創業1958年、米山稔氏が新潟県三島郡越路町(現新潟県長岡市)で株式会社米山製作所を設立し、バドミントンラケットの製造販売を開始した。前身は1957年創業の米山木工所で、漁具用浮きの製造から戦後復興期のスポーツ需要を見据えてバドミントンラケット製造へ事業転換した。創業時はOEM委託生産が主軸で、1961年に自社ブランド販売へ転換、1974年にヨネックススポーツ株式会社へ商号変更すると同時に「YONEX」商標を出願してグローバルブランド化の起点を打った。
決断1981年の西ドイツ進出を皮切りに、米国(1983年)・台湾(1987年生産拠点)・英国(1987年)・中国(2010年)と海外拠点網を構築し、1994年2月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。創業者・米山稔氏(1997年退任、2024年逝去)から長男・宏作氏(第2代、1997-2007)、弟・勉氏(第3代、2007-2015)、非創業家の林田草樹氏(第4代、2015-2022)と承継し、2022年6月に創業者の孫・米山有沙(アリサ・ヨネヤマ)氏が34歳で第5代社長に就任、創業家3代目への回帰を実現した。
課題アリサ・ヨネヤマ社長下のグローバル成長戦略(GGS)でFY24(2025年3月期)の連結売上高1,383億円・営業利益142億円と過去最高売上高を4期連続更新した。テニスラケット新工場(新潟県長岡市、2025年春完成予定)と研究開発施設「Yonex Performance Innovation Center」(2024年7月開設)の大型設備投資を実行する一方、地域構成の東アジア偏重(アジア49.2%・日本42.0%)の分散とインド等の新市場開拓が次の経営課題となっている。
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歴史概略
1957年〜1994年木製浮きから世界的バドミントンメーカーへの転換38年
新潟の漁具製造から木製バドミントンラケットへの転身
1957年、米山稔氏が新潟県三島郡越路町(現新潟県長岡市)で米山木工所として漁具用浮きの製造を始めたのが原点である。翌1958年6月、米山稔氏はバドミントンラケットの製造販売を目的として株式会社米山製作所を設立した。本社所在地は新潟県三島郡越路町、木製ラケットのOEM生産が出発点で、自社ブランドではなく英国・米国の販売会社向けの委託生産が主軸だった。米山稔氏が漁具からバドミントンラケットへの事業転換を決断した背景には、戦後の高度成長期に膨らみつつあったスポーツ需要への着眼があった。
1961年11月、東京都台東区に東京営業所を設置し、国内・輸出の販売部門を充実させて自社ブランドによる販売を開始した。OEM主体の生産受託モデルから自社ブランド販売への第一歩で、創業3年目で販売主導権を握る方針を打ち出した。同年12月には本社(現新潟工場)第一工場を新潟県三島郡越路町に建設し、主力生産拠点を確保した。1963年4月には貿易部門を分離独立させ、貿易商社として株式会社ヨネヤマスポーツ(現当社海外営業部)を設立、輸出業務を強化した。
1965年6月、有限会社ミノルスポーツ(現当社東京工場)を設立してシャトルコックの製造販売を開始、ラケットとシャトルの内製化を進めた。1967年2月、株式会社米山製作所を株式会社ヨネヤマラケットに商号変更した。1968年9月にはヨネヤマラケット東京工場を埼玉県南埼玉郡八潮町に建設、シャトルコックの製造能力を増強した。バドミントンラケットとシャトルの専業メーカーとして、新潟(ラケット)・埼玉(シャトル)の二工場体制を1960年代後半までに固めた。
テニス・ゴルフへの事業多角化と「ヨネックス」ブランドの誕生
1969年1月、本社第一工場を増設してテニスラケットの製造を開始し、バドミントン専業からテニスへの事業多角化が始まった。1971年7月には東京営業所を東京都文京区(現本社所在地)に移転、同時に東京本店に昇格した。1974年1月、株式会社ヨネヤマラケットをヨネックススポーツ株式会社に商号変更し、併せて「ヨネックス」(YONEX)の商標を出願した。創業者・米山稔氏が自社ブランド「YONEX」をグローバル市場に投じる戦略を明確にした転換点で、国内ローカル名「ヨネヤマ」から国際的ブランド名「YONEX」への切り替えを断行した。
