ゼンショーHD の歴史

更新:

創業 1982年
創業者 小川賢太郎
創業地 神奈川県横浜市鶴見区
創業 1982年6月、小川賢太郎氏が34歳で神奈川県横浜市鶴見区にゼンショーを設立した
1982年6月、小川賢太郎氏が34歳で神奈川県横浜市鶴見区にゼンショーを設立した。吉野家で労働組合の副委員長を務めたのち、1978年に退社した経歴を持つ。翌7月に弁当チェーン「ランチボックス」の生麦店、同年11月にすき家1号店の生麦駅前店を開設している。創業時から肉・カレー・漬物などの自前4工場を構え、店は全店直営として、買い付けから加工・物流・販売までを自社で通した。1987年7月には水戸店で駅前のビルインから郊外のロードサイド型へ移り、とん汁や牛皿を並べて家族客と女性客まで顧客層を広げる。1997年8月に株式を店頭登録した時点の店舗数は181店だった。
決断 川下で業態を増やすたびに、川上の原料側でも会社を取得してきた。2000年7月のコ
川下で業態を増やすたびに、川上の原料側でも会社を取得してきた。2000年7月のココスジャパン取得を皮切りに、2002年10月にはま寿司を設立し、同年12月にビッグボーイジャパン、2005年3月になか卯を取得して、牛丼で作った製造販売業の仕組みを全業態へ広げた。同じ時期に食材調達のグローバルフーズと設備のテクノサポートを設立し、業態ごとに散る仕入と工事を自社へ集めた。2014年6月には深夜のワンオペ運営が社会問題となり第三者委員会を設置して、すき家事業を地域別7社へ新設分割している。2021年7月に水産のマリックス、同年10月に精米の齋藤商店、2022年3月に五十嵐水産と、原料を扱う会社の取得が続いた。店の数が増えるほど、原価を決める相手を社外から自社へ入れ替えてきた。
現況 牛丼のすき家は、売上でも利益でも社内の首位から降りている。2026年3月期の連結
牛丼のすき家は、売上でも利益でも社内の首位から降りている。2026年3月期の連結売上高は1兆2,641億円で、外食で初めて1兆円を超えた2025年3月期から1年で1割増えた。売上ではグローバルはま寿司3,203億円が最大で、グローバルすき家3,145億円、グローバル中食2,219億円が続く。利益では中食274億円、はま寿司268億円に対し、すき家は93億円と前期の245億円から減少した。地域別の売上は日本9,106億円に対し海外3,535億円で、米国1,478億円・中国722億円・欧州623億円に分かれる。原料と海外を買い足した結果、創業の牛丼は本社機能を除く6事業のうちの1つに下がった。
競合 競争の場所は牛丼の店頭から、海外の食品売場へ移っている。国内では米国産の仕様を守
競争の場所は牛丼の店頭から、海外の食品売場へ移っている。国内では米国産の仕様を守って牛丼を950日休止した吉野家ホールディングスや、客単価を下げたガストへ主力業態を置き換えたすかいらーくと同じ客層を分け合う。一方、ゼンショーホールディングスが海外で選んだのは店を構える業態ではなく、スーパーの店内に置く持ち帰り寿司で、2018年11月に米国のAdvanced Fresh Concepts、2023年9月に英国のSnowFox Topcoを取得した。2025年12月末の店舗数は14,918店に達している。国内で価格を競う代わりに海外の売場と原料の会社を先に取得したことが、海外3,535億円という現在の売上構成を作った。
長期業績の推移 1983〜2026年
ゼンショーホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1982年〜 郊外型牛丼の垂直統合吉野家の駅前型から水戸店のロードサイドへの転換

筆者考察y.sugiura, author

ゼンショーが選んだのは、新しい商品ではなく新しい売り場だった。牛丼という商品そのものは、先行する吉野家が駅前で売り込んできたものである。小川賢太郎氏が1982年に横浜市鶴見区で始めた会社は、その同じ丼を、駅から離れた幹線道路沿いへ持ち出した。立地が変われば客も変わる。駅前の立ち食いに来るのは単身の男性客だが、車で乗りつける郊外の店には家族が来る。とん汁を付け、キムチを足し、肉の量を100グラムから500グラムまで選ばせたメニューは、その客層の違いに合わせて組み直された品ぞろえだった。商品を変えずに売る場所を変える。創業から五年で打ったこの一手が、後の全国展開の型を決めた。

