上場は、会社の資金の出どころを銀行から市場へ移す手続きにすぎない。ただヒロセ電機の場合、その手続きが技術の独立と結びついていた点に特徴がある。1972年の業界地図では上位5社のうち4社が米国大手との合弁か技術提携であり、資本と技術をまとめて外から入れるのが上位へ並ぶ標準的な道であった。同社は資本だけを公開市場から調達し、技術は自主開発で持ち続けた。両方を外から入れていれば、コネクタの仕様も価格も相手の都合に従わざるを得なかったのだろう。
皮肉なのは、公開しても手元の資金が潤沢にはならなかったことである。工場へ回す金を絞った結果として外注が広がり、それが設備投資と労務費を自社で負わない生産体制に育った。1995年3月期のヒロセ電機は売上高経常利益率19.2%で、電子部品主要30社平均の6.0%の3倍を超えていたが、その利益を生んでいたのは自社の設備ではなく岩手県宮古周辺の協力工場群であった。銀行に頭を下げたくないという1970年の一言が、上場と、工場を持たない生産の両方を連れてきた。