船井電機破綻した米エマーソンのブランド使用権取得とウォルマート専用供給体制

無名のメーカーが全米の棚を取るには——船井電機は他人のブランドを借りた

時期 2000年10月
意思決定者(推定) 船井哲良 社長
論点 北米の販路とブランド
概要
1999年11月の感謝祭セールでウォルマートの信頼を得た船井電機が、同社向けの専用ブランドとして、1993年に経営破綻した米家電老舗エマーソンの商標使用権を取得し、直接納入による供給体制を築いた判断。
背景
米国の流通再編で勝ち残ったウォルマートやシアーズ・ローバックが、値頃な定番商品を安定供給できる納入業者を求めていた。船井電機は自社ブランドの知名度が低く、店頭で選ばれる名前を持たなかった。
内容
米国法人フナイ・コーポレーションの諏訪政雄社長が、使用権を持つ会社からエマーソンの商標権を買い取った。米エマーソン・ラジオの開示によれば、契約は2000年10月に結ばれ、2001年1月に発効している。
含意
ウォルマート向け売上高は2000年度の200億円から2002年度に1000億円へ増え、年商の3割を占めた。一方で、一つの取引先と一つの製品分野への依存は、2005年以降の条件変更で重い負荷にもなった。
筆者の見解

名前を借りるという選択の、利と代償

この判断の中心にあるのは、自社に足りないものを買わずに借りたことにある。全米の店頭で通用する名前を一から育てれば、広告費と時間がかかり、船井電機が最も得意とする低価格の量産という強みとも噛み合わない。破綻した老舗の商標には、消費者の記憶だけが資産として残っていた。それを年数百万ドルの使用料で借り、ウォルマート専用の看板に仕立てたことで、無名のメーカーが全米最大の売り場の定番棚を占めることができた。持たざるものを持たないまま戦う方法として、よく設計された選択であったとみることができる。

ただ、借りた看板の下では、売り場と価格の主導権は流通側にある。100%受注生産と直接納入は、在庫リスクを負わない代わりに、条件が変われば一方的に負担が移る取引でもあった。2005年の液晶テレビをめぐる契約変更は、その非対称をはっきりと見せている。フィリップス、SANYOと借りるブランドを替えながら北米のテレビを売り続けた歳月は、自前の顧客を持たない強さと弱さの両方を示していた。安く作る力を、誰の名前で、誰の棚に載せるのか——船井電機の歩みは、この問いを最後まで手放せなかった会社の記録として読める。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

流通再編のなかで選ばれた納入業者

米国法人フナイ・コーポレーションの諏訪政雄社長が赴任した1991年当時、米国の流通業界は大手と中小が入り乱れる状態にあった。船井電機の商売もAV機器のOEM供給が大半で、店頭に自社の名前が出ることはほとんどなかった。その後の流通再編で勝ち残ったウォルマートやシアーズ・ローバック、ベストバイといった新興の量販勢に対し、船井電機は「フナイ」「シンフォニック」「シルバニア」の3つの名前を相手ごとに使い分けて直接納入を始めた。仲介の商社や販社を挟まない取引が、値札の安さをそのまま店頭へ通した[1]

値段で勝てる裏づけもそろっていた。1990年代に生産の中心を中国とマレーシアへ移し、ビデオデッキの内製化率はほぼ100%に達していた。米国販社の営業体制は日本人の社長1人と現地の営業マン5人という規模のまま、主力のビデオは北米シェア35%で首位に立っている。安く作る力と、売る側の身軽さが、量販店にとって扱いやすい取引相手という評価をつくった[2][3]

5時間で100万台

転機は1999年11月の感謝祭セールであった。ウォルマートが感謝祭の翌日に開くアーリーバードセールで、船井電機は全米約2500店に納めたビデオデッキ約100万台をわずか5時間で売り切った。開店前から列ができ、通路に山積みされた箱が1時間もたたずに消える——この売り方に耐えられる納入業者は多くない。安さと、需要期に切らさない供給力の両方を示したことが、ウォルマートとの本格取引への扉を開いた[4]

ただし、ウォルマートと組むには、店頭で消費者が手に取る名前が要る。中・低所得層を主な客とするこの量販店にとって、定番商品は聞いたことのあるブランドで並んでいることが前提であった。船井電機の自社ブランドは、「フナイ」の名が安売りのイメージと結びつくことを警戒して売上高の1割以下に抑えられており、全米の店頭で選ばれる名前としては力が足りなかった[5]

