ゴールドウインザ・ノース・フェイスの日本・韓国における商標権取得

本国の企画を輸入して売り続けるか、日本で何を作るかを決める権利ごと買うか——輸入開始から17年目の選択

時期 1995年
意思決定者(推定) 西田東作 社長
論点 ブランドの権利と商品企画
概要
1995年、ゴールドウインが米国のアウトドアブランド「ザ・ノース・フェイス」の日本および韓国における商標権を取得した経営判断。1978年に始めた輸入販売・ライセンス生産から、自社の裁量で企画・製造・販売を行う立場へ移った。
背景
1970年のフザルプ社との技術提携を皮切りに海外ブランドとのライセンス契約を重ね、複数ブランドを扱う体制を作っていた。ただしライセンシーの立場では本国が決めた企画・寸法・色の枠を出られず、日本人の体型や使われ方に合わせた設計には限界があった。
内容
日本と韓国という地域を限って商標権を買い取り、商品開発からマーケティングまでを自社で決められる体制へ移した。1990年に取得済みだったエレッセの日本商標権に続く措置で、同じ年に東京・名古屋両証券取引所の市場第一部へ指定替えとなった。
含意
権利を握ったことで日本独自の商品群が成立し、2024年3月期のザ・ノース・フェイス売上高は975億円、連結売上高1,269億円の大半を占めるに至った。一方で権利範囲が日本と韓国に限られる制約は、自社ブランド育成という後年の課題として残った。
筆者の見解

買ったのは商品ではなく決定権

1995年に支払った対価が向かった先は、在庫でも設備でもなく、日本と韓国で何を作るかを決める権限であった。輸入代理店のままでも当時のザ・ノース・フェイスは売れていたはずで、権利の買い取りは目の前の売上を増やす投資ではない。効いてきたのは、都市で着るダウンや通勤に使うリュックのような、本国の商品計画には載らない品目を自前で立てられた点にある。同じ手順が1990年のエレッセ、2016年のヘリーハンセンでも踏まれており、単発の思いつきというより、この会社が繰り返し使ってきた型とみることができる。

ただし買ったのは二つの国の権利であって、世界ではなかった。2024年3月期に975億円まで育ったブランドを、そのまま海外へ持ち出す道は最初から閉じている。ゴールドウインは自社名を冠したブランドの育成へ資源を振り向け、2024年10月に韓国・ソウルへGoldwin Korea Corporationを設立、2026年2月14日には同ブランドとして世界最大規模の旗艦店をソウルに開いた。1995年に日本と並べて韓国を権利範囲に入れた判断は、30年後、他社ブランドではなく自社ブランドの店を構えるという答えに行き着いた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ライセンスで積み上げた17年

ゴールドウインが海外ブランドを扱い始めたのは1970年である。フランスのスキーウエアブランド、フザルプ社との技術提携を皮切りに、海外ブランドとのライセンス契約を重ね、世界最先端の技術を導入しながら複数ブランドを扱う事業の形を作った。1976年にはイタリアのエレッセのライセンス生産を始め、1978年にはザ・ノース・フェイスの輸入販売に着手した。1983年にはノルウェーのヘリーハンセンともライセンス契約を結んでいる[1][2]

借りたブランドで売る形は、当時のスポーツ用品業界では有力な手段であった。西田東作社長は1981年の講演で、世界の一流ブランドはロイヤリティも高く導入をめぐる競争も激しいと述べ、フザルプ社の技術提携には世界各国から23社が詰めかけたなかを1週間以上ねばって獲得したと語っている。契約を取ること自体が競争であり、取った後に何を作るかは別の交渉であった[3]

借りたままでは越えられない線

西田東作社長は、欧米と日本では物の作り方の前提が違うと繰り返し述べていた。洋服や靴は各人のサイズに合わせて作るのに対し、着物や下駄・草履は万人が着用できる。スポーツウエアも同じで、海外メーカーと技術提携したのはそうした日本的なやり方を是正するためだったと1991年12月の講演で語り、その時点では提携先より自社のほうが進んでいる面もあると述べている。技術は移せても、寸法を決める権利は移らなかった[4]

