この判断の芯は、赤字を前提に外部資金で研究を回すという当時のバイオベンチャーの常識を退け、黒字の単独経営が成り立つ事業モデルを先に組み立てた点にある。自社で薬を売る"ミニ製薬会社"を目指せば、上場維持と研究の両立に追われる。窪田規一氏が大手への技術提供と多数の並行案件という設計を選び通せたのは、菅裕明氏の技術を独占して使える強みと、発明と経営を切り分けた体制が重なっていたからだと思われる。上場を、資金調達よりモデルの提示の場に置けた背景もそこにある。
もっとも、黒字を可能にした提携依存は、裏返せば新薬創出の主導権を相手に委ねることでもあった。市場が年に数本の新薬を待つなか、窪田氏自身が同社ブランドの色あせを認め、時価総額の評価を"期待値"と呼んだところに、このモデルの限界も見える。単独で黒字を保つ設計が、そのまま創薬企業としての完成を意味したわけではない。上場から数年で固まった提携型の骨格の上に、自社の成果をどう積むかという課題は、社長を承継した後任の経営陣へ持ち越されたといえる。