イオン の歴史

前身ジャスコ・岡田屋から現在まで

更新:

創業

1758年

創業者

岡田卓也

創業地

三重県四日市市

直近売上高(2026/2)

93,554億円

長期業績と転換点(1997/2〜2026/2)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1970年の合併で、岡田卓也氏は吸収合併ではなく地域会社を残す連邦経営を選んだのか
A 小売は地域産業であり、地元の信頼・人材・出店時の調整は土地ごとに事情が異なる。地元の社長と店名を残し本部機能だけを被せるほうが、現地の経営者の能力を引き出せ、出店でも地元の反対を受けにくいと岡田卓也氏は読んだ。1969年に岡田屋・フタギ・シロが共同仕入会社を設け、翌1970年3月の5社合併でジャスコが発足する。山陽ジャスコ・福岡ジャスコなど地域会社を各地に置き、地方の経営者に責任を持たせた。売上を積み上げても吸収合併でなければ意味がないと批判するダイエーの中内功氏とは逆の方式を、岡田氏は連邦経営と名づけた
Q なぜ岡田卓也氏は1988年から大店法撤廃を業界に先んじて唱え、2002年に商業開発を切り出したのか
A 大店法は既存の大型店を守る保護法になって流通業の革新意欲を薄れさせていると岡田卓也氏は見て、規制が外れた後の自由競争を前提に出店戦略を組み直した。客は道さえよければ遠くの郊外SCへ足を運ぶため、駅前ではなく高速道路やインターチェンジ沿いにこそ出店余地があると読んだ。1988年から撤廃を唱え、2000年6月の大規模小売店舗立地法施行で郊外SCの前提が整う。2002年7月にイオンモールを東証一部へ上場させ、店舗運営とは別に商業施設を開発・賃貸する事業を独立した収益源に切り出した
Q なぜ2024年にツルハを連結子会社化しウエルシアと統合させ、ヘルス&ウエルネスを第二の柱に据えたのか
A GMSや食品スーパーの集客力が落ちるなか、調剤・医薬と食品を併せ持つドラッグストアが食品スーパーの客を取り込む業態として強まり、規模を買い集めるだけでは伸びにくくなっていた。北海道・東北・中四国に強いツルハと関東・関西に強いウエルシアは出店地域が補い合い、一つにまとめれば医薬・調剤と日用品でGMSの落ち込みを埋められる。2024年2月にイオン・ツルハ・ウエルシアが統合協議の資本業務提携を結び、ツルハがウエルシアを株式交換で完全子会社化、イオンがツルハを連結子会社化する再編で、売上2兆円・5,000店を超える国内最大のドラッグストアグループを作る道を選んだ吉田昭夫氏は健康寿命の延伸を社会課題と結び付け、これを総合スーパーに次ぐ柱に据えた

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1758年〜 伊勢街道の呉服商と、規模の劣位が呼んだ三社の共同仕入

  1. 1758年 イオン創業——伊勢街道の呉服商「篠原屋」から連邦経営のジャスコへ 1758年に岡田惣左衛門氏が伊勢街道の四日市で暖簾分けした呉服太物商は、家訓「大黒柱に車をつけよ」を受け継ぎながらどう総合小売の連邦へ姿を変えたか
  2. 1892年 店規則を制定
  3. 1926年 岡田屋呉服店を設立
  4. 1958年 岡田卓也氏が7代目を継承
  5. 1959年 岡田屋に商号変更
  6. 1969年 フタギ・シロとの共同出資で(旧)ジャスコを設立
  7. 1969年 三菱商事との合弁でダイヤモンドシティを設立

四日市の街道に開いた呉服太物商と、家訓「大黒柱に車をつけよ」

イオンの源流は、1758年に岡田惣左衛門氏が三重県四日市で開いた[1]呉服太物・小間物商にある。四日市は伊勢神宮への参宮街道と東海道が交わる宿場町[2]で、江戸中期には廻船問屋と旅籠が集まる商業地として栄えていた。惣左衛門氏は地元の老舗呉服商である篠原屋から暖簾分けを受け[3]、人の往来が多い街道沿いに店を構えている。屋号はのちに岡田家の姓を冠した岡田屋へ改まり[4]、代々の当主が呉服店として家業を継いだ。岡田家には「大黒柱に車をつけよ」という家訓が受け継がれ、人の流れが変われば店の場所も動かす[5]という指針になった。

  • 私の履歴書 岡田卓也(日本経済新聞社, 2004)
    • [1]1758年 岡田惣左衛門氏が四日市で呉服太物・小間物商を開業
    • [2]四日市は伊勢街道と東海道が交わる宿場町、廻船問屋と旅籠が集まる商業地
    • [3]老舗呉服商 篠原屋からの暖簾分け
    • [4]屋号を岡田屋へ改称
    • [5]家訓「大黒柱に車をつけよ」=人の流れに合わせ店の場所を動かす指針

岡田屋は四日市で二百年ほど続いた呉服屋[6]だった。岡田卓也氏の父は日本の小売業のなかでは比較的早く近代化を考え、大正末期に資本金25万円で株式会社の組織へ改めている[7]。1926年9月21日、衣料品販売を目的とする株式会社岡田屋呉服店[8]として設立された。当時は地方百貨店をつくる構想もあったが、父の急逝でさたやみ[9]となっている。卓也氏はのちに、小売業者はとかく1地区での巨大な百貨店化を夢見るが、消費者の動向に合わせるには多店舗化することが最も成長力があると述べた。父の代に構想された一地区の百貨店とは、逆の方向である。 [10]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [6]岡田屋は三重県四日市で200年ほど続いた呉服屋
    • [7]父が日本の小売業のなかで比較的早く近代化を考え、大正末期に資本金25万円で株式会社組織とした
    • [9]地方百貨店をつくる構想は父の急逝で立ち消えた
    • [10]岡田卓也氏「小売業者は1地区での巨大な百貨店化を夢見るが、消費者の動向に合わせるには多店舗化することが最も成長力がある」
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1926年9月21日 資本金250千円で株式会社岡田屋呉服店を設立、目的は衣料品販売
  • 私の履歴書 岡田卓也(日本経済新聞社, 2004)
    • [1]1758年 岡田惣左衛門氏が四日市で呉服太物・小間物商を開業
    • [2]四日市は伊勢街道と東海道が交わる宿場町、廻船問屋と旅籠が集まる商業地
    • [3]老舗呉服商 篠原屋からの暖簾分け
    • [4]屋号を岡田屋へ改称
    • [5]家訓「大黒柱に車をつけよ」=人の流れに合わせ店の場所を動かす指針
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [6]岡田屋は三重県四日市で200年ほど続いた呉服屋
    • [7]父が日本の小売業のなかで比較的早く近代化を考え、大正末期に資本金25万円で株式会社組織とした
    • [9]地方百貨店をつくる構想は父の急逝で立ち消えた
    • [10]岡田卓也氏「小売業者は1地区での巨大な百貨店化を夢見るが、消費者の動向に合わせるには多店舗化することが最も成長力がある」
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1926年9月21日 資本金250千円で株式会社岡田屋呉服店を設立、目的は衣料品販売

戦災からの再建と、百貨店法の適用を受けた総合小売への転換

戦争は店を焼いた。岡田卓也氏は、戦後に店舗が全部戦災で焼けてどん底の状態を経験したと述べている。焼け野原のなかにまず店舗を再建し、1974年の時点で四日市店は3度目の立地[12]になっていた。小売業は不動産業といわれるほど、よい立地に出店することが要点になる。昔の商家には「土蔵の下には車をつけておけ」という言い伝えがあり、岡田家の家訓はその系譜にある。長兄の卓二氏が戦死したため、早稲田大学を卒業した三男の卓也氏が1958年に七代目を継いだ[14][11][13]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [11]岡田卓也氏「戦後は、店舗も全部戦災で焼けどん底の状態を経験した」
    • [12]焼け野原に店舗を再建、1974年時点で四日市店は3度目の立地
    • [13]小売業は不動産業といわれるほど立地が要点、商家の言い伝え「土蔵の下には車をつけておけ」
  • 私の履歴書 岡田卓也(日本経済新聞社, 2004)
    • [14]長兄 岡田卓二氏の戦死、三男 岡田卓也氏が1958年に七代目を襲名

