降りたのは、どの売り場にも同じ商品を渡すという当時の商慣行であった。百貨店にコスメデコルテ、専門店と総合量販店にプレディア、ドラッグストアにマリ・クレールと売り先ごとに別の名前を立てれば、開発も広告も在庫もその数だけ要る。それでも1991年に踏み切れたのは、1988年に対面販売と一般品ルートの販社を分け、商品を分ける前に売る組織を分け終えていたからだと思われる。小林保清社長が資生堂との違いを問われて挙げた答えも、ブランドマーケティングとグループ経営の二つであった。
ただし、販路ごとにブランドを立てる方式は、販路そのものが入れ替わる速さには弱かった。小林保清社長自身が1999年に在庫の負荷と非効率なブランドの統廃合を課題に挙げ、2006年度にはドラッグストアの利益志向への対応が出遅れて減収減益に沈んでいる。売り場を細かく読むほど、読んだ相手が変わったときの手直しは重くなる。値崩れを防ぐ設計と、新しい販路へ乗り換える速さは、同じ方式のなかでは両立しにくかったのだろう。