ロイヤルホールディングスの出発点は、終戦直後の福岡にある。創業者の江頭匡一氏は『調理場にもぐり込めば、どう転んでも餓死しないだろう』[引用元]と考えてコックになり、一年ほどで米軍春日原基地の御用商人に転じた[1]。日用雑貨やパン、写真の現像を扱う商いは、1950年4月にキルロイ特殊貿易株式会社[2]として法人になっている。ところが1955年に国税庁の査察を受け、当時の金額で1億円近[3]い追徴を課された。その痛手のさなかに読んだ米国の外食チェーン創業者ハワード・ジョンソンの伝記が[4]、江頭氏に『飲食業を産業にする』[引用元]という生涯の目標を与えた。
飲食業への足がかりは空港だった。1951年10月、日本航空が国内線の運航を始めるのと同時に、板付空港(現福岡空港)で機内食の搭載と喫茶営業を開始した[5]。江頭氏によれば、資金難だった日本航空の福岡支店開設を当時の200万円で援助し、その見返りに機内食納入[6]の権利を得たという。同年12月には福岡市堅粕でベーカリー工場を建て、製菓・製パン[7]業も始めている。1953年11月には福岡市東中洲に本格的なフランス料理店ロイヤル中洲本店を開き、有限会社ロイヤルを設立した[8]。開店から3か月後には、新婚旅行と米軍基地の慰問を兼ねて福岡を訪れた女優マリリン・モンローが来店している[9]。
1956年5月、資本金100万円でロイヤル株式会社[10]を福岡市東中洲に設立した。同じ年にケーキの冷凍技術を開発して冷凍食品事業に着手しており、後の集中調理方式につながる技術の蓄積はここから始まっている。1959年には洋菓子売店を併設した[11]ファミリー向けレストラン、ロイヤル新天町店を福岡市の商店街に出した。空港の喫茶店、ベーカリー、フランス料理店、アイスクリーム[12]、ファミリー向けレストランと、創業から十年足らずで扱う業態は五つに増えている。産業化という言葉を掲げる前に、江頭氏はまず食にまつわる仕事を手当たり次第に試していた。
1962年、ロイヤルはセントラルキッチンと呼ぶ集中調理方式を採用し、業務用冷凍料理の製造に着手した[13]。同年4月に福岡市天神の福岡ビルへ出店するにあたり[14]、賃料の高い繁華街で手ごろな価格を保つには、下ごしらえを店の外でまとめて行うほかなかった。もっとも社内の抵抗は激しかった。荒木茂専務は『中洲店にコック全員を集めて今後進むべき方向を説明したが、思い出してもくやしくなるくらい罵られ、半分ぐらいやめてしまった』[引用元]と振り返っている(日経ビジネス1976年7月5日号)。料理を科学的に処理することへの反発は、同業者や専門家からも寄せられた。
産業化を掲げた江頭氏は、人と資金の両面で先手を打った。1965年ごろから大学卒業者の採用を始め、『食べ物の会社が大卒を募集するなどとは噴飯もの』[引用元]と笑われながら、サンフランシスコ市立大学のレストラン学部へ社員を留学[15]させている(証券アナリストジャーナル1979年8月号)。資金では日本興業銀行に狙いを定め、1967年に同行の調査員3人が3か月間福岡に滞在[16]して飲食業を調べた末、翌1968年に6億円の融資が決まった。当時の年商は20億円ほどで、産業融資を専門とする興銀が飲食業に金を出した事実そのものが、江頭氏には産業として認められた証しだった。
1969年9月、福岡市大字那珂に新本社と工場[17]を兼ねたロイヤルセンターが完成した。敷地6000坪、第1期工事だけで6億円を投じた設備は[18]、興銀の融資がなければ建たなかった。翌1970年の大阪万国博覧会では、アメリカ館ゾーンにロイヤル・アメリカン・カフェテリアなど4店を出す[19]。福岡から600キロ離れた会場での営業に江頭氏は迷ったが、稼働したばかりのセントラルキッチンで一週間分をまとめて作り冷凍庫に置く方式が当たった。売上高は11億5000万円、利益は1[20]億5000万円にのぼり、アメリカ館への出店だったことで食材輸入に外貨を自由に使え、海外の食品企業との接点も得ている。