再建した店で、岡田氏は売り方そのものを変えた。1955年ごろからセルフサービス方式のSSDDSを取り入れている。当時は顧客になじみが薄く人件費も高くなかったため、必ずしも費用の削減にはつながらなかったが、先進国に学んで将来の姿を予測してかかったことが、その後の発展をもたらす原動力になった[16]と岡田氏は振り返った。1959年11月、商号を株式会社岡田屋へ改め[17]、同月、四日市店は百貨店法の適用を受けて営業を開始している。呉服店を名乗る時代は、この改称で終わった。 [15][18]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [15]昭和30年ごろからSSDDS方式(セルフサービス)を導入
    • [16]岡田卓也氏「先進国に学び、将来の姿を予測してかかったことが、その後の発展をもたらす原動力になっている」
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1959年11月 商号を株式会社岡田屋へ変更
    • [18]1959年11月 四日市店が百貨店法の適用を受けて営業開始
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [11]岡田卓也氏「戦後は、店舗も全部戦災で焼けどん底の状態を経験した」
    • [12]焼け野原に店舗を再建、1974年時点で四日市店は3度目の立地
    • [13]小売業は不動産業といわれるほど立地が要点、商家の言い伝え「土蔵の下には車をつけておけ」
    • [15]昭和30年ごろからSSDDS方式(セルフサービス)を導入
    • [16]岡田卓也氏「先進国に学び、将来の姿を予測してかかったことが、その後の発展をもたらす原動力になっている」
  • 私の履歴書 岡田卓也(日本経済新聞社, 2004)
    • [14]長兄 岡田卓二氏の戦死、三男 岡田卓也氏が1958年に七代目を襲名
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1959年11月 商号を株式会社岡田屋へ変更
    • [18]1959年11月 四日市店が百貨店法の適用を受けて営業開始

共同仕入会社(旧)ジャスコの設立と、「緩やかな連合」への批判

1960年代に入ると、ダイエー・西友・イトーヨーカ堂といった企業が全国へチェーンを広げ、仕入規模がそのまま店頭価格の差になる時代が訪れた[19]。三重県を地盤とする岡田屋は単独では調達量で見劣りし、同じ問題は兵庫のフタギ、大阪のシロも規模の壁として抱えていた[20]。岡田氏にとって、個人企業から脱皮して近代的な流通業に生まれ変わることが念願であり、その手段として考えられたのが合併という戦略である[21]。資本自由化を控えて流通機構の再編成が課題となる時期[22]でもあった。

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [19]1960年代後半 ダイエー・西友・イトーヨーカ堂の全国チェーン化で、地方中堅スーパーは仕入規模で劣位
    • [20]兵庫のフタギ・大阪のシロも同じ規模の制約を抱えた
    • [21]岡田卓也氏「個人企業から脱皮して近代的な流通業に生れかわることが私どもの念願となり、その手段として合併という戦略が考えられ」
  • 私の商社昭和史(水上達三 著、東洋経済新報社、1987年)
    • [22]流通機構の再編成には資本自由化への備えもあった

1969年2月、岡田屋・フタギ・シロの3社は共同出資で仕入会社(旧)ジャスコ株式会社を設立[23]した。本部の中枢機能をここへ集めて3社分の調達をまとめ、各社は法人として存続し店舗運営も地元に残したまま、規模の利益だけを共有しようとした設計[24]である。同じ1969年2月には三菱商事と提携し、両社の共同出資でショッピングセンターの建設と運営を担うダイヤモンドシティを設立[25]している。ダイエーの中内㓛氏は、緩やかな連合では実効がなく吸収合併でなければ意味がないと公に批判[26]した。3社が1年後に選んだのは、合併して一つの法人になりながら地域の経営は各地に残すという、両方を同時に採る設計[27]だった。

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1969年2月 岡田屋・フタギ・シロの3社が共同出資で(旧)ジャスコを設立
    • [24]本部中枢機能を集結して合理化を推進
  • 私の商社昭和史(水上達三 著、東洋経済新報社、1987年)
    • [25]1969年2月 三菱商事とジャスコの提携、共同出資でダイヤモンドシティを設立
  • 日経ビジネス 1969年11月号「スーパー合併時代」
    • [26]ダイエー 中内㓛氏が緩やかな連合方式を「吸収合併でなければ実効はない」と批判
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [27]合併して一法人となりながら地域の経営を各地に残す設計を採った
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [19]1960年代後半 ダイエー・西友・イトーヨーカ堂の全国チェーン化で、地方中堅スーパーは仕入規模で劣位
    • [20]兵庫のフタギ・大阪のシロも同じ規模の制約を抱えた
    • [21]岡田卓也氏「個人企業から脱皮して近代的な流通業に生れかわることが私どもの念願となり、その手段として合併という戦略が考えられ」
    • [27]合併して一法人となりながら地域の経営を各地に残す設計を採った
  • 私の商社昭和史(水上達三 著、東洋経済新報社、1987年)
    • [22]流通機構の再編成には資本自由化への備えもあった
    • [25]1969年2月 三菱商事とジャスコの提携、共同出資でダイヤモンドシティを設立
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1969年2月 岡田屋・フタギ・シロの3社が共同出資で(旧)ジャスコを設立
    • [24]本部中枢機能を集結して合理化を推進
  • 日経ビジネス 1969年11月号「スーパー合併時代」
    • [26]ダイエー 中内㓛氏が緩やかな連合方式を「吸収合併でなければ実効はない」と批判

1970年〜 五社対等合併が制度にした連邦経営と、全国チェーンへの拡大

イオンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1970年 5社の対等合併によるジャスコ発足と「連邦経営」の設計 大手の吸収合併とは異なる道を、地方の中堅スーパー5社はどう設計したか——対等合併と「連邦経営」でジャスコを発足させた判断
  2. 1970年 本店を移転
  3. 1970年 ジャスコに商号変更
  4. 1972年 京阪ジャスコなど3社を合併
  5. 1973年 三和商事・福岡大丸など6社を合併
  6. 1985年 海外1号店のジャヤ・ジャスコストアーズを開業
  7. 1988年 婦人服専門店チェーンのタルボット社を子会社化

創業家の名を社名に残さない対等合併

1970年3月、岡田屋は兵庫県下に27店舗を持つフタギをはじめ、オカダヤチェーン・カワムラ・(旧)ジャスコの4社と合併[28]した。5社が一つの法人になり、本店は三重から大阪市へ移り、資本金は6億8,844万円[29]へ増えた。翌4月、商号をジャスコ株式会社へ改めた[30]。合併の中心にいたのは岡田屋だったが、新社名に岡田屋の名は入っていない。最初の合併でもその後の地域会社との合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則は貫かれた。 [31]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1970年3月 兵庫県下に27店舗を有するフタギほか3社と合併、本店を大阪市へ移転
    • [29]合併後の資本金 688,440千円
    • [30]1970年 商号をジャスコ株式会社へ変更
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号「岡田卓也が語る『企業20年周期説』と社名変更」(日経BP)
    • [31]最初の合併でも以後の地域会社の合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則を貫いた

岡田卓也氏は合併の意味を、長年続いた同族企業のからを破って近代的な企業として大きく成長するには、製造業における新技術や新製品の開発にも等しい革新が必要だという点に置いた[32]。封建的な小売業界のなかにあって革命といってもよい、と本人は表現している。人事をはじめ困難な問題は多かったが、この合併は1970年にジャスコとして実現し、わが国小売業界再編成の口火を切る形になった[34]。グループ化の狙いは商品を大量かつ安価に仕入れて規模の利益を得る点にあり、当時としては例のない広範な再編戦略[35]だった。 [33]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [32]岡田卓也氏が合併を同族企業のからを破る革新、製造業の新技術・新製品開発にも等しい革新と位置づけた
    • [33]岡田卓也氏「封建的な小売業界の中にあって、革命といってもよい」
    • [34]1970年のジャスコ発足がわが国小売業界再編成の口火を切った
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「合併こそスーパーの生きる道」(日経BP)
    • [35]グループ化の狙いは大量・安価な仕入れによる規模の利益で、当時としては例のない広範な再編戦略

