この決断の核心は、売れなくなった店を閉じたことよりも、店を構える費用の桁を組み替えた点にあると推察される。都心で20坪を借りれば6,000万円かかるところ、郊外では駐車場付きの店を1,350万円程度で出せた。人口の移動という店側からは制御できない変化を、出店の単価を下げる好機へ置き換えたことで、ディスカウントの価格でも採算の合う型ができた。閉店を縮小ではなく資源の振り替えとして扱ったところに、後年の大量閉店との性格の違いがうかがえる。
もっとも、新しい立地には新しい前提がついてきた。郊外の店が客を集められるかは、道路と車の流れという、やはり自社の外にある条件に左右される。1994年の閉鎖にロードサイド店が多く含まれたのは、バイパスの開通で流れが変わったためであった。都心の衰退から逃れて得た立地も、別の外部条件に依存していたことになる。立地を選ぶという判断がどこまで自社の力で、どこから環境の産物だったのか——その線引きは、急成長のさなかには見えにくかったのだろう。