すかいらーくホールディングス の歴史

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創業 1962年
創業者 横川端、茅野亮、横川竟、横川紀夫
創業地 東京都保谷町(現西東京市)
創業
1962年4月、横川端・茅野亮・横川竟・横川紀夫の四兄弟が、東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地前に食料品店『ことぶき食品有限会社』を創業した。団地の主婦客をつかんで繁盛したものの、1960年代後半に大型スーパーが郊外へ広がると、生鮮を売る個人商店の先行きは細っていく。四兄弟は米国のチェーン経営に活路を求め、1969年7月に株式会社へ改組し、翌1970年7月、東京都府中市で広い駐車場を備えた郊外型ファミリーレストラン第1号店を開設した。1974年11月には商号を株式会社すかいらーくへ改め、看板ブランドと社名を一致させた。
決断
看板を捨ててでも客単価と店舗網を作り替える、という基準が一貫している。バブル崩壊後のデフレで1992年・1993年と二期連続の経常減益に沈むと、客単価を約300円下げた760円の低価格業態ガストへ不採算店を転換し、1994年8月には主力業態だった『すかいらーく』全店を新業態へ置き換えると発表した。1996年中とした看板の全廃は2009年10月までずれ込んだが、方針そのものは撤回していない。2006年には創業家が投資ファンドと組む経営陣による買収で非上場化し、四半期業績の圧力から離れて大型店中心の店舗構造に手を入れる。立地と建物は動かさず看板だけを掛け替えるこの『業態転換』は、2025年12月期も36店で続いている。
現況
和洋中の多ブランドを、購買から製造・物流・店舗まで垂直統合したインフラに載せた構造である。2014年10月にベインキャピタル傘下での再建を経て東証一部へ再上場したのち、2016年1月に持株会社体制へ移り、2018年7月に現社名へ改めた。2025年12月期は売上収益4,578億円・営業利益299億円。3,107店の内訳はガストが1,233店・売上構成比36.0%と最大で、しゃぶ葉13.8%、バーミヤン11.1%が続く。2024年10月に子会社化した資さんは通年で寄与した初年度に5.0%まで伸び、ガスト偏重を薄める収益源になりつつある。
競合
競合は同業のレストランチェーンにとどまらない。自社が挙げるのは、居酒屋やファストフードのチェーン、個人経営の飲食店、惣菜や弁当を売るコンビニエンスストアとスーパーマーケットの中食までである。値下げで客を呼び戻す手法では、全品半額から低価格イタリアンへ振り切ったサイゼリヤや、価格破壊で客数を取りに行った日本マクドナルドと同じ客を奪い合う。牛丼から多業態へ広げたゼンショーとは、垂直統合した基盤にマス・マーチャンダイジング・システムを載せる設計が重なる。安さで並ばれる以上、競争の焦点は3,100店の看板をどれだけ速く張り替えられるかに移る。
すかいらーくホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2014年12月期2025年12月期

創業ストーリー 創業家四兄弟と郊外型ファミリーレストランの草分け (1962年〜)

ひばりが丘の食料品店「ことぶき食品」からの出発

すかいらーくの原点は、1962年4月[1]に東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)で開いた食料品店『ことぶき食品有限会社』である。長野県諏訪の横川家に育った横川端氏、茅野亮氏、横川竟氏、横川紀夫氏の四兄弟が[2]、日本住宅公団のひばりが丘団地前に小さな店を構えた。[3]三男の横川竟氏が早朝に築地市場へ仕入れに走り、干物や塩鮭、佃煮などを兄弟で店頭に並べる家族経営の商いだった。資本金200万円の有限会社が、後に外食産業を代表する企業へ育つ出発点となった。団地に暮らす主婦客をつかんだ食料品店は繁盛し、四兄弟はチェーン展開への足がかりをここで得た。

もっとも小売業としての先行きは長く安泰ではなかった。1960年代後半に大型スーパーマーケットが台頭すると、生鮮食品を売る個人商店は価格競争の波にさらされ、食料品店だけで成長を続ける展望は描きにくくなった。四兄弟は米国で普及が進んでいたチェーンレストランに次の活路を求め、外食への転身を決断する。1969年7月にことぶき食品を有限会社から株式会社[4]へ改組し、多店舗展開に耐える組織へと器を作り替えた。小売から外食への転換が、すかいらーく誕生の助走となった。