合流した企業は、地域会社として別組織に残された。山陽ジャスコ、大分ジャスコ、福岡ジャスコ、カクダイジャスコ、西奥羽ジャスコがそれで、旧経営陣がそのまま経営に当たっている。各地方のトップ経営者に責任を持って仕事をしてもらうほうが能力を発揮でき、多店舗展開のうえで量販店をめぐる問題が起きた場合にもこの形のほうが有利だ、というのが岡田氏の説明だった。仕入は一つに束ね、売り場は地域に委ねる。1979年時点で、ジャスコは連邦経営を旗印に流通業界の一大勢力になったと評されている[38][36][37]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [36]合併した企業を別組織の地域会社とした(山陽ジャスコ・大分ジャスコ・福岡ジャスコ・カクダイジャスコ・西奥羽ジャスコ)
    • [37]地方のトップ経営者に責任を持たせるほうが能力を発揮でき、多店舗展開で量販店に対する問題が起きた場合も有利という考え
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号「岡田卓也氏が語る"地方時代の連邦経営"」(日経BP)
    • [38]1979年時点でジャスコは連邦経営を旗印に流通業界の一大勢力と評された
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1970年3月 兵庫県下に27店舗を有するフタギほか3社と合併、本店を大阪市へ移転
    • [29]合併後の資本金 688,440千円
    • [30]1970年 商号をジャスコ株式会社へ変更
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号「岡田卓也が語る『企業20年周期説』と社名変更」(日経BP)
    • [31]最初の合併でも以後の地域会社の合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則を貫いた
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [32]岡田卓也氏が合併を同族企業のからを破る革新、製造業の新技術・新製品開発にも等しい革新と位置づけた
    • [33]岡田卓也氏「封建的な小売業界の中にあって、革命といってもよい」
    • [34]1970年のジャスコ発足がわが国小売業界再編成の口火を切った
    • [36]合併した企業を別組織の地域会社とした(山陽ジャスコ・大分ジャスコ・福岡ジャスコ・カクダイジャスコ・西奥羽ジャスコ)
    • [37]地方のトップ経営者に責任を持たせるほうが能力を発揮でき、多店舗展開で量販店に対する問題が起きた場合も有利という考え
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「合併こそスーパーの生きる道」(日経BP)
    • [35]グループ化の狙いは大量・安価な仕入れによる規模の利益で、当時としては例のない広範な再編戦略
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号「岡田卓也氏が語る"地方時代の連邦経営"」(日経BP)
    • [38]1979年時点でジャスコは連邦経営を旗印に流通業界の一大勢力と評された

地域会社の連続合併と、三市場への株式上場

合併はジャスコ設立を起こりとして、中国地方で1社、九州で2社、東北で2社という順に重ね[39]られた。1972年8月に京阪ジャスコ・やまてや産業・やまてやの3社を合併して資本金は7億7,550万円[40]となり、1973年2月には三和商事・福岡大丸・かくだい食品ら6社を合併して10億760万円へ増えている。地図の空白を、その土地で商売をしてきた企業ごと埋めていく進め方だった。 [41]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [39]合併はジャスコ設立を起こりとして中国地方1社・九州2社・東北2社の順に重ねられた
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [40]1972年8月 京阪ジャスコ・やまてや産業・やまてやの3社を合併、資本金775,500千円
    • [41]1973年2月 三和商事・福岡大丸・かくだい食品ほか6社を合併、資本金1,007,600千円

規模の拡大は資本市場での評価に結び付いた。1974年9月、ジャスコは東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部へ株式を上場している。翌1975年2月には100%出資会社のジャスコチェーンほか7社を合併し、あわせてジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲り受けた[43]。同年11月には京都・広島・福岡・新潟の各取引所へも上場[44]し、1976年8月2日には東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった。対等合併から6年で、地方の中堅スーパーの連合体は全国区の上場企業になった。 [42][45]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [42]1974年9月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部に上場
    • [43]1975年2月 100%出資会社ジャスコチェーンほか7社を合併、ジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲受
    • [44]1975年 京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場
    • [45]1976年8月2日 東京証券取引所市場第一部へ指定

合併と増資はその後も続いた。1976年8月には扇屋と東北ジャスコの2社を合併して資本金は31億5,000万円となり、1977年8月の伊勢甚百貨店ほか6社との合併で47億1,510万円まで積み増している。資金の調達先も国内に留まらない。1976年12月には欧州で株式を発行してルクセンブルク証券取引所へ上場[48]し、1977年6月には米ドル建転換社債[49]を、1978年12月にはドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所へ上場した[50]。1983年2月にはドイツマルク建新株引受権付社債も発行[51]している。 [46][47]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [46]1976年8月 扇屋・東北ジャスコの2社を合併、資本金3,150,000千円
    • [47]1977年 伊勢甚百貨店ほか6社と合併、資本金4,715,100千円
    • [48]1976年 欧州で株式(EDR)を発行しルクセンブルク証券取引所に上場
    • [49]1977年6月 欧州で米ドル建転換社債を発行
    • [50]1978年 ドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所へ上場
    • [51]1983年2月 ドイツマルク建新株引受権付社債を発行
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [39]合併はジャスコ設立を起こりとして中国地方1社・九州2社・東北2社の順に重ねられた
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [40]1972年8月 京阪ジャスコ・やまてや産業・やまてやの3社を合併、資本金775,500千円
    • [41]1973年2月 三和商事・福岡大丸・かくだい食品ほか6社を合併、資本金1,007,600千円
    • [42]1974年9月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部に上場
    • [43]1975年2月 100%出資会社ジャスコチェーンほか7社を合併、ジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲受
    • [44]1975年 京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場
    • [45]1976年8月2日 東京証券取引所市場第一部へ指定
    • [46]1976年8月 扇屋・東北ジャスコの2社を合併、資本金3,150,000千円
    • [47]1977年 伊勢甚百貨店ほか6社と合併、資本金4,715,100千円
    • [48]1976年 欧州で株式(EDR)を発行しルクセンブルク証券取引所に上場
    • [49]1977年6月 欧州で米ドル建転換社債を発行
    • [50]1978年 ドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所へ上場
    • [51]1983年2月 ドイツマルク建新株引受権付社債を発行

立地の三類型と、リースによる出店の身軽さ

店をどこへ置くかについて、ジャスコは1974年の時点で三つの型を持っていた。都心型に近いアンカーストアは今後数が減ると見られ、郊外に駐車場を持ち日用品を中心に展開するファミリーニーズ・ショッピングセンターが当時の主流である。三つめが本格的なショッピングセンターで、三菱商事と共同出資したダイヤモンドシティがその担い手[53]だった。奈良市西大寺の奈良ファミリーは百貨店とスーパーチェーンの二つを核とし、近鉄百貨店と組んで80店の専門店を配している。百貨店と組んで大規模な店舗を共同で開発し、新しい立地を創造する方式である。 [52][54]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [52]1974年時点の店舗立地3パターン:①アンカーストア(都心型、今後減少)②ファミリーニーズ・ショッピングセンター(郊外・駐車場・日用品中心、当時の主流)③ショッピングセンター
    • [53]ショッピングセンターの担い手は三菱商事と共同出資したダイヤモンドシティ
    • [54]奈良市西大寺の奈良ファミリーは百貨店とスーパーチェーンの2核、近鉄百貨店と組み80店の専門店を配置

出店の費用は徹底して抑えられた。できるだけ規格品を使って合理化し、冷暖房と空調を含めて坪25万円程度で店舗を建てている。土地はリース物件に頼れば保証金の投資だけで済む、と岡田氏は説明した。土地を買わずに店を出すという考え方は、この時点で既に実行されている。1979年3月には同業他社4社と共同で、海外商品調達のための輸入専門会社アイク株式会社を設立した。のちにイオントップバリュとなる会社である。1983年6月には本店を大阪市福島区から東京都千代田区へ移して[58]いる。 [55][56][57]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [55]規格品を使い合理化し、冷暖房・空調込みで坪25万円程度で店舗を建設
    • [56]岡田卓也氏「土地はリース物件にたよれば、保証金の投資だけで済む」
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [57]1979年3月 同業他社4社と共同で輸入専門会社アイク株式会社(現 イオントップバリュ)を設立
    • [58]1983年 本店を大阪市福島区から東京都千代田区へ移転

