この判断の中心にあったのは、牛丼を素材の組み合わせではなく一つの設計とみる考え方であった。肉の産地を替えればタレもタマネギも作り直しになり、量が減れば加熱による味の均質さも保てない。ゆえに代替の牛肉を採らず、売り物のない2年半を選んだ。常連客に対する約束を守るという意味では筋の通った判断であり、再開の日に全国で完売が続いたことも、その支持を示している。一方で、豪州産や中国産で牛丼を続けた同業との差は客数と業績に表れ、この期間に開いた差は簡単には埋まらなかった。
残ったものは牛丼だけではない。牛丼を売れない期間に組み上げたメニュー・ミックスと、それに合わせて入れ替えた厨房の設備は、単品では飽和するとみられていた店舗網に別の広がりをもたらした。ただし1店1日800人という水準へ客数が戻ることはなく、牛丼店の総数が増えた市場では、以前の型をそのまま復元する道も残されていなかった。一品に価値を集約する経営は、その一品を失ったときに何を守り、何を作り替えるのか——2004年からの2年半は、その問いに一つの答えを出した期間であったとみられる。