ダイエー の歴史

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創業 1957年
創業者 中内㓛
創業地 大阪市
創業 1957年4月、神戸市長田区で大栄薬品工業株式会社が設立された。同年9月23日、
1957年4月、神戸市長田区で大栄薬品工業株式会社が設立された。同年9月23日、中内㓛氏が大阪市旭区の千林商店街に1号店"主婦の店ダイエー薬局"を開設し、薬品や化粧品、日用品を大量に仕入れて安く売る手法で客を集めた。1958年12月には神戸市の三宮へ進出し、商号を1959年に主婦の店、1962年7月に主婦の店ダイエーへ改めた。ただし創業の時点から、安く売る売場を用意する資金は自己資本ではなく借入で賄った。
決断 安く売るための店と土地を、借入で自ら持つ順序を最後まで変えなかった。中内㓛氏はメ
安く売るための店と土地を、借入で自ら持つ順序を最後まで変えなかった。中内㓛氏はメーカーが建値を決める商慣行に自社ブランドで対抗し、1972年に売上高で三越を抜いて小売業日本一に立った。新規出店の用地は50%を自社で保有する方針を掲げ、1980年2月には小売業で初めて年商1兆円に達した。1994年3月には忠実屋を合併した。ところが翌1995年の阪神・淡路大震災を境に借入の重さが顕在化し、2004年10月には自力再建を断念して産業再生機構へ支援を要請した。
現況 上場廃止の時点で、ダイエーの経営の主導権はすでにイオンに移っていた。産業再生機構
上場廃止の時点で、ダイエーの経営の主導権はすでにイオンに移っていた。産業再生機構のもとで債権放棄4,004億円と出資1,120億円を受け、54店の撤退と1,268人の希望退職を実施した。それでも売上高は2005年2月期の1兆5,927億円から2014年2月期の7,565億円へ半減した。2013年8月にはイオンがTOBで議決権44%超を取得して連結子会社とし、2015年1月に株式交換で完全子会社として上場廃止となった。2026年3月、イオンは首都圏事業をイオンフードスタイルへ移し、近畿事業を光洋と統合した。
競合 ダイエーが競った相手は同業ではなく、値段を決めていた家電メーカーであった。197
ダイエーが競った相手は同業ではなく、値段を決めていた家電メーカーであった。1970年に資本参加したクラウンで"ブブ"ブランドのカラーテレビを出し、メーカーの価格支配に挑んだ。一方で同じころ、地方の中堅5社は対等合併でジャスコを発足させ、旧経営陣を地域会社の社長に残す連邦経営を採った。ダイエーは買収先を本体へ吸収し、決裁を社長へ集約した。松下電器産業との正式な取引が始まったのは、1994年3月に忠実屋を合併し、その取引を引き継いでからである。
長期業績の推移 1971〜2015年
ダイエー:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
2002年2月期〜2014年2月期

第1章 1957年〜 神戸の薬品会社から始まった主婦の店と流通革命の出発

1957年〜大栄薬品工業から出発した「主婦の店」

ダイエーの法人としての始まりは、1957年4月に神戸市長田区で設立された大栄薬品工業株式会社にさかのぼる。設立日は同年4月10日で、近畿一円へ薬品を卸す零細な販売会社として出発した。同年9月23日、創業者の中内㓛氏は大阪市旭区の千林商店街に1号店"主婦の店ダイエー薬局"を開店した。中内㓛氏は"よい品をどんどん安く"を掲げ、薬品や化粧品、日用品を大量に仕入れて安く売る手法で客を集めた。翌1958年12月には神戸市生田区の三宮へ進出し、以後はチェーン展開へ舵を切っている。会社は1959年に商号を主婦の店へ、1962年7月には主婦の店ダイエーへと改めた。

  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1957年4月 神戸市長田区で大栄薬品工業株式会社を設立
    • [7]1959年 商号を主婦の店へ、1962年7月 主婦の店ダイエーへ変更
  • 証券 1972年24巻3号
    • [2]設立日 1957年4月10日(形式上の設立は1949年2月7日の和角商工)
  • ダイエー公式沿革
    • [3]創業者 中内㓛
    • [4]1957年9月23日 大阪市旭区千林商店街に1号店「主婦の店ダイエー薬局」開店
    • [5]創業時の理念「よい品をどんどん安く」
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [6]1958年12月 神戸市生田区三宮へ進出

当時の日本ではメーカーが建値を決め、小売はそれに従って売るのが商慣行だった。中内㓛氏はこの仕組みに挑み、価格の決定権を小売と消費者の側へ移すことを事業の存在意義に据えた。常務取締役の加古豊彦氏は1971年の講演で、社長が全社員に一貫して示してきた言葉として『消費者のために、より良い品をより安く』という社是を挙げた。中内㓛氏はメーカーの寡占に対抗する力をチェーンストアの結集力に求め、扱いシェアが1割あればメーカーへの発言力を持てるとして自社ブランドの育成を進めた。1971年2月期の自社ブランド比率は衣料品で75%、日用品で42%に達し、全体でも20%前後を占めている。加古氏はこれを50%まで引き上げ、単価を上げずに粗利を得る方針を示した。

  • 日経ビジネス 1974年6月24日号
    • [8]メーカーが建値を決め小売が従う商慣行
    • [9]価格の決定権を小売と消費者へ移すことを事業の存在意義に据える
    • [12]メーカーの寡占への拮抗力としてチェーンストアの結集力(セントラライジング・パワー)
    • [13]扱いシェア1割でメーカーへの発言力
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [10]常務取締役 加古豊彦
    • [11]社是「消費者のために、より良い品をより安く」
    • [14]1971年2月期の自社ブランド比率 衣料品75%・日用品42%・全体20%前後
    • [15]自社ブランド比率の目標50%、単価を上げずに粗利を得る方針

中内㓛氏が選んだ売り場の形は、当時の規制の隙間に生まれたものだった。1956年に施行された百貨店法は、企業ごとに基準を超える売り場面積の出店を規制した。スーパーはフロアごとに別会社を設立して全体で大型店を運営し、この網をくぐる手段をとっている。衣食住すべてを備えたこの売り場は疑似百貨店と呼ばれ、後発の小売が大型店を開く道となった。保護された百貨店が事業拡大の意欲を失う一方、新興スーパーの経営者は米国で発達したチェーンストア経営の研究に熱心だった。中内㓛氏も後年、小売業の産業化には資本を投下してレギュラー・チェーンを築く道と、多数の小売商を結集してボランタリー・チェーンをつくる道の二つがあると整理している。

  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [16]1956年施行の百貨店法は企業主義で基準以上の売り場面積の出店を規制
    • [17]スーパーはフロアごとに別会社を設立して大型店を運営し規制を回避
    • [18]「疑似百貨店」としての総合スーパー展開が急成長のテコ
    • [19]百貨店法の保護のもとで百貨店の事業拡大意欲が衰えた
    • [20]新興スーパーの経営者は米国で発達したチェーンストア経営の研究に熱心
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [21]中内功 小売業の産業化にはレギュラー・チェーンとボランタリー・チェーンの二つの方法がある
参考文献[1]-[21]
  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1957年4月 神戸市長田区で大栄薬品工業株式会社を設立
    • [7]1959年 商号を主婦の店へ、1962年7月 主婦の店ダイエーへ変更
  • 証券 1972年24巻3号
    • [2]設立日 1957年4月10日(形式上の設立は1949年2月7日の和角商工)
  • ダイエー公式沿革
    • [3]創業者 中内㓛
    • [4]1957年9月23日 大阪市旭区千林商店街に1号店「主婦の店ダイエー薬局」開店
    • [5]創業時の理念「よい品をどんどん安く」
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [6]1958年12月 神戸市生田区三宮へ進出
    • [10]常務取締役 加古豊彦
    • [11]社是「消費者のために、より良い品をより安く」
    • [14]1971年2月期の自社ブランド比率 衣料品75%・日用品42%・全体20%前後
    • [15]自社ブランド比率の目標50%、単価を上げずに粗利を得る方針
  • 日経ビジネス 1974年6月24日号
    • [8]メーカーが建値を決め小売が従う商慣行
    • [9]価格の決定権を小売と消費者へ移すことを事業の存在意義に据える
    • [12]メーカーの寡占への拮抗力としてチェーンストアの結集力(セントラライジング・パワー)
    • [13]扱いシェア1割でメーカーへの発言力
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [16]1956年施行の百貨店法は企業主義で基準以上の売り場面積の出店を規制
    • [17]スーパーはフロアごとに別会社を設立して大型店を運営し規制を回避
    • [18]「疑似百貨店」としての総合スーパー展開が急成長のテコ
    • [19]百貨店法の保護のもとで百貨店の事業拡大意欲が衰えた
    • [20]新興スーパーの経営者は米国で発達したチェーンストア経営の研究に熱心
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [21]中内功 小売業の産業化にはレギュラー・チェーンとボランタリー・チェーンの二つの方法がある

1971年〜牛肉の安売りが生んだ価格破壊と多店舗化

ダイエーの安売りを象徴したのが生鮮食品、とりわけ牛肉の値下げだった。100グラム100円が相場だった牛肉を39円まで下げると、売り場には主婦が押し寄せ、品切れが続いた。中内㓛氏はこうした値下げを"価格破壊"と呼んだ。食品を安く売って客を集め、衣料品や日用品もあわせて買ってもらう売り場づくりが、多店舗化を支える収益源となった。1971年2月期の商品別売上構成は食料品が40.9%と最も高く、衣料品27.5%、日用品10.1%、電気製品8.2%が続いた。単体の売上高は782億円で、うち食料品だけで320億円を占めている。

  • ダイエー公式沿革
    • [22]安売りの象徴が生鮮食品とりわけ牛肉
    • [23]相場100グラム100円の牛肉を39円へ引き下げ
    • [24]中内㓛が値下げを「価格破壊」と呼称
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [25]食品で集客し衣料品・日用品を併売する売り場づくり
    • [26]1971年2月期の商品別売上構成 食料品40.9%・衣料品27.5%・日用品10.1%・電気製品8.2%
    • [27]1971年2月期の単体売上高 782億円、うち食料品320億円

店舗網の拡大は地域ごとに販売会社を設立して進められ、1963年2月に福岡市でフクオカダイエーを設立し、1964年1月には一徳を買収して首都圏へ、同年2月に四国ダイエーを設けて四国へ広げた。買収によって大消費地の首都圏へ一気に入り込む手法は、その後の拡大を貫く特徴となった。1969年8月にはトウキョウダイエー・フクオカダイエー・四国ダイエーの3社を本体へ吸収合併し、同年11月に本部を大阪市大淀区中津へ移して経営組織を構築している。1970年2月には神奈川一帯にチェーン網を持ち、後にマルエツへつながるサンコーと業務提携し、関東の食品スーパー網へも手を伸ばした。地域ごとの販売会社を通じた進出は、地元の商習慣に合わせて素早く売り場を根づかせる工夫でもあった。