規制をめぐる立場も、この時期に定まっている。1974年、岡田氏は大型小売店法について、既存勢力が法による保護を求めた結果であり、百貨店業界がチェーンストアと同じ土俵で勝負すべきだとするのは全くナンセンスだと述べた。1985年6月にはマレーシアへ海外1号店となるジャヤ・ジャスコストアーズのダヤブミ店を開き[60]、同年8月に株主優待制度のオーナーズカードを導入している[61]。1986年10月には子会社の信州ジャスコが名古屋証券取引所市場第二部へ[62]、1988年6月には米国の婦人服専門店チェーンであるタルボット社を子会社を通じて買収し、同年9月に子会社のウエルマートが株式を店頭登録した[63][59]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [59]1974年 岡田卓也氏が大型小売店法を既存勢力による法の保護要求とし、百貨店業界の同一土俵論を「全くナンセンス」と批判
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [60]1985年6月 マレーシアに海外1号店ジャヤ・ジャスコストアーズ ダヤブミ店が開店
    • [61]1985年 オーナーズカード(株主優待制度)を導入
    • [62]1986年10月 子会社 信州ジャスコが名古屋証券取引所市場第二部に上場
    • [63]1988年6月 米国の婦人服専門店チェーン タルボット社を子会社を通じ買収、同年9月 ウエルマートが株式を店頭登録
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
    • [52]1974年時点の店舗立地3パターン:①アンカーストア(都心型、今後減少)②ファミリーニーズ・ショッピングセンター(郊外・駐車場・日用品中心、当時の主流)③ショッピングセンター
    • [53]ショッピングセンターの担い手は三菱商事と共同出資したダイヤモンドシティ
    • [54]奈良市西大寺の奈良ファミリーは百貨店とスーパーチェーンの2核、近鉄百貨店と組み80店の専門店を配置
    • [55]規格品を使い合理化し、冷暖房・空調込みで坪25万円程度で店舗を建設
    • [56]岡田卓也氏「土地はリース物件にたよれば、保証金の投資だけで済む」
    • [59]1974年 岡田卓也氏が大型小売店法を既存勢力による法の保護要求とし、百貨店業界の同一土俵論を「全くナンセンス」と批判
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [57]1979年3月 同業他社4社と共同で輸入専門会社アイク株式会社(現 イオントップバリュ)を設立
    • [58]1983年 本店を大阪市福島区から東京都千代田区へ移転
    • [60]1985年6月 マレーシアに海外1号店ジャヤ・ジャスコストアーズ ダヤブミ店が開店
    • [61]1985年 オーナーズカード(株主優待制度)を導入
    • [62]1986年10月 子会社 信州ジャスコが名古屋証券取引所市場第二部に上場
    • [63]1988年6月 米国の婦人服専門店チェーン タルボット社を子会社を通じ買収、同年9月 ウエルマートが株式を店頭登録

1989年〜 イオンへの改称と、大店法の緩和をにらんだ大型SCへの賭け

イオンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1989年 グループ名称を「イオングループ」と制定
  2. 1990年 コックスが株式を店頭登録
  3. 1995年 郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化 店を売る商売から、場を貸す商売へ——大店法緩和のなか、ジャスコは成長の主力をどこに置いたのか
  4. 1996年 田中賢二氏が社長に就任
  5. 1997年 田中賢二氏が総会屋への利益供与事件で逮捕
  6. 1997年 岡田元也氏が社長に就任
  7. 1997年 ヤオハンジャパンの再建支援を表明

企業20年周期説と、グループ名称の変更

1989年9月、会社はグループの名称を「イオングループ」と定めた。ジャスコという社名は1970年の対等合併で生まれ、この年で20年目に近づいていた。岡田卓也氏は企業には20年の周期があるという持論[65]を持ち、名称の変更を次の段階へ移る区切りと位置づけている。岡田屋からジャスコへ改めたときと同じく、ここでも創業家の名は掲げられていない。総合スーパー1社を核とする体制から、複数の事業を並べるグループへ移るという宣言でもあった。 [64][66]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1989年9月 グループの名称を「イオングループ」と制定
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号「岡田卓也が語る『企業20年周期説』と社名変更」(日経BP)
    • [65]岡田卓也氏の「企業20年周期説」と社名変更の関係
    • [66]最初の合併でも以後の合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則

改称の前後で、グループの事業は総合スーパーの外へ広がった。1991年1月に財団法人イオングループ環境財団を設立し、1993年7月には子会社のミニストップが東京証券取引所市場第二部へ上場[68]している。1994年5月には千葉県幕張に本社屋が完成して本社機能を移し[69]、同年12月には子会社のイオンクレジットサービスが株式を店頭登録した。金融とコンビニエンスストアが、総合スーパーと並ぶ事業として資本市場の評価を受け始めている。 [67][70]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [67]1991年1月 財団法人イオングループ環境財団(現 公益財団法人イオン環境財団)を設立
    • [68]1993年7月 子会社ミニストップが東京証券取引所市場第二部に上場
    • [69]1994年 千葉県幕張に本社屋が完成し本社機能を移転
    • [70]1994年 子会社イオンクレジットサービス(現 イオンフィナンシャルサービス)が株式を店頭登録

子会社を上場させる手法は、この時期に集中[71]している。1993年11月に米国の子会社タルボット社がニューヨーク証券取引所へ[72]、1994年2月には香港の子会社ジャスコストアーズ(香港)が香港証券取引所へ上場[73]した。1995年9月にはイオンクレジットサービス(アジア)が香港で[74]、1996年12月にはマレーシアのジャヤ・ジャスコストアーズがクアラルンプール証券取引所メインボードへ上場している。地域会社に経営を委ねる連邦経営は、資本の面では子会社をそれぞれ市場へ出すという形をとった。 [75]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [71]子会社の株式上場が1990年代前半に集中
    • [72]1993年 米国子会社タルボット社がニューヨーク証券取引所に上場
    • [73]1994年2月 香港子会社ジャスコストアーズ(香港)が香港証券取引所に上場
    • [74]1995年9月 イオンクレジットサービス(アジア)が香港証券取引所に上場
    • [75]1996年 ジャヤ・ジャスコストアーズがクアラルンプール証券取引所メインボードに上場
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1989年9月 グループの名称を「イオングループ」と制定
    • [67]1991年1月 財団法人イオングループ環境財団(現 公益財団法人イオン環境財団)を設立
    • [68]1993年7月 子会社ミニストップが東京証券取引所市場第二部に上場
    • [69]1994年 千葉県幕張に本社屋が完成し本社機能を移転
    • [70]1994年 子会社イオンクレジットサービス(現 イオンフィナンシャルサービス)が株式を店頭登録
    • [71]子会社の株式上場が1990年代前半に集中
    • [72]1993年 米国子会社タルボット社がニューヨーク証券取引所に上場
    • [73]1994年2月 香港子会社ジャスコストアーズ(香港)が香港証券取引所に上場
    • [74]1995年9月 イオンクレジットサービス(アジア)が香港証券取引所に上場
    • [75]1996年 ジャヤ・ジャスコストアーズがクアラルンプール証券取引所メインボードに上場
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号「岡田卓也が語る『企業20年周期説』と社名変更」(日経BP)
    • [65]岡田卓也氏の「企業20年周期説」と社名変更の関係
    • [66]最初の合併でも以後の合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則

大店法の緩和と、店対店からSC間競争へ

事業の枠組みを変えたのは、出店規制の緩みだった。1990年4月、政府は日米構造協議を受けて、大都市圏など特定地域の大規模小売店舗法の規制を1992年度に撤廃する方針を固めたと報じられている。岡田卓也氏は同年6月、大店法はいずれ撤廃せざるを得なくなると述べた。業界団体の多数派が規制の維持を望むなかで、岡田氏は規制の消滅を前提に事業を組み替える側に立っている。規制がなくなれば、店の大きさも置く場所も自由に選べる。 [76][77]

  • 日本経済新聞(1990年4月3日)「大店法、大都市圏は除外」
    • [76]1990年4月 日米構造協議を受け、大都市圏など特定地域の大店法規制を1992年度に撤廃する法改正方針
  • 日経流通新聞(1990年6月23日)
    • [77]1990年6月 岡田卓也氏「大店法はいずれ撤廃せざるを得なくなる」

1995年、ジャスコは郊外の大型ショッピングセンターを数多く出すことを成長の主力に定めた。これからは店対店ではなくSC間の競争であり、客は道さえよければ遠方のSCへも足を運ぶ、という読みである。岡田卓也氏は高速道路や空港、インターチェンジをかつての特急停車駅に見立て[79]、人の流れが変わる地点に店を置く構想を語った。500平方メートル未満の小型店はもはや客を満足させられないとして、既存店はスクラップ・アンド・ビルドで大型化する方針を掲げている。「大黒柱に車をつけよ」という家訓を、車社会の商圏移動に当てはめた読み替えである。 [78][80]