決断

破綻した老舗の名前を借りる

諏訪政雄社長が目を付けたのは、エマーソンという名前であった。エマーソン・ラジオは1993年に経営破綻した米国の家電老舗だが、その名に対する消費者の愛着は残っていた。諏訪社長はブランドの使用権を持つ会社から権利を買い取り、これをウォルマート専用ブランドとして、ビデオ、テレビ、テレビデオの直接納入に充てた。自社の名前を育てるには時間と広告費がかかる。すでに米国の家庭に刷り込まれた名前を借りることで、船井電機は無名の壁を一気に迂回した[6]

契約の形は、供与元の開示から辿れる。エマーソン・ラジオが米国証券取引委員会へ提出した年次報告書によれば、同社は2000年10月にフナイ・コーポレーションとの3年間のライセンス契約を締結し、契約は2001年1月1日に発効した。対象は北米の顧客向けに「EMERSON」の商標を付した特定製品の製造・販売で、直前まで同じ枠を担っていたのは韓国の大宇電子であった。エマーソン・ラジオ側は年間430万ドルの最低ロイヤルティを受け取る建て付けであった[7]

100%受注生産という取引の作法

借りた名前を活かす仕組みも、通常のメーカーの商売とは違った。取引は100%受注生産で、コンテナ船に荷積みした時点で引き渡しが完了し、在庫のリスクは流通側が負う。船井電機はひたすら安く作ることに専念でき、在庫日数は3〜4日と大手電機の数週間に比べて短かった。ウォルマートがリテール・リンクと呼ぶ社内システムを納入業者へ開放していたため、どの店でいつ何がいくらで売れ、在庫がどれだけ残るかを見ながら自動で補充する運用が成り立った[8][9]

甘い商売でもなかった。ウォルマートからの正式な発注は納入要求日の1カ月前に届くが、DVDプレーヤーのように半導体の手当てを含めると3カ月前から生産に入らなければ間に合わない製品がある。つまり正式発注の前に見込みで作り始め、急な追加やキャンセルの振れは船井電機が引き受ける。諏訪社長は、巨大流通の販売量の急変に応じられる製造部門の強さこそが競争力の中身だと語っている。品切れも品質問題も一度で信用を失う取引であった[10]

結果

3年で5倍になったウォルマート向け売上

売上の伸びは急であった。ウォルマート向けの売上高は2000年度の200億円から2001年度に570億円、2002年度には1000億円の大台へ増え、年商の3割を占める最大の取引先となった。エマーソンを冠したビデオ、テレビ、テレビデオの店頭シェアは、いずれもウォルマート内で5割を超えている。2006年時点でも、前期売上高3600億円のうち約1000億円がウォルマートとの取引であり、残る半分はOEM供給で在庫リスクを負わない構造が続いた[11][12]

借りた名前は、価格の突出を目立たせる看板にもなった。2002年11月の感謝祭セールでは、シンフォニックの13インチのテレビとビデオ一体型が89ドル74セントで並び、同じ製品がKマートで129ドル99セント、ベストバイで149ドル99セントであった。2006年のニュージャージー州の店頭では、エマーソンの20インチのブラウン管テレビが99ドル78セント、フィリップス製より2割安く積まれている。店員は「安くて壊れにくいと評判だ」と説明している。品質への評価とセットになったことで、値段の安さが安物という評価に転じずに済んだ[13][14]

条件が変わったとき、依存は負荷に変わった

均衡が崩れたのは液晶テレビであった。2005年、ウォルマートは液晶テレビに限って契約内容を変え、船井電機の米国販社から納入された時点で自社の在庫とする方式に改めた。値下がりの速い商品の輸送中のリスクを納入側へ戻す変更であり、在庫を持たない会社という前提が崩れた。船井電機の在庫は2004年度末の270億円から2005年度末344億円、2006年度第1四半期末には427億円へ積み上がった。2007年12月には、パネル高騰を受けて納入価格への転嫁を交渉した結果とみられる値上がりが、エマーソンの32型が540〜550ドルという店頭価格に表れている[15][16]

借りたブランドという方法自体は、その後も引き継がれた。2008年にはオランダのロイヤル・フィリップスから米国・カナダの民生用テレビについて「Philips」「Magnavox」の使用許諾を受け、2015年にはパナソニック傘下の三洋電機から北米向け「SANYO」ブランドの使用許諾を受けてウォルマート向け販売を継いだ。船井電機は2024年10月24日に東京地裁から破産手続開始の決定を受けており、その最終盤まで北米のテレビは他社の名前を冠して売られていた。破綻の原因を一つに求めることはできないが、店頭で選ばれる名前を最後まで自前で持たなかったことは、この会社の輪郭を示している[17][18][19]

出典・参考

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