1971年、郊外型ファミリーレストランのロイヤルホスト1号店[21]を北九州市黒崎に開いた。所得の上昇とモータリゼーションを背景に、駐車場を備えた店でファミリー層をつかむ狙いだった。1973年には関門自動車道めかりパーキングエリアにハイウェイレストランの1号店を出し[22]、空港に続いて高速道路という交通インフラの内側に足場を得た。関西と関東への進出では大阪ガスとオージー・ロイヤル、三井物産と物産ロイヤルという合弁を組んだが、三井物産との合弁は物産側の出資比率が60%から30[23]%へ引き下げられるなど早々にきしんだ。
1976年時点でロイヤルグループの売上高は150億7300万円、直営部門だけで102億4700[24]万円に達し、日本の飲食業では6位に位置していた[25]。ただし規模の裏には重い投資があった。荒木茂専務は『ロイヤルらしさを演出するためには1店当たり1億6000万円の投資が必要』[引用元]と述べており(日経ビジネス1976年7月5日号)、1店2500万円で店数を競うすかいらーくとは資本の使い方が正反対だった。品質で選ばれる店を作るという方針は、そのまま固定費の重さとして貸借対照表に積み上がり、後の20年を縛った。
1978年8月、ロイヤルは福岡証券取引所に上場した。上場準備室を設けたのは1972年3月で、当時は『飲食業が上場するなどは夢物語』[引用元][26]とされていた。江頭氏は米国で最初にパン屋が上場し、次に小売業、その後にフードサービスが続いた順序を引き、日本でも十年後には同じ順番が来ると読んでいた。1979年7月に大阪証券取引所[27]、1981年8月に東京証券取引所市場第二部、1983年6[28]月に同第一部と、上場の階段を五年で駆け上がった。東証二部への上場が決まったとき、江頭氏は『やっとここまできたんだなあ』[引用元]と感慨を記している(証券アナリストジャーナル1981年9月号)。
上場で得た資金は設備と人に向かった。1982年8月に東京都世田谷区桜新町へ東京本社を置き[29]、延べ700坪のうち300坪を教育センターにあてた。うち200坪はコックの教育に使う計画で[30]、セントラルキッチンを持ってなおコックの育成を最優先に置く考え方が表れている。1983年10月には千葉県船橋市高瀬町に東京食品工場を建設し、福岡一極だった生産を二極に広げた。1981年時点のロイヤルホストは117店[31]、売店やアイスクリーム営業所を含めると200店を超えており、江頭氏はこれを450店まで伸ばす構想を語っていた。
一方でグループは外食以外へ広がり続けた。1990年10月に住友商事との提携でロイヤルマリオットアンドエスシー[32](現ロイヤルコントラクトサービス)を設立し[33]、事業所給食などの受託事業に入る。1991年にサラダバー&グリルレストランのシズラー1号店[34]、1995年にはロイネットホテル1号店を大阪府東大阪市に開いた。空港・高速道路・事業所・ホテルと店を構える場所は増えたものの、いずれもロイヤルホストの不振を埋めるには至っていない。1990年代を通じて、多角化は収益の分散にはなっても回復の力にはならなかった。
2000年3月、ロイヤルは全日本空輸の子会社である関西インフライトケイタリングを株式取得で連結子会社にした[35]。同社は累積損失を抱えて債務超過にあり、関西国際空港で[36]機内食を作るロイヤルの子会社も赤字が続いていた。撤退ではなく統合を選んだ判断について、日経ビジネスは『機内食事業に思い入れのある創業者の江頭匡一さんに遠慮して、関西国際空港からロイヤルの旗を降ろせないらしい』[引用元]という業界の見方を伝えている。会長の榎本一彦氏は『つぶすのが一番だと分かっていた』[引用元][37]と同誌に明かしていた(日経ビジネス2000年4月10日号)。
機内食は創業の事業であり、産業化の出発点でもあった。それだけに閉じる判断が下せなかった、と読むこともできる。もっともこの選択には合理性もあった。関西国際空港の機内食では日本航空系の事業者が高い占有率[38]を持ち、規模を得なければ損益分岐点を超えられない構造にあったからである。誤算は、統合しても関空特有の高コストと低価格競争が消えなかったことにある。2001年12月期には連結売上高1059億円、経常利益15億円、当期純損失63億円を計上し、ロイヤルは創業50年の節目を業績の底で迎えた。
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|---|---|---|---|---|