  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「ジャスコ、大型SC本格展開」(日経BP)
    • [78]これからは店対店でなくSC間競争の時代で、客は道さえよければ遠方のSCへ足を運ぶとの見方
    • [79]岡田卓也氏が高速道路・空港・インターチェンジを「かつての特急停車駅」と見立てて語った
    • [80]500㎡未満の小型店はもはや客を満足させられず、既存店をスクラップ・アンド・ビルドで大型化する方針

この路線には資金の使い方の転換が伴った。地価が上がらない以上、土地は買わずリースで調達して出店投資を身軽にする。商業施設を開発して賃料を得るデベロッパー機能が、商品を売る事業と並ぶ収益源として育てられた。ただし規制緩和は同業にも等しく効く。1990年の緩和以降、スーパー業界は出店ラッシュに入り、1990年代前半の5年間で売上規模が2割増にとどまる一方、売場面積は5割近く増えている。販売効率は下がり、1996年の全国スーパー販売実績は16兆6,958億円と前年比0.2%増[83]に過ぎなかった。 [81][82]

  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「ジャスコ、大型SC本格展開」(日経BP)
    • [81]数多くのSC出店を先決とし、土地は買わず出店投資をリース化する方針へ転換
  • 週刊東洋経済 1997年2月8日号「大店法廃止が迫るスーパー“出店競争”の危ない選択」
    • [82]1990年の大店法緩和以降の5年間で業界売上は2割増、売場面積は5割近く増加し販売効率が低下
    • [83]1996年の全国スーパー販売実績 16兆6,958億円(95年比0.2%増)
  • 日本経済新聞(1990年4月3日)「大店法、大都市圏は除外」
    • [76]1990年4月 日米構造協議を受け、大都市圏など特定地域の大店法規制を1992年度に撤廃する法改正方針
  • 日経流通新聞(1990年6月23日)
    • [77]1990年6月 岡田卓也氏「大店法はいずれ撤廃せざるを得なくなる」
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「ジャスコ、大型SC本格展開」(日経BP)
    • [78]これからは店対店でなくSC間競争の時代で、客は道さえよければ遠方のSCへ足を運ぶとの見方
    • [79]岡田卓也氏が高速道路・空港・インターチェンジを「かつての特急停車駅」と見立てて語った
    • [80]500㎡未満の小型店はもはや客を満足させられず、既存店をスクラップ・アンド・ビルドで大型化する方針
    • [81]数多くのSC出店を先決とし、土地は買わず出店投資をリース化する方針へ転換
  • 週刊東洋経済 1997年2月8日号「大店法廃止が迫るスーパー“出店競争”の危ない選択」
    • [82]1990年の大店法緩和以降の5年間で業界売上は2割増、売場面積は5割近く増加し販売効率が低下
    • [83]1996年の全国スーパー販売実績 16兆6,958億円(95年比0.2%増)

一勧事件が早めた継承と、支援という名の拡大

1996年、ジャスコは第一勧業銀行の元専務である田中賢二氏を副社長から社長に迎えた。田中氏は就任後すぐ、1998年2月期を初年度とする中期3カ年計画の立案に入っている。子会社30社の株式公開と、連結経常利益2,000億円の実現を掲げる内容[85]だった。1997年2月期の連結経常利益は701億円[86]であり、3年で3倍近くに増やす計画である。計画は岡田卓也氏の長男である岡田元也専務との共同作業で練り上げられ、社内では4年後に元也氏が社長へ昇格するという了解ができていた[87][84]

  • 週刊東洋経済 1997年6月28日号「ジャスコがさきがけた王位継承 流通大手、「偉大な父親」を継ぐ二世たち」
    • [84]元第一勧業銀行専務の田中賢二氏が副社長を経て1996年に社長就任
    • [85]中期3カ年計画は1998年2月期が初年度、子会社30社の株式公開と連結経常利益2,000億円を掲げた
    • [86]1997年2月期の連結経常利益実績 701億円
    • [87]中期計画は岡田元也氏との共同作業で、4年後に元也氏が社長昇格するのが社内のコンセンサスだった

予定は外から崩された。1997年6月10日、田中氏が第一勧業銀行在職中の総会屋向け融資に関与した容疑で逮捕される。香港に滞在していた岡田卓也会長は11日午後に帰国し[89]、常務以上の役員と協議したうえで同日夜、幕張本社で緊急記者会見に臨んだ。会見では榎本恵一専務が発言を求め、後任として岡田元也専務が全員一致で推挙されたと説明している。榎本氏はジャスコ役員で唯一のシロ出身者だった。社長昇格は3年早まり[91]、対等合併から27年を経て、創業家の長男が経営を継いだ。 [88][90]

  • 週刊東洋経済 1997年6月28日号「ジャスコがさきがけた王位継承 流通大手、「偉大な父親」を継ぐ二世たち」
    • [88]1997年6月10日 田中賢二社長が第一勧業銀行在職中の総会屋向け融資への関与で逮捕
    • [89]岡田卓也会長は香港から11日午後に帰国、夜に幕張本社で緊急記者会見
    • [90]榎本恵一専務が岡田元也専務を全員一致で推挙したと説明、榎本氏はジャスコ役員で唯一のシロ出身者
    • [91]本来は2000年に社長就任のシナリオで、昇格は3年早まった

世襲への批判に、岡田元也氏は自ら区切りをつけた。「この問題には、自分の代で世襲をやめることで決着をつけるつもりです。今後、岡田家からジャスコの経営者を出すことはありません」(週刊東洋経済 1997年8月23日号)。同じ年の10月、ジャスコは会社更生法の適用を申請したヤオハンジャパンの支援を決めている[93]岡田卓也氏は「雇用の維持を最優先に考えている。海外でも有名な企業が倒産に追い込まれれば流通業界に汚点を残す」と述べ、一方の元也氏は「ジャスコの株主に説明できる、目に見えるリターンはない[95]」と語った。再建は当事者が行い、自らは支えるのみという構え[96]は、地域会社に経営を委ねてきた連邦経営の延長にあった。 [92][94]

  • 週刊東洋経済 1997年8月23日号「編集長インタビュー 岡田元也 ジャスコ社長 家業を脱皮、世界企業を目指します」
    • [92]岡田元也氏の世襲終止宣言
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号「ジャスコ ヤオハン支援 あえて火中の栗を拾うジャスコのもくろみは」
    • [93]1997年9月18日ヤオハンジャパンが会社更生法適用を申請、10月6日にジャスコが支援を表明
    • [94]岡田卓也氏の会見発言(1997年10月6日)
    • [95]岡田元也氏の発言
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
    • [96]買収企業の経営は当事者が行い「再生を支えるのみ」という構えを貫いた
  • 週刊東洋経済 1997年6月28日号「ジャスコがさきがけた王位継承 流通大手、「偉大な父親」を継ぐ二世たち」
    • [84]元第一勧業銀行専務の田中賢二氏が副社長を経て1996年に社長就任
    • [85]中期3カ年計画は1998年2月期が初年度、子会社30社の株式公開と連結経常利益2,000億円を掲げた
    • [86]1997年2月期の連結経常利益実績 701億円
    • [87]中期計画は岡田元也氏との共同作業で、4年後に元也氏が社長昇格するのが社内のコンセンサスだった
    • [88]1997年6月10日 田中賢二社長が第一勧業銀行在職中の総会屋向け融資への関与で逮捕
    • [89]岡田卓也会長は香港から11日午後に帰国、夜に幕張本社で緊急記者会見
    • [90]榎本恵一専務が岡田元也専務を全員一致で推挙したと説明、榎本氏はジャスコ役員で唯一のシロ出身者
    • [91]本来は2000年に社長就任のシナリオで、昇格は3年早まった
  • 週刊東洋経済 1997年8月23日号「編集長インタビュー 岡田元也 ジャスコ社長 家業を脱皮、世界企業を目指します」
    • [92]岡田元也氏の世襲終止宣言
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号「ジャスコ ヤオハン支援 あえて火中の栗を拾うジャスコのもくろみは」
    • [93]1997年9月18日ヤオハンジャパンが会社更生法適用を申請、10月6日にジャスコが支援を表明
    • [94]岡田卓也氏の会見発言(1997年10月6日)
    • [95]岡田元也氏の発言
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
    • [96]買収企業の経営は当事者が行い「再生を支えるのみ」という構えを貫いた

