大企業に競争優位を築けないから隙間へ逃げた話として読むと、この転換の勘所を取り落とす。後藤十次郎社長が特殊モーターを離れにかかったのは、業績が崩れたときではなく、神武景気で無配を脱し1割配当へ復した好調の最中であった。不況が来れば再び無配へ転落するという読みが先にあり、まだ余力があるうちに次の製品を社内に探させている。しかも選んだ電気カンナは、造船所が輸入品を使っていた領域で、需要の実在が確かめられていた。
もっとも、この転換が最初から専業化の設計図を持っていたとは言いにくい。発売後の4年間、同社は電気カンナと電気ミゾキリの2機種で過ごしており、増産に追われて新製品を手がける余裕はなかった。品揃えが動き出したのは、売上が伸び悩んだ1962年からであった。国産第一号は一つの製品を当てた話にとどまり、専業メーカーの形は、そのあとの販売網と機種の積み増しによって遅れて出来上がったといえる。