アシックスの歴史
沿革
1949年に鬼塚喜八郎氏が神戸で興したゴム履物問屋の鬼塚商会が起源。
1956年のメルボルン五輪で競技用シューズが選手に採用され、1977年にジィティオ・ジェレンクと合併して総合スポーツ用品メーカーへ転じた。ランニングを主力に、海外大手と競技者向けの機能で競う。
1949年〜鬼塚商会の発足とアシックスへの商号変更
- 鬼塚商会発足[2]
- 鬼塚商会の創業[2]
- バスケットボールシューズなどスポーツシューズの生産・販売を開始[2]
- 第一号のバスケットボールシューズを発売[3]
- マラソンシューズを発売[3]
- 自家工場タイガーゴム工業所(神戸市)を開所[2]
- ナイロン製シューズを発売[3]
- 関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚(東京都)を設立[2]
- タイガーゴム工業所の改組によりオニツカを設立[2]
- 鬼塚と東京鬼塚を吸収合併[2]
- 東京鬼塚本社を東京支店に商号変更[2]
- 中央産業へ、オニツカを吸収合併、直ちに商号をオニツカに変更[2]
- 神戸証券取引所に上場[2]
- 大阪証券取引所市場第二部に上場[2]
- スポーツシューズの生産工場として、鳥取オニツカ(のちに山陰アシックス工業)を設立[2]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[2]
- 東京・大阪証券取引所市場第一部に指定[2]
- 欧州市場開拓のためオニツカタイガー(のちにアシックスドイチュラントGmbH)を設立[2]
- オニツカなど3社合併[2]
- ジィティオ・ジェレンクと合併し7工場とジェレンクU.S.A.,Inc.を継承[2]
筆者所見
鬼塚喜八郎氏の創業期の経営は、問屋として販路を握ってから製造へ参入する順序で設計されていた。1949年9月の改組後はゴム履物の配給問屋を担い、1953年5月に自家工場タイガーゴム工業所を開所した[1]。売り先を確保した後に生産能力を足す手順が、資本の乏しいシューズ専業の会社に過大な危険を負わせずに規模を拡大する余地を与えた。専業の限界を越える次の一手が、脱同族を条件とした1977年の3社合併であった。
- [1]企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
1978年〜神戸ポートアイランド本社とスポーツ工学研究所の新設
- バレーボールブランド「ローテ」を発表[3]
- 野球ブランド「ローリングス」の野球用品を発売[3]
- ランニングシューズ「スカイセンサー/エクスカリバー」を発売[3]
- 鳥取アシックス工業(のちに山陰アシックス工業)を設立[2]
- アシックスタイガーコーポレーションを設立[2]
- 物流コストの合理化のためアシックス物流を設立[2]
- ウォーキングシューズ「ペダラ」を発売[3]
- 神戸ポートアイランド(神戸市)に新本社社屋建設、本社を移転[2]
- スポーツ工学研究所を新設[2]
- GEL搭載ランニングシューズを発売[3]
- アシックスタイガーオセアニアPTY.LTD.を設立[2]
- CIをリニューアルし新企業スローガンを設定[3]
- 欧州の販売強化のためアシックスフランスS.A.を設立[2]
- アシックススポーツ工学研究所・人財開発センターが竣工[2]
- 欧州の販売強化のためアシックスベネルクスB.V.を設立[2]
- 欧州の販売強化のためアシックスイタリアS.p.A.を設立[2]
- 新プロモーショナルマークを発表[3]
- 欧州の販売強化のためアシックスUKリミテッドを設立[2]
- ランニングシューズ「GEL-KAYANO TRAINER」を発売[3]
筆者所見
