1949年〜 神戸の鬼塚商会からオニツカタイガー・アシックスへの28年
アシックスの業績推移:単体
- 1949年 鬼塚商会発足
- 1949年 焼野原の神戸でスポーツシューズ専業に賭けた鬼塚商会の創業 靴の「ク」の字も知らなかった兵隊帰りは、なぜ青少年のための靴づくりに生涯を賭けたのか
- 1949年 バスケットボールシューズなどスポーツシューズの生産・販売を開始
- 1953年 自家工場タイガーゴム工業所(神戸市)を開所
- 1955年 関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚(東京都)を設立
- 1977年 オニツカ・ジィティオ・ジェレンク3社合併によるアシックス発足 創業者・鬼塚喜八郎氏はなぜ、対等合併の条件に「同族企業からの脱皮」を掲げたのか
- 1977年 ジィティオ・ジェレンクと合併し7工場とジェレンクU.S.A.,Inc.を継承
戦後復興期の神戸でスポーツシューズ専業に賭けた創業
1949年3月、鬼塚喜八郎氏が神戸市生田区山本通で個人名義のゴム履物問屋として鬼塚商会を発足したのが原点である。同年9月、鬼塚商会を改組して鬼塚株式会社(神戸市)を設立し、当初はゴム履物および自転車タイヤ・チューブの配給問屋として兵庫県警察本部の指定代行店業務を担った。だが鬼塚喜八郎氏は「戦後の青少年の育成はスポーツの興隆にある」との確信から、1950年にスポーツシューズの専門メーカーへ脱皮してバスケットボールシューズほかスポーツ専門シューズの研究に着手、1951年に統制品のゴムが解除されると本格的な製造販売に乗り出し、西日本各地区のスポーツ用品店への販路を広げた。資本金30万円・従業員2名の小規模な出発で、神戸の地場製造業として戦後復興期のスポーツ需要を捉えにいった。 [1][2][3][4]
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [1]1949年3月 神戸市生田区山本通において、鬼塚喜八郎が個人名義のゴム履物問屋として鬼塚商会を発足
- [2]1949年9月の改組後、当初はゴム履物および自転車タイヤ・チューブの配給問屋として兵庫県警察本部の指定代行店業務を担った
- [3]1950年 スポーツシューズの専門メーカーへ脱皮し、バスケットシューズほかスポーツ専門シューズの研究に着手
- [4]1951年 統制品のゴムが解除され、本格的な製造販売に乗り出して西日本各地区のスポーツ用品店へ販路を拡張
1953年5月、自家工場タイガーゴム工業所(神戸市・従業員約50名)を開所して内製による生産体制を整えた。1954年には東洋レーヨンの靴分野の指定工場となってナイロンスポーツシューズの研究・製造に着手し、1955年8月には関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚株式会社(東京都)を設立して東日本販売拠点を整備した。製品の技術水準も向上し、1956年にはメルボルンオリンピックほか各国際試合に同社製品が使用され、1957年には中小企業の模範企業として中小企業庁長官賞を受けた。同じく1957年6月、生産部門としてタイガーゴム工業所を改組してオニツカ株式会社を設立、1958年7月には鬼塚株式会社・東京鬼塚株式会社をオニツカ株式会社に吸収合併して生産・販売を一体化し、資本金830万円となった。創業から9年で「オニツカタイガー」ブランドのシューズ専業メーカーとしての体制を組成した。 [5][6][7][8][9][10][11]
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [5]1953年5月 自家工場タイガーゴム工業所(神戸市)を開所(従業員約50名)
- [6]1954年 東洋レーヨンの靴分野の指定工場となり、ナイロンスポーツシューズの研究・製造に着手
- [8]1956年 メルボルンオリンピックほか各国際試合に同社製品が使用された
- [9]1957年 中小企業の模範企業として中小企業庁長官賞を受けた
- [11]1958年7月 鬼塚株式会社・東京鬼塚株式会社をオニツカ株式会社に吸収合併し、生産・販売を一体化、資本金830万円となった
- アシックス 有価証券報告書【沿革】
- [7]1955年8月 関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚株式会社(東京都)を設立
- [10]1957年6月 生産部門としてタイガーゴム工業所を改組してオニツカ株式会社を設立
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [1]1949年3月 神戸市生田区山本通において、鬼塚喜八郎が個人名義のゴム履物問屋として鬼塚商会を発足
- [2]1949年9月の改組後、当初はゴム履物および自転車タイヤ・チューブの配給問屋として兵庫県警察本部の指定代行店業務を担った
- [3]1950年 スポーツシューズの専門メーカーへ脱皮し、バスケットシューズほかスポーツ専門シューズの研究に着手
- [4]1951年 統制品のゴムが解除され、本格的な製造販売に乗り出して西日本各地区のスポーツ用品店へ販路を拡張
