この決断が置かれた場所は、資金需要ではなく、人の不在であった。ロイヤルティー1%と厳しい加盟審査という仕組みは、選び抜いた相手との信頼を前提にしており、その信頼を日々つないでいたのがスーパーバイザーの現場であった。要を担う一人を失って初めて、チェーンの強さが個人の力に負っていたことが見えたと思われる。株式公開という、およそ弔いに似つかわしくない手段が選ばれた理由は、失った機能を人ではなく制度で補おうとした点にあったのだろう。
もっとも、制度に移せたものと移せなかったものの線引きは、その後の経営が示している。上場によって出店と調達の速度は上がり、店舗数は1990年代前半に業界首位へ届いた。一方で、理念でチェーンを統括する役割は創業者本人に残り続け、1997年の急逝後には後任人事の混乱と加盟店の動揺が生じている。組織の形を先に整えることと、その組織を動かす求心力を引き継ぐことは、同じ作業ではない——この判断は、創業者企業がいずれ向き合う問いを早い段階で提示していたといえる。