1978年7月に大阪市天王寺区に大阪出張所(現大阪支店)を設置、1981年7月には西ドイツに現地法人YONEX SPORTS GmbH(販売会社)を設立し、欧州市場への直接展開の起点を打った。1982年7月、ヨネックススポーツ株式会社をヨネックス株式会社に商号変更すると同時に、ゴルフ事業に進出して新素材のゴルフクラブを発売した。バドミントン・テニスに続く第三事業としてのゴルフ参入で、スポーツ用品メーカーとしての商品レンジを大幅に拡張した。1983年2月、株式会社ヨネックス東京工場にてストリングの製造を開始、1983年8月にはアメリカに現地法人YONEX AMERICA INC.を設立して米国市場へ直接参入した。
グローバル拠点網の完成と1994年東証上場
1987年3月にイギリスにYONEX U.K. LIMITED(販売会社、現連結子会社)を設立、同年7月には台湾に現地法人YONEX TAIWAN CO., LTD.(生産会社、現連結子会社)を設立した。台湾生産拠点の獲得により、ラケット生産の人件費競争力を担保した。1989年4月、新潟県三島郡越路町にヨネックス開発株式会社を設立してゴルフ場開発に着手、1989年8月には西ドイツにYONEX GmbH(販売会社、現連結子会社)を設立、旧YONEX SPORTS GmbHの業務を継承した。
1990年4月、東京都文京区湯島三丁目23番13号に本社を移転、同時にヨネックス東京工場、ヨネックス貿易の2社を吸収合併した。本社・関連会社統合により、創業32年で東京本社と新潟生産拠点の二極構造を確立した。1991年11月にはアメリカ現地法人がカナダ代理店であったYONEX CANADA LIMITEDを買収し、北米代理店の直販子会社化を進めた。1994年2月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場、資本市場へのデビューを果たした。創業から36年で、新潟の漁具製造所から東証上場の国際スポーツ用品メーカーへ転身した。
1997年〜2022年創業家3代の承継と非創業家社長の橋渡し
米山稔から長男・宏作への第一次承継と上場後の構造改革
1997年、創業者・米山稔氏(当時69歳)は長男・米山宏作氏に社長を譲り、創業38年で第一次世代承継を行った。米山宏作氏は1997年から2007年までの10年間を社長として率い、上場直後の事業基盤拡充と海外子会社網の整備を進めた。1996年1月にはアメリカに現地法人YONEX CORPORATION U.S.A.を設立、旧YONEX CORPORATIONの業務を継承し、北米市場の体制を再編した。1996年7月にはヨネックス寺泊カントリークラブが営業開始、ゴルフ場運営事業への進出を実現した。
2001年10月、新潟生産本部で環境管理システム国際規格ISO14001の認証を取得、製造業としての環境対応を本格化した。だが2000年代前半は国際大会でのバドミントン需要が安定する一方、テニス・ゴルフ事業の収益性は伸び悩み、FY05(2006年3月期)の連結売上高は344億円・経常利益16億円・純損失52億円と上場後初の純損失を計上した。FY05の決算には海外子会社の事業再評価による特別損失が大きく響き、米山宏作社長の在任末期は構造改革局面に入った。
米山勉(第3代)・林田草樹(第4代)の20年と中規模スポーツ用品メーカー期
2007年、米山宏作氏(第2代社長)から弟・米山勉氏(第3代社長)への承継が行われた。米山勉氏は2007年から2015年までの8年間を社長として率い、リーマンショック後の市場回復期の経営を担った。連結売上高はFY06(2007年3月期)354億円からFY13(2014年3月期)432億円へ8期で1.2倍に拡大し、漸進的な成長を続けた。2010年7月には中国にYONEX GOLF CHINA CO.,LTD.を設立、中国直販拠点を設置した。2010年12月にはアメリカ現地法人YONEX CORPORATION U.S.A.をYONEX CORPORATIONへ社名変更、2011年8月にはカナダの現地法人YONEX CANADA LIMITEDを清算してYONEX CORPORATIONに業務を継承した。
2015年、米山勉氏(第3代社長)から非創業家の林田草樹氏(第4代社長)への承継が行われた。創業家3名(稔・宏作・勉)の連続承継から、創業家以外の社長への切り替えで、創業家集中経営の緩和を狙った人事と見られる。林田草樹氏は2015年から2022年までの7年間を社長として率い、2014年11月の全国物流拠点を東西2拠点に統合(東・西日本物流センター設置)等の物流網集約効率化を進めた。連結売上高はFY14(2015年3月期)476億円からFY19(2020年3月期)620億円へ5期で1.30倍に拡大し、営業利益はFY16(2017年3月期)41億円・利益率6.8%を頂点として戻した。