  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1963年2月 福岡市でフクオカダイエーを設立
    • [29]1964年1月 一徳を買収、同年2月 四国ダイエーを設立
    • [30]買収で大消費地の首都圏へ入り込む手法
    • [33]1970年2月 神奈川のサンコー(後のマルエツ)と業務提携
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [31]1969年8月 トウキョウ・フクオカ・四国の3販売会社を吸収合併
    • [32]1969年11月 本部を大阪市大淀区中津へ移転
    • [34]地域販売会社方式は地元の商習慣に合わせる工夫

安売りは、値崩れを嫌うメーカーとの衝突を伴った。1953年に医薬品や化粧品へ導入された再販売価格維持制度は、メーカーが小売の売価を指示することを認め、その価格支配を後押ししていた。ダイエーは創業当初から医薬品を市価の3割から4割引きで売り、1965年前後には松下電器産業と取引が停止し、同年3月には花王から出荷を止められた。資生堂とも再販商品の値段をめぐって対立している。中内㓛氏は正面から押し返す手として自社ブランドを選び、1970年にブブの名でカラーテレビなどの家電を売り出した。価格はメーカー品より3割前後安く、翌1971年には生産元の中堅家電メーカー、クラウンへ資本参加した。小売がメーカーの経営へ入り込んだこの資本参加は、ダイエーにとって本格的な垂直統合の第1号だった。

  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [35]1953年 医薬品・化粧品などに再販売価格維持制度が導入されメーカーの価格支配を後押し
    • [36]ダイエーは創業当初から医薬品を市価の3〜4割引きで販売
    • [37]1965年前後から松下電器産業と取引停止状態
    • [38]1965年3月 花王がダイエーへ出荷停止
    • [39]資生堂と再販商品の値段をめぐり対立
    • [40]1970年 「ブブ」の名でカラーテレビなどプライベート・ブランドの家電販売を開始
    • [41]「ブブ」はナショナル・ブランド商品より30%前後安い
    • [42]1971年 「ブブ」を生産する中堅家電メーカー クラウンへ資本参加
  • 日経ビジネス 1975年6月23日号
    • [43]クラウンの系列化はダイエーの本格的な垂直統合第1号
参考文献[22]-[43]
  • ダイエー公式沿革
    • [22]安売りの象徴が生鮮食品とりわけ牛肉
    • [23]相場100グラム100円の牛肉を39円へ引き下げ
    • [24]中内㓛が値下げを「価格破壊」と呼称
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [25]食品で集客し衣料品・日用品を併売する売り場づくり
    • [26]1971年2月期の商品別売上構成 食料品40.9%・衣料品27.5%・日用品10.1%・電気製品8.2%
    • [27]1971年2月期の単体売上高 782億円、うち食料品320億円
    • [31]1969年8月 トウキョウ・フクオカ・四国の3販売会社を吸収合併
    • [32]1969年11月 本部を大阪市大淀区中津へ移転
    • [34]地域販売会社方式は地元の商習慣に合わせる工夫
  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1963年2月 福岡市でフクオカダイエーを設立
    • [29]1964年1月 一徳を買収、同年2月 四国ダイエーを設立
    • [30]買収で大消費地の首都圏へ入り込む手法
    • [33]1970年2月 神奈川のサンコー(後のマルエツ)と業務提携
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [35]1953年 医薬品・化粧品などに再販売価格維持制度が導入されメーカーの価格支配を後押し
    • [36]ダイエーは創業当初から医薬品を市価の3〜4割引きで販売
    • [37]1965年前後から松下電器産業と取引停止状態
    • [38]1965年3月 花王がダイエーへ出荷停止
    • [39]資生堂と再販商品の値段をめぐり対立
    • [40]1970年 「ブブ」の名でカラーテレビなどプライベート・ブランドの家電販売を開始
    • [41]「ブブ」はナショナル・ブランド商品より30%前後安い
    • [42]1971年 「ブブ」を生産する中堅家電メーカー クラウンへ資本参加
  • 日経ビジネス 1975年6月23日号
    • [43]クラウンの系列化はダイエーの本格的な垂直統合第1号

1972年〜三越を抜いた小売業売上高日本一と株式上場

急成長するダイエーは資本市場から成長資金を集める枠組みを整え、1971年3月に資本金12億円で大阪証券取引所市場第二部へ株式を上場した。翌1972年1月に大阪証券取引所市場第一部へ指定替えとなり、同年3月1日には東京証券取引所市場第一部にも上場している。上場時の資本金は19億2,500万円、店舗は全国75店で、うち近畿が39店、関東が14店を占めた。従業員は11,715人、取引金融機関は東海・神戸・三和・住友の4行である。株主構成は個人が70.93%と大半を占め、外国法人が17.36%で続いた。集めた資金は出店と用地取得へ向かい、1971年度の設備資金は215億円に達している。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [44]1971年3月 資本金12億円で大阪証券取引所市場第二部へ上場
    • [50]株主構成 個人70.93%・外国法人17.36%
    • [51]1971年度の設備資金 215億円
  • 証券 1972年24巻3号
    • [45]1972年1月 大証一部へ指定替え、同年3月1日 東証一部へ上場
    • [46]東証一部上場時の資本金 19億2,500万円
    • [47]上場時の店舗数 全国75店(近畿39・関東14)
    • [48]上場時の従業員 11,715人
    • [49]取引金融機関 東海・神戸・三和・住友の4行

1972年、ダイエーは売上高で三越を抜き、小売業の日本一に立った。ダイエーは前年の時点で1972年8月期か1973年2月期に三越と並ぶと見込み、追い抜くことを従業員12,000名の念願に掲げていた。江戸期から続く老舗百貨店を、創業から15年の量販店が追い越したことは、消費の主役が一部の富裕層から一般家庭へ移ったことを映していた。一方、拡大を支えた財務は上場の時点ですでに借入へ傾いており、長期・短期を合わせた借入金は1970年2月期の255億円から1971年2月期には423億円へ膨らんだ。年間約200億円に上る設備投資の大半は借入金でまかなわれ、自己資本は75億円、自己資本比率は10%前後にとどまる。

  • ダイエー公式沿革
    • [52]1972年 売上高で三越を抜き小売業日本一
    • [55]創業15年の量販店が老舗百貨店を追い越し、消費の主役が一般家庭へ移行
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [53]加古豊彦の見通し 1972年8月期か1973年2月期に三越と並ぶ
    • [54]三越を追い抜くことが従業員12,000名の念願
    • [56]借入金 1970年2月期255億円→1971年2月期423億円
    • [57]年間約200億円の設備投資の大半を借入金に依存
    • [58]自己資本75億円・自己資本比率10%前後

借入に頼ってでも出店を急いだ背景には、二つの期限があった。ひとつは出店規制である。1970年代の初めには疑似百貨店を取り締まる声が強まり、後の大規模小売店舗法の成立は時間の問題と見られていた。先に店を構えておけば、規制が成立した後は競合が近隣へ出店できず、その地域で大きな販売シェアを確保できる。もうひとつは小売業の資本自由化で、1969年の第二次資本自由化以降、段階的に進められた。欧米の小売業は日本とは桁違いの規模とチェーンストアの仕組みを持ち、上陸されればひとたまりもないという恐れが業界に強かった。外資が入る前に体力をつけるという読みが、各社の出店を加速させている。ダイエーが1969年に高知の地場スーパーと手を結び、1970年2月に神奈川のサンコーと業務提携したのも、この流れの中にあった。

  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [59]1970年代初頭に疑似百貨店の取り締まりが強まり大規模小売店舗法の成立は時間の問題と見られた
    • [60]先行出店により規制成立後は競合の近隣出店が困難になり地域シェアを確保できるという読み
    • [61]小売業の資本自由化は1969年の第二次資本自由化以降 段階的に実施
    • [62]欧米の小売業の規模とチェーンストア・システムに対する業界の恐怖感
    • [63]外資進出前に規模を拡大して体力をつける狙いが各社の出店を加速
    • [64]1969年 ダイエーが高知のスーパーと提携
  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
    • [65]1970年2月 神奈川のサンコー(後のマルエツ)と業務提携
参考文献[44]-[65]
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
    • [44]1971年3月 資本金12億円で大阪証券取引所市場第二部へ上場
    • [50]株主構成 個人70.93%・外国法人17.36%
    • [51]1971年度の設備資金 215億円
    • [53]加古豊彦の見通し 1972年8月期か1973年2月期に三越と並ぶ
    • [54]三越を追い抜くことが従業員12,000名の念願
    • [56]借入金 1970年2月期255億円→1971年2月期423億円
    • [57]年間約200億円の設備投資の大半を借入金に依存
    • [58]自己資本75億円・自己資本比率10%前後
  • 証券 1972年24巻3号
    • [45]1972年1月 大証一部へ指定替え、同年3月1日 東証一部へ上場
    • [46]東証一部上場時の資本金 19億2,500万円
    • [47]上場時の店舗数 全国75店(近畿39・関東14)
    • [48]上場時の従業員 11,715人
    • [49]取引金融機関 東海・神戸・三和・住友の4行
  • ダイエー公式沿革
    • [52]1972年 売上高で三越を抜き小売業日本一
    • [55]創業15年の量販店が老舗百貨店を追い越し、消費の主役が一般家庭へ移行
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [59]1970年代初頭に疑似百貨店の取り締まりが強まり大規模小売店舗法の成立は時間の問題と見られた
    • [60]先行出店により規制成立後は競合の近隣出店が困難になり地域シェアを確保できるという読み
    • [61]小売業の資本自由化は1969年の第二次資本自由化以降 段階的に実施
    • [62]欧米の小売業の規模とチェーンストア・システムに対する業界の恐怖感
    • [63]外資進出前に規模を拡大して体力をつける狙いが各社の出店を加速
    • [64]1969年 ダイエーが高知のスーパーと提携
  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
    • [65]1970年2月 神奈川のサンコー(後のマルエツ)と業務提携

第2章 1973年〜 小売業初の売上高1兆円と拡大・多角化の頂点

筆者考察y.sugiura, author

1兆円という数字は、ダイエーにとって到達点ではなく手段だった。中内㓛氏の筋道では、売上高が1兆円に届くことは一部の単品で市場シェア1割を握ることを意味し、その1割が価格の決定権を小売の側へ移す梃子になるはずだった。ところが1976年2月期の実績は、最も高いマヨネーズで5.5%、インスタントコーヒー4.1%、ラーメン2.2%にとどまり、1割へ届いた単品はない。規模の側だけが先に膨らみ、単品ごとの交渉力は後からついてこなかった。3年で41店を開き1,100億円を投じる出店が続くかぎり、金利負担が先に立ち、シェアが後から追う関係は固定される。

価格の決定権を競争で取れないとき、ダイエーは相手を買う方へ進んだ。1971年のクラウンへの資本参加は、小売が製造の側へ入り込む最初の試みだったが、ブブは1976年に店頭から消え、1983年には株式も手放して、工場を持たないメーカーという立ち位置へ退いている。それでも和解は別の経路から訪れた。1994年3月の忠実屋との合併で、ダイエーは忠実屋が持っていた松下電器産業との取引をそのまま引き継いだのである。自ら作ることでも、売り場の力で押すことでもなく、取引のある会社ごと抱え込むことで、四半世紀の対立は閉じた。拡大そのものが、対立を解く手段になっていた。

