従来型の中期経営計画を廃止し「中期ASV経営」へ転換
2023年実施「中計病」からの脱却——藤江太郎社長が挑んだ経営管理の変革と、ASV指標で描く2030年への道筋
- 概要
- 2023年2月28日、味の素が藤江太郎社長のもとで、3年分の数値を積み上げる従来型の中期経営計画を期中で廃止し、2030年の「ありたい姿」から挑戦的な「ASV指標」をバックキャストして掲げる「中期ASV経営」へ転換した経営判断。同時に2030年までのロードマップと志(パーパス)の進化を示した。
- 背景
- 事業を通じて社会価値と経済価値を共に創る「ASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)」を経営の基本方針に据え、2020-2025中計フェーズ1では構造改革・アセットライトを前倒しで進めていた。一方、単年度予想を3年分積み上げる精緻な中計づくりが計画倒れを招く「中計病」に陥っているとの問題意識があった。
- 内容
- 従来型中計を廃止し、2030年のありたい姿から逆算した「ASV指標」を掲げ、毎月のローリングフォーキャストで機敏に修正する管理へ移行。志を「アミノ酸のはたらきで食と健康の課題解決」から「アミノサイエンス®で人・社会・地球のWell-beingに貢献する」へ進化させ、ヘルスケア・フード&ウェルネス・ICT・グリーンの4つの成長領域を掲げた。
- 含意
- FY2021からCAGR10%超の事業利益成長、FY2030にROIC約17%・EPS約3倍(FY2022比)を長期目標に据えつつ、単年度の業績見通しは従来通り公表を続ける枠組みとした。数値目標中心の経営から、従業員が「志」を原動力に挑戦し続ける企業文化への転換を狙った点に特徴がある。
数値目標を手放し、志で走る経営への賭け
この経営判断の核心は、財務的な危機への対応ではなく、業績が上向くさなかに、味の素が自社の計画づくりの作法そのものへ手を入れた点にある。単年度予想を3年分積み上げる精緻な中計は、達成度を測りやすい半面、計画づくり自体が目的化して実行の熱量を奪いかねない。藤江社長がこれを「中計病」と名指して廃し、2030年のありたい姿からバックキャストした「ASV指標」へ軸を移したのは、管理の精度よりも挑戦と実行の速さを優先しようとする選択だったとみることができる。好業績のうちに管理の作法へ踏み込んだ点に、危機対応型の改革とは異なる性格がうかがえる。
もっとも、数値目標を前面から下げる運びは、外部への説明の難しさと表裏の関係にある。長期の到達点は語れても、そこへ至る中期の具体像が見えにくければ、投資家や従業員の腹落ちは得にくい。移行直後に新指標の「分かりにくさ」が取り沙汰されたのは、その難しさの表れであろう。数値の達成から、志を原動力とする企業文化の醸成へ——味の素の中期ASV経営は、経営管理の重心を人と時間軸の側へ移す試みであり、その成否は、掲げた指標を組織がどれだけ自分ごととして走らせられるかにかかっている。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
ASVを経営の背骨に据えるまで
味の素は、1909年のうま味調味料「味の素」発売以来、アミノ酸の研究と事業化を柱として成長してきた食品大手である。同社は、事業を通じて社会価値と経済価値を共に生み出す取り組みを「ASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)」と名づけ、これを経営の基本方針として掲げてきた。2014-2016年度の中期経営計画で明確に打ち出されたこの考え方は、西井孝明社長のもとでまとめた2017-2019年度の中期経営計画で事業運営の中核に据えられ、以後の経営の背骨となっていった[1]。
構造改革は進んだが、残った「中計病」
2020年2月に公表した2020-2025年度の中期経営計画は、前半のフェーズ1(2020-2022年度)を構造改革、後半のフェーズ2(2023-2025年度)を再成長と位置づけていた。フェーズ1ではROICの向上と着実なオーガニック成長を掲げ、重点事業への集中とアセットライトを進めた。味の素はこの構造改革を計画より前倒しで進め、早くに再成長路線へ入ったとしている。あわせて2020年には機関設計を指名委員会等設置会社へ改め、サステナビリティ諮問会議の設置など経営の枠組みも整えた[2]。
