創業1919年、食の洋風化がまだ緒に就いたばかりの大正期に、缶詰業出身の中島董一郎氏が東京・中野で食品工業を創業した。農商務省の海外実習で欧米のマヨネーズに出会い、栄養状態の乏しかった日本人の体格を食から底上げしようと、1925年に卵黄を使った国産初のマヨネーズを世に出した。販売は中島董一郎氏が営む中島董商店が引き受け、製造は食品工業が担う製販分離の形で、まだなじみの薄かった洋風調味料を家庭へ地道に広げていった。
- 歴史詳細 4章・3,858字
メインコンテンツ。一次資料をベースに歴史を紐解く
- 沿革年表 43件
主要な出来事を重要度別に時系列で整理
- 長期業績 2001〜2025年(25カ年)
有価証券報告書などの公開データに基づく長期データ
- 直近の業績
業績推移と経営体制
- セグメント情報 2015〜2025年(11カ年)
各事業の売上・営業利益・利益率の推移
- 歴代社長 4名
代表取締役社長・CEO の在任期間・経歴・在任中の施策
- 取締役一覧 2019〜2025年(7カ年)
取締役の構成バランスと社外独立性
- 大株主・株主構成 2016〜2025年(10カ年)
上位10名の入れ替わりと所有者区分7区分の推移
- 組織と給料 2012〜2025年(14カ年)
連結/単体の年次変化と業界他社の平均給与比較
歴史詳細 - 4つの時代区分で読み解く
1919年〜1957年 缶詰商が持ち帰った国産マヨネーズと製販分離で築いた食品会社の骨格
海外実習で得た栄養思想が生んだ日本初の国産マヨネーズ
創始者の中島董一郎氏は缶詰会社の若狭商店に勤めたのち、1912年に農商務省の海外実業練習生として英米へ渡り、約3年の滞在でマヨネーズとオレンジママレードに出会った[1]。栄養状態の乏しかった当時の日本人の体格を食で底上げしたいという発想がここで芽生え、帰国後の1918年に缶詰販売の中島商店を、翌1919年には東京・中野に製造会社の食品工業株式会社を設けて、ソース類や缶詰の生産から事業を起こした[2]。輸入頼みだった洋風調味料を国内で作るという構想は、留学で得た知見を事業へ翻訳したものだった。
1925年、食品工業は卵黄を使った国産初のマヨネーズを製造・販売した[3]。栄養価の高い卵黄タイプは欧米の一般的な全卵型と異なる独自の設計で、商品名には当時人気だったキャラクターのキユーピーを冠した[4]。食の洋風化が緒に就いたばかりの市場で家庭にマヨネーズを根づかせる仕事は容易でなく、普及には長い年月を要したが、この一品が同社を調味料メーカーへ導く出発点になった。乳化と缶詰の技術は、のちにジャムやパスタソース、さらには介護食といった新たな加工食品を生む土台にもなった。
中島董商店による販売分業とジャム事業アヲハタの発祥
食品工業は製造に徹し、販売は中島董一郎氏が営む中島董商店が担うという分業の形で、まだ家庭になじみの薄かったマヨネーズを地道に世へ広げていった。作り手と売り手を分けるこの体制は1972年まで続き、販路の開拓と得意先との関係づくりを商店側が引き受けることで、製造会社は生産と品質の改良に資源を集中できた[6]。原料の入手が困難になった戦中には製造を一時中断したが、1948年にマヨネーズの生産を再開し、戦後の食生活の洋風化とともに失った需要を取り戻していった[5]。
マヨネーズと並ぶもう一つの柱がジャムであり、その源流は1932年に中島董一郎氏が全額出資して広島県竹原市忠海に設けた旗道園にさかのぼる[7]。ブランド名のアヲハタは、英国滞在中に見たケンブリッジとオックスフォードのボートレースで両校が掲げた青一色の校旗に由来し、当初のアオハタから字面の整うアヲハタへ改めた[8]。缶詰と乳化の技術を果実加工へ応用したこのジャム事業は、後年キユーピーの連結子会社として本体と結びつき、グループの食の幅を支える存在になっていく。
