リログループ借上社宅の転貸事業への進出

留守宅を預かる代理人から、社宅を借りて企業へ貸す当事者へ

時期 2002年4月
意思決定者(推定) 佐々田正徳 社長
論点 事業モデルと収益構造
概要
2002年4月、リロ・ホールディング傘下のリロケーション・ジャパンが借上社宅の転貸を開始した。自らが賃貸借の当事者となって企業へ転貸し、契約事務と法的リスクを丸ごと引き受ける社宅管理サービスにあたる。
背景
祖業の留守宅管理は転勤者が平均4年で帰任すれば契約が終わり、リロケーション事業の売上高は2002年3月期までの数年間、120億円前後で横這いにとどまっていた。
内容
物件ごとに大家と契約して企業へ一括転貸し、年間補償料と引き換えに解約時の原状回復費を負担する。企業は敷金の差し入れも稟議も不要になり、転勤手続きは社員がインターネット上で完結できる仕組みも用意した。
含意
開始から1年で3,000戸を受託し、リロケーション事業の売上高は2003年3月期に160億円へ増えた。一方で転貸契約が期をまたいだ影響から同期の営業利益は上場以来初めて減り、管理体制の粗さが表面化した。
筆者の見解

名義を引き受けるという商売

この判断で新しかったのは、市場の発見ではなく、契約書の名義を自分に書き換えたことにある。留守宅管理では貸主の代理人にとどまり、収入は物件1件ごとの手数料であった。転貸では自らが借主となり、空室の期間も原状回復の費用も引き受ける。企業が払うのは、その面倒を外へ出す対価となる。人事部が抱えて処理しきれない仕事を聞き取って商品にするという手つきは、1993年の福利厚生倶楽部と同じであった。

引き受けた面倒は、そのまま管理の難しさとして返ってきた。転貸契約が1件、期をまたいだだけで上場以来初の営業減益になっている。月次の数字が翌月末に上がってくる体制のまま戸数だけが増えた結果であり、外部から招かれた斉藤尚史社長が最初に指摘したのもそこであった。留守宅を預かることから始めた会社は、2025年3月期末に27.8万戸の社宅を自ら借り、企業へ貸している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

帰任で終わる契約

留守宅管理は、転勤で空いた社員の家を預かり、借り手を探して貸し、帰任時に返すまでの役務にあたる。裏を返せば、転勤者が戻れば契約は終わる。転勤者の帰任までの期間は平均4年で、解約を上回る新規物件を取り続けなければ管理手数料は細っていく。バブル崩壊後は国内企業の海外撤退が相次ぎ、新規の受託そのものが鈍っていた。留守宅管理を主とするリロケーション事業の売上高は、2002年3月期までの数年間、120億円前後で横這いのまま推移した[1][2]

会社の側には期限があった。1999年9月に株式を店頭登録した際、佐々田正徳社長は4年ごとに目標を定める「オリンピック作戦」を掲げ、第一次の終期にあたる2003年3月期決算をもって東証一部上場を果たすと表明していた。福利厚生倶楽部は金融危機を追い風に会員を増やしていたが、祖業のリロケーション事業は止まっている。2001年7月には持株会社へ移行し、留守宅管理を新設のリロケーション・ジャパンへ、福利厚生代行をリロクラブへ分けたばかりであった[3][4]

企業が社宅を手放したあとに残った事務

同じころ、顧客側の事情も動いていた。減損会計の本格導入を控え、企業は保養所や社宅といった不要資産の売却を進める。自社所有の社宅を売った企業は、代わりの住まいを社員へ用意するため借上社宅を増やした。ところが借上社宅は、物件ごとに大家と賃貸借契約を結ぶ形をとる。人事異動のたびに契約と解約が発生し、敷金の差し入れという支出を伴うため、物件1件ごとに稟議書を書く必要が生じた[5]

事務の量だけではない。社員と大家のあいだにトラブルが起これば人事部が仲介に入り、毎月の家賃の支払いと更新時の手続き、退去時の原状回復費の交渉まで人事の担当者が抱える。アサヒビールの人事関連会社アサヒマネジメントサービスで人事事業部の課長を務めた木島一成氏は、この状態を「人事を担当するようになって8年、何とかしたいといつも考えていた」と振り返っている。企業の人事部という、リロケーション事業がすでに窓口として持っていた場所に、処理しきれない仕事が積み上がっていた[6]