もう一つ、創業期に決めていたことがある。自らを外食業ではなく製造販売業と呼び、肉・カレー・漬物・その他食材の四工場を直営し、店も一店残らず直営で持った。加盟店を募って店数を稼ぐ方式は採らなかった。出店の速度は自社の資本の厚みに縛られるが、代わりに牛肉や米の買い付けから加工、配送、調理までが一つの帳簿の内側に入った。1986年に横浜工場へ併設した配送センターを1988年に切り離し、1990年に佐野、1992年に川崎、1993年に三郷と春日井へ広げた配送網は、この一貫体制を多店舗に耐える構造へ組み替える作業である。工場を増やすのではなく、工場と配送を分けて置く。郊外へ散る店を支えたのは、この分業だった。

工場と配送センターの数 横浜工場だけの創業から関東の外へ延びた配送網まで(拠点)

1 1982 2 1986 4 1990 7 1993
  • 1993年末の内訳は工場3(横浜・佐野・佐野第2)と配送センター4(佐野・川崎・三郷・春日井)。
  • 出所は有価証券報告書【沿革】。

1982年〜弁当店と牛丼店を同じ年に並べた出発

1982年6月、小川賢太郎氏が株式会社ゼンショーを設立し、神奈川県横浜市鶴見区に横浜工場を併設した本社を置いた。初年度の布陣は、工場のほかに弁当と牛丼という二つの業態の店を並べる形になった。弁当店ランチボックスの1号店となる生麦店が同じ鶴見区に開いたのは設立の翌月で、同年11月には生麦駅前店がすき家のビルイン1号店として続いた。15年後に小川氏が自社を形容した言葉は、いずれの企業グループにも入らない独立の会社というものだったグループの後ろ盾を持たない以上、食材の仕入れ先も出店の資金も自力で賄うほかなく、本社に工場を併せて置いた創業時の判断もこの前提を踏まえていた。

  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [1]1982年6月 会社を設立し、神奈川県横浜市鶴見区に横浜工場併設の本社を設置
    • [2]1982年7月 ランチボックス(弁当店)1号店として生麦店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
    • [3]1982年11月 すき家(牛丼店)ビルイン1号店として生麦駅前店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [4]1997年時点で、どこの系列にも属さない独立系企業と自己規定

二つの業態のうち、資源を寄せたのは牛丼のほうだった。小川氏は牛丼を、米国におけるハンバーガーと同じ位置を日本で占めうる商品と見ていた。創業以来の基本コンセプトとして掲げられたのは、美味しい料理を気軽に味わってもらうという考え方だった。創業を動かしたのは、牛肉と、2000年にわたり主食であり続けた米と、大豆から造る醤油の三素材を合わせただけの単純な商品が外食産業の頂点を取りうるという判断である『牛肉、日本人が2000年にわたって主食とし、小麦よりはるかに優れたデンプンである米、大豆を主原料とした世界一の調味料である醤油という素晴らしい素材を組み合わせたシンプルな商品である牛丼は、アメリカにおいてハンバーガーが外食産業のトップの座を得たのと同様のポジションを日本で取り得るし、また取らねばならないと判断して創業した』この見立てから、品目を広げて客層を増やす道は取らず、一品に集中して回転と規模を稼ぐ方針が選ばれた。もっとも、最初のすき家は駅前のビルインで、業態の組み立ては先を行く牛丼チェーンとさして変わらず、違いが表に出るのは店の置き場所を決め直した五年後のことである。