  • 有価証券報告書
    • [4]1969年7月に株式会社ことぶき食品へ組織変更した

1970年「すかいらーく」一号店と郊外型チェーンの確立

1970年7月、株式会社ことぶき食品は東京都府中市[5]にファミリーレストラン『すかいらーく』第一号店を出した。広い駐車場を備え、家族連れが自家用車で訪れる郊外立地という業態は、当時の日本ではまだ目新しい試みだった。折からのモータリゼーションの進展と核家族化を追い風に、店舗数を急速に伸ばした。米国型のチェーンオペレーションを取り入れ、標準化した店づくりで多店舗展開の速度を上げた。1974年11月には商号を株式会社すかいらーくへ改め[6]、社名を看板ブランドに一致させ、外食企業としての立場を明確にした。

  • 有価証券報告書
    • [5]1970年7月に東京都府中市にファミリーレストラン「すかいらーく」第一号店を出店した
    • [6]1974年11月に株式会社すかいらーくへ商号変更した

すかいらーくは、ファミリーレストランという業態を一つの産業として成立させた草分けの存在となった。1977年には埼玉県東松山市にセントラルキッチン[7]を設けて調理を集中化し、各店舗へ半製品を配送する供給体制を築いて多店舗展開を支えた。資金調達の面でも歩みを速め、1978年7月に株式を日本証券業協会へ店頭登録したのち、1982年8月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場する。さらに1984年6月には第一部へ指定替えとなった。[8]創業から20年あまりで、保谷の食料品店は東証一部に名を連ねる企業へと成長した。

  • 有価証券報告書
    • [7]1977年に埼玉県東松山市にセントラルキッチンを開設した
    • [8]1978年7月に店頭登録し、1982年8月に東証二部へ上場、1984年6月に一部へ指定替えとなった
  • 有価証券報告書
    • [5]1970年7月に東京都府中市にファミリーレストラン「すかいらーく」第一号店を出店した
    • [6]1974年11月に株式会社すかいらーくへ商号変更した
    • [7]1977年に埼玉県東松山市にセントラルキッチンを開設した
    • [8]1978年7月に店頭登録し、1982年8月に東証二部へ上場、1984年6月に一部へ指定替えとなった

多業態化の始動と「食のコングロマリット」構想

単一ブランドに頼る危うさを早くから意識したすかいらーくは、1980年前後から業態の多角化を始めた。1979年に設立した子会社を母体にファミリーレストラン『ジョナサン』を[9]、1985年には和食の『藍屋』を、1987年には中華の『バーミヤン』を相次いで立ち上げる。客単価や料理ジャンルの異なる複数チェーンを一つのグループで束ねる『食のコングロマリット』の構想が、この時期に骨格を得た。一部の子会社は個別に株式を店頭登録し、グループとして多層的な上場構造を持つ時期もあった。それぞれのブランドが別々の客層を受け持つ設計が、後の経営を支える資産となった。

  • 有価証券報告書
    • [9]ジョナサン・藍屋・バーミヤンを子会社として立ち上げた

業態開発を、経営陣は『十打数一安打』[10]と呼んだ。とにかく出店して来店客の反応を見なければ何も分からない、失敗を恐れていては新しい業態は生まれないという考え方である。焼き肉レストランやフライドチキン、地中海料理など試みの多くは短命に終わって撤退し、消えた業態は数えきれない。一つの業態開発には15億円ほどを投じたが、十のうち一つでも年商1,000億円級に育てば十分に引き合うという発想で挑み続けた。[11]この試行錯誤の蓄積こそが、後年の思い切った業態転換を可能にする経験値となった。