1957年〜1985年 キユーピー改称と株式上場を経て製販統合と多角化へ舵を切る
社名変更と二度の東証上場が示した企業としての近代化
1957年、食品工業は社名をキユーピー株式会社へ改めた[9]。日本語でも英語でも通じる商品名をそのまま会社の名とすることで、まだ内需中心だった当時から将来の国際展開を視野に入れた選択だった。1960年代には食酢を内製するため西府産業(現キユーピー醸造)を、倉庫部門を分けてキユーピー倉庫(現キユーソー流通システム)をそれぞれ設け、原料と物流を自前で握る垂直統合を進めた[10]。事業の裾野を広げながら、同社は創業家の同族商店という色合いから、生産と流通を備えた近代的な食品メーカーへと姿を変えていった。
1970年7月、キユーピーは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、1973年4月には第一部銘柄に指定された[11][12]。上場は資本調達の道を広げるとともに、創業家の商店と一体だった同族経営に、開示と説明責任を伴う公開企業としての規律を持ち込む契機になった。上場の前後で同社は生産・販売・物流を束ねる体制を整え、家庭用マヨネーズという主力商品を軸に全国の小売へ届く流通の足場を築いていった。株式公開は、留学帰りの缶詰商が興した会社が半世紀をかけて社会的な信用を積み上げた到達点でもあった。
自社販売への一本化と卵・ファインケミカルへの事業拡張
1972年12月、キユーピーは製品の一括販売を担ってきた中島董商店の得意先網を引き継ぎ、20の営業所を構えて自社販売へ切り替えた[13]。半世紀にわたった製販分離をあらため、作る側が売る側も併せ持つことで、店頭や需要の変化を生産や商品企画へ直接跳ね返せる体制になった。翌1973年には冷凍冷蔵食品のキユーピーフローズン(現デリア食品)を設けるなど、調味料の周辺へ事業の腕を伸ばし始めた[14]。流通を自ら握ったこの転換は、のちにコンビニ向けの惣菜・サラダ事業を全国の店頭へ届けるうえで欠かせない足場になった。
主原料の卵をめぐる探索は、調味料メーカーの枠を超える事業を生んだ。1977年に卵素材品の部門を分離してキユーピータマゴを設立し、業務用の液卵や加工卵を外販する道を開いた[15]。さらに1981年には卵黄レシチンなどを手がけるファインケミカル分野へ進出し、食品の製造で出る副産物を機能性素材へ変える研究に着手した[16]。1982年には米国カリフォルニア州にQ&B FOODS, INC.を設けて初の海外生産に乗り出し、マヨネーズで培った卵と乳化の技術を国内外の隣接領域へ広げる多角化の路線が、この時期に定まっていった[17]。
1985年〜2009年 成熟した調味料市場の競争のなかで卵と惣菜へ成長軸を移す
味の素と花王の参入が迫った脱マヨネーズ依存
キユーピーが独壇場としてきた家庭用マヨネーズには、1968年に味の素が、2002年には花王が参入し、独占的だった市場は競争の場に変わった[18]。それでも同社は家庭用でおよそ7割のシェアを保ったが、調味料市場そのものが成熟期に入り、ドレッシングを含む中核事業は中期経営計画を三年続けて下回った[19]。主力の強さに安住できない現実は、収益の伸びしろを主戦場の外へ探す必要を経営に突きつけた。安定した本業を守りながら次の成長を別の領域で育てるという二正面の課題が、成熟した国内調味料市場に立つこの時期の同社を規定していった。
成長の芽は、業務用の卵焼きやゆで卵を扱うタマゴ事業と、コンビニエンスストア向けの惣菜・サラダ事業に見いだされた[20]。共働きや単身世帯の増加で総菜を家に持ち帰って食べる中食の需要が広がり、少品種大量生産の調味料とは性質の異なる少量多品種の商いが伸び始めた。毎日のように商品が入れ替わる惣菜の世界で勝つには、顧客の求めを先回りする開発力と、それを支える速さが要る。マヨネーズづくりで積んだ卵の目利きと、自社販売で築いた全国の販売網を、キユーピーはこの新しい中食の需要へと接続していった。
