1948年9月に始めた双眼鏡と望遠鏡が当座の食いぶちで、同時に着手したカメラは売り先も定まらない試作にすぎなかった。その試作の的を、ミラーが戻らないという難点のために誰も量産していなかった一眼レフに置いた点が、この判断の中身である。距離計連動式で各社が稼いでいた時期に、その方式には付かなかった。クイックリターン装置もペンタプリズムもその選択の後に来た成果で、1970年6月期には売上の96.2%を一眼レフとその付属品が占める会社になった。
集中の代償も、その96.2%に含まれている。一つの方式が売れ続けることを前提にした構造でもあったからである。1965年ごろに各社が距離計連動式から一眼レフへ移ると、方式を先に確立した同社の市場占有率は年ごとに低下した。生産能力は限界に達し、在庫は半月分の予定に対して9日分しか積めていない。方式を最初に実用化した会社が、その方式の普及からいちばん多くを得るとは限らない——この時期の占有率は、そのことを示している。