  • 日経ビジネス 1994年9月26日号
    • [10]経営陣は業態開発の考え方を「十打数一安打」と表現した
    • [11]一つの業態開発に約15億円を投じ、年商1,000億円級に育てば引き合うと考えていた
  • 有価証券報告書
    • [9]ジョナサン・藍屋・バーミヤンを子会社として立ち上げた
  • 日経ビジネス 1994年9月26日号
    • [10]経営陣は業態開発の考え方を「十打数一安打」と表現した
    • [11]一つの業態開発に約15億円を投じ、年商1,000億円級に育てば引き合うと考えていた

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すかいらーくホールディングスの沿革1962〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1962〜1986年創業家四兄弟と郊外型ファミリーレストランの草分けことぶき食品を設立★★
ことぶき食品が、ことぶき食品に組織変更
食料品店からの業態転換とファミリーレストラン「すかいらーく」第1号店の開業

東京・保谷のひばりが丘団地前で食料品店ことぶき食品を営んでいた横川家の四兄弟は、1969年7月に会社を有限会社から株式会社へ改め、1970年7月に東京都府中市でファミリーレストラン『すかいらーく』第1号店を開いた。小売から外食チェーンへ生業の軸を移した業態転換であった。

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★★★
ことぶき食品が、すかいらーくに商号変更
旧すかいらーく②が、旧すかいらーく①を吸収合併
セントラルキッチン東松山工場を新設
すかいらーく株式が、日本証券業協会に店頭登録銘柄として登録
すかいらーく1号店がフランチャイズにて出店
子会社として藍屋設立(2000年7月、すかいらーくが合併)
1987〜2005年バブル崩壊とガスト革命による低価格への大転換関西工場を新設
子会社としてバーミヤン設立(1999年7月、すかいらーくが合併)★★
関連会社としてニラックス設立
客単価760円「ガスト」への全店転換と原点ブランド「すかいらーく」の廃止

1992年3月に低価格業態『ガスト』の一号店を出したすかいらーくは、1994年8月に稼ぎ頭のファミリーレストラン『すかいらーく』全店を新業態へ転換し、1996年中に原点ブランドの看板をすべて外す方針を発表した。客単価を約300円下げて760円とし、セルフサービスと家賃圧縮でローコスト経営へ作り替えた業態転換で、茅野亮社長が主導した。

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★★★
藍屋の株式が東京証券取引所市場第二部に上場
子会社としてビルディ設立(すかいらーくが2007年1月に合併)
子会社としてジャパンシーアンドシー設立
子会社ジャパンプロダクツマーチャンダイジングを設立
ジョナサンを完全子会社化★★
2006〜2014年創業家によるMBOとファンド傘下での出直し創業家と投資ファンドによる総額2,700億円超のMBOと東証一部からの非上場化

2006年、すかいらーくは創業家の横川竟社長が主導し、投資ファンドと組む経営陣による買収(MBO)で非上場化した。SNCインベストメントが同年7月に公開買付けを実施し、9月に東京証券取引所市場第一部の上場を廃止する。総額2,700億円を超える当時の国内最大級の買収で、株式交換を経てすかいらーくはSNCの完全子会社となった。

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★★★
すかいらーく株式が東京証券取引所市場第一部上場廃止★★
すかいらーくに商号変更
ファミリーレストラン「すかいらーく」完全閉店★★
BCJHD6がすかいらーく株式を取得★★
ジョナサンを合併
谷真ベインキャピタル傘下での経営再建と八年ぶりの東証再上場

2006年に創業家と投資ファンドのMBOで非上場化したすかいらーくは、2011年11月に米ベインキャピタルへ株式が転売され、その傘下で既存店の立て直しを進めた。2014年10月9日、8年ぶりに東京証券取引所第一部へ再上場する。谷真社長が続投し、マクドナルド出身者らを軸にした外部人材が改革を担った。

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★★★
2015〜2025年持株会社体制への移行とコロナ禍を越えた再成長谷真持株会社体制へ移行★★
谷真すかいらーくHDに商号変更
谷真マレーシア(クアラルンプール)にしゃぶ葉1号店をオープン
谷真米国(シカゴ)にしゃぶ葉1号店をオープン
金谷実資さんの株式取得により同社を子会社化★★
金谷実Createries Consultancy Sdn.Bhd.等の株式取得により同社を子会社化
出典・参考

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