ペプチドリーム創業7年でのマザーズ上場と、製薬大手への技術提供を収益源とする研究開発受託モデルの確立

自社で薬を売るか、大手に技術を渡すか——赤字が常のバイオ業界で、窪田規一社長はなぜ黒字の単独経営を組み立てたか

時期 2013年6月
意思決定者(推定) 窪田規一 社長
論点 上場と事業モデルの選択
概要
2013年6月、ペプチドリームは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。2006年の設立から7年での上場で、赤字経営が常態だった当時のバイオベンチャーの中では、黒字を保ったまま株式公開に至った希少な例であった。自社で新薬を売り出す道をとらず、独自基盤PDPSを大手製薬に供与し開発を委ねる提携型の受託モデルで、外部資金への依存を抑えた単独経営を確立した判断である。
背景
2000年代の日本では大学発バイオベンチャーの設立が相次いだが、上場した約30社の大半が赤字であった。創薬は承認まで15年を要し、数年で成果が見えないと投資家が離れ、資金難の悪循環に陥りやすい。窪田規一氏は、日本では創薬ベンチャーに「ミニ製薬会社」を求める風潮が強く、上場維持と研究の両立に資源を奪われる構造を問題と見ていた。
内容
収益の柱を二つに置いた。世界の製薬大手との共同研究による契約一時金・マイルストーン収入と、PDPSそのものを供与する技術ライセンス料である。新薬の知的財産は放棄する代わりに開発の各段階で成功報酬を得る設計で、常時50〜60本の開発を並行させ、案件ごとの失敗を全体でならした。技術を生んだ菅裕明氏は研究に、窪田氏は経営にと役割を分けた。
含意
上場後も増収増益を重ね、2015年12月に東証一部へ昇格。2020年末の提携は共同研究20社・技術ライセンス9社、開発プログラムは120件に達し、2020年12月期の営業利益率は59%に上った。時価総額は一時8000億円台に届いたが、窪田氏はこれを実力以上の「期待値」と受け止めていた。提携型で黒字を保つ設計が、創薬企業としての完成を意味したわけではなかった。
筆者の見解

黒字の設計と、創薬企業としての課題

この判断の芯は、赤字を前提に外部資金で研究を回すという当時のバイオベンチャーの常識を退け、黒字の単独経営が成り立つ事業モデルを先に組み立てた点にある。自社で薬を売る「ミニ製薬会社」を目指せば、上場維持と研究の両立に追われる。窪田規一氏が大手への技術提供と多数の並行案件という設計を選び通せたのは、菅裕明氏の技術を独占して使える強みと、発明と経営を切り分けた体制が重なっていたからだとみられる。上場を、資金集めよりモデルの提示の場に置けた背景もそこにある。

もっとも、黒字を可能にした提携依存は、裏返せば新薬創出の主導権を相手に委ねることでもあった。市場が年に数本の新薬を待つなか、窪田氏自身が同社ブランドの色あせを認め、時価総額の評価を「期待値」と呼んだところに、このモデルの限界も見える。単独で黒字を保つ設計が、そのまま創薬企業としての完成を意味したわけではない。上場から数年で固まった提携型の骨格の上に、自社の成果をどう積むかという課題は、社長を継いだ後任の経営陣へ持ち越されたといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

赤字が常だったバイオベンチャーと創薬の時間軸

2000年代の日本では、経済産業省が掲げた「大学発ベンチャー1000社計画」を追い風に、創薬系を含むバイオベンチャーの設立が相次いだ。ただ上場したバイオベンチャーは30社ほどで、その大半が赤字経営であった。創薬は候補物質の探索から承認・製造販売まで15年ほどを要し、数年で成果が見えないと投資家が離れ、資金不足の悪循環に陥りやすい構造をかかえていた[1]

