水野利八氏の生家は大垣で建築業を営んでいた。利八氏が9歳のときに父が急逝し、家業は傾いた。利八氏は小学校高等科1年で学業を断念し、家を再興するには商人になるほかないと考えて、大阪・道修町の薬種問屋へ丁稚奉公に出た。4年の修業を経て京都の織物問屋・小堀商店へ移り、17歳で番頭格に抜擢された。三井呉服店京都仕入店へは56回足を運んでも取り合ってもらえず、57回目にようやく商談を許された。以後この店は小堀商店の最大の得意先となった。商売とは根気と努力だというのが、利八氏が後年まで繰り返した言葉である。奉公のかたわら利八氏は英語とアメリカの商法を独学した。機会をつかんでアメリカへ渡りたいという望みがあったからである。
商用で第三高等学校のグラウンド近くを通りかかった利八氏は、三高野球部と神戸の外国人クラブの試合を目にした。外国人と知り合う機会になるかもしれないという軽い気持ちで見物の仲間入りをしたが、打球へ飛びつく選手と高く舞い上がる白球に引き込まれ、以後は三高のグラウンドへ通った。1904年に日露戦争が起こると利八氏も従軍したものの、病に倒れて帰還し、金沢の陸軍病院で5カ月の治療を受けて除隊した。そして1906年4月1日、大阪市北区芝田町で水野兄弟商会を開業し、運動用の服装品などの製造販売を開始した。4月1日は現在もミズノの創立記念日である。
1912年5月、東京・神田区に東京支店を設けた。この頃の店舗は梅田新道から南へ約100メートルの蜆橋にあった。1910年に利八氏は大阪・北浜の紙問屋の娘、一色いち氏と結婚した。同志社女専英文科を卒業したいち氏は、語学力を生かしてアメリカのファッション雑誌やカタログを翻訳し、利八氏に海外の最新情報をもたらした。1913年10月には次男の健次郎氏が生まれた。同じ年の8月、美津濃は関西学生連合野球大会を主催した。この大会は1915年に朝日新聞社へ引き継がれ、現在の高校野球大会の母胎となった。1936年のベルリン・オリンピックに役員として参加した人物は後年、現地でも美津濃の名はよく知られていたと健次郎氏に語っている。
利八氏は商品そのものも考案した。当時のワイシャツは襟と袖が分離しており、着用のたびに取り付ける必要があった。利八氏は襟と袖を一体化したシャツを作り、日露戦争の勝利にちなんで"勝ったシャツ"からカッターシャツと名付けた。スポーツ用の鞄をボストンバッグと呼んだのも利八氏で、オーバーセーター、ポロシャツ、ランパンといった名称も同氏の考案による。製造と資本の備えも進め、1921年7月に大阪市福島区で大阪工場が操業を始め、1923年7月には美津濃運動用品へ改組して資本金を150万円とした。1927年7月には大阪市東区に鉄筋コンクリート造地上8階地下1階の本社屋が完成した。大阪で7番目の百尺ビルだった。
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|---|---|---|---|---|
| 1906〜1936年丁稚奉公から始めた運動具商が、学生野球の主催と結んで販路を広げるまで | 大阪市北区で水野利八氏が水野兄弟商会を創業 | ★★★ | ||
| 運動用服装品などの製造販売を開始 | ★ | |||
| 東京都神田区に東京支店を開設 | ★ | |||
| 全国中等学校優勝野球大会への開催権の移譲 大阪の洋品雑貨店であった美津濃商店が、1911年の大阪実業団野球大会に続いて1913年8月に関西学生連合野球大会を主催し、1915年には朝日新聞社の要請を受けて中等学校野球大会の開催権を手放した経営判断。店主の水野利八氏が主導し、運動用具を売る前に競技そのものを広げる道を選んだ。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 中等学校野球大会の開催権を朝日新聞社へ移譲 | ★★ | |||
| 大阪市福島区に大阪工場を建設し操業を開始 | ★★ | |||
| 美津濃運動用品へ改組し資本金150万円に | ★★ | |||
| 大阪市東区に地上8階地下1階の本社屋が竣工 | ★ | |||
| 1937〜1960年美津濃への改称と養老工場、闇取引を禁じた戦後の事業再開 | 社名を美津濃に変更 | ★★ | ||
| 岐阜県養老郡に養老工場を建設し操業を開始 | ★★ | |||
| 軍需資材の転用による公定価格での事業再開 1945年8月15日に軍需生産を全面停止した美津濃が、1週間のうちに業務再開を決め、その際に水野利八社長が全社員へ闇商売への関与を禁じた経営判断。統制下の公定価格による商いだけで会社を立て直す方針を取り、資材は軍需品の転用許可と配給によって調達した。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 1961〜1991年大証・東証上場と東西の営業センター、台湾子会社とエスポートミズノ | 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 | ★ | ||
| 東京証券取引所市場第二部に株式を上場 | ★ | |||
| 大阪市福島区に大阪営業センターが完成 | ★ | |||
| 水野スポーツ振興会を設立 | ★ | |||
| 東京・大阪両証券取引所の市場第一部銘柄に指定 | ★ | |||