- [5]1953年5月 自家工場タイガーゴム工業所(神戸市)を開所(従業員約50名)
- [6]1954年 東洋レーヨンの靴分野の指定工場となり、ナイロンスポーツシューズの研究・製造に着手
- [8]1956年 メルボルンオリンピックほか各国際試合に同社製品が使用された
- [9]1957年 中小企業の模範企業として中小企業庁長官賞を受けた
- [11]1958年7月 鬼塚株式会社・東京鬼塚株式会社をオニツカ株式会社に吸収合併し、生産・販売を一体化、資本金830万円となった
- アシックス 有価証券報告書【沿革】
- [7]1955年8月 関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚株式会社(東京都)を設立
- [10]1957年6月 生産部門としてタイガーゴム工業所を改組してオニツカ株式会社を設立
1960年代の上場と1970年代の事業多角化・グローバル化
1964年2月、神戸証券取引所に上場、同年4月には大阪証券取引所市場第二部に上場した。この頃にはスポーツ用シューズのシェアでわが国第一を誇るまでに成長しており、多品種少量生産を経営上の特長としつつ、量産可能な製品については一貫生産を行う体制を敷いていた。財務面では1964年以来の三ヵ年計画で自己資本比率の改善に努め、創業20周年を迎える1969年にはその比率を40%台に乗せる見通しに立っていた。1972年5月の東京証券取引所市場第二部上場を経て、1974年6月に東京・大阪証券取引所市場第一部に指定された。創業から25年で東証一部上場に到達した、戦後復興期スタートアップのスピード上場事例である。1975年8月には欧州市場開拓のためオニツカタイガー有限会社(のちにアシックスドイチュラントGmbH)を設立、欧州事業を開始した。 [12][13][14][15][16][17][18]
- アシックス 有価証券報告書【沿革】
- [12]1964年2月 神戸証券取引所に上場
- [13]1964年4月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [16]1972年5月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [17]1974年6月 東京・大阪証券取引所市場第一部に指定
- [18]1975年8月 欧州市場開拓のためオニツカタイガー有限会社(のちにアシックスドイチュラントGmbH)を設立
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [14]スポーツ用シューズのシェアでわが国第一。多品種少量生産を特長とし、量産可能製品は一貫生産
- [15]1964年以来の三ヵ年計画で自己資本比率の改善に努め、創業20周年の1969年に40%台に乗せる見通し
1977年7月、商号を株式会社アシックスに変更し、株式会社ジィティオ及びジェレンク株式会社と合併、縫製7工場及びジェレンクU.S.A.,Inc.(のちにアシックススポーツオブアメリカINC.)等を引継いだ。「アシックス」(ASICS)の社名は、ラテン語「Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神があれかし)」の頭文字に由来し、創業者・鬼塚喜八郎氏の創業哲学を社名に込めた。創業28年で「鬼塚」から「アシックス」へ商号転換すると同時に、競合3社(ジィティオ・ジェレンク・ジェレンクU.S.A.)との合併で生産・販売の規模を拡張する三社統合を実行した。 [19]
- アシックス 有価証券報告書【沿革】
- [19]1977年7月 商号を株式会社アシックスに変更し、株式会社ジィティオ及びジェレンク株式会社と合併、縫製7工場及びジェレンクU.S.A.,Inc.(のちにアシックススポーツオブアメリカINC.)等を引継いだ
- アシックス 有価証券報告書【沿革】
- [12]1964年2月 神戸証券取引所に上場
- [13]1964年4月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [16]1972年5月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [17]1974年6月 東京・大阪証券取引所市場第一部に指定
- [18]1975年8月 欧州市場開拓のためオニツカタイガー有限会社(のちにアシックスドイチュラントGmbH)を設立
- [19]1977年7月 商号を株式会社アシックスに変更し、株式会社ジィティオ及びジェレンク株式会社と合併、縫製7工場及びジェレンクU.S.A.,Inc.(のちにアシックススポーツオブアメリカINC.)等を引継いだ
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [14]スポーツ用シューズのシェアでわが国第一。多品種少量生産を特長とし、量産可能製品は一貫生産
- [15]1964年以来の三ヵ年計画で自己資本比率の改善に努め、創業20周年の1969年に40%台に乗せる見通し