2001年〜 連邦経営の解体と、食品スーパー再編の主導

イオンへの社名変更と、破綻企業の救済による拡大

2001年5月、本店を東京都千代田区から千葉市美浜区へ移し[97]、同年8月、社名をイオン株式会社へ改めた。グループの名称も正式にイオンへ改まった。1970年の対等合併で生まれたジャスコの名は、法人名としてここで消えた。1989年にグループ名をイオンへ改めてから12年、岡田卓也氏の20年周期説がいう次の区切りに近い時期の変更だった。翌2002年7月には子会社のイオンモールが東京証券取引所市場第一部へ上場している。1995年に掲げたリース中心のデベロッパー路線が、独立した上場企業として形をとった。 [98][99]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [97]2001年5月 本店を東京都千代田区から千葉市美浜区へ移転
    • [98]2001年 イオン株式会社に社名変更、グループ名称をイオンとする
    • [99]2002年7月 子会社イオンモールが東京証券取引所市場第一部に上場

拡大の主な手段は、経営に行き詰まった同業の引き受けだった。2001年11月22日、会社更生手続下のマイカルをイオンがスポンサーとして再建する方針が決まっている。マイカルのメインバンクである第一勧業銀行は、イオンのメインバンクでもあった。同行はイオンが支援に名乗りを上げた後も融資に応じず、支援を決めたのはイオンの内定当日である。ヤオハンのときと同じく、目先の採算より業界での位置を優先している。2003年11月、イオンは更生会社マイカルとマイカル九州を子会社化した[102][100][101]

  • 週刊東洋経済 2001年12月8日号「総合スーパーマイカル支援、イオンに決着 陰の主役・第一勧銀の思惑となお高い再建へのハードル」
    • [100]2001年11月22日 会社更生法下でイオンをスポンサーとしてマイカルを再建する方針が決定
    • [101]第一勧業銀行はマイカルとイオン双方のメインバンクで、イオンへの支援融資に応じず、支援内定当日に決定
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [102]2003年11月 更生会社マイカル及びマイカル九州を子会社化

2000年代に入っても買収は続き、2005年3月にカルフール・ジャパンを引き継いだイオンマルシェ[103]を、2006年3月にはオリジン東秀を、同年5月にはSC開発会社のダイヤモンドシティを子会社とした[104]。ダイヤモンドシティは1969年に三菱商事と共同で設立した会社であり、37年を経て完全に傘下へ入っている。2007年4月には北海道のポスフールを子会社化した。買った企業はいずれも屋号と経営陣を残し、自治を認める扱いとした。1970年の連邦経営が、破綻企業の受け皿としてそのまま適用され続けている。 [105][106]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [103]2005年 イオンマルシェ(旧社名カルフール・ジャパン)を子会社化
    • [104]2006年3月 オリジン東秀を子会社化、同年5月にダイヤモンドシティを子会社化
    • [105]2007年4月 ポスフール(現 イオン北海道)を子会社化
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
    • [106]経営破綻企業を中心に買収を重ね、買収企業には自治制を重んじる「緩やかな連帯」を適用した
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [97]2001年5月 本店を東京都千代田区から千葉市美浜区へ移転
    • [98]2001年 イオン株式会社に社名変更、グループ名称をイオンとする
    • [99]2002年7月 子会社イオンモールが東京証券取引所市場第一部に上場
    • [102]2003年11月 更生会社マイカル及びマイカル九州を子会社化
    • [103]2005年 イオンマルシェ(旧社名カルフール・ジャパン)を子会社化
    • [104]2006年3月 オリジン東秀を子会社化、同年5月にダイヤモンドシティを子会社化
    • [105]2007年4月 ポスフール(現 イオン北海道)を子会社化
  • 週刊東洋経済 2001年12月8日号「総合スーパーマイカル支援、イオンに決着 陰の主役・第一勧銀の思惑となお高い再建へのハードル」
    • [100]2001年11月22日 会社更生法下でイオンをスポンサーとしてマイカルを再建する方針が決定
    • [101]第一勧業銀行はマイカルとイオン双方のメインバンクで、イオンへの支援融資に応じず、支援内定当日に決定
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
    • [106]経営破綻企業を中心に買収を重ね、買収企業には自治制を重んじる「緩やかな連帯」を適用した

「恐竜」という自覚と、持株会社への移行

規模が増える一方で、総合スーパーという業態そのものが崩れ始めた。岡田元也氏は2005年、GMSでまともなのは食品だけで、住は家電専門店やホームセンターに、衣はしまむらや西松屋チェーンに取られ続けたと語っている。「われわれは恐竜か爬虫類。それに対して、ドラッグストアや専門店は哺乳類です。これは勝てない。生物の進化の度合いが全然違う」(週刊東洋経済 2005年5月21日号)。1年に1店舗つくれば大仕事という大店法時代のペースに慣れ切ったことを、岡田氏は人材面の反省として[109]挙げた。 [107][108]

  • 週刊東洋経済 2005年5月21日号「interview 岡田元也 イオン社長「われわれは“恐竜”レベル。進化しないと戦えない」」
    • [107]岡田元也氏がGMSでまともなのは食品だけで、住は家電専門店・ホームセンター、衣はしまむら・西松屋チェーンに取られたと指摘
    • [108]岡田元也氏の「恐竜か爬虫類」発言
    • [109]1年に1店舗つくれば大仕事という大店法のペースに慣れ切ったことを人材面の反省として挙げた

打開策は本業の外にも向けられた。2007年10月11日、イオン銀行が営業免許を取得し、20日から口座の申し込み受け付けを始めている。ATMを他行に開放して手数料を得るセブン銀行とは異なり、預金・投資信託・保険・カードローン・住宅ローンまで扱うフルバンキングを選んだ[111]。店舗は年中無休で朝9時から夜9時まで開ける小売業らしい設計とし、2010年3月期までに90店・ATM2,100台を置く計画を掲げた。1987年のビジョンが描いた、SCという乗り物に事業を重ねる構想の延長である。 [110][112]

  • 週刊東洋経済 2007年10月27日号「ニュース最前線03 流通 イオン銀行が始動 初年度が勝負のカギ」
    • [110]2007年10月11日 イオン銀行が営業免許を取得、20日から口座申込受付を開始
    • [111]セブン銀行のATM手数料モデルと異なり、預金・投信・保険・カードローン・住宅ローンを扱うフルバンキングを志向
    • [112]2010年3月期までに90店・ATM2,100台を設置する計画

2008年8月、イオンは会社分割で小売事業をイオンリテールへ移し、本体は純粋持株会社となった[113]岡田元也氏は移行の狙いを権限と責任の明確化に置き、実行力と執行力の不足を解消すると述べている。同時にGMSの整理にも踏み込んだ。連結437店のうちジャスコとマイカルで100店舗は閉鎖・移転・売却・業態転換のいずれかに手をつけると明言し、外科手術が必要だ[115]と語った。翌2009年2月期、リーマン・ショック後の消費減退で連結純損失28億円[116]を計上し、営業利益も前年の1,560億円から20.3%減って1,243億円に落ち込んでいる[117][114]

  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [113]2008年8月 会社分割でイオンリテールを設立し、イオン本体は純粋持株会社へ移行
  • 週刊東洋経済 2008年4月19日号「このひとに5つの質問 岡田元也 イオン社長 GMS100店を見直す 再生には外科手術が必要」
    • [114]岡田元也氏が持株会社移行の狙いを権限と責任の明確化、実行力と執行力不足の解消と説明
    • [115]連結437店(2008年2月末)のうちジャスコとマイカルで100店舗を見直す方針、「外科手術が必要だ」
  • イオン 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [116]2009年2月期 連結純損失2,760百万円
    • [117]2009年2月期 連結営業利益124,373百万円(前期156,040百万円から20.3%減)
  • 週刊東洋経済 2005年5月21日号「interview 岡田元也 イオン社長「われわれは“恐竜”レベル。進化しないと戦えない」」
    • [107]岡田元也氏がGMSでまともなのは食品だけで、住は家電専門店・ホームセンター、衣はしまむら・西松屋チェーンに取られたと指摘
    • [108]岡田元也氏の「恐竜か爬虫類」発言
    • [109]1年に1店舗つくれば大仕事という大店法のペースに慣れ切ったことを人材面の反省として挙げた
  • 週刊東洋経済 2007年10月27日号「ニュース最前線03 流通 イオン銀行が始動 初年度が勝負のカギ」
    • [110]2007年10月11日 イオン銀行が営業免許を取得、20日から口座申込受付を開始
    • [111]セブン銀行のATM手数料モデルと異なり、預金・投信・保険・カードローン・住宅ローンを扱うフルバンキングを志向
    • [112]2010年3月期までに90店・ATM2,100台を設置する計画
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [113]2008年8月 会社分割でイオンリテールを設立し、イオン本体は純粋持株会社へ移行
  • 週刊東洋経済 2008年4月19日号「このひとに5つの質問 岡田元也 イオン社長 GMS100店を見直す 再生には外科手術が必要」
    • [114]岡田元也氏が持株会社移行の狙いを権限と責任の明確化、実行力と執行力不足の解消と説明
    • [115]連結437店(2008年2月末)のうちジャスコとマイカルで100店舗を見直す方針、「外科手術が必要だ」
  • イオン 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [116]2009年2月期 連結純損失2,760百万円
    • [117]2009年2月期 連結営業利益124,373百万円(前期156,040百万円から20.3%減)

