ゴールドウイン の歴史

更新: Author:

創業 1950年
創業者 西田千秋
創業地 富山県南砺市
創業
1950年、西田東作氏が富山県西砺波郡津沢町清沢でメリヤスの製造を始め、翌1951年12月に資本金50万円で株式会社津沢メリヤス製造所を設立した。設備は手回し編機が中心で、肌着や靴下を編む地場の一工場にすぎない。ところが1952年7月、西田氏は野球ストッキングを中心とするスポーツウエアの全面生産へ切り替える。肌着メリヤスは富山県内に同業が密集して値崩れが続く一方、競技用ニットは編み方も配色も技術投資の余地が広く、学校制服で積んだ縫製の精度がそのまま転用できた。1956年に大阪、1958年に東京へ営業所を置き、1963年6月には社名を株式会社ゴールドウインへ改めている。
決断
他人のブランドを預かるのをやめ、地域を限って商標権ごと取得した。1978年に米国のTHE NORTH FACEの国内独占輸入を引き受け、1981年からはライセンス生産も始めたが、企画も価格も米国本社が決めた枠の内側にとどまった。1995年、ゴールドウインはノースフェイスとヘリーハンセンの日本・韓国商標権を取得し、日本人の体型と都市の気候に合わせた商品を自社の裁量で出せる立場を得る。2003年3月にはナナミカを設立してTHE NORTH FACE PURPLE LABELを日本限定で立ち上げ、米国本社が持たない都市生活向けの商品ラインを作った。地域を限って買った商標権が、売れるほど本社へ戻っていた企画の決定権をこちら側へ移した。
現況
連結売上の8割弱は、米国生まれの1ブランドから出ている。2024年3月期のノースフェイス事業は売上975億円で連結の77%を占め、10年で約5倍になった。2026年3月期の連結売上高は1,375億円、営業利益259億円、経常利益339億円、親会社株主に帰属する当期純利益241億円で、営業利益率は18.8%に達する。報告セグメントはスポーツ用品関連の単一で、9割超が国内である。2024年7月公表の中期5ヵ年計画は2029年3月期に売上1,885億円・営業利益340億円を掲げ、自社ブランド『Goldwin』のアジア展開を10年で100店規模へ広げる構想を置いた。好調期に自己資本を1,103億円まで積んだことで、次の商品への投資を借入なしで賄えている。
競合
自社の名前で世界へ出た同業とは、稼ぎ方がそもそも違う。1970年代のゴールドウインはスキーウエアを主力とし、1972年の札幌と1976年のインスブルックで日本代表のウエアに採用された。だが国内スキー人口の減少と中国製の低価格品で1998・99年度は連続赤字となり、累積損失は100億円規模に達する。2000年6月に就任した西田明男氏は不採算事業を整理して卸売から直営小売へ組み替えた。同じ時期、神戸で創業したアシックスは自社ブランドを海外へ直接広げており、ゴールドウインは海外ブランドを日本向けに作り替える側を選んだ。預かったブランドで稼ぐ立場は市場の縮小に強い代わり、商標権の及ばない国では自社の名前を一から立てる必要が残る。
ゴールドウイン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー メリヤス工場からスポーツウエア専業への転換 (1950年〜)

富山のメリヤス工場が野球ストッキングに賭けた創業期

1951年12月、富山県西砺波郡津沢町清沢で株式会社津沢メリヤス製造所が設立された[1]。資本金は50万円、設備は手回し編機が[2]中心の小規模な家内工業に近い体制で、戦後の混乱期のなかで肌着・靴下を編む業者として出発した。富山県は明治期からメリヤス工業が地場産業として根づいていた地域で、農閑期の余剰労働力と水資源を活かした繊維加工が広く営まれていた。津沢の町でも複数のメリヤス工場が操業しており、津沢メリヤス製造所も当初はその一つに過ぎなかった。社名はメリヤス製造所の名のとおり、製品は袖口・襟口・肌着といった日常衣料が中心で、商圏も富山県内と隣接県にとどまっていた。

  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1951年12月 株式会社津沢メリヤス製造所を設立(資本金50万円・富山県西砺波郡津沢町清沢)
    • [2]設立時の資本金は50万円