事業の側にも事情があった。1990年前後のバブル経済の崩壊以降、個人のライフスタイルや価値観が変わり、スポーツの楽しみ方は多様化した。主力のスキーウエアは季節と流行に左右される品目であり、1996年3月期の売上高779億円を支える構成は、冬に偏ったままであった。年間を通して需要のある領域へ商品を広げるには、企画の中身に手を入れられる立場が要る[5]

決断

1995年、地域を限って権利を買う

1995年、ゴールドウインはザ・ノース・フェイスの日本および韓国における商標権を取得した。輸入販売の開始から17年目にあたる。同じ年の9月には東京・名古屋両証券取引所の市場第一部へ指定替えとなっており、公開市場での資金調達の枠が広がった時期と権利の買い取りが重なった。会社側はこの措置を、多角化した事業を整理していく時期の「経営基盤の充実」と説明している[6][7]

権利を持つ前と後で何が変わったかは、実務を担った当事者が説明している。ザ・ノース・フェイスの事業に30年以上関わってきた渡辺貴生氏は、商標権の取得によって商品開発からマーケティングまで自社の裁量で自由にできるようになった[8]と述べている。本国が用意した型番を輸入して並べる仕事から、日本で何を作り、どう売るかを自分たちで決める仕事へ、業務の中身が入れ替わった。

先例としてのエレッセ、範囲としての日本と韓国

商標権を買うという手は、この時が初めてではなかった。同社は1989年から1990年にかけてエレッセの日本における商標権を取得しており、ダンスキンの商標権も同時期に押さえている。テニス・カジュアル領域で試した手順を、1995年に登山用品ブランドへ適用した順序になる。ライセンス契約と商標権取得を並べて持つ形は、以後の同社の海外ブランド事業の標準となった[9]

買い取った範囲が日本と韓国の二市場に限られた点は、この判断の輪郭を決めた。韓国では現地に会社を置いて事業を運営する形が採られ、2006年3月期の有価証券報告書には、GOLDWIN KOREA Corporationが韓国でスポーツウエアの企画・販売を担うと記されている。日本向けに設計した商品をそのまま持ち込める市場を、権利の側で一つ確保していた[10]

結果

日本企画という商品群

権利取得から20年余りを経た2018年の誌面は、国内で正規販売されているザ・ノース・フェイス商品のほとんどがゴールドウインの独自企画であると伝えている。日本人の体型に合わせるだけでなく、登山着では最新の素材や縫製・接着の技術を取り入れ、軽さや保温性、蒸れにくさで海外モデルを上回る製品に仕上げていた。本格的な登山以外の商品展開も多く、使われる場面の幅が国内市場では広がった[11]

数字にも表れた。2017年度の推計売上高は400億円前後で、過去6年で倍増し、全社売上高704億円の過半を1ブランドで稼ぐ構成になっていた。その後も伸びは続き、2024年3月期のザ・ノース・フェイス売上高は975億円、過去10年で約5倍となった。同期の連結売上高は1,269億円で、1995年に買った権利の上で会社の収益の大半が立つ状態に至った[12][13][14]

権利の外側に残った市場

買った範囲の外は、そのまま制約として残った。統合報告書2023は、ザ・ノース・フェイスが今後も中核ブランドである一方、同ブランドは日本と韓国以外の国では商標権の関係で販売に制約があると明記している。アパレル市場300兆円のうち国内は10兆円にすぎず、残る290兆円にほぼ手付かずであるという記述が続く。国内で通用した企画力を、そのまま持ち出せない構造になっていた[15]

権利を買う手法そのものは、その後も繰り返された。1983年のライセンス契約から33年を経た2016年12月、ゴールドウインはノルウェーのHelly Hansen ASからヘリーハンセンの日本における商標権を30億円で取得し、2017年1月25日に公表した。安定した事業基盤を確立し、中長期の戦略投資を可能にするというのが会社側の説明である。日本経済新聞も同日付で同じ内容と金額を報じている[16][17]

出典・参考

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