  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [5]牛丼は米国におけるハンバーガーと同じ位置を日本で取りうる商品という創業者の商品観
    • [6]創業以来の基本コンセプトは「おいしいものをカジュアルに召し上がっていただこう」
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [7]1982年11月 すき家1号店はビルイン型の生麦駅前店
参考文献[1]-[7]
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [1]1982年6月 会社を設立し、神奈川県横浜市鶴見区に横浜工場併設の本社を設置
    • [2]1982年7月 ランチボックス(弁当店)1号店として生麦店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
    • [3]1982年11月 すき家(牛丼店)ビルイン1号店として生麦駅前店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
    • [7]1982年11月 すき家1号店はビルイン型の生麦駅前店
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [4]1997年時点で、どこの系列にも属さない独立系企業と自己規定
    • [5]牛丼は米国におけるハンバーガーと同じ位置を日本で取りうる商品という創業者の商品観
    • [6]創業以来の基本コンセプトは「おいしいものをカジュアルに召し上がっていただこう」

1987年〜駅前を避けてロードサイドへ移した立地の選び直し

牛丼市場で先を走っていた吉野家は、繁華街の駅前に店を構える型で伸びてガリバー型の独占的な地位を築いており、立地も商品も同じなら勝負は店舗網の厚さで決まってしまう。そこでゼンショーは郊外を基本の立地に据え、その立地に合う商品構成と店の広さの釣り合いを詰めることに力を注いだ。最初の形は1987年7月、茨城県水戸市に開いた水戸店で、ロードサイドに単独で建つフリースタンディング型の1号店だった。この郊外型ファミリー牛丼チェーンという業態こそ、設立から15年で当時の規模に達した最大の要因だったと、小川氏は後に振り返っている

  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [8]先行した吉野家がガリバー型に独占し、ダウンタウンへの出店を基本とする駅前型で成長
    • [9]郊外型の立地を基本に選び、商品構成とスペースの釣り合いの確立に注力
    • [11]設立15年での成長の最大要因を郊外型ファミリー牛丼チェーンという新業態に帰す自己評価
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [10]1987年7月 ロードサイドのフリースタンディング1号店として水戸店(茨城県水戸市)を開店

郊外の店を成り立たせたのは、品ぞろえの深さだった。牛丼セットの一本槍ではなく、とん汁を組み合わせたとん汁セット、キムチを加えたキムチとん汁セット、肉の量を100グラムから500グラムまで選べる牛皿セットを並べ、専門店のなかで複数の購買動機に応じられる構成を組んだ。店内のレイアウトもテーブル席を増やし、男性客だけでなく家族連れ・女性客・グループ客を対象に置いた選んで買う楽しみを単品の専門店へ持ち込む設計であり、立ち食いの回転を前提とする駅前型とは、客単価も滞在時間も別の商売になる。1991年3月には神奈川県横浜市保土ヶ谷区に研修センターを開設し、店舗運営の教育を社内に抱えた

  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [12]とん汁セット・キムチとん汁セット・100gから500gまで選べる牛皿セットによる選択購買のメニュー構成
    • [13]テーブル席を増やし、男性客のほか家族連れ・女性客・グループ客を対象に店舗展開
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [14]1991年3月 神奈川県横浜市保土ヶ谷区に研修センターを開設
参考文献[8]-[14]
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [8]先行した吉野家がガリバー型に独占し、ダウンタウンへの出店を基本とする駅前型で成長
    • [9]郊外型の立地を基本に選び、商品構成とスペースの釣り合いの確立に注力
    • [11]設立15年での成長の最大要因を郊外型ファミリー牛丼チェーンという新業態に帰す自己評価
    • [12]とん汁セット・キムチとん汁セット・100gから500gまで選べる牛皿セットによる選択購買のメニュー構成
    • [13]テーブル席を増やし、男性客のほか家族連れ・女性客・グループ客を対象に店舗展開
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [10]1987年7月 ロードサイドのフリースタンディング1号店として水戸店(茨城県水戸市)を開店
    • [14]1991年3月 神奈川県横浜市保土ヶ谷区に研修センターを開設