ところが創業の翌1952年7月、西田東作氏は野球ストッキングを中心[3]とするスポーツウエアの全面生産に踏み切った。戦後の野球熱と高校・大学スポーツの拡張で、ユニフォームやストッキング需要が立ち上がる兆しが見えていた。肌着メリヤスの市場は競合が密集して値崩れが続く一方、スポーツ用ニットは編み方も配色も多様で、機能性と意匠性に技術投資する余地が残されていた。学校制服の納入実績を地場で積み上げてきたメリヤス職人の縫製技術が、競技用ユニフォームの精度要求にもそのまま転用できる利点もあった。創業からわずか半年でメリヤス事業を捨ててスポーツ専業に振り切る判断が、その後70年の事業領域を規定する分岐点となった。

  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1952年7月 野球ストッキングを中心にスポーツウエアの全面生産に転換

1956年4月に大阪営業所[4]、1958年2月に東京営業所を順次開設し[5]、生産地・富山と需要地・都市部を結ぶ販売網を整備した。生産はメリヤス編機の延長線上にあるニット主体だったが、野球からスキー・ラグビーへと取扱種目を広げていくにつれて、編み・縫製・染色を組み合わせた複合生地のスポーツウエアへと製造の幅も拡張した。1963年6月、本社を小矢部市清沢に移転すると同時に[6]、社名をブランド名にあわせて株式会社ゴールドウイン[7]に改称した。地方のメリヤス工場という出自から、全国流通を前提とするスポーツアパレル企業へと自己定義が変わった節目だった。

  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1956年4月 大阪営業所を開設
    • [5]1958年2月 東京営業所を開設
    • [6]1963年6月 本社を小矢部市清沢に移転し同時に株式会社ゴールドウインに改称
    • [7]改称後の社名は株式会社ゴールドウイン
  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1951年12月 株式会社津沢メリヤス製造所を設立(資本金50万円・富山県西砺波郡津沢町清沢)
    • [2]設立時の資本金は50万円
    • [3]1952年7月 野球ストッキングを中心にスポーツウエアの全面生産に転換
    • [4]1956年4月 大阪営業所を開設
    • [5]1958年2月 東京営業所を開設
    • [6]1963年6月 本社を小矢部市清沢に移転し同時に株式会社ゴールドウインに改称
    • [7]改称後の社名は株式会社ゴールドウイン

スキーウエアの自社開発と五輪採用

1970年代、ゴールドウインはスキーウエアを主力事業として確立した。1970年にはフランスの老舗スキーウエアメーカー、フザルプ社と技術提携を結び、立体裁断やバックリングパンツといった当時最先端の設計手法を習得した。フザルプはアルペンスキー競技用ウエアで欧州市場をリードしていた会社で、その縫製と型紙の技術を富山の自社工場に移植することで、国産スキーウエアの品質を欧州水準に引き上げる狙いがあった。1972年札幌冬季五輪、1976年インスブルック冬季五輪では日本代表チームのウエアに採用され、ゴールドウインの名は競技スキー界に広く浸透した。

スキーウエア市場は1970年代後半から80年代にかけて、国内のスキー人口拡大に伴って成長した時期にあたる。野沢温泉・志賀高原・苗場といったゲレンデ規模1,000ヘクタール級のスキー場開発と、企業の社員旅行・大学のサークル活動を通じたスキーの大衆化が需要を押し上げ、ゴールドウインの売上は競技用と一般用の二本柱で拡大基調に乗った。1970年9月の札幌、1971年12月の福岡[8]、1972年6月の名古屋と地方営業所を相次いで開設し[9]、全国の小売店・スポーツ用品店へのきめ細かな卸販売体制を整えた[10]。スキー競技の世界では選手の体型と着用感の差異が記録に影響する性格があり、ゴールドウインは富山の自社工場で試作と修正を繰り返せる地理的近接性を競争力の源泉とし、欧州のフザルプから学んだ立体裁断を国産パターンに翻訳した。

