1950年〜 既製靴の価格破壊と郊外型店舗への戦略転換
- 1950年丸富靴店を開業
- 1957年名駅地下街サンロード店を開店
- 1957年合資会社靴のマルトミを設立
- 1965年従業員の不正が発覚
- 1965年掛け売りを禁止
- 1973年株式会社靴のマルトミを設立
- 1975年郊外店にシフト
靴のマルトミの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
大卒初任給並みの靴を1000円で売った冨永光行の発想
1950年に冨永光行が名古屋市内で開いた「丸富靴店」は、当時の常識を覆す店だった。靴は職人が一人ひとりの足に合わせて仕立てる高級品で、価格は大卒初任給に匹敵した。冨永は既存の靴工場を一軒ずつ回り、手作業ではなく流れ作業による既製靴の量産を提案した。製造原価は1足600円まで下がり、丸富靴店では1足1000円で販売した。注文靴の常識からみて格段に低い価格設定で、靴を耐久財から日常消耗品へと位置づけ直す試みだった。価格を下げて購入層を広げる発想は当時の小売業で一般化しておらず、創業期マルトミの競争優位を支えた。戦後の物資不足下にあって、安価で履ける靴は中流家庭の家計感覚を変える商品でもあった。 [1][2][3]
- 靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】
- [1]1950年 冨永光行が名古屋市内で丸富靴店を開業(既製靴の低価格販売)
- [2]創業者は冨永光行
- [3]製造原価1足600円・店頭価格1足1000円(既製靴量産による低価格化)
1957年に合資会社靴のマルトミを設立し、名古屋駅地下街のサンロード店で都心部の一等地にも進出した。地下街立地は駅利用者の通勤・通学動線を取り込む業態で、靴専門店として新しい立ち位置を示す出店だった。1965年には従業員の不正発覚をきっかけに掛け売りを禁止し、現金取引を徹底して債権回収リスクと資金繰りの不安定さを同時に断った。1973年に株式会社靴のマルトミとして再設立し、都市部を中心とした多店舗展開の基盤を整えた。既製靴の低価格販売と現金主義は創業期に確立された二つの原則で、のちの全国チェーン展開でも経営判断の軸として長期にわたり参照された。 [4][5][6][7]
- 靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】
- [4]1957年(3月)合資会社靴のマルトミを設立
- [5]名古屋駅地下街にサンロード店を出店(都心部の地下街立地)
- [6]1965年 従業員の不正発覚をきっかけに掛け売りを禁止(現金取引へ)
- [7]1973年(2月)株式会社靴のマルトミに組織変更(法人改組)
- 靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】
- [1]1950年 冨永光行が名古屋市内で丸富靴店を開業(既製靴の低価格販売)
- [2]創業者は冨永光行
- [3]製造原価1足600円・店頭価格1足1000円(既製靴量産による低価格化)
- [4]1957年(3月)合資会社靴のマルトミを設立
- [5]名古屋駅地下街にサンロード店を出店(都心部の地下街立地)
- [6]1965年 従業員の不正発覚をきっかけに掛け売りを禁止(現金取引へ)
- [7]1973年(2月)株式会社靴のマルトミに組織変更(法人改組)
大店法の隙間を突いたロードサイド小型店戦略
1970年代後半、自家用車の普及とともに郊外ロードサイド商業が広がった。家電・衣料・外食など各業種で郊外化が進み、靴の購買行動も百貨店や都心専門店から、自家用車で郊外店に乗り付けて選ぶスタイルへ変わりつつあった。1975年、マルトミは郊外型店舗へのシフトを決め、駐車場を備えたロードサイド立地に出店方針を転換した。大店法の下で広い店舗の出店は制約を受けたが、一定規模以下の郊外専門店には出店余地が残された。マルトミはこの規制構造の隙間を突き、出店エリアを広げた。家族単位での来店を想定し、広い駐車場と商品陳列の幅を確保する設計思想を伴う出店だった。 [8][9]
- 靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】
- [8]1975年 郊外型店舗へのシフトを決定(ロードサイド立地へ出店方針転換)
- [9]大店法(大規模小売店舗法)の規制下で大型店出店が抑制される一方、小型郊外専門店には出店余地が残された規制環境
1980年代に固まったのが、小型郊外店を多数出店するというマルトミの基本戦略である。単店あたりの投資額を抑え、短期間で店舗網を拡大して全国認知と仕入規模を同時に伸ばす手法だった。都市部の地下街や駅前からロードサイドへ軸を移した判断は、マルトミの成長を加速させる転機となった。一方で、郊外ロードサイドと大店法という規制環境に依存する構造も同時に深まった。店舗網の拡大と固定費の増大は表裏一体で、規模を増やすほど撤退のハードルも高くなる構造を内側に積み上げた。この二面性は約20年後に経営を揺るがす構造問題として表面化した。
- 靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】
- [8]1975年 郊外型店舗へのシフトを決定(ロードサイド立地へ出店方針転換)
- [9]大店法(大規模小売店舗法)の規制下で大型店出店が抑制される一方、小型郊外専門店には出店余地が残された規制環境