上場で資金を得ても、売上高や黒字化の基準を満たすために上場維持へ経営資源を割かれ、研究に集中しにくいという問題もあった。窪田規一氏は、日本では創薬ベンチャーに「ミニ製薬会社」を求める風潮が強いと見ていた。米国型のように候補物質の発見から承認・販売までの各段階で大手とM&Aやアライアンスを組む道は、日本では採りにくいという認識であった[2]

東大発の技術基盤と、発明・経営の切り分け

ペプチドリームは2006年7月、東京大学先端科学技術研究センター教授の菅裕明氏と、日産自動車などを経て創薬事業に携わった窪田規一氏が共同で設立した。菅氏が開発した人工RNA触媒「フレキシザイム」を母体に、特殊環状ペプチドを合成・選別する創薬基盤を築き、2010年10月に独自の創薬開発プラットフォーム「PDPS」の確立を公表した。この基盤がのちの提携ビジネスの中核となる[3]

同社の特徴は、技術を生んだ研究者と経営を明確に分けた点にあった。菅氏は大学の研究者にとどまり、技術を使いたい製薬企業には同社を通す形をとった。窪田氏は、大学発ベンチャーでは技術を発明した大学の教員と経営者が途中で決裂する例が大半だとし、菅氏との良好な関係を保てたことを成功要因の一つに挙げている。発明と経営の分離が、事業を進める前提に置かれていた[4]

決断

創業7年での黒字上場

2013年6月、ペプチドリームは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。2006年の設立から7年での上場である。上場した2013年6月期は単体で売上高7億円、営業利益2億円と、赤字が当たり前とされたバイオベンチャーの中では、黒字を保ったまま株式公開に至った希少な例であった。設立以来ほとんど外部資金に頼らず自力で稼ぐ体制を、上場という節目にも崩さなかった[5][6]

上場後も同社は身軽な体制を保った。東証一部へ移ったのちも本社は東京大学のインキュベーション施設に置かれ、受付もない状態であった。窪田氏は、借入や無駄な資金を抱えないで済む「分相応」の体制づくりから始めたと述べ、なるべく資金調達をせず自分たちの力で経営することを大きな目標に据えていた。上場は資金集めの手段というより、事業モデルを世に示す場でもあった[7][8]

提携型の受託という設計

同社は自社で新薬を売り出す道をとらず、大手製薬会社のニーズに合わせて技術を提供し、開発は相手に委ねる方式を選んだ。収益の柱は二つで、世界の製薬大手との共同研究による契約一時金・マイルストーン収入と、PDPSそのものを供与する技術ライセンス料である。新薬の知的財産は放棄する代わりに、開発が初期・中期・後期と進む各段階で成功報酬を受け取る仕組みであった[9][10]

この設計により、案件ごとの失敗が業績を大きく揺らさない構造ができた。従来のバイオベンチャーが年に1〜2本の候補物質にとどまるのに対し、同社は常時50〜60本の開発を並行させ、失敗を全体でならした。窪田氏は会社設立の前に1年をかけて事業モデルを組み立てたと語り、この提携型の受託を、単独で黒字を保ち続けるための前提に据えていた[11][12]

結果

黒字を保った拡大と、市場の評価

上場後の同社は増収増益を重ねた。2015年12月には東証マザーズから市場第一部へ移り、設立から9年での一部昇格となった。提携は積み上がり、2020年末の時点で共同研究が20社、技術ライセンスが9社、関与する開発プログラムは120件に達した。研究開発受託に徹する事業構成のまま、2020年12月期の営業利益率は59%に上った[13][14]

提携型のモデルは株式市場からも評価され、時価総額は一時8000億円台に達した。ただ窪田氏は、それを実力以上の「期待値」と受け止め、市場が年に数本の新薬創出を待っていることに留保を置いた。研究者出身のリード・パトリック氏へ社長を譲った2017年以降も、共同研究と技術供与を軸に単独で黒字を保つ骨格は引き継がれていった[15][16]

出典・参考

免責事項およびポリシー