1973年〜上場後初の減益、3年で41店の出店と小売業初の売上高1兆円

首位に立った直後のダイエーを揺らしたのは、需要の側の変化だった。1970年代半ばの不況は、個人消費が伸びないという前例の少ない形をとった。1975年2月期の売上高は3,323億4,600万円と前年同期を595億円上回った一方、経常利益は47億5,900万円と4億3,800万円減り、上場後で初めての減益となった。落ち込みは百貨店や他のチェーンストアより浅かった。弱みは組織にあり、10万円以上の決裁にはすべて社長の印が要った。1974年9月に米国のコンサルタント会社の診断を受けて権限を下ろす新組織を発表しながら、8カ月後には中内㓛氏が商品統括本部長を兼ね、自ら売り場の指揮へ戻った。それでも出店は緩めず、1973年からの3年間に41店を開いて売り場を9万7,000坪広げ、1,100億円を投じた。

  • 日経ビジネス 1975年6月23日号
    • [66]1970年代半ばの不況は個人消費の停滞という従来にないパターンで進行
    • [67]1975年2月期 売上高3,323億4,600万円(前年同期比595億円増)・経常利益47億5,900万円(同4億3,800万円減)で上場後初の減益
    • [68]ダイエーの受けた打撃は百貨店・他チェーンストアに比べ最も軽い部類
    • [69]10万円以上の決裁はすべて社長の押印が必要(1973年までは5万円以上)
    • [70]1974年9月 米コンサルタント会社の診断で権限委譲を組み込んだ新組織を発表、8カ月後に社長が商品統括本部長を兼務
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [71]1973〜1975年の3年間に41店を出店・売場面積9万7,000坪を拡大・1,100億円を投資

1980年2月、ダイエーは年間売上高1兆円に達した。小売業で年商1兆円を超えたのは、これが最初である。1976年7月の講演で中内㓛氏は『1兆円の売上げに意味があるのではなく、1兆円の売上げを支える仕組みに意味があるのだ』と語っていた。1兆円の売上高は一部の単品で市場の1割を押さえることを意味し、その1割が価格の決定権を小売の手元へ移すというのが中内㓛氏の筋道だった。ただ1976年2月期の全国シェアはマヨネーズ5.5%、インスタントコーヒー4.1%、ラーメン2.2%にとどまった。業態の順位のほうは先に入れ替わっており、1974年度の小売販売額に占めるスーパーの比率は12.7%と、百貨店の11.0%を上回っていた。売上高の総額は単品の交渉力より早く伸び、目標の数字だけが先に届いたとみられる。

  • 日本産業史(日経文庫)第4巻 通史「創造的革新に挑む」(年表 昭和55年)
    • [72]昭和55年(1980年)2月 ダイエーが年商1兆円を達成
    • [73]小売業で初めて年商1兆円を達成
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [74]中内功 1兆円の売上げではなくそれを支える仕組みに意味があるとの認識
    • [75]売上高1兆円は一部の単品で10%のシェア確保を意味し、単品シェアを10%に近づけて価格決定権を確立する方針
    • [76]1976年2月期 全国販売数量に対するシェア マヨネーズ5.5%・インスタントコーヒー4.1%・ラーメン2.2%
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [77]1974年度の小売販売額シェア スーパー12.7%・百貨店11.0%
参考文献[66]-[77]
  • 日経ビジネス 1975年6月23日号
    • [66]1970年代半ばの不況は個人消費の停滞という従来にないパターンで進行
    • [67]1975年2月期 売上高3,323億4,600万円(前年同期比595億円増)・経常利益47億5,900万円(同4億3,800万円減)で上場後初の減益
    • [68]ダイエーの受けた打撃は百貨店・他チェーンストアに比べ最も軽い部類
    • [69]10万円以上の決裁はすべて社長の押印が必要(1973年までは5万円以上)
    • [70]1974年9月 米コンサルタント会社の診断で権限委譲を組み込んだ新組織を発表、8カ月後に社長が商品統括本部長を兼務
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [71]1973〜1975年の3年間に41店を出店・売場面積9万7,000坪を拡大・1,100億円を投資
    • [74]中内功 1兆円の売上げではなくそれを支える仕組みに意味があるとの認識
    • [75]売上高1兆円は一部の単品で10%のシェア確保を意味し、単品シェアを10%に近づけて価格決定権を確立する方針
    • [76]1976年2月期 全国販売数量に対するシェア マヨネーズ5.5%・インスタントコーヒー4.1%・ラーメン2.2%
  • 日本産業史(日経文庫)第4巻 通史「創造的革新に挑む」(年表 昭和55年)
    • [72]昭和55年(1980年)2月 ダイエーが年商1兆円を達成
    • [73]小売業で初めて年商1兆円を達成
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [77]1974年度の小売販売額シェア スーパー12.7%・百貨店11.0%

1974年〜ストア・ブランド20.5%、価格調査60品目とサッカリンの使用中止

価格の決定権へ近づく実際の手段は、自社で企画するストア・ブランドだった。1976年2月期の構成比は衣料品で40%・4,840品目、日用雑貨で25.4%・2,730品目、食料品で8.5%・213品目に及び、全体では20.5%を占めた。売値はナショナル・ブランドより1割から3割低く置いた。一方、製造にまで踏み込んだブブは販売が続かず、1976年に店頭から退いた。1983年にはクラウンの株式を売却し、以後は工場を持たないメーカーを掲げて、生産の現場へ直接関わることを控えた。安さを作る場所として、ダイエーが手元に残したのは工場ではなく仕入れと売り場だったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [78]1976年2月期のストア・ブランド比率 衣料品40%・4,840品目、日用雑貨25.4%・2,730品目、食料品8.5%・213品目、平均20.5%
    • [79]ストア・ブランドはナショナル・ブランドより1割〜3割安い価格で提供
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [80]「ブブ」商品は1976年に店頭から姿を消した
    • [81]1983年 クラウンの株式を売却
    • [82]以降ダイエーは「工場を持たないメーカー」を標榜し生産段階への直接介入に消極的

1975年度のダイエーは、売上高の42%を食料品部門で上げていた。その売価が他店より本当に低いかを社内で点検する部署として、1974年に消費者サービス室が発足した。販売促進部の担っていた価格調べを引き取り、阪神の6地域で食品50・日用品10の計60品目を毎月調べ、結果を店と商品部へ返し、委員会を経て経営会議へ上げた。1977年3月からは全国15地域・53店へ対象を広げ、品目も65に増やした。1980年2月の調べでは、ダイエーの売価を100とした他社の水準は101.8から107.2、平均102.9で、ダイエーを下回る地域はなかった。1976年に同志社大学の研究室が神戸市内で比べた結果では、ダイエーで食料をそろえる家計の支出は一般の小売店を使う場合より約10%、ストア・ブランドを使えば12%少なかった。

  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [83]1975年度 食料品部門が売上高の42%を占める
  • ダイエー消費者サービス室5年の歩み(ダイエー、1980年)第1章「消費者サービス室の組織と業務」
    • [84]1974年(昭和49年) 消費者サービス室が発足
    • [85]販売促進部から生活必需品の価格調査を引き継ぎ、阪神6地域で60品目(食品50・日用品10)を毎月調査し、店・商品部と経営会議へ報告
    • [86]1977年3月 調査対象を全国主要15地域・53店舗・65品目に拡大
    • [87]1980年2月の調査 ダイエー売価100に対し他社は最安101.8・最高107.2・平均102.9、ダイエーより安い競合店はどの地域にもなし
    • [88]1976年7月・11月 同志社大学小嶋研究室の生計費調査 ダイエー利用で1カ月の食料費が約10%、ストア・ブランド利用で12%安い

品質の側でも、売り手が自前の基準を持つ体制が組まれた。新たに扱う商品は品質管理センターの検査に合格しなければ店に並ばず、基準の一部は法定より厳しく、合成着色料の赤色104号・105号などを使用禁止とした。資生堂やカネボウ、大正製薬とは共同で商品を開発し、1976年7月には男性化粧品のアドミナールとバンガード5を発売した。同じ1976年、消費者団体の反発を受けてサッカリンの使用をやめ、砂糖に替えた沢庵の売上高が大きく落ちる代償を引き受けた。1975年9月からの1年間に寄せられた食品の苦情6,849件のうち1,894件が異物の混入で、ダイエーは取引先への改善要請と工場の立ち入り検査を強めた。

  • ダイエー消費者サービス室5年の歩み(ダイエー、1980年)第1章「消費者サービス室の組織と業務」
    • [89]新規採用商品は品質管理センターの検査に合格しなければ販売不可、「ダイエー品質管理基準」は一部法定より厳しく赤色104号・105号などを使用禁止
    • [91]1976年 サッカリンの使用中止を決定、砂糖へ切り替えたタクワンの売上が激減
    • [92]1975年9月〜1976年8月の食品クレーム6,849件のうち異物混入1,894件、メーカーへの改善要請と工場立入検査を強化
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [90]1976年7月 男性化粧品「アドミナール」(カネボウ)「バンガード5」(資生堂)を共同開発で発売、資生堂・カネボウ・大正製薬と共同開発
参考文献[78]-[92]
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
    • [78]1976年2月期のストア・ブランド比率 衣料品40%・4,840品目、日用雑貨25.4%・2,730品目、食料品8.5%・213品目、平均20.5%
    • [79]ストア・ブランドはナショナル・ブランドより1割〜3割安い価格で提供
    • [83]1975年度 食料品部門が売上高の42%を占める
    • [90]1976年7月 男性化粧品「アドミナール」(カネボウ)「バンガード5」(資生堂)を共同開発で発売、資生堂・カネボウ・大正製薬と共同開発
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [80]「ブブ」商品は1976年に店頭から姿を消した
    • [81]1983年 クラウンの株式を売却
    • [82]以降ダイエーは「工場を持たないメーカー」を標榜し生産段階への直接介入に消極的
  • ダイエー消費者サービス室5年の歩み(ダイエー、1980年)第1章「消費者サービス室の組織と業務」
    • [84]1974年(昭和49年) 消費者サービス室が発足
    • [85]販売促進部から生活必需品の価格調査を引き継ぎ、阪神6地域で60品目(食品50・日用品10)を毎月調査し、店・商品部と経営会議へ報告
    • [86]1977年3月 調査対象を全国主要15地域・53店舗・65品目に拡大
    • [87]1980年2月の調査 ダイエー売価100に対し他社は最安101.8・最高107.2・平均102.9、ダイエーより安い競合店はどの地域にもなし
    • [88]1976年7月・11月 同志社大学小嶋研究室の生計費調査 ダイエー利用で1カ月の食料費が約10%、ストア・ブランド利用で12%安い
    • [89]新規採用商品は品質管理センターの検査に合格しなければ販売不可、「ダイエー品質管理基準」は一部法定より厳しく赤色104号・105号などを使用禁止
    • [91]1976年 サッカリンの使用中止を決定、砂糖へ切り替えたタクワンの売上が激減
    • [92]1975年9月〜1976年8月の食品クレーム6,849件のうち異物混入1,894件、メーカーへの改善要請と工場立入検査を強化