一方で、味の素は従来型の中計そのものにも問題を見いだしていた。何が起こるか分からない時代に、単年度ごとの現実的な予想を3年分も積み上げる綿密な計画は、その通りに進まないことが多く、計画づくりだけで疲弊して計画倒れに終わる——藤江社長はこれを、実行(DO)を欠いて計画(PLAN)ばかりが繰り返される「中計病」と呼び、そこからの脱却を経営を進化させる理由に挙げた[3][4]。
決断
従来型中計の廃止と「ASV指標」
2023年2月28日、藤江社長は「中期ASV経営2030ロードマップ」を公表し、3年分の数値を精緻に積み上げる従来型の中期経営計画を廃止すると宣言した。代わりに、2030年の「ありたい姿」から逆算(バックキャスト)して挑戦的な「ASV指標」を掲げ、そこへ向かう道筋をロードマップとして描く「中期ASV経営」へと管理の枠組みを切り替えた。この「ASV指標」は、経済価値だけでなく、それにつながる社会価値の指標も併せて示すものと位置づけた[5]。
管理の手触りも大きく変えた。四半期ごとに予想して年度で目標を修正する従来のやり方に代え、毎月の「ローリングフォーキャスト」で機敏に軌道修正しながら実行力を高める運営とした。長期の到達点を掲げてバックキャストする一方で、月次で現実に合わせて舵を切る——計画の精度よりも修正の速さと実行を重んじる姿勢が、この移行の核にあった[6]。
志の進化と4つの成長領域
あわせて、グループの志(パーパス)を「アミノ酸のはたらきで食と健康の課題解決」から「アミノサイエンス®で人・社会・地球のWell-beingに貢献する」へと進化させた。事業の重心を、うま味調味料に始まる食と健康の領域から、その先のWell-being全般へと広げる宣言であった。そのうえで、提供価値を起点にヘルスケア、フード&ウェルネス、ICT、グリーンの4つの成長領域を掲げ、食品系事業とアミノサイエンス系事業の比率を1対1に近づける、高収益でユニークな構造を目指すとした[7]。
財務の到達点も長期の目標として示した。2030年度にはFY2021からCAGR10%超の事業利益成長とROIC約17%を掲げ、一株当たり当期利益(EPS)はFY2022比で約3倍を目指すとした。非財務では、2030年までに10億人の健康寿命の延伸と、環境負荷50%削減という2つのアウトカムを置いた。細かな数値を作り込むより、高い目標に一人ひとりが挑み続ける企業文化への転換を、成功の鍵に据えた点に特徴がある[8]。
結果
移行直後の好業績と、新指標への問い
転換の直後、味の素の業績は追い風を受けた。中期ASV経営への移行を公表したFY2022(2023年3月期)は、連結売上高が1兆3,591億円に達し、通期決算は過去最高となった。一方で、従来型の中計を外したことは新たな論点も生んだ。長期のありたい姿からバックキャストする「ASV指標」は中期の具体的な数値目標が読み取りにくく、公表直後には投資家にも従業員にも意図が伝わりにくいとの受け止めや、社内の戸惑いが報じられた[9]。
それでも、この枠組みは短期の説明責任を保ったまま動き始めた。味の素は、長期の目標を掲げつつも単年度の業績見通しについては従来通り公表を続けるとし、短期の業績開示と長期戦略の両立を図った。中期ASV経営の枠組みは、2025年に藤江社長が会長へ退いて中村茂雄社長へ交代したのちも引き継がれ、その後の経営の基本骨格として残っている[10]。
- 味の素株式会社「中期ASV経営2030ロードマップ」プレゼンテーション資料(2023年2月28日/取締役 代表執行役社長 最高経営責任者 藤江太郎)
- 味の素株式会社 適時開示「中期ASV経営2030ロードマップに関するお知らせ」(2023年2月28日)
- 味の素グループ ウェブサイト「ASV|グループ企業情報」(公式)
- 味の素株式会社 有価証券報告書(2023年3月期)
- 日経ビジネス電子版 2023年4月19日「味の素・藤江社長『“中計病”脱却で進化』」(日経BP社)
- Business Insider Japan 2023年5月12日「味の素、過去最高の通期決算も、中期経営計画の廃止後の新指標に残る「謎」。社内ではざわめきも」