すかいらーくホールディングス客単価760円「ガスト」への全店転換と原点ブランド「すかいらーく」の廃止

創業の看板業態を、茅野亮社長はなぜ自ら畳んで低価格のガストへ変えたか

時期 1992年3月
意思決定者(推定) 茅野亮 社長
論点 業態転換と収益構造の作り替え
概要
1992年3月に低価格業態「ガスト」の一号店を出したすかいらーくは、1994年8月に稼ぎ頭のファミリーレストラン「すかいらーく」全店を新業態へ転換し、1996年中に原点ブランドの看板をすべて外す方針を発表した。客単価を約300円下げて760円とし、セルフサービスと家賃圧縮でローコスト経営へ作り替えた業態転換で、茅野亮社長が主導した。
背景
バブル崩壊後のデフレで来店客が減り、すかいらーくは1992年・1993年12月期に上場以来はじめての二期連続経常減益に陥った。家賃の高い立地に大型店を構える従来型の構造は重い固定費となり、値上げでは客が戻らないという危機感が転換の下地となった。
内容
不採算のすかいらーく店を対象にメニューを3分の1へ絞り、客単価を760円まで下げた。来店客を席へ案内しないセルフサービスで人件費を抑え、家賃の高い立地からは撤退する。1994年上半期に転換店の客数は前年比170%へ伸び、他の外食チェーンも追随する「ガスト効果」を生んだ。
含意
転換で二期連続減益から1994年12月期は経常増益へ反転した。一方で対象は自ら育てた原点の看板であり、茅野社長は「すかいらーくの使命は終わりました」と述べてその名を外した。稼ぎ頭を体力のあるうちに畳む判断であった。
筆者の見解

原点を畳むということ

「デフレへの対応」でこの転換を片づけるのはたやすい。だが、それではなぜ黒字で稼ぐ看板を自ら畳んだのかが抜け落ちる。すかいらーくは倒れかけていたのではなく、減益下でも主力として利益を生んでいた。その業態を、体力の残るうちに客単価760円のガストへ塗り替え、原点の名まで外したところにこの判断の芯がある。茅野亮社長は「会社の寿命は三十年」と自認し、実験店の結果を待たずに全店転換を宣言して、創業者ゆえに単独で腹をくくれると語った。

もっとも、この転換を正解と呼べるのは、その後の反転を知っているからにすぎない。セルフサービスへ振り切ったガストの現場はサービス低下を招き、横川紀夫副会長すら「まだ60点」と未完成を認めていた。看板の全廃も、掲げた1996年ではなく2009年までずれ込んでいる。それでも、まだ稼げるうちに次の業態へ移り、原点の名すら惜しまなかったことが、危機のたびに看板を作り替えるこの会社の体質を表しているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

二期連続の経常減益と看板業態の疲労

バブル景気に沸いた外食市場は、崩壊とともに一変した。デフレへ傾く消費のなかで来店客は減り、すかいらーくは1992年・1993年12月期に、上場以来はじめての二期連続経常減益に陥る。看板であるファミリーレストラン「すかいらーく」そのものの古さも重なった。茅野亮社長は「会社の寿命は三十年、二十五年目を迎えてすかいらーくも疲労してきた」と語り、店舗デザインから商品まで一新しなければ客は戻らないと危機感を強めていた[1][2]

危機の根には、値づけそのものへの反省があった。茅野社長は、この二十年で店の平均単価が750円から1000円強へと三十数%しか上がっていない一方、世の賃金は三倍から四倍に伸びたことに注目する。年功序列と終身雇用が崩れれば賃金はこれ以上上がらず、消費者は生活を締める——そう読んだ茅野社長は「本当に豊かさを実感するには物価を下げていくしかない」と、値上げではなく値下げで客を取り戻す道筋を描いた[3][4]

決断

客単価760円「ガスト」への転換

打開策となったのが、低価格業態のガストであった。1992年3月に東京都小平市で一号店を開き、不採算のすかいらーく店を対象にメニューを3分の1へ絞り込み、客単価を約300円下げた760円へ置き直す。来店客を席へ案内しないセルフサービスで人件費を抑え、家賃の高い立地からは撤退するローコスト経営を徹底した。食材はすかいらーくと同じものを使いながら、労働生産性を上げて粗利率をほぼ同じ水準に保った[5][6][7]

転換の底には、茅野社長の時代観があった。米国で価格破壊を起こしたウォルマートを見て、外食にも機能に徹した日常の需要があるはずだと確信していた。「レストランで汗水流して働いた収益が、不動産で得る収益の半分というのは許せない」と述べ、家賃の高い店舗は交渉で下げ、決裂すれば閉店して安い立地へ移す方針を示す。安く仕入れて安く売るディスカウンターではなく、自社の工場と店舗のコストを見直して価格に行き着いたという立場であった[8][9]

原点ブランドの廃止

ガストの手応えを得た経営陣は、原点そのものへ踏み込む。1994年8月、すかいらーくは「すかいらーく」全店を新業態へ全面転換すると発表し、1996年中に看板をすべて外す方針を打ち出した。「すかいらーくの使命は終わりました」という茅野社長の言葉は、外食業界に衝撃を与える。かつて約800店を数えた「すかいらーく」のうち、既に約450店が低価格のガストへ変わり、残る店も「スカイラークガーデンズ」などへ置き換える構想であった[10][11]

全面転換の発表には、見切り発車の色があった。実験店が結果を出す前の宣言であり、社内では既存店の将来を案じる声や取引先からの問い合わせが相次いだ。茅野社長は「トップが腹をくくるかどうか」で変革は決まるとし、創業者ゆえに単独で踏み切れると語る。もっとも、セルフサービスへ振り切ったガストの現場は予想以上のサービス低下を招き、横川紀夫副会長も「ガストはまだ100点満点中の60点」と未完成を認めていた[12][13][14]

結果

業績の反転と原点の退場

転換の効果は、数字にすぐ表れた。転換した店の客数は1994年上半期に前年比170%へ伸び、すかいらーく単体の上半期売上高は680億円と前年同期比6.8%増、経常利益は48億700万円と同24%増に回復する。二期連続の経常減益から、1994年12月期は一気に経常増益へ転じた。低価格が支持を集めると、他の外食チェーンも軒並み低価格業態へ追随し、「ガスト効果」と呼ばれる連鎖まで生んだ[15][16]

一方で、業態の交代はグループ全体の姿も変えた。1993年12月期のグループ売上高は2082億円に達し、ジョナサンや藍屋、バーミヤンなど複数チェーンが幹となる「食のコングロマリット」が骨格を得ていた。かつて約800店の「すかいらーく」は看板を減らし、主力の座はガストへ移る。予告どおり原点ブランドの店舗は姿を消し、最後まで残ったファミリーレストラン「すかいらーく」も2009年10月に完全閉店した[17][18]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1993年12月13日号「日本の賃金はもう上がらない 低価格外食店が3年で主流に」
  • 日経ビジネス 1994年9月26日号「すかいらーく、業態を大転換」
  • すかいらーくホールディングス 有価証券報告書【沿革】

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