| 1951〜1977年「水商売」を産業に変えると誓った創業者と、福岡空港から始まった多角化 | 日本航空国内線の営業開始と同時に、福岡空港において機内食搭載と喫茶営業を開始 | ★★ | ||
| ロイヤルベーカリーを設立 | ★ | |||
| レストランを開業 | ★ | |||
| ロイヤルを設立 | ★ | |||
| ロイヤル(資本金1,000千円)を福岡市東中洲に設立 | ★ | |||
| セントラルキッチンシステムを採用 | ★★ | |||
| 業務用冷凍料理の製造を開始 | ★★ | |||
| 新本社・工場ロイヤルセンターが竣工 | ★ | |||
| 全部門を移転 | ★ | |||
| 1978〜2000年上場で認められた産業化と、重装備が招いた1990年代の長期低落 | 福岡証券取引所に上場 | ★ | ||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 東京本社を開設 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 東京食品工場を新設 | ★ | |||
| ロイヤルマリオットアンドエスシーを設立 | ★ | |||
| 2001〜2019年300億円の特別損失を出した経営構造改革と、持株会社制への移行と分社化 | 経営構造改革本部の設置と4年間での129店閉店、300億円超の特別損失処理 ロイヤルは2001年に経営構造改革本部を設け、4年間で連結129店、ロイヤル単体で85店を閉店した。3年にわたり合計300億円を超える特別損失を計上して赤字決算を続け、減損会計の前倒し適用と厚生年金基金の解散で負の遺産を処理している。2004年12月期には4期ぶりの増収と経常利益61億5500万円へ回復した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 4年間で連結129店を閉店 | ★★ | |||
| アールエヌティーホテルズを株式の追加取得により子会社化 | ★★ | |||
| 今井明夫 | 持株会社制への移行と、事業6社への会社分割 2005年2月17日の決算発表と同時に持株会社制への移行を公表し、同年7月1日にロイヤル株式会社をロイヤルホールディングス株式会社へ商号変更した。会社分割により中核事業会社の新ロイヤルほか6社へ事業を承継させ、創業以来50年続いた福岡本社を頂点とする中央集権的な組織を解いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 今井明夫 | ロイヤルHDに商号変更 | ★ | ||
| 菊地唯夫 | 会社分割によりロイヤル空港レストランに高速道路事業を承継 | ★ | ||
| 菊地唯夫 | ロイヤル東日本をロイヤルホストに商号変更 | ★ | ||
| 黒須康宏 | 関西インフライトケイタリングが福岡インフライトケイタリングを吸収合併 | ★ | ||
| 黒須康宏 | チャウダーズを株式取得により子会社化 | ★ | ||
| 黒須康宏 | ロイヤル空港高速フードサービスがチャウダーズを吸収合併 | ★ | ||
| 2020〜2025年コロナ禍の巨額赤字と、双日との資本業務提携が促した事業構造の組み替え | 黒須康宏 | 双日との資本業務提携と、主要取引行4行を割当先とする優先株式による資本増強 2021年2月15日、ロイヤルホールディングスの取締役会は双日との資本業務提携契約の締結を決議した。双日へ普通株式99億9,900万円と新株予約権を発行し、みずほ銀行・日本政策投資銀行・福岡銀行・西日本シティ銀行の四行にはA種・B種の優先株式各30億円を割り当てた。即時の資本増強は160億円にのぼった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 黒須康宏 | 双日が主要株主に | ★★ | ||
| 阿部正孝 | ハイウェイロイヤルを子会社化 | ★ | ||
| 阿部正孝 | たびスルを株式取得により子会社化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ロイヤルホールディングス)