| 東京都千代田区に東京営業センターが完成 | ★ | |||
| 水野国際スポーツ交流財団を設立 | ★ | |||
| 兵庫県宍粟郡にミズノランバードを設立 | ★ | |||
| 大阪市鶴見区に大阪流通センターを開設 | ★ | |||
| 台湾台北に海外初の現地子会社を設立 | ★★ | |||
| 水野正人 | 東京店エスポートミズノを新築し営業を開始 | ★ | ||
| 水野正人 | カナダ オンタリオ州に MIZUNO CANADA を設立 | ★ | ||
| 1992〜2026年新本社ミズノクリスタと欧米アジアの現地法人、製造子会社の統合とミズノスポーツスタイル | 水野正人 | 大阪市住之江区に地上31階の新本社ミズノクリスタが完成 | ★★ | |
| 水野正人 | 名古屋市北区に名古屋支社を開設 | ★ | ||
| 水野正人 | 香港に MIZUNO CORPORATION OF HONG KONG を設立 | ★ | ||
| 水野正人 | 中国上海に SHANGHAI MIZUNO CORPORATION を設立 | ★ | ||
| 水野正人 | 英国バークシャーにイギリス支店を開設 | ★ | ||
| 水野正人 | ドイツ ミュンヘンにドイツ支店を開設 | ★ | ||
| 水野正人 | 米国ジョージア州に MIZUNO USA を設立 | ★★ | ||
| 水野正人 | フランス ジャンティにフランス支店を開設 | ★ | ||
| 水野正人 | 福岡市博多区に九州支社を設立 | ★ | ||
| 水野正人 | 養老工場を会社分割しミズノテクニクスへ事業を承継 | ★★ | ||
| 水野正人 | 中国上海に MIZUNO (CHINA) CORPORATION を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | オーストラリア メルボルンに現地子会社を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | ミズノウエルネスなど2社を統合しミズノスポーツサービスに商号変更 | ★ | ||
| 水野明人 | ミズノインダストリー四国と氷上を統合しミズノアパレルテクニクスに商号変更 | ★ | ||
| 水野明人 | セノーの全株式を取得し完全子会社化 | ★★ | ||
| 水野明人 | ミズノインダストリー波賀など製造子会社3社をミズノテクニクスに統合 | ★ | ||
| 水野明人 | イタリア旧代理店の全持分を取得し MIZUNO ITALIA に商号変更 | ★ | ||
| 水野明人 | 韓国ソウルに MIZUNO KOREA を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | スペイン バルセロナに MIZUNO IBERIA を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | シンガポールに MIZUNO SINGAPORE を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | ノルウェーに MIZUNO NORGE を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | MIZUNO (CHINA) を SHANGHAI MIZUNO に統合 | ★ | ||
| 水野明人 | ミズノアパレルテクニクスをミズノテクニクスに統合 | ★ | ||
| 水野明人 | 競技用品偏重からの脱却と、街着向けブランドによるカジュアル領域への展開 2016年2月、ミズノが街着用のカジュアルシューズブランド"ミズノスポーツスタイル"を投入し、3月には"M|line"を加えた経営判断。野球とゴルフを中心とする競技用品偏重の商品構成とマーケティングを改め、競技者以外の一般消費者へ売場を広げる内容で、社長は創業家4代目の水野明人氏であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 水野明人 | MIZUNO OSAKA CHAYAMACHI を新築し営業を開始 | ★ | ||
| 水野明人 | シャープ産業の全株式を取得し完全子会社化 | ★★ | ||
| 水野明人 | フランス シャビーユに MIZUNO FRANCE を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | オランダに欧州事業統括子会社 MIZUNO EUROPE を設立 | ★★ | ||
| 水野明人 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 水野明人 | イギリス・ドイツ・オランダの支店事業を MIZUNO CORPORATION UK へ移管 | ★ | ||
| 水野明人 | インドに現地子会社を設立 | ★ | ||
| 水野明人 | カンボジアに現地子会社を設立 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ミズノ)