高島屋の歴史

会社設立
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株式上場
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1831年
京都烏丸で古着商を創業
1876年
アメリカの商社スミス・ベーカー商会来店
1930年
南海難波駅に大阪店の開業(南海電鉄から賃貸)
1933年
東京で日本橋店の開業(日本生命から賃貸)
1950年
京都店を烏丸から河原町に移転
1957年
横浜高島屋を設立(相模鉄道と合弁)
1969年
高島屋玉川店を開業(日本初の本格的な郊外ショッピングセンター)
1981年
ダイエー提携破断
1987年
創業家の飯田新一が退任
1989年
グループ売上高1兆円を突破
1995年
地域法人を合併
1996年
新宿店を新設(旧国鉄系から賃貸)
2000年
名古屋駅にジェイアール東海髙島屋を開業
2010年
エイチツーオーとの提携撤回
2013年
新宿店の土地を一部取得
2020年
賃料負担を低減
1831年

京都烏丸で古着商を創業

江戸時代後期に、飯田新七が木綿による古着商を創業。以後、1987年まで、飯田家が同族企業として高島屋の経営を担った。

1876年

アメリカの商社スミス・ベーカー商会来店

明治維新によって舶来品が日本に輸入される時代が到来したことを受けて、飯田家も輸入品の取り扱いを本格化。米国のスミスベーカーとの取引を開始するなど、西洋の文化を取り入れるようになった。

1930年

南海難波駅に大阪店の開業(南海電鉄から賃貸)

南海電鉄のターミナル駅である難波に進出。難波駅は南海電鉄と、地下鉄御堂筋線の乗換駅として発展を遂げ、2020年の現在に至るまで大阪店は高島屋の売上no.1の旗艦店となっている。なお、2019年2期の大阪店の売上高は1,472億円

1933年

東京で日本橋店の開業(日本生命から賃貸)

東京への本格進出を図るため、東京日本橋店を開業。土地と建物を日本生命から賃貸することで東京進出を果たす。なお、1960年代までは日本生命のオフィスと高島屋の百貨店がビル内に併設されていた。なお、2019年2期の日本橋店の売上高は1,307億円

1950年

京都店を烏丸から河原町に移転

高島屋は烏丸にあった店舗を河原町に移転。なお、阪急が河原町に直接乗り入れを果たすのは1963年であり、高島屋は河原町が本格的に発展する前に進出する形となった。なお、2020年時点で百貨店建物の一部を阪急系の企業が所有しており、高島屋は賃料を支払っている。2019年2期の京都店の売上高は903億円

1957年

横浜高島屋を設立(相模鉄道と合弁)

横浜高島屋を設立し、横浜駅前に高島屋を新設した。なお、進出にあたっては横浜の地元鉄道会社である相模鉄道と提携し、進出先となる横浜駅前の土地を確保する。なお、2019年2期の横浜店の売上高は1325億円であり、高島屋の主要店舗の一つ

1969年

高島屋玉川店を開業(日本初の本格的な郊外ショッピングセンター)

高島屋は二子玉川に日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターを開業。自動車社会の到来を見据えて、マイカーで訪問できる新しい形の百貨店として、高島屋玉川店を開業した。なお、開発には高島屋の子会社「東神開発」が関わっており、2020年時点の現在も同社はショッピングセンター向けのデベロッパーとして高収益企業として好調な業績を維持している。

1981年

ダイエー提携破断

1981年に1月26日号の日経新聞は朝刊記事で「高島屋株10.4%をダイエー取得か」という憶測記事を掲載し、高島屋とダイエーとの提携のウワサが広まった。これに対して、ダイエーは高島屋の株時期取得に前向きであったが、高島屋創業家の飯田新一(高島屋・当時社長)は「株取得なんて依頼していない。そのつもりはない」という旨をコメントして対応した。なお、高島屋の社内にはダイエー提携の賛成派と反対派が存在し、熾烈な社内抗争が発生し、役員の分裂が起こる。

1987年

創業家の飯田新一が退任

創業以来、高島屋は飯田家によって経営されてきたが、1987年に高島屋の生え抜き社員である日高が社長に就任。オーナーカンパニーに終止符を打った。

1989年

グループ売上高1兆円を突破

高島屋は全国各地に合弁や、地元企業との提携という形で百貨店を新設。この結果、売上高1兆円を達成した

1995年

地域法人を合併

高島屋はグループ再編を行うため、横浜高島屋などの地域法人を相次いで合併。連結決算で1兆円を突破する

1996年

新宿店を新設(旧国鉄系から賃貸)

高島屋は旧国鉄の貨物ターミナル跡地に新宿店を新設し、長年の懸案であった新宿進出を果たす。ただし、土地は旧国鉄系の事業団が保有しており、高島屋は年間120億円に及ぶ賃料負担が課せられた。このため、高島屋は新宿店について年間1600億円の売上高目標を据えた。

鈴木弘治(高島屋・当時社長)の発言
鈴木弘治(高島屋・当時社長)の発言

(筆者注:2000年代の百貨店の業界再編について)統合効果というものはあるでしょう。別々にやるよりも潜在力が発揮され、競争力が高まり、統合という道を選ばない会社の脅威になるということもある。けれども、一方で「ブランド力」は統合することで弱まります。ウチみたいに(統合せずに)一本でいこうというところは、お客様から見ても高島屋は高島屋。一方で、三越に行ったら、「伊勢丹の人がやっている」と見るお客様がいるかもしれない。ノウハウを取り入れて`伊勢丹化`が進めば進むほど「三越」ブランドは弱くなる。</p><p>強い会社が(弱い会社を)吸収してしまう、というのなら話はわかるのです。しかし互いのブランドを残したまま、(持ち株会社方式で)統合することにはどんな意味があるのか。ここ一連の再編からは見えてきません。経営戦略の違いですね。統合を選ぶ他社にも選ばないウチにも必然がある。ただ、こんな状況下だからこそ、高島屋は高島屋です、ということを積極的に打ち出すことで、ブランド力を高められる可能性があります。

2008/4/14日経ビジネス「編集長インタビュー・鈴木弘治氏[高島屋社長]」
2000年

名古屋駅にジェイアール東海髙島屋を開業

名古屋駅前に高層ビルが建設されたのに合わせて、名古屋駅直結のジェイアール東海高島屋を開業。名古屋地区における百貨店の中心は「栄・矢場町」であり名古屋駅から地下鉄で5分の距離にあったが、高島屋の名古屋進出によって名古屋商圏の中心が「栄から名駅」に移動するきっかけとなる。

2010年

エイチツーオーとの提携撤回

百貨店業界を取り巻く競争環境の悪化を踏まえて、高島屋はエイチツーオーリテイリング(阪急阪神百貨店)との提携を発表するものの、2010年に提携そのものを撤回した。このため、百貨店の主要企業の中で、高島屋だけが単独路線を貫く形となる。

2013年

新宿店の土地を一部取得

1996年の高島屋新宿店の開業当初は年商1600億円を目標としていたが、2013年の時点での売上高は637億円に過ぎず、売上高が伸び悩む形であった。加えて、年間70億円にも及ぶ賃料負担が重くのしかかり、新宿店の経営を困難にした。このため、高島屋は新宿店の賃料負担を低下させるために、1000億円を投資して新宿店の一部式を取得する方針を決め、2017年には完全に自社保有となり賃料負担から解放される。

2020年

賃料負担を低減

2010年代を通じて高島屋は賃料負担を低減し、2005年に460億円だった年間不動産賃料は2020年に242億円へと抑制。賃料負担の低減によって、コスト構造の改善が進んでいる。

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