「緩やかな連帯」との決別と、食品スーパー再編の主導

2010年、イオンは自らの統治の型を捨てた。ジャスコを運営するイオンリテール、サティとビブレのマイカル、カルフールから引き継いだイオンマルシェという100%子会社3社を統合する検討に入り、店名も「イオン」へ統一する方針を決めている。ジャスコの看板は、ここで下りた。マイカルは完全子会社でありながら営業赤字が残り、「経営の自主性を尊重するあまり、グリップが利いていなかった[119]」とイオン幹部は語っている。各社で品揃えが違うため仕入も揃わず、規模の利益は十分に出ていなかった。1970年に規模と自治を両立させるために設計された連邦経営が、40年を経て規模の妨げになっていた。 [118][120]

  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
    • [118]2010年 イオンリテール・マイカル・イオンマルシェの100%子会社3社を統合する検討に入り、店名を「イオン」に統一
    • [119]マイカルは営業赤字が残り、イオン幹部が自治尊重によるグリップ不足を認めた
    • [120]各社で品揃えが異なり仕入がばらばらでスケールメリットが十分に出ていなかった

統治を握り直した後の買収は、持株比率の面でも変わった。2011年10月、イオンは中国・四国で211店舗を展開するマルナカと山陽マルナカの株式を創業家から取得すると発表し、同年11月に総額約450億円で完全子会社としている。過去の出資が5割未満に留まっていたのに対し、今回は株式のほぼ全てを取得[122]した。2013年8月にはTOBでダイエーを連結子会社[123]とし、2014年9月に株式交換による完全子会社化を発表、2015年1月に完全子会社[124]としている。岡田元也氏は2018年ごろにダイエーの屋号はなくなると断言している[125]。2014年11月にはドラッグストアのウエルシアホールディングスを[126]、2015年にはユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスを子会社とした[127][121]

  • イオン ニュースリリース 2011年10月5日「株式会社マルナカ及び株式会社山陽マルナカの株式取得(子会社化)及び株式会社マルナカホールディングスとの資本提携に関するお知らせ」
    • [121]2011年10月発表・11月完了 マルナカと山陽マルナカを総額約450億円で子会社化、中国・四国で211店舗
    • [122]マルナカでは過去の出資(5割未満)と異なり株式のほぼ全てを取得
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [123]2013年 TOBでダイエーを連結子会社化
    • [126]2014年11月 ウエルシアホールディングスを子会社化
    • [127]2015年 ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスを子会社化
  • 日本経済新聞(2014年9月24日)「「ダイエー」60年の歴史に幕 イオンが完全子会社化」
    • [124]2014年9月 株式交換による完全子会社化を発表、2015年1月に完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2014年10月11日号「核心リポート01 消える「ダイエー」の屋号 変容するイオンの統治」
    • [125]岡田元也氏が2014年9月24日の会見で「2018年ごろにダイエーの屋号はなくなる」と断言

屋号の整理はグループ全体へ及んだ。岡田元也氏は、今後の戦いは電子商取引でありブランドが多数に分かれているのは決定的に不利だとして、グループ全体の屋号を整理する段階に来たと語っている。2020年6月、23年にわたり社長を務めた岡田元也氏が退任し、吉田昭夫氏が就いた[129]。就任1年目の2021年2月期は新型コロナウイルスの影響で連結純損失710億円[130]を計上している。2022年3月には中四国最大手のフジを共同持株会社方式で連結子会社とした[131]。2024年2月にはツルハホールディングス・ウエルシアホールディングスとの経営統合で合意し、ツルハ株式を1,023億円で取得している[132]。2026年3月にはダイエーを首都圏と近畿に分割して、首都圏事業をユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス傘下へ移した[133]。2026年2月期の連結売上高は9兆3,554億円、当期純利益は726億円[134]である。 [128]

  • 週刊東洋経済 2014年10月11日号「核心リポート01 消える「ダイエー」の屋号 変容するイオンの統治」
    • [128]岡田元也氏「今後の戦いはeコマースであり、ブランディングが重要になる。多くのブランドに分かれているのは決定的に不利。グループ全体の屋号を整理する段階に来ている」
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [129]2020年 岡田元也氏が社長を退任し吉田昭夫氏が就任
    • [131]2022年 フジを共同持株会社方式で連結子会社化
  • イオン 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [130]2021年2月期 連結純損失71,024百万円
    • [134]2026年2月期 連結売上高9,355,439百万円・親会社株主に帰属する当期純利益72,677百万円
  • 流通ニュース「イオン/ウエルシア・ツルハを経営統合、ツルハ株式1023億円で取得」
    • [132]2024年2月28日 イオン・ツルハ・ウエルシアが経営統合の資本業務提携を締結、イオンがツルハ株式を1,023億円で取得
  • 週刊東洋経済 2026年1月24日号「ニュース&トピックス最前線 02 イオンがダイエーを2分割 狙いは首都圏と近畿の攻略」
    • [133]2026年3月1日 ダイエーを首都圏事業と近畿事業に分割、首都圏事業はUSMH傘下のイオンフードスタイルへ
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
    • [118]2010年 イオンリテール・マイカル・イオンマルシェの100%子会社3社を統合する検討に入り、店名を「イオン」に統一
    • [119]マイカルは営業赤字が残り、イオン幹部が自治尊重によるグリップ不足を認めた
    • [120]各社で品揃えが異なり仕入がばらばらでスケールメリットが十分に出ていなかった
  • イオン ニュースリリース 2011年10月5日「株式会社マルナカ及び株式会社山陽マルナカの株式取得(子会社化)及び株式会社マルナカホールディングスとの資本提携に関するお知らせ」
    • [121]2011年10月発表・11月完了 マルナカと山陽マルナカを総額約450億円で子会社化、中国・四国で211店舗
    • [122]マルナカでは過去の出資(5割未満)と異なり株式のほぼ全てを取得
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
    • [123]2013年 TOBでダイエーを連結子会社化
    • [126]2014年11月 ウエルシアホールディングスを子会社化
    • [127]2015年 ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスを子会社化
    • [129]2020年 岡田元也氏が社長を退任し吉田昭夫氏が就任
    • [131]2022年 フジを共同持株会社方式で連結子会社化
  • 日本経済新聞(2014年9月24日)「「ダイエー」60年の歴史に幕 イオンが完全子会社化」
    • [124]2014年9月 株式交換による完全子会社化を発表、2015年1月に完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2014年10月11日号「核心リポート01 消える「ダイエー」の屋号 変容するイオンの統治」
    • [125]岡田元也氏が2014年9月24日の会見で「2018年ごろにダイエーの屋号はなくなる」と断言
    • [128]岡田元也氏「今後の戦いはeコマースであり、ブランディングが重要になる。多くのブランドに分かれているのは決定的に不利。グループ全体の屋号を整理する段階に来ている」
  • イオン 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [130]2021年2月期 連結純損失71,024百万円
    • [134]2026年2月期 連結売上高9,355,439百万円・親会社株主に帰属する当期純利益72,677百万円
  • 流通ニュース「イオン/ウエルシア・ツルハを経営統合、ツルハ株式1023億円で取得」
    • [132]2024年2月28日 イオン・ツルハ・ウエルシアが経営統合の資本業務提携を締結、イオンがツルハ株式を1,023億円で取得
  • 週刊東洋経済 2026年1月24日号「ニュース&トピックス最前線 02 イオンがダイエーを2分割 狙いは首都圏と近畿の攻略」
    • [133]2026年3月1日 ダイエーを首都圏事業と近畿事業に分割、首都圏事業はUSMH傘下のイオンフードスタイルへ