1986年〜セントラルキッチンと配送センターを分けて置いた供給網

ゼンショーは創業以来、自らを製造販売業と位置づけてきた。肉、カレー、漬物、その他の食材の四工場を直営し、店舗も全店直営として、高い内製化率を保ったまま、食材の買い付けから加工、物流、販売までを自社で管理する一貫体制を敷いた。牛肉や米が牛丼になるまでの全工程を握るという意味であり、原価の変動も品質の責任も社外へ出さない。製造の拠点は店舗網の広がりに合わせて増えた。1990年10月に栃木県佐野市へ佐野工場を新設して佐野配送センターを併設し、1993年12月には同じ佐野市に、セントラルキッチン機能の拡充を目的として佐野第2工場を建てている自社で作るということは、店が増えるより先に工場を建てるということであり、投資は常に売上に先行した。

  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [15]創業以来、自社を製造販売業と位置づけ
    • [16]肉・カレー・漬物・その他食材の4工場を直営し、店舗も全店直営で運営
    • [17]食材の買い付けから加工・物流・販売までの一貫体制を確立し、高い内製化率を維持
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [18]1990年10月 栃木県佐野市に佐野工場を新設し、佐野配送センターを併設
    • [19]1993年12月 セントラルキッチン機能拡充のため栃木県佐野市に佐野第2工場を新設

製造の拡張と並んで組み替えられたのが配送である。1986年8月、本社を神奈川県横浜市神奈川区へ、横浜工場を同市緑区へ移した際、配送センターは工場に併設された。店舗へ食材と備品を確実に届けて24時間の営業を途切れさせないため、配送は決まったルートを定期に回る形をとり、在庫は各店から決まった時刻に届く発注の数字で制御した。この機能が工場から切り離されたのは1988年10月である。1992年3月に横浜配送センターを閉じて神奈川県川崎市宮前区に川崎配送センターを設けた。1993年10月には物流部門の拡充として埼玉県三郷市と愛知県春日井市に二つの配送センターを加えて、供給の足場を関東の外へ伸ばした製造と輸送の拠点を切り分けたことで、郊外に散らばる店を増やす下地ができた。

  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [20]1986年8月 本社を横浜市神奈川区へ、横浜工場を同市緑区へ移転し、横浜配送センターを横浜工場に併設
    • [22]1988年10月 横浜配送センターを横浜工場より分離して移転
    • [23]1992年3月 横浜配送センターを廃止し、神奈川県川崎市宮前区に川崎配送センターを新設
    • [24]1993年10月 物流部門機能拡充のため埼玉県三郷市に三郷配送センター、愛知県春日井市に春日井配送センターを新設
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [21]24時間のサービスに向けた定期ルート配送と、店舗からの定時発注データによる在庫管理
参考文献[15]-[24]
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [15]創業以来、自社を製造販売業と位置づけ
    • [16]肉・カレー・漬物・その他食材の4工場を直営し、店舗も全店直営で運営
    • [17]食材の買い付けから加工・物流・販売までの一貫体制を確立し、高い内製化率を維持
    • [21]24時間のサービスに向けた定期ルート配送と、店舗からの定時発注データによる在庫管理
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [18]1990年10月 栃木県佐野市に佐野工場を新設し、佐野配送センターを併設
    • [19]1993年12月 セントラルキッチン機能拡充のため栃木県佐野市に佐野第2工場を新設
    • [20]1986年8月 本社を横浜市神奈川区へ、横浜工場を同市緑区へ移転し、横浜配送センターを横浜工場に併設
    • [22]1988年10月 横浜配送センターを横浜工場より分離して移転
    • [23]1992年3月 横浜配送センターを廃止し、神奈川県川崎市宮前区に川崎配送センターを新設
    • [24]1993年10月 物流部門機能拡充のため埼玉県三郷市に三郷配送センター、愛知県春日井市に春日井配送センターを新設

第2章 1994年〜 単品業態の全国展開南南亭・たの家の試行から1997年の店頭登録へ

筆者考察y.sugiura, author

牛丼で伸びている会社が、なぜ牛丼以外を試したのか。一品に絞って回転を取る商売は、その一品の需要が止まった瞬間に代わりを持たない。1994年のカレー専門店・南南亭と1996年の丼専門店・たの家は、すき家の新メニュー開発で出てきた、牛丼店の枠に収まらない案の行き先として作られた業態である。ただし1997年3月期の数字で見れば、単体売上117億円のうち牛丼類が89億円を占め、南南亭は1億9,300万円、たの家は4,500万円にすぎない。会社の言葉でもこの二つはテストマーケティングを兼ねた運営であり、収益源ではなかった。収益はあくまで単品が生み、第二業態は、単品が頭打ちになったときの逃げ道を先に掘っておく作業だった。