1980年〜4兆円目標、南海ホークス買収と1994年の忠実屋合併

1兆円の次に中内㓛氏が置いたのは、1985年にグループで売上高4兆円という目標だった。流通業界が優劣のはっきり分かれる競争期へ入ったとの判断に立ち、新型の安売り店を含む新業態の開発と外資との提携を1980年代の柱に据えた。出店の空白として残ったのは首都圏である。1972年に碑文谷店を開いた後、西武流通グループをはじめ東京の同業の抵抗で要所への出店が進まなかった。1981年11月に開いた埼玉の所沢店では、西武が予定地の中央の数十坪を最後まで譲らず、ダイエーはそこへの進入路を残したコの字形の建物を建てるほかなかった。

  • 80年代わが社の戦略 1980年「ダイエー 世界的ビッグビジネスへスタート」(社長 中内功)
    • [93]1980年 中内功が5年後の1985年にダイエーグループで売上高4兆円の実現を掲げる
    • [94]流通業界が優劣のはっきり決まる本格的な競争の時代に入ったとの認識、新型安売り店を含む新業態開発と外資との提携
  • Decide 1988年6巻8号
    • [95]1972年の碑文谷店開店後、西武流通グループなど東京勢の抵抗で首都圏の要衝への出店が進まず
    • [96]1981年11月 所沢店開店、西武が出店予定地の中央に数十坪の土地を確保しダイエーへ譲渡しなかった
    • [97]ダイエーは社宅への進入路を設けコの字形の店舗ビルを建てた

1988年、ダイエーは南海ホークスを買収し、プロ野球の球団を持った。中内㓛氏は10年来この構想を温めており、先例は1978年に球団を買った西武だった。西武グループを率いる堤義明氏は、膨らんだ企業集団をまとめる軸に野球を選び、鉄道・ホテル・不動産に分かれていた西武の名を一つのグループとして全国へ通した。1993年に本拠地の福岡ドームが完成すると、中内㓛氏はその規模を『戦艦大和、戦艦武蔵を作ったような気分ですな』とたとえた。本業では1992年10月、神戸に会員制の安売り店コウズ・ホールセールメンバーシップクラブを開き、品目を総合スーパーの4分の1以下の約5,000に絞り、常駐社員を店長を含め3人とした。同じ1992年にはリクルートの株式も取得したが、拡大の元手としてきた含み資産による資金調達は限界に近づいていた。

  • Decide 1988年6巻8号
    • [98]1988年 ダイエーが南海ホークスを買収
    • [99]中内功のプロ球団買収構想は10年越しのもの
    • [100]1978年 西武が西武ライオンズを買収
    • [101]堤義明は組織の求心力として野球を選択、ライオンズにより西武が統合されたグループとして全国レベルで認知される存在に変化
  • Decide 1993年11巻1号
    • [102]1993年 福岡ドームが完成
  • 日経ビジネス 1993年1月4日号
    • [103]1992年10月 神戸に会員制安売り店「Kou's ホールセールメンバーシップクラブ」開業、取扱品目約5,000で総合スーパーの4分の1以下、常駐社員は店長を含め3人
  • 日経ビジネス 1992年7月27日号
    • [104]1992年5月 ダイエーがリクルート株の買収を発表
    • [105]拡大を支えてきた含み資産による資金調達が限界に近づく

拡大の締めくくりは同業の吸収だった。1991年、ダイエーは不動産会社の秀和と組んで忠実屋の株式を買い集め、3割を超えた段階で中内㓛氏は『約三十四%の株を買い集められては、会社として体をなしていないのではないか』と評した。忠実屋は自主独立を掲げ、1991年2月に百貨店と外食の子会社を清算し、1992年2月期中に残る赤字の子会社5社も整理するとして抵抗を続けた。ただ秀和に株式の3分の1を握られた状態では、増資による資金調達も、値上がりした自社株の買い戻しも封じられていた。1994年3月1日、忠実屋はダイエーに合併された。この合併でダイエーは忠実屋が持っていた松下電器産業との取引を引き継ぎ、同月から松下との正式な取引を始めた。ただし契約上、松下が商品を納める先は旧忠実屋の店舗に限られた。価格の決定権をめぐる四半世紀の対立は、取引先ごと相手の会社を取り込む形で区切りを迎えた。

  • 実業往来 1991年
    • [106]1991年 ダイエーが秀和と提携して忠実屋株を買い集める
    • [107]中内功 3割超の株を買い集められた会社は体をなしていないとの評
    • [108]忠実屋は自主独立路線を掲げ、1991年2月に百貨店運営と外食の子会社を清算、1992年2月期中に赤字子会社5社を一掃すると表明
    • [109]秀和に株式の3分の1を占められ、エクイティファイナンスによる増資も値上がりした自社株の買い戻しも不可能
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [110]1994年3月1日付で忠実屋がダイエーと合併
    • [111]1994年3月 ダイエーが松下電器産業と正式取引を開始(忠実屋の取引を継承)
    • [112]契約上の松下の商品供給先は旧忠実屋店舗に限定
参考文献[93]-[112]
  • 80年代わが社の戦略 1980年「ダイエー 世界的ビッグビジネスへスタート」(社長 中内功)
    • [93]1980年 中内功が5年後の1985年にダイエーグループで売上高4兆円の実現を掲げる
    • [94]流通業界が優劣のはっきり決まる本格的な競争の時代に入ったとの認識、新型安売り店を含む新業態開発と外資との提携
  • Decide 1988年6巻8号
    • [95]1972年の碑文谷店開店後、西武流通グループなど東京勢の抵抗で首都圏の要衝への出店が進まず
    • [96]1981年11月 所沢店開店、西武が出店予定地の中央に数十坪の土地を確保しダイエーへ譲渡しなかった
    • [97]ダイエーは社宅への進入路を設けコの字形の店舗ビルを建てた
    • [98]1988年 ダイエーが南海ホークスを買収
    • [99]中内功のプロ球団買収構想は10年越しのもの
    • [100]1978年 西武が西武ライオンズを買収
    • [101]堤義明は組織の求心力として野球を選択、ライオンズにより西武が統合されたグループとして全国レベルで認知される存在に変化
  • Decide 1993年11巻1号
    • [102]1993年 福岡ドームが完成
  • 日経ビジネス 1993年1月4日号
    • [103]1992年10月 神戸に会員制安売り店「Kou's ホールセールメンバーシップクラブ」開業、取扱品目約5,000で総合スーパーの4分の1以下、常駐社員は店長を含め3人
  • 日経ビジネス 1992年7月27日号
    • [104]1992年5月 ダイエーがリクルート株の買収を発表
    • [105]拡大を支えてきた含み資産による資金調達が限界に近づく
  • 実業往来 1991年
    • [106]1991年 ダイエーが秀和と提携して忠実屋株を買い集める
    • [107]中内功 3割超の株を買い集められた会社は体をなしていないとの評
    • [108]忠実屋は自主独立路線を掲げ、1991年2月に百貨店運営と外食の子会社を清算、1992年2月期中に赤字子会社5社を一掃すると表明
    • [109]秀和に株式の3分の1を占められ、エクイティファイナンスによる増資も値上がりした自社株の買い戻しも不可能
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
    • [110]1994年3月1日付で忠実屋がダイエーと合併
    • [111]1994年3月 ダイエーが松下電器産業と正式取引を開始(忠実屋の取引を継承)
    • [112]契約上の松下の商品供給先は旧忠実屋店舗に限定

第3章 1995年〜 過剰債務の噴出と創業者の退場、産業再生機構へ

1995年〜阪神・淡路大震災の損害500億円と経常利益5億円への失速

1995年1月の阪神・淡路大震災で、ダイエーは被害の最も大きかった企業の一つになった。当時は兵庫県内に47店と従業員7,000人を抱えており、三宮第一店は建物が倒れ、社員とパートの計5人が亡くなった。それでも地震の当日夜には24店が店を開けていた。中内㓛氏は発生から4日目の20日に現地対策本部の神戸ハーバーランド店へ入り、被害の大きい店を見て回るより商品の供給を先に立てるよう求めた。震災の打撃で、1995年の決算は単独で最終赤字となった。損害額は約500億円に及び、中内㓛氏はのちに、これが構造改革への着手を遅らせたと振り返っている。本業の手直しに充てるはずの数年が、復旧に費やされたとみられる。

  • 日経ビジネス 1995年1月30日号
    • [113]ダイエーは阪神大震災で最大の被害を受けた企業の一つ
    • [114]兵庫県下に47店・従業員7,000人。三宮第一店の建物が倒壊し、社員1人・パート4人の計5人が死亡
    • [115]地震当日夜には24店舗が営業
    • [116]1995年1月20日 中内功が現地対策本部の神戸ハーバーランド店に到着し、被害店の視察より商品供給を優先するよう指示
  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
    • [117]1995年 阪神大震災の影響で単独最終赤字
  • 日経ビジネス 1998年5月4日号
    • [118]中内功 阪神大震災で約500億円の損害が出てリストラの着手が遅れたと説明

本業の失速が決算に表れたのは1997年2月期である。売上高は2兆5,050億円と前期並みを保ったが、経常利益は5億円にとどまった。黒字を残せたのは、保有する高島屋株をすべて関連会社のプランタン銀座へ売ったためだった。1994年の4社合併で膨らんだ販売管理費を抑えようと、翌年に出向などで約4,800人を本体から外すと、売り場では品出しや接客が回らなくなった。1996年秋には500人を本体へ呼び戻している。同じ時期に常時低価格を掲げたハイパーマートの出店を重ねたが赤字が続き、既存の総合スーパーの改装は後回しにされた。売上高の約7割を占める総合スーパーの不振は、震災と違って本業の仕組みそのものから生じていた。

  • 日経ビジネス 1997年3月24日号
    • [119]1997年2月期 売上高2兆5,050億円(前期並み)・経常利益5億円
    • [120]保有する高島屋株すべてを関連会社のプランタン銀座に売却して黒字を確保
    • [122]1996年秋に500人の社員を本体に戻す
    • [123]常時低価格のハイパーマートは赤字運営が続き、出店に力を入れた結果、既存店のリニューアル投資が後手に回る
  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
    • [121]1994年の4社合併で膨らんだ販売管理費削減のため翌年出向などで約4,800人を削減し、商品補充や接客が不十分に

