ミズノの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

用具を売る前に、その用具を使う競技のほうを主催した。輸入品が中心で市場そのものが小さい段階にあった1911年、水野利八氏は大阪実業団野球大会を開催し、1913年8月には関西学生連合野球大会を主催した。関西一円の25校が参加したこの大会は1915年に朝日新聞社へ引き継がれ、現在の全国高等学校野球選手権大会へつながっている。1945年8月の敗戦で軍需生産が止まり、グラブの原料となる皮革が闇にしか無くなると、利八氏は闇取引を全面的に禁じた。水野健次郎氏は上京して帆布10万6千ヤールの有償支給を受け、リュックサックを公定価格だけで販売した。軍需の資材を民生品へ転用したことが、統制価格のもとでの再開を可能にしている。

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