1990年代半ばの外食市場は、1993年の27兆9,816億円から1995年の28兆612億円まで、三年でほとんど動いていない。そのなかで牛丼上位三社の同部門売上は年平均6.2%で伸び、ゼンショーは23.1%で伸びた。伸びない市場で四倍近い速さが出るのは、一店あたりの客が増えたからではなく、店の数が増えたからである。そして店を増やす速度は、工場と配送網を自前で持つ会社では資本の厚みに縛られる。1997年8月の店頭登録は、この縛りを緩める手続きだった。小川賢太郎氏が公開の利点に挙げたのも資金調達と人材確保の二つで、その先に関西と九州への出店計画が置かれていた。

ゼンショーの経常利益 店頭公開をはさむ1995年3月期から1999年3月期まで(億円)

2.82 1995 4.76 1996 5.15 1997 7.2 1998 11.36 1999
  • 単体。1997年8月に店頭登録、1999年9月に東京証券取引所第二部市場へ上場。
  • 出所は証券業報 (9)(558) と 証券 51(11)(608)。

1994年〜牛丼の外へ出したカレーと丼の試験業態

1994年9月、ゼンショーは牛丼に続く第二の業態として、カレー専門店の南南亭を開店した。スパイシールー・甘口ルー・ハヤシライスソースを土台に、玉子や野菜、揚物など約30種類のトッピングを自由に組み合わせ、辛さを段階で分け、ライスの量を100グラム単位で区切る仕組みであるすき家で採った選択購買の設計を、そのままカレーへ移したものだった。1996年4月には丼専門店のたの家を開店している。かつ丼・チリ丼・ステーキ丼・まぐろ丼・ネギトロ丼・山かけ丼といった品ぞろえは、すき家の新メニュー開発の場で出た、牛丼店の枠に入らない丼物の案が出発点になった。丼物のほかに各種定食やカレーセットも並べており、すき家より広い品ぞろえを持つ業態だった

  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [25]1994年9月 牛丼に続く第二の業態としてカレー専門店「南南亭」を開店
    • [26]南南亭は約30種類のトッピング、段階分けした辛さ、100g単位のライス量を選べる仕組み
    • [27]1996年4月 丼専門店「たの家」を開店
    • [28]たの家はすき家の新メニュー開発時に出た、牛丼店の枠に入らない丼物のアイデアが出発点
    • [29]たの家は丼物のほか各種定食やカレーセットなど豊富なメニューをそろえた

二つの業態は、事業として立てる前の段階に置かれていた。1997年3月期の単体売上117億3,600万円の内訳は、牛丼類が89億9,700万円、すき家で出すカレー類が11億4,500万円、南南亭が1億9,300万円、たの家が4,500万円、その他が13億5,600万円である。牛丼類だけで売上の76%を超え、第二業態の二つを合わせても2億4,000万円に達しない。会社の位置づけでも、この二つはテストマーケティングを兼ねた運営であり、事業化はこれから進める段階に置かれていた同じ1994年7月には川崎配送センターへ川崎工場を併設しており、業態を試す前に作る側の余力を積んでいた。