拡大の原資だった借入れは、やがて返済を求められる重荷に変わった。主力の東海・住友・三和・富士の4行は、1994年ごろには債務の圧縮をダイエーへ要請していたという。1997年3月時点の有利子負債は単独6,600億円、連結1兆4,300億円に膨らんでおり、ダイエーは1997年3月、単独分を2001年度までの5年間で1,600億円圧縮して5,000億円に抑える計画を出した。返済には関連会社の上場で得る利益も一部あてるとし、グループ企業の上場に後ろ向きだった従来の姿勢を転換した。同年12月にはローソンの株式公開による4,000億円の調達を加え、有利子負債を1兆円減らす計画へ広げた。

  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
    • [124]主力4行(東海・住友・三和・富士)は1994年ごろからダイエーに負債削減を求めたといわれる
    • [128]1997年12月 ローソン株式公開に伴う4,000億円の資金調達を加えた有利子負債1兆円削減計画を公表
  • 日経ビジネス 1997年3月24日号
    • [125]1997年3月時点の有利子負債 単独6,600億円・連結1兆4,300億円
    • [126]1997年3月 単独の有利子負債を2001年度までの5年間で1,600億円削減し5,000億円にする計画を公表
    • [127]関連会社の株式上場益を負債返済原資に想定し、グループ企業の上場に消極的だった方針を転換
参考文献[113]-[128]
  • 日経ビジネス 1995年1月30日号
    • [113]ダイエーは阪神大震災で最大の被害を受けた企業の一つ
    • [114]兵庫県下に47店・従業員7,000人。三宮第一店の建物が倒壊し、社員1人・パート4人の計5人が死亡
    • [115]地震当日夜には24店舗が営業
    • [116]1995年1月20日 中内功が現地対策本部の神戸ハーバーランド店に到着し、被害店の視察より商品供給を優先するよう指示
  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
    • [117]1995年 阪神大震災の影響で単独最終赤字
    • [121]1994年の4社合併で膨らんだ販売管理費削減のため翌年出向などで約4,800人を削減し、商品補充や接客が不十分に
    • [124]主力4行(東海・住友・三和・富士)は1994年ごろからダイエーに負債削減を求めたといわれる
    • [128]1997年12月 ローソン株式公開に伴う4,000億円の資金調達を加えた有利子負債1兆円削減計画を公表
  • 日経ビジネス 1998年5月4日号
    • [118]中内功 阪神大震災で約500億円の損害が出てリストラの着手が遅れたと説明
  • 日経ビジネス 1997年3月24日号
    • [119]1997年2月期 売上高2兆5,050億円(前期並み)・経常利益5億円
    • [120]保有する高島屋株すべてを関連会社のプランタン銀座に売却して黒字を確保
    • [122]1996年秋に500人の社員を本体に戻す
    • [123]常時低価格のハイパーマートは赤字運営が続き、出店に力を入れた結果、既存店のリニューアル投資が後手に回る
    • [125]1997年3月時点の有利子負債 単独6,600億円・連結1兆4,300億円
    • [126]1997年3月 単独の有利子負債を2001年度までの5年間で1,600億円削減し5,000億円にする計画を公表
    • [127]関連会社の株式上場益を負債返済原資に想定し、グループ企業の上場に消極的だった方針を転換

1998年〜上場来初の経常赤字と鳥羽董社長、リクルート株35%の放出

1998年2月期、ダイエーは1971年の上場以来はじめて経常赤字に転じた。主因は総合スーパー部門で、165億円の営業赤字を出した。中内㓛氏は赤字店の閉鎖と、遊休不動産や関連会社株式のグループ外への売却を打ち出した。1994年の合併後も近くの自社店と並べて残してきた旧忠実屋の相模原駅前店を4月末に閉じ、3年で50店を閉める方針も示した。規模と逆向きの選択を迫ったのは、グループで2兆6,000億円に積み上がった有利子負債だった。金融機関は金利の支払いだけでは満足せず、元本の返済まで求めるようになっていた。主力4行と第一生命保険からの借入れは全体の4割弱で、残る約1兆5,000億円は主力以外の金融機関に頼っていた。

  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
    • [129]1998年2月期決算で1971年の上場来初の経常赤字
    • [130]総合スーパー部門の不振で165億円の営業赤字
    • [131]赤字店舗の閉鎖と遊休不動産・関連会社株式のグループ外への売却を表明
    • [132]1998年4月末 旧忠実屋の相模原駅前店を閉鎖。98年度中に15店、今後3年間で50店を閉鎖する方針
    • [134]不良債権を抱えた金融機関が元本の返済まで求めるようになった
    • [135]主力4行と第一生命保険に対する負債は全有利子負債の4割弱、約1兆5,000億円を主力以外の金融機関に依存
  • 日経ビジネス 1998年5月4日号
    • [133]グループ全体の有利子負債は約2兆6,000億円

中内㓛氏は1998年5月、総合スーパーという業態について『今のGMSは「何でもあって何にも買いたくない店」の代名詞になっている』と語った。店舗網を7つの地域カンパニーに分けて品ぞろえを地域ごとに決め、持ち株会社のもとで事業会社を自立させる構想も示した。売上高を何より重んじてきた方針も、利益を合わせて見る形へ改めるとした。ただしリクルートについては、その情報を商品化する相手と位置づけ、手放さない考えだった。1999年1月、中内㓛氏は社長を退くと発表し、後任には長男の中内潤副社長ではなく、1996年12月に味の素から招いた財務担当の鳥羽董副社長を充てた。1998年12月の既存店売上高は前年同月より約4%少なく、主力4行に約束した損益3カ年計画の初年度目標は達成が危ぶまれていた。

  • 日経ビジネス 1998年5月4日号
    • [136]中内功 従来型の総合スーパーは歴史的な存在意義を失ったとの認識
    • [137]7つの地域カンパニー制を導入し、持ち株会社のもとで各事業会社を自立させる構想
    • [138]売上高偏重を改め、各店に営業利益目標を与えて利益も重視する方針
    • [139]中内功 リクルートの情報を商品化して新事業につなげるとして同社株を手放さない方針
  • 日経ビジネス 1999年2月1日号 トレンド
    • [140]1999年1月 中内功が社長退任を発表し、後任は中内潤副社長ではなく1996年12月に味の素から移った財務担当の鳥羽董副社長
    • [141]1998年12月の既存店売上高は前年同月比約4%減。損益3カ年計画の初年度目標は主力4行に約束した数字

資産の売却は、中内㓛氏が残すとしていた株にも及んだ。鳥羽董氏は1999年8月31日、発行済み株式の35%を持つリクルート株を2000年2月期中に売ると表明した。有利子負債を1兆円減らす再生3カ年計画を前倒しで進めるためである。外部への売却は、経営の独立を保ちたいリクルート側の反発で難航した。12月には、リクルートが取引銀行の資金支援を受け、ダイエー側の持つ35.2%の全部か大半を買い戻す方向で合意に至った。2000年7月にはローソンが東京・大阪両証券取引所の第一部に上場し、ダイエーはこれに合わせて保有株の一部を売った。拡大期に抱えた2つの有力子会社は、この2年で負債返済の原資に回ったことになる。

  • 日経ビジネス 1999年9月6日号
    • [142]1999年8月31日 鳥羽董社長が発行済み株式の35%を持つリクルート株を2000年2月期中に売却すると表明
    • [143]グループ有利子負債を1兆円削減する再生3カ年計画を前倒しで実行するための売却
  • 日経ビジネス 1999年12月13日号
    • [144]経営の独立性を保ちたいリクルートが譲渡制限条項を盾に反発し売却交渉が難航
    • [145]1999年12月 リクルートが取引銀行団の資金支援を得て、ダイエーグループ保有の自社株35.2%の全部か大半を買い戻す方向で合意
  • ダイエー 平成13年2月期 中間決算短信(2000年10月13日)
    • [146]2000年7月 ローソンの東証・大証第一部上場に際し、保有するローソン株式の一部を売却
参考文献[129]-[146]
  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
    • [129]1998年2月期決算で1971年の上場来初の経常赤字
    • [130]総合スーパー部門の不振で165億円の営業赤字
    • [131]赤字店舗の閉鎖と遊休不動産・関連会社株式のグループ外への売却を表明
    • [132]1998年4月末 旧忠実屋の相模原駅前店を閉鎖。98年度中に15店、今後3年間で50店を閉鎖する方針
    • [134]不良債権を抱えた金融機関が元本の返済まで求めるようになった
    • [135]主力4行と第一生命保険に対する負債は全有利子負債の4割弱、約1兆5,000億円を主力以外の金融機関に依存
  • 日経ビジネス 1998年5月4日号
    • [133]グループ全体の有利子負債は約2兆6,000億円
    • [136]中内功 従来型の総合スーパーは歴史的な存在意義を失ったとの認識
    • [137]7つの地域カンパニー制を導入し、持ち株会社のもとで各事業会社を自立させる構想
    • [138]売上高偏重を改め、各店に営業利益目標を与えて利益も重視する方針
    • [139]中内功 リクルートの情報を商品化して新事業につなげるとして同社株を手放さない方針
  • 日経ビジネス 1999年2月1日号 トレンド
    • [140]1999年1月 中内功が社長退任を発表し、後任は中内潤副社長ではなく1996年12月に味の素から移った財務担当の鳥羽董副社長
    • [141]1998年12月の既存店売上高は前年同月比約4%減。損益3カ年計画の初年度目標は主力4行に約束した数字
  • 日経ビジネス 1999年9月6日号
    • [142]1999年8月31日 鳥羽董社長が発行済み株式の35%を持つリクルート株を2000年2月期中に売却すると表明
    • [143]グループ有利子負債を1兆円削減する再生3カ年計画を前倒しで実行するための売却
  • 日経ビジネス 1999年12月13日号
    • [144]経営の独立性を保ちたいリクルートが譲渡制限条項を盾に反発し売却交渉が難航
    • [145]1999年12月 リクルートが取引銀行団の資金支援を得て、ダイエーグループ保有の自社株35.2%の全部か大半を買い戻す方向で合意
  • ダイエー 平成13年2月期 中間決算短信(2000年10月13日)
    • [146]2000年7月 ローソンの東証・大証第一部上場に際し、保有するローソン株式の一部を売却

2000年〜中内㓛氏の退任、4,000億円の金融支援と産業再生機構への支援要請

2000年11月、ダイエーは修正再生3カ年計画、通称フェニックスプランをまとめた。単体の収益力の改善と連結経営の構築を柱に据えた計画で、東海・三和・住友・富士の主力4行を相手に、2001年2月28日を払込期日とする約1,200億円の優先株の第三者割当増資を行った。2001年2月期の当期損失は1,921億8,200万円に達し、配当は前期に続いて見送った。創業者の中内㓛氏は2001年1月30日、最高顧問取締役を退いた。同年5月の株主総会の招集通知で、代表取締役社長に名を連ねたのは高木邦夫氏である。所有と経営を一人で担った創業者が退いたことで、再建の主導権は債権者の側へ移り始めたとみられる。

