希望退職を計画から外し、その分を原価と生産地の付け替えで賄う——旭光学工業の再建は、この順序で組み立てられていた。8ミリビデオから撤退しても110人は配置転換で吸収し、うち40人は黒字の定着していた内視鏡部門へ移した。減らす人数は中途採用の抑制と定年退職による自然減にとどめ、3年で300人という緩やかな線を引いている。固定費を一息に落とす手を自ら封じた以上、収益の回復はカメラの販売台数と海外移管の速さに委ねられた。
実際、会社側が1994年3月期の単独経常損益を16億円の黒字と見込んだのに対し、大和総研と日興リサーチセンターはそろって20億円の赤字を予想した。出荷台数を前期比19%増と置いた前提そのものが疑われていた。カメラ比率を50%以下にするという多角化の目標は永年届かず、参入から5年を経た人工歯根も、利益の出ている会社が1社もないと言われる市場のままであった。人を残す選択は、残った人が働く事業を用意できて初めて完結する。旭光学工業にとって、その事業は内視鏡のほかにまだ育っていなかった。