  • 証券業報 (9)(558)
    • [30]1997年3月期 単体売上117億3,600万円のうち牛丼類が89億9,700万円
    • [31]1997年3月期 カレー類(すき家)11億4,500万円・カレー類(南南亭)1億9,300万円・丼類(たの家)4,500万円・その他13億5,600万円
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [32]南南亭とたの家はテストマーケティングを兼ねた運営で、事業化はこれから進める段階
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [33]1994年7月 セントラルキッチン機能拡充と物流効率化のため川崎配送センターに川崎工場を併設
参考文献[25]-[33]
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [25]1994年9月 牛丼に続く第二の業態としてカレー専門店「南南亭」を開店
    • [26]南南亭は約30種類のトッピング、段階分けした辛さ、100g単位のライス量を選べる仕組み
    • [27]1996年4月 丼専門店「たの家」を開店
    • [28]たの家はすき家の新メニュー開発時に出た、牛丼店の枠に入らない丼物のアイデアが出発点
    • [29]たの家は丼物のほか各種定食やカレーセットなど豊富なメニューをそろえた
    • [32]南南亭とたの家はテストマーケティングを兼ねた運営で、事業化はこれから進める段階
  • 証券業報 (9)(558)
    • [30]1997年3月期 単体売上117億3,600万円のうち牛丼類が89億9,700万円
    • [31]1997年3月期 カレー類(すき家)11億4,500万円・カレー類(南南亭)1億9,300万円・丼類(たの家)4,500万円・その他13億5,600万円
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [33]1994年7月 セントラルキッチン機能拡充と物流効率化のため川崎配送センターに川崎工場を併設

1995年〜横ばいの外食市場のなかで突出した牛丼の伸び

国内の外食市場は、1993年に27兆9,816億円、1994年に27兆9,269億円、1995年に28兆612億円と、三年でほとんど増えていなかった。小川氏は、この先も大幅な伸びは見込めないとしつつ、ライフスタイルの変化や女性の社会進出、余暇時間の増大に伴って安定的な拡大は続くと見ていた。成熟した市場で牛丼を主力に据え続けた根拠は、手軽さと親しみやすさを備えたベーシック商品として安定した需要に応えられる点に置かれている。牛丼を主力とする上位三社の同部門売上は1992年度から1995年度まで年平均6.2%で伸びたが、ゼンショーの伸びはこれを大きく上回る年平均23.1%だった『「牛丼」を主力商品とする当社を含めた上位3社の牛丼部門の売上高増加率は、92年度から95年度までの3年間で年平均6.2%という高い伸びとなった。そして当社はこれをさらに大きく上回り、この3年間の年平均増加率は23.1%になった』市場がほぼ動かない三年間に、一社だけが四倍近い速度で積み増したことになる。

  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [34]国内外食産業の市場規模は1993年27兆9,816億円・1994年27兆9,269億円・1995年28兆612億円
    • [35]外食産業は成熟化し大幅な伸びは期待できないが、ライフスタイルの変化・女性の社会進出・余暇時間の増大などで安定的に拡大するという市場観
    • [36]牛丼を、手軽さと親しみやすさで安定した需要に応えるベーシック商品と位置づけ
    • [37]1992年度から1995年度の牛丼部門売上の年平均増加率は上位3社6.2%、ゼンショー23.1%

伸びは利益の側にも現れた。単体の経常利益は1995年3月期に2億8,200万円だった。売上高は同期の102億6,200万円から1996年3月期に112億500万円へ9.2%増え、経常利益は4億7,600万円で68.8%増、当期純利益は2億2,200万円で110.5%増になった。1997年3月期は売上117億3,600万円で4.7%増、経常利益5億1,500万円で8.1%増と伸び幅こそ落ち着いたが、経常利益率は1995年3月期の2.7%から4.4%へ上がっている店が増えるたびに工場と配送センターの負担が一店あたりで薄まる構造であり、郊外型の多店舗化が損益に効き始めた段階だった。

  • 証券業報 (9)(558)
    • [38]1995年3月期 単体売上高102億6,200万円・経常利益2億8,200万円
    • [41]単体経常利益率は1995年3月期2.7%から1997年3月期4.4%へ上昇
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [39]1996年3月期 単体売上高112億500万円(9.2%増)・経常利益4億7,600万円(68.8%増)・当期純利益2億2,200万円(110.5%増)
    • [40]1997年3月期 単体売上高117億3,600万円(4.7%増)・経常利益5億1,500万円(8.1%増)
参考文献[34]-[41]
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [34]国内外食産業の市場規模は1993年27兆9,816億円・1994年27兆9,269億円・1995年28兆612億円
    • [35]外食産業は成熟化し大幅な伸びは期待できないが、ライフスタイルの変化・女性の社会進出・余暇時間の増大などで安定的に拡大するという市場観
    • [36]牛丼を、手軽さと親しみやすさで安定した需要に応えるベーシック商品と位置づけ
    • [37]1992年度から1995年度の牛丼部門売上の年平均増加率は上位3社6.2%、ゼンショー23.1%
    • [39]1996年3月期 単体売上高112億500万円(9.2%増)・経常利益4億7,600万円(68.8%増)・当期純利益2億2,200万円(110.5%増)
    • [40]1997年3月期 単体売上高117億3,600万円(4.7%増)・経常利益5億1,500万円(8.1%増)
  • 証券業報 (9)(558)
    • [38]1995年3月期 単体売上高102億6,200万円・経常利益2億8,200万円
    • [41]単体経常利益率は1995年3月期2.7%から1997年3月期4.4%へ上昇