コロナショックとアリサ・ヨネヤマ(第5代)への創業家3代目回帰
2019年12月、林田草樹社長は東洋造機株式会社(現ヨネックス精機株式会社)の発行済株式を追加取得して完全子会社化した。だが2020年3月以降のコロナショックでスポーツ大会の中止や活動自粛が直撃し、FY20(2021年3月期)の連結売上高は516億円と前期比16.8%減、営業利益10億円・利益率2.0%まで沈み込んだ。創業以来の構造的需要に依存するスポーツ用品メーカーの脆弱性が顕在化した時期である。2021年12月にはテニスボール製造のBRIDGESTONE TECNIFIBRE CO.,LTD.(現YONEX TECNIFIBRE CO.,LTD.)の株式を取得して子会社化、テニスボール事業への参入を実現した。
2022年6月、林田草樹氏(第4代社長)から米山有沙(アリサ・ヨネヤマ)氏(第5代社長、創業者・米山稔氏の孫)への承継が行われた。当時アリサ氏は34歳で、創業家3代目への回帰と若年女性CEOの就任が国内上場企業として注目を集めた。
祖父・米山稔から受け継いだものづくり精神とブランド価値を、グローバル市場で次世代に向けて再定義する
グローバル成長戦略(GGS)の3年と過去最高売上1,383億円(2022〜現在)
コロナ後の市場回復と業績V字反転
アリサ・ヨネヤマ氏(第5代社長)の就任直後のFY21(2022年3月期)は連結売上高745億円(前期比44.4%増)・営業利益67億円(前期比6.5倍)と、コロナ前水準を回復した。続くFY22(2023年3月期)1,070億円・営業利益101億円、FY23(2024年3月期)1,164億円・営業利益116億円、FY24(2025年3月期)1,383億円・営業利益142億円と4期連続で過去最高売上高を更新した。2024年のパリ五輪等の国際大会と契約選手(特にバドミントン・テニス両競技で当社契約選手の好成績)の活躍がスポーツ市場の活性化と当社への注目の高まりを後押しした。
グローバル成長戦略(GGS)に基づく大型設備投資
アリサ・ヨネヤマ社長は就任以降、グローバル成長戦略(GGS)の名称で中期方針を打ち出した。「事業規模が拡大し、お客様もグローバルに拡大」(FY24(2025年3月期)決算説明資料)した現状認識のもと、新潟県長岡市の生産拠点を中心とした大型設備投資を実行した。2024年7月、長岡工場の隣接地に研究開発施設「Yonex Performance Innovation Center」を開設、R&D機能の集約強化を実現した。さらにテニスラケット新工場(新潟県長岡市、2025年春完成予定)を着工し、テニス事業の生産能力強化を進めた。
GGSの戦略目標は4点に集約される。第一に、地域構成(東アジア中心から東南アジア・インド等への分散)、第二に、ものづくり(性能・高品質な製品でお客様起点のイノベーション)、第三に、IT強化(グローバルIT基盤整備)、第四に、人材グローバル化(世界中のヨネックス社員でコア価値を共有)。FY24(2025年3月期)の投資活動キャッシュフローは△57.6億円で、テニスラケット新工場・研究開発施設・設備投資(増産・維持更新)に充当された。
DOE3%安定配当と機関投資家比率の上昇
株主還元方針として、DOE(株主資本配当率)3%程度を目安とした中長期安定配当を継続している。FY24(2025年3月期)の年間配当金は22円(前期16円から増配)、FY25(2026年3月期)予想24円と業績拡大に応じた漸進的増配を実行した。創業家保有構造の変化も並行して進行し、創業者・米山稔氏(2024年逝去)の個人保有分は公益財団法人ヨネックススポーツ振興財団(11.06%・筆頭株主)・公益財団法人新潟県スポーツ振興米山稔財団(4.66%)等への移管が進んだ。一方で外国法人等の保有比率はFY23(2024年3月期)の20.58%からFY24(2025年3月期)26.96%へ上昇し、機関投資家の組み入れが拡大した。
創業者・米山稔氏が1958年に新潟県越路町で立ち上げた木製バドミントンラケット製造所は、創業67年で連結売上高1,383億円・営業利益142億円・連結従業員2,752名のグローバル・スポーツ用品メーカーへ成長した。創業家3代目のアリサ・ヨネヤマ社長下で、グローバル成長戦略(GGS)が次の10年の事業基盤を規定する局面に立つ。