この決断の中心にあるのは、輸入卸という商売の利益がどこで決まっているのかという問いである。海外で無名のブランドを見つけて独占販売権を押さえる商法は、見つけた者の目利きが利益になる。しかし権利を握っても、作る場所と原価を決めているのは相手側であり、円高が来れば粗利は削られる。三木氏が韓国の工場へ発注を移し、ライセンス生産の権利を買い、最後には商標そのものを取得したのは、他社に預けたままの部分を一つずつ手元へ引き取っていく作業であったと推察される。
もっとも、垂直統合は万能ではなかった。作る力と売る力が一つのブランドへ集中した結果、ホーキンスのブームが去ると業績は同じだけ悪化した。会社はその後、売場を自社で持つ小売業へ転じ、複数のブランドと自社企画を並べる構えへ移っていく。1990年の判断が残したものは特定ブランドの成功ではなく、どこで誰にいくらで作らせるかを自社で決められる会社になったという条件であった。40年近く経った今も、その条件が同社の粗利率を支えていると思われる。