  • ダイエー プレスリリース「事業再生計画の策定並びに株式会社産業再生機構による支援決定について」(2004年12月28日)
    • [147]2000年11月 「修正再生3カ年計画」を策定
  • ダイエー 第50期 決算のご報告(2001年)
    • [148]単体収益力の改善と連結マネジメントの構築を主旨とする「修正再生3カ年計画(フェニックスプラン)」を策定
    • [149]計画に沿って主力4行(東海・三和・住友・富士)に対し、2001年2月28日を払込期日とする優先株式約1,200億円の第三者割当増資を実施
    • [150]2001年2月期(第50期)当期損失1,921億8,200万円、前期に続き無配
  • ダイエー 第51回定時株主総会招集ご通知(2001年5月)
    • [151]中内功 2001年1月30日に最高顧問取締役を退任
    • [152]2001年5月時点の代表取締役社長は高木邦夫

2002年2月の新3カ年計画は、2度目の金融支援を前提に組まれた。グループの有利子負債をダイエーオーエムシーなどを除いて9,000億円まで減らし、復配できる体質へ戻すことを目標に置いた。リクルート株式や、ホークスを除く福岡事業の売却を盛り込み、計画の遂行で見込む損失は4,650億円にのぼった。計画は同年4月26日、産業活力再生特別措置法にもとづく事業再構築計画として経済産業省の認定を受けた。UFJ・三井住友・みずほコーポレートの主力3行は1,700億円の債務免除と約2,300億円の借入金の株式化に応じ、1,115億円の無償減資と合わせて前期末の債務超過を解いた。

  • ダイエー プレスリリース「事業再生計画の策定並びに株式会社産業再生機構による支援決定について」(2004年12月28日)
    • [153]2002年2月に発表した「新3カ年計画」は事実上2回目の金融支援
  • ダイエー ダイエーグループ「新3カ年計画」(2002年)
    • [154]グループ有利子負債(ダイエーオーエムシー等を除く)を9,000億円まで削減し、復配できる体質への改善を当面の目標とする
    • [155]リクルート株式・福岡事業(ホークスを除く)の売却等を含み、計画遂行に伴う損失計上額合計4,650億円
  • ダイエー 第52期 事業報告書「ごあいさつ」(2003年)
    • [156]2002年4月26日 産業活力再生特別措置法に基づく事業再構築計画として経済産業省の認定
    • [157]主力3行(UFJ・三井住友・みずほコーポレート)の債務免除1,700億円と借入金の株式化約2,300億円、無償減資1,115億円等で前期末の一時的な債務超過を解消

財務の手当てに対し、本業の回復は計画に追いつかなかった。2003年2月期の既存店売上高は前期比98%にとどまり、家電部門の不振もあって期初の計画に届かなかった。取締役会が主力3行との協議を経て機構の活用を決議し、方針を転じたのは10月13日で、それ以前の2004年8月27日に主力3行から産業再生機構の活用を持ちかけられた際には、ダイエーはその考えはないと返して自力での中期計画策定を続けていた。12月28日にはグループ12社で申し込んだ支援がその日のうちに決定され、4,050億円の債務免除を盛り込んだ事業再生計画は、窮境に陥った原因を、店舗を自社で保有する方式と全国展開に固執したこと、多角化と拡大に走ったこと、低価格に頼りすぎたことに求めた。

  • ダイエー 第52期 事業報告書「ごあいさつ」(2003年)
    • [158]2003年2月期 既存店売上高前期比98%。家電部門の不振等で期初計画に届かず
  • ダイエー プレスリリース「当社再建計画に関して」(2004年10月14日)
    • [159]2004年10月13日 主力3行並びに関係先と協議し、取締役会で産業再生機構の活用を決議
  • ダイエー プレスリリース「主力3行との会談について」(2004年8月27日)
    • [160]2004年8月27日 主力3行から産業再生機構活用の提案、ダイエーは活用を考えていない旨を回答
  • ダイエー プレスリリース「事業再生計画の策定並びに株式会社産業再生機構による支援決定について」(2004年12月28日)
    • [161]2004年12月28日 グループ12社が主力3行と連名で産業再生機構に支援を申し込み、同日支援決定
    • [162]自社保有方式・全国展開へのこだわり・事業多角化と拡大路線・低価格路線への過度の依存を窮境原因とし、債務免除総額4,050億円
参考文献[147]-[162]
  • ダイエー プレスリリース「事業再生計画の策定並びに株式会社産業再生機構による支援決定について」(2004年12月28日)
    • [147]2000年11月 「修正再生3カ年計画」を策定
    • [153]2002年2月に発表した「新3カ年計画」は事実上2回目の金融支援
    • [161]2004年12月28日 グループ12社が主力3行と連名で産業再生機構に支援を申し込み、同日支援決定
    • [162]自社保有方式・全国展開へのこだわり・事業多角化と拡大路線・低価格路線への過度の依存を窮境原因とし、債務免除総額4,050億円
  • ダイエー 第50期 決算のご報告(2001年)
    • [148]単体収益力の改善と連結マネジメントの構築を主旨とする「修正再生3カ年計画(フェニックスプラン)」を策定
    • [149]計画に沿って主力4行(東海・三和・住友・富士)に対し、2001年2月28日を払込期日とする優先株式約1,200億円の第三者割当増資を実施
    • [150]2001年2月期(第50期)当期損失1,921億8,200万円、前期に続き無配
  • ダイエー 第51回定時株主総会招集ご通知(2001年5月)
    • [151]中内功 2001年1月30日に最高顧問取締役を退任
    • [152]2001年5月時点の代表取締役社長は高木邦夫
  • ダイエー ダイエーグループ「新3カ年計画」(2002年)
    • [154]グループ有利子負債(ダイエーオーエムシー等を除く)を9,000億円まで削減し、復配できる体質への改善を当面の目標とする
    • [155]リクルート株式・福岡事業(ホークスを除く)の売却等を含み、計画遂行に伴う損失計上額合計4,650億円
  • ダイエー 第52期 事業報告書「ごあいさつ」(2003年)
    • [156]2002年4月26日 産業活力再生特別措置法に基づく事業再構築計画として経済産業省の認定
    • [157]主力3行(UFJ・三井住友・みずほコーポレート)の債務免除1,700億円と借入金の株式化約2,300億円、無償減資1,115億円等で前期末の一時的な債務超過を解消
    • [158]2003年2月期 既存店売上高前期比98%。家電部門の不振等で期初計画に届かず
  • ダイエー プレスリリース「当社再建計画に関して」(2004年10月14日)
    • [159]2004年10月13日 主力3行並びに関係先と協議し、取締役会で産業再生機構の活用を決議
  • ダイエー プレスリリース「主力3行との会談について」(2004年8月27日)
    • [160]2004年8月27日 主力3行から産業再生機構活用の提案、ダイエーは活用を考えていない旨を回答

第4章 2005年〜 産業再生機構から丸紅・イオンへ、そして上場廃止

2005年〜債権放棄4,004億円・出資1,120億円と林文子・樋口泰行の新体制

産業再生機構の支援決定を受け、ダイエーは2005年4月に事業再生計画の中身を公表した。計画はまず、会社を行き詰まらせた原因を4つに絞っている。店舗の土地と建物を自前で持つ方式、全国へ店を張ることへのこだわり、多角化と拡大の路線、そして安さへの過度の依存である。いずれも、かつてダイエーを小売の首位へ押し上げた手立てそのものだった。そのうえで小売を中核に据え、赤字店からの撤退と自前売場の縮小を進め、余った床には外部のテナントを呼び込み、首都圏と近畿では食品スーパーを軸に店を組み直すとした。目標は2008年2月期に、金融子会社などを除いた連結で営業収益1兆4,800億円、営業利益400億円と置かれた。規模を追う方式を否定しながら、なお1兆円台半ばの売上を前提にした点に、計画の甘さがのぞいていた。

  • ダイエー プレスリリース 2005年4月15日「事業再生計画の実施に伴う債務超過解消に関するお知らせ」
    • [163]事業再生計画の基本方針 4つの窮境原因を解消する
    • [164]窮境原因は「自社保有方式」「全国展開へのこだわり」「事業多角化・拡大路線」「低価格路線への過度の依存」
    • [165]小売事業は不採算店舗等の撤退・自前売場縮小・外部テナント招聘、首都圏・近畿圏は食品スーパーを中心に展開
    • [166]数値計画 2008年2月期に連結(OMCカード・55ステーションを除く)営業収益1兆4,800億円・営業利益400億円

財務では、損失をいったん表に出してから穴を埋める順序が取られた。2005年2月期末の連結株主資本は4,121億円の債務超過に陥っていた。3月31日に取引金融機関が4,004億円の債権を放棄し、1,195億円あった資本金を5億円まで減らし、普通株式は10株を1株にまとめた。そこへ産業再生機構、丸紅、アドバンテッジパートナーズの3者が、約400億円の債務の株式化を含めて1,120億円を出資した。丸紅は全額出資の丸紅リテールインベストメントを受け皿とし、普通株式と甲種類株式を995万1,950株ずつ引き受けている。経済産業省は5月9日にこの計画を産業活力再生特別措置法の事業再構築計画として認め、実施期間を2008年2月までとした。

  • ダイエー プレスリリース 2005年4月15日「事業再生計画の実施に伴う債務超過解消に関するお知らせ」
    • [167]2005年2月期末の連結株主資本 ▲4,121億円の債務超過
    • [168]2005年3月31日 取引金融機関が4,004億円の債権放棄を実行
    • [169]資本金1,195億1,056万円のうち1,190億1,056万円を減資(減資後5億円)、普通株式10株を1株に併合
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月9日「産業活力再生特別措置法に基づく事業再構築計画の認定について」/ダイエー プレスリリース 2005年4月15日「事業再生計画の実施に伴う債務超過解消に関するお知らせ」
    • [170]産業再生機構のDES約400億円と産業再生機構・丸紅・アドバンテッジパートナーズの金銭出資約720億円、出資予定額1,120億円
  • ダイエー プレスリリース 2005年4月6日「第三者割当増資の割当先決定及び主要株主の異動に関するお知らせ」
    • [171]丸紅リテールインベストメント(丸紅100%出資)が普通株式9,951,950株・甲種類株式9,951,950株を引受け
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月9日「産業活力再生特別措置法に基づく事業再構築計画の認定について」
    • [172]2005年5月9日 経済産業省が事業再構築計画を認定、実施時期は2005年5月〜2008年2月

経営陣も外から入れ替えた。計画は本社を細くして店の現場へ判断を寄せ、スポンサーと再生機構から取締役を迎える体制を求めていた。日本ヒューレット・パッカードにいた樋口泰行氏は、5月20日付でまず顧問として迎えられた。5月26日の定時株主総会で林文子氏、樋口泰行氏ら4人が取締役に選ばれ、続く取締役会で林文子氏が代表取締役会長兼CEOに、樋口泰行氏が代表取締役社長兼COOに就いた。10月には新しいグループのミッションとロゴ、スローガンを定め、看板の掛け替えを社の内外へ示している。小売の外から社長を招いた人選は、創業者の時代の意思決定と縁を切ることを、株主と従業員の双方へ目に見える形で伝える役目を負っていた。

