味の素の歴史
1888年〜ヨード製造から味の素の発売と川崎工場の新設まで
- 家業でヨード製造を開始
- 鈴木製薬所を設立[2]
- 池田菊苗氏がグルタミン酸ソーダの製造法特許を取得[2]
- 味の素の販売開始[2]
- 鈴木商店の発足[2]
- 川崎工場の新設[2]
- 東洋紡績に澱粉糊の納入を開始
- 鈴木商店を設立(従来の鈴木商店の営業を譲渡)[2]
- 上海の日本租界に出張所を設置[3]
- 全国に特約店網を整備
- 鈴木商店を新設(現 味の素の設立)[2]
- 「味の素本舗鈴木商店」に商号変更[2]
- 食品事業で多角化
- 鈴木食料工業に商号変更[2]
- 大日本化学工業に商号変更[2]
- 宝製油を合併[2]
- 味の素に商号変更[2]
- 味の素の製造を再開[4]
- 東京証券取引所に株式上場
- グルタミン酸ソーダの統制解除で自由販売が再開[3]
筆者所見
味の素の海外販売は、商品の普及以上に、相手国の政治情勢への耐性を問われる事業だった。海外出荷高は1918年の5,500貫から1929年の6万9,000貫へ増加し、川崎工場の生産高の4分の1を超えた[1]。しかし中国では排斥運動が起こるたびに売行きが激減し、収まると回復する循環が続いた[1]。輸出は国内の普及の遅れを補ったが、需要の安定は自社の努力の外で決まっていた。販路を広げるほど、政治の振れを受ける面も広がった。
- [1]味をたがやす 味の素八十年史(味の素株式会社、1990年)
1956年〜アミノ酸事業への参入と海外事業の本格化
- アミノ酸事業に参入[2]
- 協和発酵とMSG買取契約[3]
- ユニオンケミカルズ社を設立(現 フィリピン味の素社)[2]
- サラダ油を発売[3]
- 海外事業を本格化
- 「味の素プラス」を発売[3]
- 川崎工場の製造法を抽出法から発酵法へ転換開始[3]
- 四日市工場を新設[2]
- タイ工場が操業[3]
- 九州工場で発酵法による生産を本格開始[3]
- 米国のケロッグ社と提携(日本での総発売元)[5]
- 新設の東海工場で合成法によるMSG本格生産を開始[3]
- コーンプロダクツ社と提携[2]
- スペインのペニベリカ社と技術援助契約を締結[3]
- 化成品部を発足[2]
- ペルー味の素社を設立[2]
- 全額出資の東洋製油を設立[3]
- サール社にアスパルテームの共同事業化を申し入れ[3]
- インドネシア味の素社を設立[2]
- 社長直属のMSG安全普及委員会を設置[3]
筆者所見
製法の優位を失った味の素を支えたのは、工場ではなく特約店の販売網だった。協和醗酵との買取契約が成立したのも、ケロッグ社やコーン・プロダクツ社が提携先に味の素を選んだのも、同じ販売力が理由だった[1]。技術で後れを取った局面で、流通の支配力が交渉の切り札になったことになる。多品目化は、この販売網に載せる商品を外部との提携で補う道として始まり、のちの合弁中心の加工食品事業へ連なった。
- [1]味をたがやす 味の素八十年史(味の素株式会社、1990年)
1970年〜冷凍食品・医薬品への参入とゼネラルフーズ・ダノンとの提携
- サール社とアスパルテームの共同開発契約を調印[3]
- 「ほんだし」を発売[2]
- 冷凍食品事業に参入
- 関東地区で調理冷凍食品12品種を発売[3]
- 長期経営方針を策定[3]
- 東海工場の合成法プラントの操業を停止[3]
- ゼネラルフーズと提携[2]
- ユーロリジン社を設立(現 味の素ユーロリジン社)[5]
- 味の素インテルアメリカーナ社を設立(現 ブラジル味の素社)[2]
- ジェルべ・ダノンと提携
- 両社各50%出資で味の素ダノンが発足[3]
- 米FDAがMSGを食品添加物として安全と公表[3]
- 成分栄養剤で医薬品製造承認を取得[3]
- 医薬品事業に参入[2]
- アスパルテームの輸出を開始(甘味料事業に着手)[2]
- 長期経営構想で食品・アミノ酸を二大主力分野に[3]
- 生麺メーカーの島田屋に資本参加[7]
- クノール食品を子会社化[2]
- 鹿島工場を新設
筆者所見
脱調味料を急いだ味の素の多角化は、自社開発より、外資の製品を自社の流通に載せる提携を主軸とした。味の素ゼネラルフーヅでは技術をGF、販売を味の素が担い、売上高は1年で67億円から106億円に伸びた[6]。1984年度には加工食品部門の売上げの75%を合弁企業の製品が占めた[6]。50対50の出資は、相手の技術と自社の販路を対等に交換する取り決めだった。提携の条件が変われば、加工食品の売上げも同時に揺らぐ構造を抱えた。
- [6]日経ビジネス 1986年4月28日号「味の素の“50対50作戦” 相互補完ルールを明確化,多角化推進のテコに」
1989年〜オニケム買収による欧州進出と総会屋への利益供与事件
- 鳥羽董氏の社長就任を内定[3]
- 欧州・オニケム社を買収