イオンの沿革1758〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
イオン創業——伊勢街道の呉服商「篠原屋」から連邦経営のジャスコへ1758年に岡田惣左衛門氏が伊勢街道の四日市で暖簾分けした呉服太物商は、家訓「大黒柱に車をつけよ」を受け継ぎながらどう総合小売の連邦へ姿を変えたか 詳細を読む★★★
店規則を制定
岡田屋呉服店を設立
岡田卓也氏が7代目を継承★★
岡田屋に商号変更
四日市店が百貨店法の適用を受けて営業開始
フタギ・シロとの共同出資で(旧)ジャスコを設立★★
三菱商事との合弁でダイヤモンドシティを設立★★
岡田卓也5社の対等合併によるジャスコ発足と「連邦経営」の設計大手の吸収合併とは異なる道を、地方の中堅スーパー5社はどう設計したか——対等合併と「連邦経営」でジャスコを発足させた判断 詳細を読む★★★
岡田卓也本店を移転
岡田卓也ジャスコに商号変更
岡田卓也京阪ジャスコなど3社を合併
岡田卓也三和商事・福岡大丸など6社を合併
岡田卓也東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部に上場
岡田卓也ジャスコチェーンなど8社を合併
岡田卓也京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場
岡田卓也東京証券取引所市場第一部に指定替え
岡田卓也扇屋・東北ジャスコを合併
岡田卓也ルクセンブルク証券取引所に上場
岡田卓也伊勢甚百貨店など6社と合併
岡田卓也デュッセルドルフ・フランクフルト両証券取引所に上場
岡田卓也同業4社との共同出資で輸入専門会社アイクを設立
岡田卓也本店を移転
二木英徳海外1号店のジャヤ・ジャスコストアーズを開業★★
二木英徳株主優待制度のオーナーズカードを導入
二木英徳信州ジャスコが名古屋証券取引所市場第二部に上場
二木英徳婦人服専門店チェーンのタルボット社を子会社化★★
二木英徳ウエルマートが株式を店頭登録
二木英徳グループ名称を「イオングループ」と制定★★
二木英徳コックスが株式を店頭登録
二木英徳イオングループ環境財団を設立
二木英徳ミニストップが東京証券取引所市場第二部に上場
二木英徳タルボット社がニューヨーク証券取引所に上場
二木英徳ジャスコストアーズ(香港)が香港証券取引所に上場
二木英徳本社を移転
二木英徳イオンクレジットサービスが株式を店頭登録
二木英徳郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化店を売る商売から、場を貸す商売へ——大店法緩和のなか、ジャスコは成長の主力をどこに置いたのか 詳細を読む★★★
田中賢二田中賢二氏が社長に就任★★
田中賢二ジャヤ・ジャスコストアーズがクアラルンプール証券取引所に上場
岡田元也田中賢二氏が総会屋への利益供与事件で逮捕★★
岡田元也岡田元也氏が社長に就任★★
岡田元也ヤオハンジャパンの再建支援を表明★★
岡田元也本店を移転
岡田元也イオンに商号変更★★
岡田元也会社更生手続下のマイカルの再建スポンサーに決定★★
岡田元也イオンモールが東京証券取引所市場第一部に上場
岡田元也委員会等設置会社に移行★★
岡田元也更生会社マイカル・マイカル九州を子会社化★★
岡田元也イオンマルシェを子会社化
岡田元也オリジン東秀を子会社化
岡田元也ダイヤモンドシティを子会社化
岡田元也ポスフールを子会社化
岡田元也イオン銀行が営業免許を取得★★
岡田元也会社分割により純粋持株会社に移行★★
岡田元也連結純損失28億円を計上
岡田元也ツルヤ靴店を子会社化
岡田元也小売子会社3社の統合と店名の「イオン」統一を決定★★
岡田元也タルボット社の全株式を売却し連結対象から除外★★
岡田元也CFSコーポレーションを子会社化
岡田元也イオンリテールがマイカルを吸収合併
岡田元也中四国トップの食品スーパー、マルナカ・山陽マルナカの子会社化連邦経営を掲げてきたイオンが、なぜ約450億円で創業家から株式のほぼ全てを買い取ったか 詳細を読む★★★
岡田元也イオン銀行を子会社化
岡田元也イオンによるダイエーの完全子会社化と流通の世代交代「流通革命」の雄をどう引き取るか——救済型M&Aがもたらした、ダイエーからイオンへの主役交代 詳細を読む★★★
岡田元也ウエルシアHDを子会社化★★
岡田元也株式交換によりダイエーを完全子会社化
岡田元也マルエツを子会社化
岡田元也ユナイテッド・スーパーマーケットHD・カスミを子会社化★★
吉田昭夫吉田昭夫氏が社長に就任
吉田昭夫連結純損失710億円を計上★★
吉田昭夫キャンドゥを子会社化
吉田昭夫中四国最大手フジの共同持株会社化による実質子会社化と地域スーパー再編上場を残したまま地元最大手をどう束ねるか——共同持株会社を経てフジをイオンの連結子会社にした判断 詳細を読む★★★
吉田昭夫プライム市場に移行
吉田昭夫いなげやを子会社化
吉田昭夫ツルハHD・ウエルシアHDと経営統合で合意★★
吉田昭夫ダイエーの東西2分割と食品スーパーの再編完全子会社化から10年、赤字の名門をどう作り替えるか——首都圏と近畿へ分けたイオンの再編 詳細を読む★★★
吉田昭夫連結売上高9兆3554億円・純利益726億円を計上
吉田昭夫ダイエーの首都圏事業をイオンフードスタイルへ承継★★
出典・参考
  • 私の履歴書 岡田卓也(日本経済新聞社, 2004)
  • 証券アナリストジャーナル 1974年10月号「ジャスコ」岡田卓也(日本証券アナリスト協会)
  • イオン 有価証券報告書【沿革】
  • 私の商社昭和史(水上達三 著、東洋経済新報社、1987年)
  • 日経ビジネス 1969年11月号「スーパー合併時代」
  • 日経ビジネス 1989年7月17日号「岡田卓也が語る『企業20年周期説』と社名変更」(日経BP)
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「合併こそスーパーの生きる道」(日経BP)
  • 日経ビジネス 1979年4月23日号「岡田卓也氏が語る"地方時代の連邦経営"」(日経BP)
  • 日本経済新聞(1990年4月3日)「大店法、大都市圏は除外」
  • 日経流通新聞(1990年6月23日)
  • 日経ビジネス 1995年8月21日号「ジャスコ、大型SC本格展開」(日経BP)
  • 週刊東洋経済 1997年2月8日号「大店法廃止が迫るスーパー“出店競争”の危ない選択」
  • 週刊東洋経済 1997年6月28日号「ジャスコがさきがけた王位継承 流通大手、「偉大な父親」を継ぐ二世たち」
  • 週刊東洋経済 1997年8月23日号「編集長インタビュー 岡田元也 ジャスコ社長 家業を脱皮、世界企業を目指します」
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号「ジャスコ ヤオハン支援 あえて火中の栗を拾うジャスコのもくろみは」
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「NEWS TOP4 03 流通 ジャスコの看板下ろす 脱・イオン流の本気度」
  • 週刊東洋経済 2001年12月8日号「総合スーパーマイカル支援、イオンに決着 陰の主役・第一勧銀の思惑となお高い再建へのハードル」
  • 週刊東洋経済 2005年5月21日号「interview 岡田元也 イオン社長「われわれは“恐竜”レベル。進化しないと戦えない」」
  • 週刊東洋経済 2007年10月27日号「ニュース最前線03 流通 イオン銀行が始動 初年度が勝負のカギ」
  • 週刊東洋経済 2008年4月19日号「このひとに5つの質問 岡田元也 イオン社長 GMS100店を見直す 再生には外科手術が必要」
  • イオン 有価証券報告書(連結損益計算書)
  • イオン ニュースリリース 2011年10月5日「株式会社マルナカ及び株式会社山陽マルナカの株式取得(子会社化)及び株式会社マルナカホールディングスとの資本提携に関するお知らせ」
  • 日本経済新聞(2014年9月24日)「「ダイエー」60年の歴史に幕 イオンが完全子会社化」
  • 週刊東洋経済 2014年10月11日号「核心リポート01 消える「ダイエー」の屋号 変容するイオンの統治」
  • 流通ニュース「イオン/ウエルシア・ツルハを経営統合、ツルハ株式1023億円で取得」
  • 週刊東洋経済 2026年1月24日号「ニュース&トピックス最前線 02 イオンがダイエーを2分割 狙いは首都圏と近畿の攻略」

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