1980年代の海外展開は、販売を他社に委ねた失敗の清算から始まった。米国での販売を任せたブルーリボンスポーツ社は7年後に他メーカーからの仕入れに切り替え、世界市場では自社の4倍の規模の西独アディダスが首位にあった[4][5]。販売網を自前で持たなければブランドは育たないという教訓が、米国と欧州に自社の販売会社を相次いで置く方針の根拠になった。規模で劣る相手に対し競技者の上位層向けの機能で差を付けた方針が、ランニングシューズの地位の土台を築いた。
- [4]鬼塚喜八郎『私の履歴書』(日本経済新聞社, 1991年)
- [5]日経ビジネス(1985年8月19日)
1994年〜江蘇工場と欧州統括会社によるグローバル展開
- 江蘇愛世克私有限公司を設立[2]
- 欧州統括会社としてオランダにアシックスヨーロッパB.V.を設立[2]
- 高橋義行氏が社長に就任[3]
- 販売業務をアシックス北海道販売・アシックス中部販売に集約[2]
- 宮崎アシックス工業をアシックスアパレル工業に商号変更[2]
- ランニングシューズ「GEL-NIMBUS」を発売[3]
- アシックスR&DセンターでISO14001の認証を取得[2]
- 和田清美氏が社長に就任[3]
- アシックス歩人館を設立[2]
- オニツカタイガーブランドを復刻[3]
- 本社でISO14001の認証を取得[2]
- 東北地区の販売体制合理化のためアシックス東北販売を設立[2]
- スクールスポーツウエア事業のアシックスデポルテを合併[2]
- 直営店「オニツカタイガー東京」を開店[3]
- アシックスヨーロッパB.V.がアシックスベネルクスB.V.を合併[2]
- 福井アシックス工業が武生アシックス工業を合併[2]
- 台湾亞瑟士運動用品股份有限公司を設立[2]
- 九州地区の販売体制強化のためアシックス九州販売を設立[2]
- 愛世克私(上海)商貿有限公司を設立[2]
- アシックス歩人館がアシックススポーツビーイングを合併[2]
筆者所見
和田清美氏の再建で効いたのは、縮む国内市場の立て直しより、売上の主力を海外へ移したことだった。2002年4月にグループ全社の経営戦略としてASICS Revolution Planを実施し、2006年3月期には海外事業の売上高が国内事業を上回った[6][7]。国内市場の縮小を前提に置いたことで、グローバルな会社への転換は標語ではなく売上構成の目標に変わった。国内事業の弱さは解消されないまま、次の経営陣へ持ち越された。
- [6]アシックス ANNUAL REPORT 2002(株主へのメッセージ)
- [7]アシックス ANNUAL REPORT 2006(社長インタビュー)
2007年〜アシックス商事の子会社化とホグロフス買収
- ランニング専門店「アシックスストア東京」を開店[3]
- 関西支社社屋を建設[2]
- 持分法適用関連会社であったアシックス商事・子会社を子会社化[2]
- アシックス関越販売・アシックス中四国販売を設立[2]
- 韓国の販売強化のためアシックススポーツコーポレーションを設立[2]
- 東欧の販売体制強化のためアシックスポルスカを設立[2]
- 尾山基氏が社長、和田清美氏が会長に就任[3]
- オニツカタイガーの商品企画強化のためOTプランニングを設立[2]
- 企業博物館アシックススポーツミュージアムを開館[2]
- アシックススカンジナビアASを子会社化[2]
- 関東支社を東京支社に名称変更[2]
- スウェーデンのホグロフスHDAB・子会社を子会社化[2]
- 現地代理店Agence Québec Plus Ltéeを連結子会社化[2]
- 亞瑟士香港服装有限公司を設立[2]
- 東京支社を移転[2]
- 南アジアの販売体制強化のためアシックスインディアを設立[2]
- 東南アジアの販売体制強化のためアシックスアジアを設立[2]
- アシックスジャパンを設立[2]
- 日本事業をアシックスジャパン・アシックススポーツ販売に吸収分割[2]
- アシックススポーツメキシコを設立[2]
- アシックスサウスアフリカを設立[2]
- 公開買付け・株式交換により、アシックス商事・子会社を完全子会社化[2]
- 福井アシックス工業がアシックスアパレル工業を合併[2]
