食料品店からファミリーレストランへの転身を、時代を先読みした先見の一手とだけ読むのは、話を単純にしすぎる。四兄弟が握っていたのは未来図ではなく、小さな小売の商圏で稼ぐことの限界という手触りの実感であった。大型スーパーの安さにシェアを侵食される日々のなかで、量販の作法を外食へ移せばもっと大きな商いになると踏んだ。横川竟氏が早朝の築地で身につけた仕入れと薄利多売の勘が、そのまま郊外チェーンの標準化へつながったと思われる。
もっとも、この一歩が草分けの栄光だけをもたらしたわけではない。家族の外食を切り開いた業態は二十年ほどで疲れ、すかいらーく自身が低価格のガストへ看板を掛け替え、やがて創業家は経営の座を離れていった。生業を捨てて別の生業へ移る決断は、一度きりでは終わらず、その後も繰り返し同社に転換を迫ることになる。祖業を売却できた機動性は、祖業に安住できない性でもあった——すかいらーくの出発点は、その両義を早くから抱えていたといえる。