決断

2002年4月、賃貸借の当事者になる

2002年4月、リロ・ホールディングは傘下のリロケーション・ジャパンで借上社宅の転貸という社宅管理サービスを始めた。同社が大家と個別に賃貸借契約を結び、それをまとめて顧客企業へ転貸する。契約の当事者がリロケーション・ジャパンになるため、企業は物件ごとの契約事務からも、賃貸借に伴う法的な責任からも離れられる。人事部から見れば、社宅の窓口が大家の数だけあった状態から、一社との取引に置き換わった[7]

引き受けたのは事務だけではない。企業が年間補償料を払えば、解約時の原状回復費はリロケーション・ジャパンが負担する。この仕組みなら企業は大家へ敷金を差し入れずに済む。加えて、転勤先の新居探しから引越し業者の手配まで、人事部が担ってきた手続きを転勤者本人がインターネット上で完結できるシステムも用意した。木島課長は「こんな仕組みがあったら便利と思っていたものをすべて実現してくれた」と述べている[8]

立ち位置の反転と、川上から川下まで

留守宅管理で同社が立っていたのは、転勤者すなわち貸主の側であった。空いた家を預かり、借り手を探し、賃料の一定割合を管理手数料として受け取る。転貸では立ち位置が入れ替わる。自らが借主として大家と契約し、企業に対しては貸主となる。空室の期間も原状回復の費用も自社の負担となる代わりに、企業から受け取る額と大家へ支払う額の差、および付随する役務の対価が積み上がる。同じ社宅という対象を扱いながら、収入の性格は別のものになった[9]

新居探し、引越しの手配、契約と管理という3つの役務を揃えたことで、転勤の川上から川下までが1社の中に収まった。人事部が抱えていた手間は、そのまま受託の対象になる。開始からわずか1年で、リロケーション・ジャパンは3,000戸の社宅管理を請け負った。留守宅管理の受託が転勤者の発生に左右されるのに対し、借上社宅は企業が住まいを用意し続けるかぎり積み上がる[10]

結果

横這いが崩れた年と、初の営業減益

数年間120億円前後で止まっていたリロケーション事業の売上高は、社宅の転貸が加わった2003年3月期に前年比1.2倍の160億円へ増え、翌2004年3月期には同1.6倍の252億円が見込まれた。連結ベースでも、1999年3月期の143億円から2003年3月期の241億円へ1.7倍に伸び、営業利益は6億円から13億円へ増えている。1999年以降の増収の多くを福利厚生代行が稼ぎ、そこへ社宅の転貸が第3の収入源として加わった。日経ビジネスは同年、留守宅管理に1993年の福利厚生代行と2002年の社宅転貸を重ねた3事業の構成が業績を押し上げたと報じている[11][12][13]

もっとも、同じ2003年3月期の営業利益は、1999年9月の株式公開以来はじめて前期を下回った。会社側は要因を、内定していた借上社宅の転貸契約が期をまたいだことと、福利厚生倶楽部の補填費用の増大によるコスト増と説明している。戸数と会員数が増える一方で、管理の体制が追いついていなかった。2003年6月、日本GEプラスチックスの社長を務めた斉藤尚史氏が社長に就任し、佐々田正徳氏は会長へ退いた。斉藤社長は「4月の数字が5月末に報告されるような現在の体制では、これ以上の成長は見込めない」と述べている[14][15]

主力事業への定着

転貸方式は、その後も同業がそのまま真似られる仕組みにはならなかった。企業と一括の転貸借契約を結び、各物件の契約当事者として書類の作成や提出、敷金の精算まで代行する形は同業他社に珍しく、2017年時点の管理戸数は14万4,400戸を超えた。中村謙一社長は当時、「競争になっても7〜8割は勝てている」と語っている。企業から見れば、物件ごとに押印し賃料を振り込む手間がまとめて消える点が選定の理由であった[16]

借上社宅管理の管理戸数は、2011年3月期末の6.3万戸から2025年3月期末の27.8万戸へ4.4倍に増えた。福利厚生・賃貸管理・観光と並ぶ4事業の一角として、海外グローバルモビリティ事業の撤退後も国内の収益を支えている。2002年に始めた転貸は、留守宅管理から派生した一サービスではなく、リログループの主力事業の名称そのものになった[17]

出典・参考
  • 日経ビジネス 2003年7月14日号「リロ・ホールディング 人事部の“悩みの種”がメシの種」
  • 週刊東洋経済 2017年6月17日号「ニッチな市場で稼ぐ 福利厚生代行 企業の費用削減が追い風 福利厚生で伸びるリロ」
  • 証券アナリストジャーナル 37(10) 1999年10月「日本リロケーション」佐々田正徳
  • リログループ 有価証券報告書【沿革】
  • リログループ 2025年3月期 決算説明会(2025年5月8日)

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