1997年〜店頭公開で取った資金と人材、全国への出店計画

1997年8月、ゼンショーは日本証券業協会へ株式を店頭登録した。公開は同月25日で、そのときの店舗数は181店、展開エリアは首都圏を中心に東北・北陸・中部までだった。公開で得られる資金調達と人材確保の利点は、世界中の人々へ食を提供する世界一のフード企業という目標へ向けたてことされ、公開そのものが全国展開の節目に置かれた。具体の計画は、1998年3月期中に5〜6店舗を出し、中部と九州の間のエリアを順に埋めるというもので、関西と九州へは愛知県下の物流センターを起点として入り、九州にもう一つの物流センターを置く構想を持っていた。37万平方キロメートルの国土に1億2,000万人が住む国で、最も効率のよい店舗展開をやりたい、というのが全国化の考え方だった

  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [42]1997年8月 日本証券業協会に株式を店頭登録
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [43]1997年8月25日の株式店頭公開時点で181店舗、首都圏を中心に東北・北陸・中部へ展開
    • [44]株式公開による人材確保と資金調達を梃子に「世界一のフード企業」を目指すという創業者の表明
    • [45]1998年3月期中に5〜6店舗を出店し、中部と九州の間のエリアを順次埋める出店方針
    • [46]九州エリアは愛知県下の物流センターを起点とし、九州にもう一つの物流センターを計画
    • [47]37万平方キロメートルの国土に1億2,000万人が住むなかで最も効率のよい店舗展開を目指すという方針

公開後の二期で、会社の規模は一段上がった。単体売上高は1998年3月期に135億2,300万円、1999年3月期に152億9,700万円へ伸び、経常利益は7億2,000万円から11億3,600万円になった。1999年3月末の店舗数は222店で、内訳はすき家218店と南南亭4店、製造拠点は横浜・川崎・佐野第一・佐野第二の四工場である。株主の構成は、創業者の資産管理会社である日本クリエイトが31.23%、小川賢太郎氏個人が16.90%、小川一政氏と小川洋平氏が各3.84%と、創業家側で55.81%を占めた。1999年9月、東京証券取引所第二部市場へ上場した公開市場から資金を取りながら、議決権の過半は創業家に残したままだった。

  • 証券 51(11)(608)
    • [48]単体売上高は1998年3月期135億2,300万円・1999年3月期152億9,700万円、経常利益は7億2,000万円・11億3,600万円
    • [49]1999年3月末 店舗数222(すき家218・南南亭4)
    • [50]1999年3月末 製造拠点は横浜・川崎・佐野第一・佐野第二の4工場
    • [51]1999年3月期 大株主は日本クリエイト31.23%・小川賢太郎16.90%・小川一政3.84%・小川洋平3.84%
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [52]1999年9月 東京証券取引所第二部市場へ上場
参考文献[42]-[52]
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
    • [42]1997年8月 日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [52]1999年9月 東京証券取引所第二部市場へ上場
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
    • [43]1997年8月25日の株式店頭公開時点で181店舗、首都圏を中心に東北・北陸・中部へ展開
    • [44]株式公開による人材確保と資金調達を梃子に「世界一のフード企業」を目指すという創業者の表明
    • [45]1998年3月期中に5〜6店舗を出店し、中部と九州の間のエリアを順次埋める出店方針
    • [46]九州エリアは愛知県下の物流センターを起点とし、九州にもう一つの物流センターを計画
    • [47]37万平方キロメートルの国土に1億2,000万人が住むなかで最も効率のよい店舗展開を目指すという方針
  • 証券 51(11)(608)
    • [48]単体売上高は1998年3月期135億2,300万円・1999年3月期152億9,700万円、経常利益は7億2,000万円・11億3,600万円
    • [49]1999年3月末 店舗数222(すき家218・南南亭4)
    • [50]1999年3月末 製造拠点は横浜・川崎・佐野第一・佐野第二の4工場
    • [51]1999年3月期 大株主は日本クリエイト31.23%・小川賢太郎16.90%・小川一政3.84%・小川洋平3.84%