  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1970年9月 札幌営業所を開設
    • [9]1971年12月 福岡営業所を開設
    • [10]1972年6月 名古屋営業所を開設

1977年6月には株式額面金額変更のため旧日東物産株式会社と合併し[11]、商法上の株式会社ゴールドウインとして再編した[12]。額面変更を目的とする形式的な合併だったが、これにより上場準備に向けた株式制度の整備が進んだ。スキー用品店や百貨店スポーツ売場で『Goldwin』ロゴのスキーウエアが定番化し、ゴールドウインは富山の地場メーカーから全国ブランドへと位置づけを移した。創業から四半世紀でスポーツ専業メーカーとしての足場を固めた段階で、次の課題は海外ブランドの取り込みと自社事業の多角化に移った。

  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1977年6月 株式額面金額変更のため旧日東物産株式会社と合併
    • [12]合併相手は旧日東物産株式会社
  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1970年9月 札幌営業所を開設
    • [9]1971年12月 福岡営業所を開設
    • [10]1972年6月 名古屋営業所を開設
    • [11]1977年6月 株式額面金額変更のため旧日東物産株式会社と合併
    • [12]合併相手は旧日東物産株式会社

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

ゴールドウインの沿革1951〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1950〜1977年メリヤス工場からスポーツウエア専業への転換津沢メリヤス製造所設立(、富山県西砺波郡津沢町清沢1062番地)
一般メリヤス雑貨の生産をやめ野球ストッキング中心のスポーツウエアへ全面転換

1952年7月、創業から7カ月の株式会社津沢メリヤス製造所が、野球ストッキングを中心とするスポーツウエアの全面生産へ切り替えた経営判断。一般メリヤス雑貨の製造は併営せず、競技用ウエアの専業へ移った。

詳細を読む
★★★
大阪営業所開設
東京営業所開設
本社を移転
ゴールドウインに商号変更
株式額面金額変更のためゴールドウインと合併
1978〜2009年海外ブランドの輸入から商標権取得へ ── 1998年累損100億円の教訓トヤマゴールドウインを設立
生産部門を分離
生産事業をトヤマゴールドウインに営業譲渡★★
東京営業所は東京本社に、同時に本社は本店に商号変更
名古屋証券取引所市場第二部に株式を上場
決算期を6月20日から3月31日に変更
ゴールドウイン開発を設立
東京証券取引所市場第二部に株式を上場
ザ・ノース・フェイスの日本・韓国における商標権取得

1995年、ゴールドウインが米国のアウトドアブランド『ザ・ノース・フェイス』の日本および韓国における商標権を取得した経営判断。1978年に始めた輸入販売・ライセンス生産から、自社の裁量で企画・製造・販売を行う立場へ移った。

詳細を読む
★★★
現地資本と合弁で北京奥冠英有限公司を設立
ゴールドウインエンタープライズを設立
ゴールドウインロジテム・ゴールドウイントレーディングを設立
西田明男多角化事業の整理と自主管理売場への切り替えによる卸型ビジネスからの転換

1997年から1999年にかけて多角化した事業とブランドを整理する3カ年計画を実行し、2000年以降は直営の自主管理売場と海外生産へ体制を移した、数年がかりの構造改革。会社は1997〜2000年を『整理期』、2001〜2006年を『再構築期』と区分している。

詳細を読む
★★★
西田明男自主管理売場の展開を本格化★★
西田明男カンタベリーオブニュージーランドジャパンの株式取得★★
西田明男名古屋証券取引所に上場廃止申請を行い、上場廃止
西田明男ナナミカを設立
2010〜2024年ノースフェイス急成長と「次の柱」の模索西田明男ブラックアンドホワイトスポーツウェアの株式取得★★
西田明男アメリカ カリフォルニア州にGOLDWIN AMERICA INC.を設立
西田明男ウールリッチジャパンを設立
渡辺貴生中国・高得運(北京)服装商貿有限公司を設立
渡辺貴生PLAY EARTH PARKを設立★★
渡辺貴生韓国・Goldwin Korea Corporationを設立
渡辺貴生アルパインツアーサービスの株式取得
出典・参考
  • ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】

免責事項およびポリシー