ユナイテッドアローズ東証上場を挟んだ自主企画レーベルの多層展開と、デザイン主体の商品づくりへの移行

仕入れた服を編集するか、自ら設計するか——同質化するセレクトショップ市場で、重松理社長は商品の何を入れ替えたか

時期 2002年3月
意思決定者(推定) 重松理 ユナイテッドアローズ 社長
論点 商品政策と業態の拡張
概要
2002年3月の東京証券取引所市場第二部上場と翌2003年3月の市場第一部指定を挟み、ユナイテッドアローズは商品の6割前後を占める自社企画品を、バイヤー別注の加工からデザイナー・パタンナーが設計する商品へ切り替えた。1999年に掲げた自主企画中心の商品政策とマルチレーベル政策を、上場後の規模で組み直した転換であった。
背景
1990年代末の同社は、輸入品でテストした商品を自主企画へ落とし込む商品構成と、16の自主企画レーベルを併走させるマルチレーベル政策を業態の柱に据えていた。2001年以降は低価格の工業製品ブームが退いてセレクトショップが再び伸びた一方、量販メーカーの追随商品が価格差を詰めていた。
内容
輸入セレクト品の比率を上げる道を取らず、自社企画品の水準をセレクト品並みへ引き上げた。売れ筋の型のポケットや裏地を替えるバイヤー別注の加工から、デザイナーやパタンナーが関与する商品づくりへ移り、レーベルごとに商品を設計し分ける体制を敷いた。
含意
2003年9月に原宿本店を増床して店舗数は50を超え、売上高は2004年3月期に429億円、2012年3月期には1,021億円へ達した。増やしたレーベルは小型事業として業態に育ち、2013年3月末には主力3業態と8つの小型事業が並ぶ構成になった。
筆者の見解

編集する店が、設計する店になるまで

この転換をセレクトショップのSPA化という一語で片づけると、順序を取り違える。自主企画を5割以上持つ形そのものは1999年の時点ですでに掲げられており、2002年からの数年で変わったのは比率ではなく中身であった。バイヤーが別注をかける水準の商品を、デザイナーとパタンナーが設計する商品へ入れ替える——上場で得た資金と信用を、店の数ではなくつくる側へ振り向けられたことが、この時期の分かれ目になったとみられる。

もっとも、レーベルを増やす型が伸びを保証したわけではない。1坪に十数品種を並べる密度を保つ限り、一つの業態が持てる店舗数には限りがあり、2006年3月末のユナイテッドアローズ業態は23店舗にとどまっていた。売上を伸ばす道は、レーベルを別の業態へ育て直すか、店を大型化するかに絞られる。重松理社長が1999年に掲げた2009年に1,000億円という構想が3年遅れて届いたことには、その手間の重さが表れているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

自主企画を5割持つ業態設計

ユナイテッドアローズは、内外から選び抜いた衣料を並べるセレクトショップとして知られながら、1990年代の終わりには商品の半分以上を自ら企画していた。重松理社長は1999年8月の講演で、自社の業態を「SELECT編集型SPA」と呼び、自主企画商品を50%以上持つ形と説明している。商品構成は先駆性10%・時代性40%・独自性50%を黄金律とし、輸入品で試したものを自主企画へ落とし込む道筋が敷かれていた[1]

この自主企画を支えたのが、16のレーベルを併走させるマルチレーベル政策であった。流行の短いサイクルと中くらいのサイクルを別のレーベルで受け止め、人気の出たものは「UAラボ」という実験店舗でいったん本体の外へ出し、事業として立つかを見極める。1999年9月にグリーンレーベル リラクシング、同年12月にクロムハーツが業態として独立したのは、この仕組みを通ってのことであった。会社は同年7月に株式を店頭登録し、拡大の元手も得ている[2][3]

決断

上場と、デザインで勝負する商品への切り替え

2002年3月、ユナイテッドアローズは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、翌2003年3月には市場第一部銘柄に指定された。上場を挟む2期で売上高は269億円から353億円へ伸び、従業員も441名から581名に増えている。もっとも、業態そのものは同じ時期に曲がり角へ差しかかっていた。量販メーカーが低価格の追随商品を市場へ流し始め、価格帯の高いセレクトショップの存在価値は薄れ始めていた[4][5][6]

打開の道として選ばれたのは、輸入セレクト品の比率を上げることではなく、商品の6割前後を占める自社企画品をセレクト品並みの水準へ引き上げることであった。売れ筋の型のポケットや裏地を替えるバイヤー別注の加工では、量販の追随商品と差がつかない。デザイナーやパタンナーが関わる商品づくりへ、レーベルの中身を移していった。2002年秋から広がったデザイン性で勝負する流れのなかで、既存店で20%前後の増収を保つ同社は、商品づくりの進化を先に遂げた一社に数えられている[7][8]

結果

多層化したレーベルが業態に育つまで

転換の効果は、店舗と数字の両面に表れた。2003年9月、同社は旗艦店のユナイテッドアローズ原宿本店を増床してリニューアルし、この期に店舗数は50店舗を超えた。売上高は2004年3月期に429億円、連結決算を始めた2006年3月期には538億円へ伸びている。ただし内訳を見ると、2006年3月末のユナイテッドアローズ業態は23店舗にとどまり、グリーンレーベル リラクシングの27店舗がこれを上回っていた[9][10]

自主企画レーベルを増やして育てる型は、やがて事業構成そのものになった。2013年3月末の同社は、主力3業態に加えて「アナザーエディション」「ドゥロワー」「オデット エ オディール ユナイテッドアローズ」など8つの小型事業を抱え、いずれもオリジナルレーベルを核に据えている。連結売上高は2012年3月期に1,021億円へ達した。重松理社長が1999年に語った2009年までに1,000億円という構想は、3年遅れで届いたことになる[11][12]

出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1999年9月号「企業 ユナイテッドアローズ」(重松理 社長講演、1999年8月4日)
  • 週刊東洋経済 2003年3月8日号「[ビジネスリポート:03/Clothing]ユナイテッドアローズは勝ち続けるか?曲がり角のセレクトショップ」
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】【事業の内容】
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書(2013年3月期)【事業の内容】

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