第3章 2000-2010 (気が向いたら執筆します!) ココスジャパン・なか卯の取得による多業態化とはま寿司の立ち上げ

第4章 2011-2026 (気が向いたら執筆します!) 持株会社体制への移行とすき家の地域分社・再統合、海外寿司事業の取得

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

歴史年表 1982〜2023年

ゼンショーホールディングスの沿革1982〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1982〜1993年郊外型牛丼の垂直統合小川賢太郎神奈川県横浜市鶴見区に設立
小川賢太郎ランチボックス(弁当店)1号店として生麦店を開店
小川賢太郎すき家(牛丼店)ビルイン1号店として生麦駅前店を開店★★
小川賢太郎フリースタンディング1号店として水戸店を開店
1994〜1999年単品業態の全国展開小川賢太郎カレー専門店「南南亭」1号店を開店
小川賢太郎丼専門店「たの家」1号店を開店
小川賢太郎日本証券業協会に株式を店頭登録
小川賢太郎東京証券取引所第二部市場に上場
2000〜2010年ココスジャパン・なか卯の取得による多業態化とはま寿司の立ち上げ小川賢太郎ココスジャパンの株式を取得
小川賢太郎はま寿司を設立★★
小川賢太郎ビッグボーイジャパンの株式を取得
小川賢太郎M&Aによる多業態フードチェーンの構築

2000年代、ゼンショーは牛丼"すき家"を主軸に、レストランのココス、回転寿司のはま寿司、ステーキのビッグボーイ、丼・うどんのなか卯を相次いで傘下や自社設立で統括し、業態を並べて調達・製造・物流を共通化する多業態フードチェーンを築いた。小川賢太郎社長が"製造販売業"と呼ぶ垂直統合を全業態へ広げるMMD(マス・マーチャンダイジング)戦略で、2005年3月のなか卯取得で国内の業態網が出そろった。

詳細を読む
★★★
小川賢太郎華屋与兵衛の株式を取得
2011〜2026年持株会社体制への移行とすき家の地域分社・再統合、海外寿司事業の取得小川賢太郎持株会社体制に移行し社名をゼンショーHDへ変更★★
小川賢太郎マルヤの株式を取得
小川賢太郎過重労働の露呈と第三者委員会の設置による労務体制の見直し

2014年春、牛丼チェーン「すき家」の店舗で従業員の負担増が深刻化し、ゼンショーホールディングスは店舗の労働環境改善を経営の最重要課題に設定した。4月に地域分社化と第三者委員会の設置を決め、委員長の久保利英明弁護士に委員の選定まで一任。7月末の提言に沿って深夜帯の一人勤務体制を廃止し、10月1日から複数勤務体制の整わない1,167店で深夜営業を一時休止した。

詳細を読む
★★★
小川賢太郎Advanced Fresh Concepts Corp.の株式を取得★★
小川賢太郎ジョリーパスタを株式交換により完全子会社化(上場廃止)
小川賢太郎ココスジャパンを株式交換により完全子会社化(上場廃止)
小川賢太郎すき家地域会社9社を吸収合併しすき家として再統合
小川賢太郎ロッテリアの株式を取得
小川賢太郎SnowFox Topco Limitedの株式を取得★★
出典・参考 4件
出典・参考
  • ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
  • 証券業報 (9)(558)
  • 証券 51(11)(608)

免責事項およびポリシー