吉野家HDの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

商品の規格を守るためなら、売る物そのものを止めてきた。1980年7月に会社更生法を申請し、負債122億円を抱えた。商圏人口10万を要する業態で社内の限界とされた200店を超えて出店を重ね、輸入制限を避けて台湾で作った乾燥肉が味を落としたことが重なった結果である。1987年3月に更生手続が終結すると、多角化と株式公開で資本市場へ戻る。2003年12月に米国でBSEが発生すると、牛肉の99%を米国産に依存していた吉野家は2004年2月に代替産地へ切り替えず牛丼の販売を休止した。無借金の財務を支えに、2006年9月の再開まで950日を待った。

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