この判断の核心は、扱う商品を替えたことではなく、商いの立場を替えたところにあるとみられる。仕入れて売る問屋は、商品の中身も名前も他社が決めた条件のうえで働く。工場を持てば、原料の配合も商品名も値付けも自社の判断になるかわりに、売れ残りの在庫と設備の負担を抱える。浦上靖介氏が1926年に選んだのは、後者の重さを引き受ける道であった。ブランド名を寿屋の申し入れで変えざるをえなかった一件も、自社の名で売る立場に立って初めて生じる問題といえる。
もっとも、参入がただちに報われたわけではない。先発との差は戦前を通じて縮まらず、戦争で生産そのものが途絶え、戦後の再開時にもエスビー食品が先を走っていた。首位に立ったのは、同じ土俵で追うのをやめ、即席カレーという別の需要へ移ってからである。製造の設備を持っていたからこそ、その転換ができたともいえる。作る立場に回る判断は、成果が出るまでに数十年を要することがある——1926年の一手は、そのことを示す例として読める。