卵の使い切りと中国開拓に賭けた鈴木豊社長の攻めの経営
2004年2月、大山轟介前社長から11歳若い鈴木豊氏へ社長が引き継がれた[21]。鈴木社長は2002年から新しい中期経営計画の策定に携わってきた実務家で、成熟した調味料市場を相手にするうちに安住しがちだった社風へ、自ら考えて新市場へ挑む速さを持ち込むことを就任時に掲げた。1973年入社の生え抜きとして営業の最前線を歩んだ経歴から、顧客の要望を先回りする商品開発をこれからのキユーピーに求めた[22]。強みを伸ばす経営を旗印に、本業の守りと周辺事業の攻めを同時に走らせる舵取りが始まった。
攻めの一手が、卵を余さず使い切る発想だった。キユーピーはマヨネーズの主原料である鶏卵を年23万トン使い、これは国内生産量のおよそ9%に当たる[23]。同社はタマゴR&Dセンターを立ち上げ、製造で大量に出る卵殻や卵殻膜を食品や工業製品の素材へ転用する用途開発に取り組み、卵殻膜の微粉を織り込んだ機能性ストッキングのような商品化も生んだ。もう一つの主戦場は中国で、1993年の進出後に家庭用マヨネーズで46%のシェアを握り、2002年には三菱商事などと杭州丘比食品有限公司を設けて生産販売の足場を広げた[24]。
2009年〜2025年 グローバル展開の加速と国内構造改革で挑む2030ビジョン
アジアと欧州への面的展開とグループ再編の本格化
2010年代のキユーピーは調味料の海外展開を点から面へ広げた。ベトナムやインドネシア、フィリピン、シンガポールへ相次いで拠点を設け、2016年にはポーランドで欧州の生産販売にも乗り出した[25]。国内では2013年に旧仙川工場の跡地へ研究開発とグループのオフィス機能を束ねる仙川キユーポートを開き、開発力を集約する拠点を整えた。海外の伸びは数字にも表れ、連結売上高はFY2020に5311億円と過去最高圏へ達し、マヨネーズという一本足を脱した多角的な食品グループの姿が定着していった。
事業ポートフォリオの入れ替えも進んだ。2014年にはパン周り商品の販売事業をアヲハタへ分割譲渡したうえで同社を連結子会社とし、ジャムの祖業と本体を資本で結び直した[26]。2021年には長く物流を担ってきたキユーソー流通システムの株式の一部を譲渡し、同社と子会社14社を連結から持分法適用会社へ外した[27]。北米のタマゴ事業も株式譲渡で切り離すなど、成長の見込みに応じて事業を選別する経営が鮮明になり、垂直統合で広げてきた版図を収益性と戦略適合の物差しで編み直す作業へ入っていった。
2030ビジョンと中期経営計画が進める選択と集中
2019年にキユーピーはキユーピーグループ2030ビジョンと中期経営計画を掲げ、長期の到達点から逆算して事業を組み替える経営に転じた。国内は事業区分を市販用と業務用へ再編し、2022年には東京証券取引所のプライム市場へ移行した[28]。キユーソー流通システムの連結除外が響いてFY2021の連結売上高は4070億円へ縮んだが、事業の選別と資本効率の重視という方針は揺らがず、自己株式取得や増配を通じて株主への還元も強めていった。規模を追う経営から利益と資本効率を測る経営へ、成果を評価する物差しそのものが移った時期だった。
2025年に始めた2025-2028年度中期経営計画は、国内事業の構造改革とグローバル展開の加速を二本柱に据えた。国内は生産6社の統合などでサプライチェーンを効率化し、ポートフォリオ変革とデジタル化で付加価値を高める道を選んだ。同じ年、連結子会社だったアヲハタを株式交換で完全子会社とし、1932年に旗道園として生まれたジャム事業を名実ともにグループへ取り込んだ[29]。FY2025の連結売上高は5134億円、純利益は305億円に達し、成熟した国内市場の再編と海外の伸長を両輪に、2030ビジョンの実現へ歩を進めている。