である。 [46][47][48]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2022年10月にCURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD、同年12月にカレーパン専門店SPICE UP! COCOICHI BAKERYの1号店を開いた
    • [47]2023年3月に竹井、2023年12月にLFD JAPAN、2025年1月にKOZOU、2025年12月にGAKUを連結子会社化した
  • 壱番屋 2026年2月期決算説明会資料
    • [48]2026年3月にスパイスカレー「旧ヤム邸」のmeを株式取得し連結子会社化した

2025年に公表した資本政策では、年間配当16円の下限維持という従来方針を改めて持続的な配当成長の志向を明確にし、利益剰余金の投資先としてM&Aによる新規業態と海外事業を明示した。長期の目標には2030年2月期の連結営業利益100億円を掲げ、成長領域として北米事業への注力を打ち出している。海外は2025年5月のグアム1号店を含めて出店地域を広げ、宗次徳二氏によれば店舗数は2025年時点で国内約1,200店・海外200店超に達した。名古屋郊外の一軒のカレー店から始まった壱番屋は、ハウス食品グループの外食の中核会社として、カレーの外へ事業の幅を広げている。 [49][50][51]

  • 壱番屋 2025年2月期決算説明会資料
    • [49]2025年2月期資料で配当方針を変更し、2030年2月期に営業利益100億円・北米事業注力を掲げた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [50]2025年5月にグアム1号店を開店した
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [51]2025年時点で国内1,200店舗・海外200店舗以上と宗次徳二氏が述べた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2022年10月にCURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD、同年12月にカレーパン専門店SPICE UP! COCOICHI BAKERYの1号店を開いた
    • [47]2023年3月に竹井、2023年12月にLFD JAPAN、2025年1月にKOZOU、2025年12月にGAKUを連結子会社化した
    • [50]2025年5月にグアム1号店を開店した
  • 壱番屋 2026年2月期決算説明会資料
    • [48]2026年3月にスパイスカレー「旧ヤム邸」のmeを株式取得し連結子会社化した
  • 壱番屋 2025年2月期決算説明会資料
    • [49]2025年2月期資料で配当方針を変更し、2030年2月期に営業利益100億円・北米事業注力を掲げた
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
    • [51]2025年時点で国内1,200店舗・海外200店舗以上と宗次徳二氏が述べた

壱番屋の沿革1978〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
「カレーハウスCoCo壱番屋 西枇杷島店」を1号店としてオープン★★
チェーン本部が完成
フランチャイズ1号店「カレーハウスCoCo壱番屋 稲沢国府宮店」を開店★★
社員のれん分け制度「ブルームシステム(BS)」が発足★★
壱番屋を設立
新社屋・セントラルキッチンを竣工
国内100店舗を達成
本社を竣工移転
ハワイ・オアフ島に「カレーハウスCoCo壱番屋」海外1号店をオープン★★
佐賀工場を竣工
栃木工場を竣工
株式の店頭公開と創業者夫妻の引退、生え抜き社長への経営承継株主のほうを向く経営を拒んできた宗次徳二氏は、なぜ公開と同時に会社から降りたか 詳細を読む★★★
浜島俊哉あんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」1号店をオープン
浜島俊哉「カレーハウスCoCo壱番屋」中国1号店をオープン
浜島俊哉国内・海外あわせ1,000店舗を達成
浜島俊哉子会社「イチバンヤUSA INC.」を設立
浜島俊哉「カレーハウスCoCo壱番屋」米国本土1号店をオープン
浜島俊哉海外100店舗を達成
浜島俊哉栃木工場にてレトルト製造ラインが本稼働を開始
浜島俊哉創業家保有株23.17%のハウス食品グループ本社への譲渡と、同社の連結子会社化単独で立ちゆかないわけではなかった壱番屋は、なぜ過半の株式を手放したか 詳細を読む★★★
浜島俊哉ハウスレストラン管理(上海)と台湾カレーハウスレストランを子会社化★★
葛原守エージーピーより植物工場を事業譲受
葛原守大黒商事を取得し子会社化
葛原守東京・京橋に「CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD」1号店を開店
葛原守ラーメン・もつ鍋店の連続買収とカレーパン専門店の開業による業容の拡大カレー一本で1,400店を築いた壱番屋は、なぜ他社の看板を買い始めたか 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 週刊東洋経済 2016年1月30日号
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 2025年9月13日号
  • 週刊東洋経済 2005年1月8日号
  • 週刊東洋経済 2007年2月3日号
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号
  • 壱番屋 平成28年5月期決算説明会資料
  • 壱番屋 2018年2月期決算説明会資料
  • 壱番屋 2020年2月期決算説明会資料
  • 流通ニュース 2018年10月22日
  • 週刊東洋経済 2020年1月25日号
  • 壱番屋 2021年2月期決算説明会資料
  • 週刊東洋経済 2025年3月15日号
  • 壱番屋 2026年2月期決算説明会資料
  • 壱番屋 2025年2月期決算説明会資料

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