この判断の核心は、技術で先んじた会社が、売る力を他社から借り続けるかどうかにあったのだろう。他社に先んじて作った製品を、相手先の名で出している限り、量は稼げても市場での評価は他社に積み上がる。供給先が自ら作り始めればその量も消える。竹内製作所が受けた『竹内なんて聞いたこともない』という反応は、開発の先行と市場での認知が別のものであることを、当事者にもっとも痛い形で示したといえる。
もっとも、選ばれた道は正面突破ではなかった。国内でブランドを育てる代わりに、名の通用しない市場そのものを外し、狭い現場の工事が多い欧州へ主軸を移した。自社の製品が生きる使われ方を探して市場のほうを選び直した判断であり、これが後年の高い輸出比率と、その裏返しとしての海外景気への感応度を同時に用意しただろう。技術を持つ中小企業が、誰の名で世に出るかをどこで決めるか——竹内製作所の選択は、その問いに一つの答えを残している。