- カルピス食品工業と提携
- 飲料事業部をカルピスに統合[10]
- 稲森俊介氏が社長に就任[11]
- 肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売
- 味の素(中国)社を設立[2]
- 総会屋への利益供与(商法違反)
- 江頭邦雄氏が社長に就任[12]
- 半導体材ABFの育成[13]
- グループ企業の整理統合を開始
- 味の素ファルマを設立[14]
- 冷凍食品事業を分社化し味の素冷凍食品に統合[2]
- 油脂事業を分社化し味の素製油に統合[2]
- 社内カンパニー制を導入[15]
- 海外で飼料用アミノ酸を増産
筆者所見
1997年の利益供与事件が突いたのは、総務部の不正以上に、退任した経営者が取締役会に残る統治の二重構造だった。鈴木三郎助氏のほか歴代社長3人が、取締役を退任した後も相談役として取締役会に出席していた[8]。後任の江頭邦雄氏は相談役の出席を取りやめ、年2回の経営説明に置き換えた[9]。発言を妨げていた上下関係を制度の上で断ち切ったことが、事件後の改革の起点になった。江頭邦雄氏が同時に掲げたアミノ酸系の技術立社は、のちのABFにも通じる再出発の方針だった。
- [8]日経ビジネス 1997年6月2日号「敗軍の将、兵を語る 鈴木三郎助氏(味の素名誉会長)」
- [9]日経ビジネス 1998年6月22日号「編集長インタビュー 江頭邦雄氏(味の素社長) タブーなくモノ言える風土出来た」
2003年〜油脂事業のJ-オイルミルズ移管とウィンザー・クオリティ買収
- 味の素冷凍食品がフレックの全株式を取得[2]
- 油脂事業をJ-オイルミルズに移管
- 欧州・オルサン社を買収[18]
- カンパニー制を再編
- アモイ・フード・グループを買収[19]
- ヤマキの株式を一部取得して資本・業務提携[2]
- 味の素アニマル・ニュートリション・グループを設立[20][21]
- 飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)[2]
- カルピス社の全株式をアサヒグループHDに譲渡[22]
- ウィンザー・クオリティHEを買収[2]
- 味の素ゼネラルフーヅを子会社化[2]
- 味の素製薬がEAファーマとなり持分法適用会社に[2]
- つばめBHBを設立[23]
- クライアント・イノベーション・センターを開設[23]
筆者所見
飼料用リジンの浮沈は、発酵技術の優位が価格の優位を保証しないことを示した。2005年11月には競合他社の供給急増によるリジン価格の下落を理由に通期の利益予想を引き下げた[16]。2018年3月期には世界的な供給過剰を受けて動物栄養事業の製造設備を減損した[17]。技術で先行しても、汎用品である限り値決めの主導権は供給量の多い側に移る。量から価値へ利益の源泉を移す方針は掲げられたが、汎用品からの撤退は2019年以降の構造改革まで持ち越された。
- [16]味の素株式会社「業績予想の修正について」(2005年11月15日)
- [17]味の素株式会社 有価証券報告書 第140期(2018年3月期)
2019年〜減損後のROIC導入とパリサーの価値向上プラン
- クノール食品が味の素食品に商号変更(生産体制を集約)[2]
- ROIC13%超の目標設定
- 希望退職者を募集
- 『アミノ酸スポーツ栄養科学ラボ』を開設[27]
- 指名委員会等設置会社に移行[28]
- 味の素アニマル・ニュートリション・グループを合併[2]
- 藤江太郎氏が社長就任
- 中期ASV経営への転換[29]
- バリュープライシング転換
- 北米味の素社がフォージ・バイオロジクス社の全持分を取得[2]
- 中村茂雄氏が代表執行役社長に就任[30]
- 味の素アルテア社の全株式をPCI社へ譲渡[31]
- 京橋の本社ビルの土地・建物を譲渡[31]
- 英パリサーのABF要求[26]
筆者所見
ROIC経営で事業を選び直した味の素の論点は、ABFの収益力の値付けに移った。ABFは発売以来95%超のシェアを保ち、2026年3月期のファンクショナルマテリアルズは事業利益546億円を上げた[24][25]。英パリサー・キャピタルはこれを値上げ余地と判断し、ABF価格の30%超の引き上げを要求した[26]。家庭用調味料で価格改定を実行した会社が、半導体材料では価格の妥当性を株主から問われた。顧客と性能・価格を同時に決める値決めの説明が、次の課題になった。
- [24]味の素 電子材料事業説明会資料「電子材料事業の成長戦略」(2026年6月30日)
- [25]味の素 決算説明会資料「2026年3月期 決算概要」(2026年5月7日)
- [26]パリサー・キャピタル プレスリリース「パリサー・キャピタルは味の素価値向上プランを公表します」(2026年3月31日)