- アシックス物流の全株式を丸紅ロジスティクスに譲渡[2]
- ホグロフススカンジナビアABがホグロフスホールディングABを合併[2]
- アシックスミドルイーストホールディングB.V.を設立[2]
筆者所見
尾山基氏の8年間は、売上の規模で計画を追い、収益性で目標を達成できなかった。円高等の影響でACPの売上高目標3,000億円は未達が見込まれ、続くAGP2015でも2015年12月期の営業利益率は目標の10%以上に対し6.4%にとどまった[8]。ホグロフスやアシックス商事の取得は、売上を積み上げる一方で利益率を薄める方向に働いた。規模を先に置く計画と収益性の乖離が、次の中期経営計画で目標の下方修正を招く伏線になった。
- [8]アシックス「新中期経営計画「アシックス・グロース・プラン(AGP)2015」の策定について」(2010年11月16日)
2016年〜フィットネスキーパー買収とホグロフス売却
- アシックスジャパンがアシックス販売とホグロフスジャパンを合併[2]
- 大牟田工場の全事業を帝人フロンティアアパレル工業に承継[2]
- フィットネスキーパー Inc.を完全子会社化[2]
- アシックス(タイランド)を設立[2]
- アシックスミドルイーストトレーディングLLCを設立[2]
- 南米の販売体制強化のためアシックスチリを設立[2]
- 南米の販売体制強化のためアシックスペルーを設立[2]
- ベンチャー出資のためアシックス・ベンチャーズを設立[2]
- ブランドメッセージ「I MOVE ME」を発表[3]
- 南米の販売体制強化のためアシックスアルゼンチンを設立[2]
- アシックスマレーシアを設立[2]
- 南米の販売体制強化のためアシックスコロンビアを設立[2]
- 低酸素トレーニング施設のアシックス・スポーツコンプレックスを設立[2]
- アシックスベトナムを設立[2]
- アシックストライアスサービスとアシックススポーツファシリティーズを設立[2]
- PTアシックスインドネシアトレーディングを設立[2]
- アシックスアラビアFZEを設立[2]
- Registration Logic Pty Ltd.を完全子会社化[12]
- 保険代理店事業のためアシックス・プレイシュアを設立[2]
- 東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場に移行[2]
- 日本テレビHDと共同でアールビーズを子会社化[2]
- njuko SASを子会社化[2]
- ホグロフスABの株式譲渡を実行[2]
- 商品企画開発強化のためASICS Creation Center LLC.を設立[2]
- 普通株式の海外売出しを実施[13]
- 本店を神戸ポートアイランドから三宮に仮移転[2]
- DPTKINNOVACION Y TECNOLOGIA SLを連結子会社化[2]
- ASICS Institute of Sport Science America LLCを設立[2]
- 山陰アシックス工業の商号をオニツカイノベーティブファクトリーに変更[2]
- オニツカタイガー事業の分社[13]
- アシックス商事の解散・清算を決議[13]
筆者所見
2018年以降の回復は、売上の目標を自ら引き下げて利益の出る領域へ経営資源を絞った判断の産物である。2018年2月に中期経営計画の売上高目標を5,000億円以上へ修正し、2023年にはホグロフスを売却してランニング関連領域へ投資を集中させた[9][10]。廣田康人氏は、規模を追う計画を利益率優先へ改めた。2025年12月期の営業利益率は17.6%と過去最高に達した[11]。オニツカタイガーの事業の分社は、絞り込みの原則を事業単位にまで及ぼした帰結と言える。
- [9]アシックス「中期経営計画の修正に関するお知らせ」(2018年2月14日)
- [10]アシックス「Haglöfs AB の株式譲渡に関するお知らせ」(2023年12月18日)
- [11]アシックス 統合報告書2025(トップメッセージ)