  • ダイエー プレスリリース 2005年4月15日「事業再生計画の実施に伴う債務超過解消に関するお知らせ」
    • [173]本社スリム化と現場主導型改革、スポンサー及び産業再生機構から取締役を受け入れて新経営体制を構築
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月19日「顧問人事に関するお知らせ」
    • [174]2005年5月20日付 樋口泰行(日本ヒューレット・パッカード)を顧問に
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月26日「組織変更と人事異動のお知らせ」
    • [175]2005年5月26日 第54回定時株主総会で林文子・樋口泰行ら4人を取締役に選任、林文子が代表取締役会長兼CEO、樋口泰行が代表取締役社長兼COO
  • ダイエー プレスリリース 2005年10月14日「新生ダイエーグループ・ミッション及び新ロゴデザイン、スローガンについて」
    • [176]2005年10月 新生ダイエーグループ・ミッションと新ロゴデザイン・スローガンを制定
参考文献[163]-[176]

2005年〜54店の撤退・1,268人の希望退職と、丸紅からイオンへ渡った甲種類株式

閉じる店は、個店ごとの収益と地域の戦略を見比べながら、何度かに分けて決められた。2005年9月29日の取締役会が14店の営業終了を決め、これで事業再生計画での撤退は計54店に確定した。全国に点在した店網のうち、収益や配送の効率が低い地域からは原則として引くというのが、線引きの基準だった。1977年に開いた苫小牧店や1995年開業のいわき店も、閉鎖の対象に入っている。人の面では、30歳以上60歳未満の一般職に向けて11月7日から2日間だけ募った希望退職に、1,268人が応じた。ダイエー単体の従業員数は、2003年2月期の10,314人から2007年2月期には5,763人まで減った。全国に旗を立てることで大きくなった会社が、旗を降ろす地域を自ら選んだことになる。

  • ダイエー プレスリリース 2005年9月29日「「事業再生計画」における全撤退店舗の確定について」
    • [177]2005年9月29日 14店舗の営業終了を決議、事業再生計画の撤退店舗は合計54店舗で確定
    • [178]収益性や配送効率等の観点から効率が低いエリアは原則撤退
    • [179]撤退店舗に苫小牧店(1977年11月開業)・いわき店(1995年10月開業)を含む
  • ダイエー プレスリリース 2005年11月9日「希望退職者募集の結果に関するお知らせ」
    • [180]希望退職者募集(2005年11月7日〜8日、実齢30歳以上60歳未満の一般職)の応募者1,268名
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [181]提出会社の従業員数 2003年2月期10,314人・2007年2月期5,763人

残した店と事業には手を入れ直した。2006年7月には不動産事業を営む連結子会社11社を本体へ合併し、ロイヤルクックなど3社を清算して、グループの枝を払った。資産の売却も進み、2005年9月中間期の連結経常利益は、4月に示した20億円の予想を85億円へ引き上げる見込みとなった。一方で売場の立て直しには、人と仕組みの両方から当たった。全国5カ所に総合トレーニングセンターを開き、1年間で延べ3万3千人の従業員が販売や加工の研修を受けた。2006年3月には加工食品の新ブランド「おいしくたべたい!」を出し、新しいPOSシステムを2007年2月までにグループの178店へ入れている。値引きで客を呼ぶ代わりに、売場の技量と商品の中身で呼ぶ方向へ、舵は切られていた。

  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【業績等の概要】
    • [182]2006年7月 不動産事業を営む連結子会社11社と合併、ロイヤルクック他3社を清算
    • [184]全国5カ所に総合トレーニングセンターを開設、1年間に延べ3万3千人が研修に参加
    • [185]2006年3月 加工食品の新ブランド「おいしくたべたい!」を展開開始
    • [186]新POSシステムを2007年2月までにグループ178店舗へ導入
  • ダイエー プレスリリース 2005年10月6日「業績予想の修正に関するお知らせ」
    • [183]2006年2月期中間期の連結経常利益予想を20億円から85億円へ修正(単独は資産売却等による営業外損益の改善)

再建の途中で、後ろ盾の顔ぶれが入れ替わった。2006年8月4日、丸紅が産業再生機構の持つ甲種類株式をすべて買い取り、主要株主の座は再生機構から丸紅へ移った。同月30日には丸紅の持ち株売却と提携をめぐる報道が出たが、ダイエーは特定の相手と協議している事実はないと打ち消している。それから半年あまりの2007年3月9日、ダイエー、イオン、丸紅の3社は資本と業務の提携契約を結んだ。3月16日には丸紅が甲種類株式のうち2,986万株をイオンへ譲り、イオンが新たな主要株主に加わった。事業再構築計画の期限を1年後に控えて、支えの構図は公的機関から総合商社へ、さらに同業の最大手を加えた二頭体制へと移っていた。

  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【大株主の状況】
    • [187]2006年8月4日 丸紅が産業再生機構から甲種類株式全株を取得し主要株主に、産業再生機構は主要株主でなくなる
    • [190]2007年3月16日 丸紅が保有する甲種類株式29,860千株をイオンへ譲渡、イオンが新たな主要株主に
  • ダイエー プレスリリース 2006年8月30日「本日の一部報道について」
    • [188]2006年8月30日 丸紅保有株の売却・業務資本提携の報道に対し、特定の第三者と協議している事実はないと公表
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】/ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [189]2007年3月9日 イオン・ダイエー・丸紅が資本・業務提携契約を締結
参考文献[177]-[190]
    • [177]2005年9月29日 14店舗の営業終了を決議、事業再生計画の撤退店舗は合計54店舗で確定
    • [178]収益性や配送効率等の観点から効率が低いエリアは原則撤退
    • [179]撤退店舗に苫小牧店(1977年11月開業)・いわき店(1995年10月開業)を含む
    • [180]希望退職者募集(2005年11月7日〜8日、実齢30歳以上60歳未満の一般職)の応募者1,268名
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [181]提出会社の従業員数 2003年2月期10,314人・2007年2月期5,763人
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【業績等の概要】
    • [182]2006年7月 不動産事業を営む連結子会社11社と合併、ロイヤルクック他3社を清算
    • [184]全国5カ所に総合トレーニングセンターを開設、1年間に延べ3万3千人が研修に参加
    • [185]2006年3月 加工食品の新ブランド「おいしくたべたい!」を展開開始
    • [186]新POSシステムを2007年2月までにグループ178店舗へ導入
    • [183]2006年2月期中間期の連結経常利益予想を20億円から85億円へ修正(単独は資産売却等による営業外損益の改善)
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【大株主の状況】
    • [187]2006年8月4日 丸紅が産業再生機構から甲種類株式全株を取得し主要株主に、産業再生機構は主要株主でなくなる
    • [190]2007年3月16日 丸紅が保有する甲種類株式29,860千株をイオンへ譲渡、イオンが新たな主要株主に
  • ダイエー プレスリリース 2006年8月30日「本日の一部報道について」
    • [188]2006年8月30日 丸紅保有株の売却・業務資本提携の報道に対し、特定の第三者と協議している事実はないと公表
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】/ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [189]2007年3月9日 イオン・ダイエー・丸紅が資本・業務提携契約を締結

2007年〜トップバリュの導入と5期連続の最終赤字、1株270円の公開買付けと上場廃止

2007年5月にまとめた新中期経営計画は、再生を仕上げる最後の段階と位置づけられ、安定して稼げる体質づくりと財務のいっそうの改善を掲げた。提携先のイオンとは規模を生かした共同の取り組みを進め、両社と取引の深い丸紅には商社としての提案を仰ぐとした。借り換えで財務の課題はほぼ片づき、2008年3月からはイオンの自主企画商品トップバリュを本格的に売場へ並べ、仕入れや調達、販促も共同で行う範囲を広げた。事業再構築計画の最終年度にあたる2008年2月期の連結売上高は9,723億円、経常利益は86億円だった。営業収益1兆4,800億円・営業利益400億円という当初の目標と見比べれば、財務は立て直せても、売上の規模と稼ぐ力は計画に遠く及ばなかった。

  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】/ダイエー ビジネスレポート 第57期(2008年2月期)「ごあいさつ」
    • [191]ダイエーグループ新中期経営計画 再生完了の最終ステージとして「安定的な収益体質の構築」と「財務体質のさらなる改善」
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】
    • [192]イオングループとスケールメリットを活かした取り組みを推進、丸紅から提案とサービスの提供を受ける
  • ダイエー ビジネスレポート 第57期(2008年2月期)「ごあいさつ」
    • [193]リファイナンスで財務体質の改善はほぼ解決、2008年3月からトップバリュの本格導入を開始し共同仕入・共同調達・共同販促を拡大
  • ダイエー 有価証券報告書 第57期(2008年2月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [194]2008年2月期 連結売上高9,723億円・経常利益86億円

その後、損益は再び赤字へ沈んだ。2009年2月期から2013年2月期まで最終損益は5期続けて赤字となり、その間に連結売上高は9,650億円から7,728億円へ縮んだ。手は店の単位で打たれていた。2012年2月期には食品スーパーとその大型版の業態で店内作業の割り振りを部門横断で組み直し、食品加工センターを使って人時あたりの生産性を上げる取り組みを広げた。近畿ではイオングループと組んで物流の効率化も進めた。しかし資本の構図は動かず、イオンの所有割合19.85%に対し、丸紅は丸紅リテールインベストメントと合わせて29.28%を持ち、どちらも過半に届いていなかった。改善策は現場で積み上がる一方、再建の最終責任を誰が負うのかは定まらないまま、赤字の年数だけが重なった。

  • ダイエー 有価証券報告書 第58期〜第62期【主要な経営指標等の推移】
    • [195]2009年2月期〜2013年2月期に5期連続の当期純損失、連結売上高9,650億円(2009年2月期)→7,728億円(2013年2月期)
  • ダイエー 平成24年2月期 決算短信〔日本基準〕
    • [196]SM・SSM業態改革タスクで店舗内の横断的な作業割付や食品加工センターの活用による人時生産性改善を拡大
    • [197]近畿エリアでイオングループとの協業による物流効率化を推進
  • ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [198]公開買付け前の所有割合 イオン19.85%、丸紅と丸紅リテールインベストメントで29.28%

2013年3月27日、取締役会はイオンによる公開買付けへの賛同を表明した。価格は1株270円で、買付けの下限は丸紅が応募に合意した48,360,820株、所有割合24.34%と同じ数に置かれ、上限は設けられなかった。ダイエーは、イオンの連結子会社になれば損益の改善が早まり、事業の展開も速まると賛同の理由を説いている。8月27日付でイオンは議決権の40%以上を握り、取締役の過半もイオンの役員・使用人が占めて親会社となった。それでも2014年2月期は固定資産の減損損失121億円を含む243億円の最終赤字に終わった。イオンは同年9月に完全子会社化を決め、ダイエーは12月26日に上場を廃止し、2015年1月1日の株式交換でイオンの完全子会社となった。

  • ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [199]2013年3月27日 取締役会がイオンの公開買付けに賛同の意見を表明
  • ダイエー 平成25年2月期 決算短信〔日本基準〕/ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [200]公開買付価格1株270円、買付予定数の下限48,360,820株(所有割合24.34%、丸紅の応募合意分と同数)、上限なし
  • ダイエー 平成25年2月期 決算短信〔日本基準〕
    • [201]イオンの連結子会社となることで早期の損益改善等が図られ、事業展開が加速すると判断
  • ダイエー 有価証券報告書 第63期(2014年2月期)【関係会社の状況】
    • [202]2013年8月27日付 イオンが議決権の40%以上を所有し役員・使用人が取締役の過半を占めたため親会社に該当
  • ダイエー 有価証券報告書 第63期(2014年2月期)【連結損益計算書】注記
    • [203]2014年2月期 当期純損失243億円、固定資産減損損失12,073百万円を含む
  • イオン 有価証券報告書 第90期(2015年2月期)【沿革】【発行済株式総数、資本金等の推移】
    • [204]2014年9月 イオンが株式交換による完全子会社化を決定、2014年12月26日上場廃止、2015年1月1日株式交換の効力発生
参考文献[191]-[204]
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】/ダイエー ビジネスレポート 第57期(2008年2月期)「ごあいさつ」
    • [191]ダイエーグループ新中期経営計画 再生完了の最終ステージとして「安定的な収益体質の構築」と「財務体質のさらなる改善」
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】
    • [192]イオングループとスケールメリットを活かした取り組みを推進、丸紅から提案とサービスの提供を受ける
  • ダイエー ビジネスレポート 第57期(2008年2月期)「ごあいさつ」
    • [193]リファイナンスで財務体質の改善はほぼ解決、2008年3月からトップバリュの本格導入を開始し共同仕入・共同調達・共同販促を拡大
  • ダイエー 有価証券報告書 第57期(2008年2月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [194]2008年2月期 連結売上高9,723億円・経常利益86億円
  • ダイエー 有価証券報告書 第58期〜第62期【主要な経営指標等の推移】
    • [195]2009年2月期〜2013年2月期に5期連続の当期純損失、連結売上高9,650億円(2009年2月期)→7,728億円(2013年2月期)
  • ダイエー 平成24年2月期 決算短信〔日本基準〕
    • [196]SM・SSM業態改革タスクで店舗内の横断的な作業割付や食品加工センターの活用による人時生産性改善を拡大
    • [197]近畿エリアでイオングループとの協業による物流効率化を推進
  • ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [198]公開買付け前の所有割合 イオン19.85%、丸紅と丸紅リテールインベストメントで29.28%
    • [199]2013年3月27日 取締役会がイオンの公開買付けに賛同の意見を表明
  • ダイエー 平成25年2月期 決算短信〔日本基準〕/ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
    • [200]公開買付価格1株270円、買付予定数の下限48,360,820株(所有割合24.34%、丸紅の応募合意分と同数)、上限なし
  • ダイエー 平成25年2月期 決算短信〔日本基準〕
    • [201]イオンの連結子会社となることで早期の損益改善等が図られ、事業展開が加速すると判断
  • ダイエー 有価証券報告書 第63期(2014年2月期)【関係会社の状況】
    • [202]2013年8月27日付 イオンが議決権の40%以上を所有し役員・使用人が取締役の過半を占めたため親会社に該当
  • ダイエー 有価証券報告書 第63期(2014年2月期)【連結損益計算書】注記
    • [203]2014年2月期 当期純損失243億円、固定資産減損損失12,073百万円を含む
  • イオン 有価証券報告書 第90期(2015年2月期)【沿革】【発行済株式総数、資本金等の推移】
    • [204]2014年9月 イオンが株式交換による完全子会社化を決定、2014年12月26日上場廃止、2015年1月1日株式交換の効力発生

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歴史年表 1957〜2014年

ダイエーの沿革1957〜2014年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1957〜1972年神戸の薬品会社から始まった主婦の店と流通革命の出発中内㓛大栄薬品工業として設立★
中内㓛1号店「主婦の店・ダイエー薬局」を開店★
中内㓛商号を主婦の店ダイエーに変更★
中内㓛フクオカダイエーを設立★
中内㓛一徳(後のトウキョウダイエー)を子会社化★
中内㓛四国ダイエーを設立★
中内㓛トウキョウダイエー・フクオカダイエー・四国ダイエーを合併★
中内㓛サンコー(後にマルエツと合併)と業務提携★
中内㓛大阪証券取引所市場第二部に株式を上場★
中内㓛安売りと多店舗チェーン化による小売業日本一の座の獲得

"よい品をどんどん安く"を掲げた中内㓛氏が、多店舗チェーンとストアブランドで定価販売に挑み、牛肉の安売りに始まる価格破壊を面的な事業モデルへ育てて、1972年に三越を抜き小売業の売上高日本一に立った経営判断。

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★★★
中内㓛東京証券取引所市場第一部に株式を上場★
1973〜1994年小売業初の売上高1兆円と拡大・多角化の頂点中内㓛ダイエーローソンを設立しコンビニエンスストア事業へ参入★★
中内㓛九州地区の店舗17店等の営業を九州ダイエー(同年9月にユニードと合併)へ譲渡★
中内㓛十字屋と業務提携★
中内㓛丸興と業務提携★
中内㓛生活情報誌「オレンジページ」を創刊★
中内㓛プロ野球・南海ホークスを買収し「福岡ダイエーホークス」が発足★★
中内㓛リクルートの株式の3分の1を取得し子会社化、役員を派遣★★
中内㓛忠実屋・ユニードダイエー・ダイナハを合併★★
1995〜2004年過剰債務の噴出と創業者の退場、産業再生機構へ中内㓛氏が引責退任★★
産業活力再生特別措置法(産業再生法)の適用を申請しリストラを推進★★
自力での再建を断念し、公的な枠組みに委ねた経営の立て直し

2004年、二度の金融支援を経ても営業力を取り戻せなかったダイエーが、民間ファンドによる自主再建を断念し、産業再生機構の支援を受け入れた経営判断。高木邦夫社長が最後までこだわった自主再建案は、同業の傘下入りを避ける狙いから練られたが、10月13日に支援要請を決断した。

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★★★
2005〜2015年産業再生機構から丸紅・イオンへ、そして上場廃止丸紅と資本提携★
西見徹イオン・丸紅と資本・業務提携★
村井正平村井正平氏が社長に就任★
村井正平独立した上場企業としての歴史の終わりと、上場廃止の受け入れ

2013年3月27日、ダイエーの取締役会はイオンによる株式公開買付けに賛同の意見を表明し、応募するか否かは株主の判断に委ねると4月12日に決議した。8月27日付でイオンが議決権の40%以上を持ち、イオンの役員・使用人が取締役の過半を占めたことでイオンが親会社となり、2014年12月の上場廃止を経て2015年1月に完全子会社となった。

詳細を読む
★★★
村井正平株式が上場廃止★★
出典・参考 58件
出典・参考
  • ダイエー 平成13年2月期 中間決算短信(2000年10月13日)
  • ダイエー プレスリリース「事業再生計画の策定並びに株式会社産業再生機構による支援決定について」(2004年12月28日)
  • ダイエー プレスリリース「当社再建計画に関して」(2004年10月14日)
  • ダイエー プレスリリース「主力3行との会談について」(2004年8月27日)
  • ダイエー プレスリリース 2005年4月15日「事業再生計画の実施に伴う債務超過解消に関するお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月9日「産業活力再生特別措置法に基づく事業再構築計画の認定について」/ダイエー プレスリリース 2005年4月15日「事業再生計画の実施に伴う債務超過解消に関するお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2005年4月6日「第三者割当増資の割当先決定及び主要株主の異動に関するお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月9日「産業活力再生特別措置法に基づく事業再構築計画の認定について」
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月19日「顧問人事に関するお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2005年5月26日「組織変更と人事異動のお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2005年10月14日「新生ダイエーグループ・ミッション及び新ロゴデザイン、スローガンについて」
  • ダイエー プレスリリース 2005年9月29日「「事業再生計画」における全撤退店舗の確定について」
  • ダイエー プレスリリース 2005年11月9日「希望退職者募集の結果に関するお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2005年10月6日「業績予想の修正に関するお知らせ」
  • ダイエー プレスリリース 2006年8月30日「本日の一部報道について」
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【主要な経営指標等の推移】
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【業績等の概要】
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【大株主の状況】
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】/ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】/ダイエー ビジネスレポート 第57期(2008年2月期)「ごあいさつ」
  • ダイエー 有価証券報告書 第56期(2007年2月期)【対処すべき課題】
  • ダイエー 有価証券報告書 第57期(2008年2月期)【主要な経営指標等の推移】
  • ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
  • ダイエー 平成25年2月期 決算短信〔日本基準〕/ダイエー 有価証券報告書 第62期(2013年2月期)【業績等の概要】
  • ダイエー 有価証券報告書 第63期(2014年2月期)【関係会社の状況】
  • ダイエー 有価証券報告書 第63期(2014年2月期)【連結損益計算書】注記
  • イオン 有価証券報告書 第90期(2015年2月期)【沿革】【発行済株式総数、資本金等の推移】
  • ダイエー 有価証券報告書【沿革】
  • ダイエー 有価証券報告書 第58期〜第62期【主要な経営指標等の推移】
  • ダイエー 平成24年2月期 決算短信〔日本基準〕
  • ダイエー 平成25年2月期 決算短信〔日本基準〕
  • ダイエー消費者サービス室5年の歩み(ダイエー、1980年)第1章「消費者サービス室の組織と業務」
  • 日本産業史(日経文庫)第3巻 金融・商業「流通-急成長した総合スーパー」
  • 日本産業史(日経文庫)第4巻 通史「創造的革新に挑む」(年表 昭和55年)
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻10号(常務取締役 加古豊彦)
  • 証券 1972年24巻3号
  • 日経ビジネス 1974年6月24日号
  • 日経ビジネス 1975年6月23日号
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻9号(社長 中内功)
  • Decide 1988年6巻8号
  • 日経ビジネス 1992年7月27日号
  • Decide 1993年11巻1号
  • 日経ビジネス 1993年1月4日号
  • 日経ビジネス 1995年1月30日号
  • 日経ビジネス 1997年3月24日号
  • 日経ビジネス 1998年3月9日号
  • 日経ビジネス 1998年5月4日号
  • 日経ビジネス 1999年2月1日号 トレンド
  • 日経ビジネス 1999年9月6日号
  • 日経ビジネス 1999年12月13日号
  • 80年代わが社の戦略 1980年「ダイエー 世界的ビッグビジネスへスタート」(社長 中内功)
  • 実業往来 1991年
  • ダイエー 第50期 決算のご報告(2001年)
  • ダイエー 第51回定時株主総会招集ご通知(2001年5月)
  • ダイエー ダイエーグループ「新3カ年計画」(2002年)
  • ダイエー 第52期 事業報告書「ごあいさつ」(2003年)
  • ダイエー ビジネスレポート 第57期(2008年2月期)「ごあいさつ」
  • ダイエー公式沿革

免責事項およびポリシー